紫陽花の下
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最近…………葵が黙ってどこかへ出かけて行く。あれからちゃんと話をしていない。どこへ行くんだ?その一言が……訊けないでいた。
「何?紫陽花の色でも変わったのかい?」
「紫陽花の色変わるの~?」
「凄い!凄い!」
ルンとポロは俺と晋さんの前に座って拍手をした。いやいや、手品とかじゃないから!手品始まらないから!
「赤?青?黄色?」
「信号みたいに、すぐに変わる訳じゃないよ?」
「それ、土壌が酸性かアルカリ性かで色が変わるってやつですよね?」
紫陽花の花の下に死体が埋まっていると青くなるという都市伝説だ。葵が紫陽花の下に何かを隠している?まさか。
晋さんは持っていたチョコレートを二人に見せると、晋さんの顔の前でチョコレートが消えた。正確には、消えたように見えた。
「おお~!」
二人は感嘆の声をあげた。
おお~!じゃねーよ!熊がチョコレート食べただけだろうが!晋さんが後ろを向くと、口がモゴモゴ動いていた。そして、口から新しいチョコレートが出て来た……ように見せて、テーブルの新しいチョコレートをもうひとつ食べた。晋さんはマジックのできる熊に進化していた。
「葵さんは紫陽花の下に何を隠してるのかな?」
「いやいや、そんな訳ないじゃないですか?」
「でも気になっているんだろう?」
そんな時、電話が鳴った。
「はい、里梨です。」
「こちら、駐在所の者ですが里梨さんですか?」
俺が電話を取ると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ああ、駐在さん、どうかしたんですか?」
小さな村では、駐在所の警察官とも顔見知りだった。
うちにはオレオレ詐欺の注意勧告は必要ないんだけど…………?え?まさか偽物?これから、オレオレ詐欺劇場始まったりする?
「伊沢葵さんのご家族ですよね?」
葵…………?家族…………ではないけど……。
「これから駐在所に迎えに来てもらえませんかね?」
え…………?えぇええええええ!!
「い、今すぐ行きます!!」
俺は電話を切ると、慌てて出かける準備をした。
「晋さん、子供達と留守番お願いいします!」
「どうしたんだい?」
「駐在所から電話があって……」
ショックで、駐在さんの説明が全然頭に入って来なかった。
紫陽花の下が…………突然掘り返された。
駐在所に着くと、暗い顔をした葵がいた。
「何があったんですか?」
「坂下のじいさんが通報しちゃったんだよ。」
「はぁ?どうして?」
坂下のじいさんがどうして通報したかというより、どうして葵がここにいるのかが知りたかった。
「坂下のじいさん認知症が進んで、葵さんの事がわからなくて通報したんだよ。まぁ、今回の事はあんまり気にせずにね。これに懲りずに、これからも様子見てやってよ。」
なんだ……そうゆう事か……。晋さんが都市伝説の話なんかするから、しなくていい心配をしていた。
「…………。」
葵は何も言わなかった。ただ、黙って下を向いていた。
「お世話になりました。」
駐在さんに挨拶をして、二人で歩いて帰った。
空は厚い雲に覆われていて、また雨が降りそうだった。夕方なのに、辺りはもう薄暗かった。
葵の足取りは重く、隣を歩くと、すぐに後ろに行ってしまう。何度も何度も振り返って、葵の姿を確認してしまう。
「どうした?坂下のじいさんに何か言われた?」
当たり前だ。坂下のじいさんが通報するほど、葵の事がわからなかったなら、葵もきっとショックだった事だろう。
「おばあさんは死んでないって。」
「ああ、坂下のばあちゃん寝たきりだっけ。じいさんが介護してたんだよな?」
老人が老人を介護する、老老介護というやつだ。田舎じゃ珍しくもない。
「でも、多分……坂下のおばあちゃんはもう……」
どうしてそんな事を言うんだ?
「もしかして、最近出かけてたのって…………坂下のじいさんの家か?」
「…………。」
葵は黙って頷いた。
「じゃあ、坂下のじいさんの様子がおかしいって気づかなかったのか?」
認知症に気づいたなら、すぐに病院に連れて行かないと、どんどん進んでしまう。
「…………。」
また、葵は黙って首を横に振った。
「じゃあ、どうして話してくれなかったんだよ?話してくれれば俺だって……」
俺の言葉を遮って、葵は顔をあげて言った。
「言おうとしたよ!話があるって言ったのに、紅葉君ずっと話をさせてくれなかったじゃない!子供の前でする話じゃないのに……。いつもいつも逃げて……。」
葵の……『話があるの……。』は、俺が予想していた別れ話ではなく、坂下のじいさんの事だった。
「坂下のおじいちゃんに剪定の仕方教えてもらいに行くって言ってたから、きっと紅葉君も気づいてくれると思ったのに……」
俺が行く前に……こんな形で知る事になった、という訳だった。
「葵…………ごめん。話、聞いてやれなくて…………ごめん。」
ずるい方法で、葵の話を先延ばしにした事に、酷く後悔した。俺は……後悔ばっかりだ。
「でも、俺じゃなくても、誰か他に相談すれば良かったんじゃないか?」
それを言ったら俺の存在意義って何なんだって話だけど、他に方法もあったはず……。
「相談できないよ。だって……おばあちゃん言ってた……。最後まで、ここで一緒にいたいって……。おじいちゃんの認知症がわかれば、二人とも施設に入れられる。自分はもう長くないから、せめて自分が死ぬまでは一緒にいたいって。もう、全然自分の事わからないのに…………一緒にいたいって。」
何も言えなかった。葵が泣くのを…………ただ、見ているしかなかった。降りだした雨の隙間から、雨の涙が頬を伝って、地面に落ちた。
俺は静かに泣いていた葵を抱き締めた。葵は俺の服を握り締めて、声をあげて泣いた。
「一人で……辛い思いさせてごめん。」
楽しい事ばかり分けあって、辛い事は一人で抱えさせてしまった。
葵…………本当にごめん……。