これからだんだん
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田植えから1週間ほど経った平日の夜にアポを取って、葵の両親に挨拶に行く事になった。俺達は朝から出て、マンションの売却の件や引っ越しの手配をする事にした。
「運転……代わろうか?」
「いや、大丈夫。」
この半年間でやっと車の運転に慣れて来た。と、言うより、車の運転に集中しないと間が持たない。
「じゃ、帰りは私が運転するね。」
ミミズハグから、葵とギクシャクする。いや、葵の機嫌が悪い。葵はずっと窓の外を見ていた。
「ごめんね。雰囲気悪くしてるってわかってるんだけど…………どうしても、気持ちの整理がつかなくて……。」
「そろそろ不機嫌の理由、聞かせてもらえませんかね?」
「愚痴る事になるけどいいの?あ、高速こっち!」
危ない危ない。葵に教えてもらわなかったら道を間違っていた所だ。
「いくらでも愚痴ってください。聞くぐらいしかできないかもしれないけど。」
「じゃあ、愚痴らせてもらおうかな~」
怖い怖い怖い……。本当は内心ガクガクブルブル状態だった。どんな言葉が待ち受けているんだろう……。
「苗植え……できなかったなって……凹んでるの。」
「はぁ?!そんな事!?」
思わず大きな声を出してしまった。覚悟していた割に、肩透かしだった。
「そんな事って……重要な事でしょ?!」
今、ようやく気がついた。葵は多分、農業バカなんだ。
「自分で植えて、自分で育てて、自分で売る。最初から自分でやらなきゃ愛情が湧かないんじゃないかなって思って……苗だって、種からじゃないし、途中からじゃ、愛情を持って大切に育てられないんじゃないかって……不安なの。」
「最初ってそんなに大事か?」
「スタートが肝心って言うじゃない?」
そう言って葵は不安そうに下を向いた。
「そうかもしれないけど……最初だけ良いより、だんだん良くなっていく方が、俺はいいと思う。ルンとポロだって、来た時は凄く苦労したけど、今は二人がいてくれてよかったと思う。」
「私も……。最初は大変だったけど、今は可愛くて仕方がないの。紅葉君が置いて行った時、大変だったんだよ?」
「いやだから、置いて行った訳じゃなくて……。」
不可解な犬が、俺だとわかったら色々府に落ちたらしい。でも、それが許せるか許せないは別の話らしい。
「ずっと犬に成りすましてたんでしょ?わかってるよ!でも、ルンは落ち着きなくて、あちこちぶつかるし、ポロはご飯なかなか食べないし。本当に大変だったんだよ?」
知ってる。犬に成りすまして見てました。
「そっか……ルンとポロみたいに、途中からでも、私、愛情注いで育てられるんだ……。」
「植物だったらなおさら気に入るよね?葵、オクラちゃんだし。」
「それ、アンパ◯マンに出て来るキャラでしょ?ルンとポロも言ってた。私、野菜と喋ってないし、泣いてお別れしてないし。」
泣いてお別れ……。その時、ふと、ポロが言っていた言葉を思い出した。
どうせ僕はいなくなるのに……
僕達、今年の冬には帰るんだ。元々1年の約束だったし……。
あれからポロは学校で友達を作って、毎日楽しそうにしているようだ。この事を…………葵にはいつ言うべきなんだろう……?今だったかな?
「聞いてた?」
「あ、ごめん。聞いて無かった。」
「だから、あのね、お父さんの事なんだけど…………」
とうとう話の核心にキター!!。
「本当のお父さんじゃないの。」
え?葵、複雑な家庭環境だったの?
「本当の父は中学生の時に亡くなってて、今日会う人は母の再婚相手で、私とは血の繋がりがないの。」
葵のその告白に、どう、答えていいかわからなかった。母親の再婚相手の事を……どう思っているんだろう?やっぱり……受け入れられないのか?
「なんか……シェパードみたいな人。」
「シェ、シェパード!?いや、人間で例えてもらえると助かる。」
「うーん……舘ひろし?」
ダンディーお父さんか。え?舘ひろし?かっこ良くない?カッコいいお父さんダメ?わかんねぇええ~!
二人きりのドライブはあっという間に終わり、葵の実家になるマンションに着いた。葵は3年ぶりの帰省だ。帰省と言っても、ここにはほとんど住んでいなかったらしい。
それぞれ自己紹介や挨拶を交わした。葵のお母さんは相変わらず美人で、お義父さんは話聞いた通りダンディーだった。
俺は緊張しながら精一杯言葉を出した。
「あの、この度は、貴重なお時間をいただいてありがとうございます。あの、葵さんと結婚させていただきたく、ご挨拶に参りました。どうか、お許しをいただけないでしょうか。」
「あれ?ここはお嬢さんを僕にくださいじゃないの?」
えぇええええ!!即ダメ出し!?
「ちょっとお母さん!真面目に話してるのに!」
それとも、定番の台詞を要求されてんの?じゃあ、じゃあ、
「お嬢さんを僕にください!」
俺は焦ってすぐにそう言った。
「紅葉君、別に要求してる訳じゃないからね?」
「え?そうなの?」
「ごめんなさいね。葵は結婚はこのままないのかなって諦めてたから、少し舞い上がってしまって。」
お母さん……本人目の前にして諦めてたって……。
「僕は葵さんの結婚を祝福するよ。」
お義父さん……。ダンディーで、しかも優しい!!
挨拶もそこそこに、今後について話をして、葵の実家を後にした。
部屋を出ると、ずっと疑問に思っていた事を、葵に訊いた。
「お義父さん、良い人そうじゃん…………何がダメなの?」
「だって…………私の本当のお父さん、パグみたいだったのよ?急にシェパードになったら緊張するじゃない!」
え…………?
「ちょ、ちょっと待って、犬種で例えるのやめよう。イメージ湧いて来ない。なんか……わかるような、わからないような?」
「じゃ、志村けんが急に舘ひろしになったら?どうしていいかわからないでしょ?!」
それは確かに……。要するに葵は、再婚相手の父親が、今までの父親像とあまりにかけ離れていて落ち着かない。そうゆう事らしい。
「人間が動物に変身したぐらい衝撃的だったんだよ?にわかには信じがたい!ってやつだよ!」
「そ、そんなにか!?」
「そんなに?!」
え?さっきの誰の声?後ろを振り向くと、お義父さんが葵の携帯を持って立っていた。
「これ、忘れ物。」
「あ、ありがとうございます。」
葵は気まずそうに携帯を受け取った。
「葵さんはそんな風に思っていたんだね……。」
「いえ、あの、認めてないとかそうゆうんじゃなくて……その……」
「嬉しいよ。緊張するほど格好良いと思われてると思うと、頑張ってる甲斐があるよ。でもね、私も普段はパグみたいなんだよ?葵さんに気に入られたくて、いつも背伸びしていたんだよ。いつも、その努力が報われてくれるといいと思っていたけど……逆に緊張させていたなんて……すまないね。」
「いえ、違います!私の問題です。お義父さんは格好良いです。格好良くて、優しくて……理想的な父です!」
「ルンとポロみたいに、途中からでも愛情が注げるんだよな?」
「うん。そうだね。」
葵はお義父さんに頭を下げた。
「あの、母の事、よろしくお願いします!」
お義父さんとお別れをして、車に乗ると、葵に思いきって訊いてみた。
「あのさ、俺が狼になるのって嫌……?」
人間が動物に変身したらやっぱり落ち着かないよな……。
「嫌……」
え…………えええええ!!
「だったら結婚しないでしょ?」
し、心臓に悪い……。
「むしろ犬好きだから嬉しい。今度犬になったらモフモフさせてね!」
その言葉を聞くと、俺はようやく緊張から解放された気分になって、笑えて来た。
「あはははは!やっぱり俺、だんだん良くなる方がいいな。これからは、俺の予想。明日は晴れる。」
夕暮れの空を見て言った。
「それは、私もそう思う。」
「これからきっと、もっともっと幸せになる。」
「それは、私もそう思う。」
2度目のキスは、赤信号の間の、数十秒間だった。
「あ、飛行機雲!ラッキー!」
「本当だ。ラッキー!」
何だか、苗植えの時のような、楽しみな気持ちになった。種を撒けば、光が必要だし、たまには雨も必要だ。始めが良いからと言って、必ず上手く育つとは限らない。だけど、1日1日を大切に積み上げていけば、いつか花を咲かせて、きっと実になるはず。
焦る事はない。未来はきっと明るい。終わり良ければ全て良し。今はそう考えよう。