春の香り
49
決死の覚悟で、葵をデートに誘った。梅の花を見に行こう!と、誘ったのに…………気付けはもう桜の季節になっていた。山は春の香りでいっぱいだった。
「ごめん。本当は満開の梅の花を見に行くつもりだったのに……。」
俺が狼の姿でいた2週間の間に、見頃は終わってしまった。申し訳ない……。
「うんん。誘ってくれてありがとう。」
葵はそう言ってくれたけど、俺は正直、山には来たくは無かった。狼の姿の父親に出くわしたく無かったし、自分の死に場所みたいで嫌だった。
「桜の花も少し咲いてるし、どっちも見れて良かった。」
葵は気を使ってそう言ってくれた。でも、どっちも微妙に見れただけだ。
それより、二人で山に花を見に行くって……老後の夫婦かっつーの!もっと誘うべき所があるだろ!?夜景の見える場所とか、どこそこ?オシャレなレストランとか、どこにある?
「…………。」
二人きりだと…………何を話していいかわからなかった。今更、ご趣味は?なんて訊けないし……。
結局、俺達は子供経由でしか、繋がってないのかもしれない。
「あの……あのね……私、考えたんだけど、あの二人、未来から来たんじゃないのかな?」
「え…………?」
「おかしいよね。おかしい事言ってるってわかってるんだけど……。」
葵は携帯の画面を差し出して言った。
「これ、見てみて。」
俺は、携帯を受けとる手が震えた。
本当は、薄々気づいていた。玄関しか映っていない写真は、あの写真は…………ルンとポロだけが映っていない。
「あの二人だけ……映ってない……。」
葵の携帯には卒園式の写真が何枚も何枚も入っていた。
「二人の卒園式なのに、二人だけ映ってない。そんなの……おかしいよね……?」
そのどの写真にも、ルンとポロは映っていない。気味の悪いこの写真を見て、葵は…………どうしてそんな風に平気でいられるんだ?
「前から思ってたんだけど、二人に教えたつもりのない事知ってるから、きっと紅葉君から聞いたんだろうな~って思ってたんだけど…………紅葉君知らなかったよね?私、ミカン苦手だって……。」
え…………?
「その事、子供達は知ってた。だからルンは、冷凍ミカン代わりに食べようとしてくれたみたい。あ、でも、本当に冷凍ミカンは美味しかったよ?」
そんな風に…………無理するなよ。
「あ、別に、あの二人が幻でも、人間じゃ無くてもいいの。ただ……写真や動画で撮ったのに、二人に見せてあげられないな……って……。……見せるって……約束したのに……。」
そう言って、葵は泣いていた。
昨日の玄関のあれは………この事に気がついたせいか………。当たり前だ。撮った写真くらいすぐに確認する。きっと……何度撮っても、映らない子供達に驚愕したはずだ。葵の携帯には、何でもない写真が大量に入っていた。
「紅葉君は幻じゃないよね?人間じゃないなんて事ないよね?」
「…………。」
俺は…………今まで、写真を撮って映らなかった、なんて事は一度もない。だから、幻って事はないと思う。だけど……人間じゃないは否定できない。
「あーちゃん!紅葉~!どこ~?」
「あ、あの二人、こっちに来ちゃったんだ!」
ルンの声に、葵は涙をふきながら、山の入り口の方へ向かった。
「二人だけで山に来ちゃいけないって……」
「見て見て!イチゴ見つけたよ~!」
ルンは葵にヘビイチゴを見せていた。
「ルン、残念だけど、それは食べられないよ?」
「えー!美味しそうだから、みんなで食べようと思ってたのにー!」
ルンはがっかりしていた。それを見た葵が言った。
「あ、でも、フキノトウは食べられるよ。採って帰ろうか?手伝ってくれる?」
「うん!」
「僕も~!」
そう言って、みんなで山菜取りを始めた。
俺が離れた所でその様子を見ていると、二人は目の前に来て、片手づつ掴んで葵の所まで引っ張って行った。
「あーちゃん!紅葉も連れて来たよ!」
「紅葉も手伝ってよ!」
触れれば、ちゃんとここにいると確認できる。声を聞けば、ちゃんとここにいると確認できる。
それが、偽りの事実だとしても、今は、ここにあるものが真実だ。そう、信じようと決めた。