代掻き
65
一旦トラクターを止めると、葵に話かけられた。
「やっぱりあれ…………無理があるよね?」
「あれって……あれの事か?」
「あれってもしかして、熊に服着せて人間に見せようって作戦?」
葵は、晋さんを見て言った。
「それはどう考えても無理があるでしょ?あれ、どう見ても服を着た熊だよ?しかも、赤いTシャツ……。あれ、余計目立ってるから。」
ルンとポロは、赤い服を来た熊の姿の晋さんに登って遊んでいた。あの二人、熊と遊んでると……スゲー野生児に見える。ジャングルブック?あの三人の所だけおとぎの国に見える。
「どうせ、人が多い訳じゃないから、開き直って着ぐるみだって言い張った方がいいんじゃない?」
「そんなんで大丈夫か?」
「紅葉君、ほら、あっちばっかり見てないでトラクター動かして。」
ゆる~い農業の先輩、葵は最近の指導がスパルタだ。それは、俺が狼と偽って一緒に風呂に入ったから。そこか!?そこなのか!?
しばらくトラクターを動かして、田んぼの土を撹拌して、水路を開けて水を入れはじめた。
「そろそろお昼にしようか!!」
水を入れている間、葵はお弁当を広げた。みんなが座ると道が塞がった。まぁいいか。誰も来ない道だ。
鳥の鳴き声と、風のざわめきだけが、辺りに響いていた。のどかだなぁ……。今日は少し暑いくらいの、良い天気だった。俺は水路でタオルを洗い、顔を拭いた。
「紅葉~!早く~!」
ルンは葵のお弁当が待ちきれないようだった。俺はみんなの待つレジャーシートに腰を下ろした。
葵は晋さんを見て言った。
「晋さんには蜂蜜が良かったかな?」
「いやいや、くまのプ◯さんじゃないんだから。晋さん、普通の食事の方がいいと思うけど?」
晋さんの方を見ると、熊が頷いていた。
「じゃあ、お握りどうぞ。」
お握りを手渡すと、晋さんは器用に熊の手を使って、両手でお握りを持って食べていた。ファ……ファンシー!!
「葵のお握りはやっぱり美味しい。」
「悪魔のお握りだもんね~!おいなりさんも、悪魔的なんだよね~!中のレンコンがしゃきしゃきで……こっちはふわふわ卵乗ってて、めちゃくちゃ美味しいの~!」
「晋さんヨダレ出てるから渡してやって……。」
熊のヨダレ垂らす姿怖いから!喰われないってわかってるんだけど、本能的に?怖いんだよ!!
葵に入れてもらったお茶を飲むと、ほっとした。辺りを見渡すと、田んぼの水面に風景が映りこんでいた。
「俺……田んぼの水面に映る風景、結構好きだな……。」
「私も。田んぼに映った風景好き。綺麗だよね。今日は風が気持ちいい。」
爽やかな風が、サラサラと草木をなびかせて行った。
「あと、花火とか、流星群とかも好きだな。」
「キラキラ、ルンも好き~!」
「夏が楽しみだね。」
俺は、水路で必死に泳ぐカエルを見ながら、言葉を並べ続けた。
「シャワーで見える一瞬の虹とか、雨の線とか、あとオバケ?」
「オバケ~?」
ルンとポロは笑った。
「共通点が見えないね?」
晋さんが首をかしげて言った。
「共通点は……写真に映らないもの。」
「写真に映らない?」
みんなはそんな訳ないと笑った。
「月が綺麗な夜、携帯で写真撮ったけど、自分で見た月とは違うなって思った事があってさ。」
葵は少し納得して言った。
「わかるわかる。星とか花火とか、普通に撮ってもなかなか綺麗には撮れないんだよね~。」
「だから、写真で映らない風景って特別だなって思ったんだ。」
ルンとポロは写真に映らない。だけど……
「ルン、ポロ、俺は写真に映らない特別なものが好きだ。二人の笑顔は特別だから、ちゃんと覚えておくよ。」
「ルンも!ちゃんと覚えておく!」
「僕……覚えていられるかな?自信無いよ……。」
不安そうなポロに葵は言った。
「大丈夫だよポロ。亡くなったおじいちゃんが、よく言ってた。忘れたくない!覚えていたい!って思った出来事は、人間忘れ無いものなんだって。」
「じゃ、ルン、毎日全部忘れたくない!」
「ルンは欲張りだなぁ~!」
そう言ってみんなで笑った。
葵は、亡くなった祖父の話を続けた。
「おじいちゃんの忘れたくない事って何だと思う?」
「何?葵のスリーサイズ?」
「そんなのおじいちゃんに教える訳ないでしょ!」
俺にパンチを入れている葵にルンが訊いた。
「何?なんだったの?」
「おばあちゃんとの思い出だよ。」
確か、じいさん、高校卒業直前に亡くなったって言ってたよな?
「おじいちゃん、私に会う度に、おばあちゃんと見た桜が綺麗だったって話をしてくたの。きっと、人に話す事で思い出して、忘れたく無かったんだね。」
「じゃあ、誰かに話したら忘れない?」
「そうだね。話したいなって人がいたらね。」
大切な思い出を話せる相手…………それは、家族でもいいし、他の誰かでも、ルンやポロにもずっといて欲しいな……。
田んぼの水面に映る風景や、曇り空から降る雨、月や星空、シャワーで見える一瞬の虹。ルンとポロの笑顔。大切な思い出話を、あの時こうだった、ああだった。そう話せる家族や友達、恋人……。死ぬ時までそんな人がいたら、幸せだろうな……。