始発
64
吉野が始発の2時間も前に駅に向かって行った後、宮本さんが1階へ降りて来た。
宮本さんは座敷の襖を少し開けると、熊が寝ているのが見えて、慌てて襖を閉めていた。
「いやいや、これ、吉野じゃないから!」
晋さんの寝相が悪くて、俺の上に熊の胸の上に腕が乗った。お、重っ!そして、毛が固い……。さっき風呂でトリートメントしたのに……。いや、そんな事より、これ以上ここにいると寝相で殺されそうだ。起きよう。
俺は座敷から脱出して台所へ行くと、宮本さんは葵に昨日の事を謝っていた。
「動揺するのもわかります。」
「あ…………里梨君……。」
台所へ入ると、宮本さんが気まずそうにこっちを見た。
「昨日は、ごめんなさい。私、気が動転してて……。」
「いや、驚くのも仕方がない。」
「あの、1つだけ、聞いてもいいですか?」
いいと答えてもないのに、宮本さんは訊いて来た。
「私は、秘密を打ち明けるに値しない人間ですか?」
え?宮本さん、そう……思っていたの?自分の事ばかりで、宮本さんがどう思っていたか考えた事が無かった。
「私、里梨君にも、吉野君にも、大事な事何も話してもらえなかった。私って、そんなに信用無い人間ですか?」
「そうじゃない。吉野も俺も、嫌われるのが怖いだけだよ。失うのが怖かった。吉野の話だって、簡単に話せる事じゃない。決して宮本さんが信用が無いとかそうゆう事じゃないと思う。大事だから言えないって事もあるんだよ。」
すると、葵が菜箸を置いて言った。
「それって、まだちゃんと話されてないだけでしょ?あなた、まだマシだよ?中途半端にエイプリルフールに嘘~とか言ってカミングアウトされてないし、入学式に勢いでプロポーズされてないし。」
「え……?何それ?」
葵の言葉が刺さる刺さる~!
「い、いや、あの、誰だって秘密くらいあるでしょ?宮本さん吉野にすっぴん見せてんの?」
「…………。」
そこ黙るのかよ!!
「その秘密を知っても、いいよいいよ。って言ってくれる人なら、側にいればいい。嫌なら離れればいい。」
宮本さんは少し黙って考えた。宮本さんの中で消化できなかった疑問を、1つ1つ潰していくかのように俺に訊いた。
「じゃあ、里梨さん、私じゃダメな理由って何だったんですか……?」
「え……それは…………ごめん、そんなの無い。俺自身の問題。あの時は、そうするしか無かった。ごめん。」
「じゃあ、この人じゃなきゃダメな理由は何ですか?私がここで留守番してれば、里梨は私を選びました?」
留守番…………?葵は留守番してるだけに見えるか?俺は少し腹が立った。
「は?田舎のかーちゃんナメんな?」
過疎化が進んで限界地域と言われる場所にも、支えてる人がいる。安易な気持ちでやっていたら、何年も続かないはずだ。
「農業して家事やって子育てやって、ここら辺のじーさんばーさんの様子見て、葵は早死にするんじゃないかってくらい働いてんだよ。スゲーよ。まじで尊敬する。あ、マジで早死には勘弁してください。」
「じゃ、人間の間はこき使うから。」
「了解!とにかく、俺は葵を心底尊敬しています!」
俺は敬礼した。
「じゃ、まずは上のおじいちゃんからトラクター借りて代掻きね~。」
え?いきなり?
「トラクター運転できる?」
「一応、何回かやった事ある。多分、多分大丈夫。」
「あと、ナスとキュウリとトマトの苗植えもね~。」
ちょ…………人使い荒くない?
「日が暮れる前に終わるように、一緒にやろうね。」
「う、うん。ありがとう。」
やっぱり葵は優しいな……。
俺が葵に惚れ直していると、宮本さんがため息をついて言った。
「わかりました。あ~あ、ばっかみたい。こんな田舎、二度と来ませんから!!」
そう言って宮本さんはハイヒールを履いて玄関を出て行った。俺は宮本さんを追いかけて、その背中に叫んだ。
「宮本さん!一度きりの人生だ。俺が言うのもなんだけど、後悔の無いように!」
すると、宮本さんの足が止まった。
「吉野、始発に乗るって言って駅に向かったよ。」
葵も外に出て来て言った。
「あー!始発!38分だよ?あと5分!でも、走って行けば間に合うかも!」
「でも、これじゃそんなに早く走れない……。」
宮本さんは自分のハイヒールを見て言った。すると、葵が急いで靴を持って来て宮本さんの前に置いた。
「これ、いつか必ず返しに来てください。あとこれ朝ご飯。お握りとお茶。」
さらに葵は紙袋を差し出した
「駅まで一本道。迷わず走れば大丈夫だ。」
駅までの道は、ずっと駅が見えていて、道なりに進めば必ず着く。
宮本さんは靴を履き替えて葵にハイヒールと紙袋を交換して言った。
「これ預かってて下さい。必ず取りに来ます。その時は、里芋の煮物必ず用意しといて下さい。」
そう言って走って行った。
宮本さんの姿が見えなくなって、家の中に戻ろうとすると、葵が思い出したかのように言った。
「あ……時間変わって48分だったかも。」
「まぁ、間に合うならどっちでもいいだろ。」
きっと、10分の違いなんて、もうあの二人には関係ない…………あれ?もしかして、それ……わざと?
「葵ちゃん、ちょっと意地が悪いのかな?」
「は?どこが?これくらい親切の内でしょ?」
葵は……敵にまわすと怖いタイプという事が判明した。
「葵、ちゃんと言えなくてごめん。」
「私……紅葉君が狼だなんて信じられなかった。信じたく無かった。だって…………」
信じたく無かった…………?やっぱり…………化け物だから…………
「だって一緒にお風呂入っちゃったんだもん!!」
え…………そこ?そこなの?
「絶っ対見たよね?」
「いや、全然?いや、少し。本当に少し!!」
葵は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「もうやだ!本当に恥ずかしくてお嫁に行けないよ~!」
「いや、だから、家に嫁に来ればいいじゃん。」
あ、やべ。口が滑った。
「紅葉~!!」
脇腹に優しいパンチをくらった。
二人で玄関に入ろうとすると、山々から光が差し込んで来た。夜明けだ。その朝日は何だか…………眩しく見えた。