婚約解消
63
葵とルンは玄関でずっと待っていてくれた。俺達が手を振ると、二人は駆け寄って来た。
「ポロ~!良かった……。本当に良かったぁ~!」
「あーちゃん……ごめんなさい。」
葵とポロは、しばらく抱き合って泣いていた。
「そろそろ帰ろうか。」
そう言って、立ち上がると、彼が目に入ったらしい。
「…………。」
葵は驚き過ぎて声が出ないようだった。しばらく固まって、その後、冷静な口調で言った。
「知ってる?紅葉君、野生動物って弱ってても、拾って来ちゃダメなんだよ?知ってるよね?」
知ってます。それに、多分、彼は弱ってるのは体じゃなくて心です。
「この人、あ、いや、この熊、多分俺達と同じなんだ。」
「初めまして。山里晋介です。」
「熊なんか吠えた?」
あ…………そうか。
「この人は普通の人だから、言葉が通じないんだよ。」
「山里って山里の兄貴?」
川の上流の方に、山里瑞樹という同級生がいた。その兄は昔から失踪グセがあると聞いた事があった。このせいでか……。
狼は百歩譲って、大型犬として認識されれば人里にいても問題はない。でも…………熊は小さかろうが大きかろうが、人里に降りて来た時点でアウトだ。保健所に行くどうのの話じゃない。追いかけられ、最悪、その場で射殺……。この人は、山しか居場所がない。山でしか生きられない。
「僕……僕……」
「うん、ポロ、今日はもう寝よう?」
「ちょっと待てくれ、葵。ちゃんと話がしたい。」
それでも葵は家に帰る足を止めなかった。
「ごめん。今は…………冷静に話せる自信無い。一晩考えさせて。」
その晩は…………眠れなかった。
葵も、眠れないようで……ずっと台所にいた。
吉野も眠れないようだった。
「先輩、この度は……すみませんでした。」
俺は吉野の腕を縛っていた充電コードを外した。こんなもの、力ずくで切れば切れたものを……。
「これで、多分…………婚約解消だと思います。」
「吉野……。」
「いいんです。彼女は多分、こうする為にここに来たんだと思います。」
俺がいなかったから、襲われたのが葵だった。もし、俺1人だったら俺が襲われて、その事を理由に宮本さんは婚約解消するつもりだった。そう吉野は説明した。それが……幸か不幸か、俺が化け物という話題にかっさらわれて、ちゃんと話ができていなかった。
「宮本さんは?」
「先輩の2階の部屋に寝るように奥様が……。」
葵の部屋で寝ているのか……。
「俺、単純に先輩に会って謝りたくて……自分が後輩を指導する立場になったら、自分が先輩にとってた態度ってムカつく態度だって気がついたんです。すみませんでした。」
「そりゃそうだよな。注意すりゃ言い訳ばっかだし、期限守れねーし、ミスすりゃヘラヘラするし、とんでもねー新人!キタ!ゆとりキタ!って思ったわ!」
「あ、そこは悟り世代と言ってください。」
そこ突っ込むんじゃねーよ!
「でも…………こっちも、要求し過ぎてた。良い所、生かしてやれなくて、ごめん。」
「それは、期待されてたって事ですよね?」
吉野、相変わらずポジティブだな。誉められると図に乗る。そこは…………良い所だな。
「もう一度先輩に会いたくて、先輩の事探してたら、偶然彼女と出会ったんです。彼女も先輩の事探してて……。」
それは、俺が狼になった事によって繋がれた縁だった……。
「俺が酒飲んで酔って傷害事件起こしたって誰かに聞いたんでしょうね~。だから……きっと……。」
「はあ?それがわかってて、なんで酔うまで酒飲んだんだよ?」
「全然…………酔えませんでしたよ。それでも、この結果を…………彼女が望んでいると思ったから……。」
バカ!!吉野……お前はバカだよ!!
「お前、それは宮本さんへの優しさじゃないぞ?ただの自分勝手な逃げだ。宮本さんと向き合うつもりがないなら、結婚なんかやめちまえ。」
俺がそう言うと、吉野は神妙な面持ちで家を出た。
「1人で考えてみます。駅で始発を待ちます。色々と失礼しました。お邪魔しました。」
吉野はそう言って頭を下げて去って行った。
俺はその背中を見送った。酒を飲むと変わるあいつと、狼に変わる俺。人生の分岐点で悩む気持ちは…………変わらないのかもしれない。