夏に出会ったともだち
学校生活では、人間関係の失敗ばかりだった。
それを語り合う相手もいないまま、社会人になってプライベートでも顔を合わせる程度の仕事仲間を作ることができるまでにはなった。
でも、ただそれだけだった。
飲み会に参加しても上司の誰それがよろしくないだとか、違うエリアに居る社員やバイトが怪物級だとかいろんな意味でヤバイだとか。かと言えば、趣味の話で盛り上がってもそこには明るい話題がつきものだった。
バンドをしているとか雑誌に載るくらいに服のセンスがある、アクセサリーにつぎ込む金額が半端ないなどのもの。
私は一風変わった人間として扱われていたけれど、表向きでは受け入れられていた。
陰口にも満たない、でもぐずぐずと治らない化膿していく類の傷を残す陰口は囁かれていた。
「ムラって、本の虫とか言うとるけど、ちょっとなあ……」
「そんなん言うたりなって。害は無いんやし」
「虫にかけとるんか? 笑えるけど、おしいでッ」
「しょーもなッ。本好きで、なんか極めとるんならおもろいんやろうけど、全部上辺だけやろ。なんか好かんわ」
営業終わりに、差し入れに来たバイトが休憩中のスタッフと囁き合っている部屋は壁がないような事務所。それを知ってか知らずか、三人は声のトーンを気にしないまま言い合っていた。唇を噛みしめて、ただ閉店後の精算処理をこなした。
「言うたらええねん、なんぼでも」
強がりを口にすれば、心が軽くなるかもしれないと思っていたが、視界が滲むだけだった。
それでもそんな仕事仲間で出会ったからこその出会いはあった。
使い古された言葉で、まさか自分が擦り切れてしまうほど使うとは思わなかった──かけがえのない友。
バンドをしていると言った仕事仲間が是非にとライブに誘ったことが出会いだった。
少しだけ値引きされたチケットとすでに始まっている対バン形式でおさえられたライブハウスは、どこか興ざめしていった。
学生時代にハマったジャンルではあったが、荒々しさと切なさを取り入れたバンドにのめり込んでいた私には、何も響いてこなかった。
一応、他の仕事仲間に合流して少しばかり盛り上げはしたけれど、帰りたいと思っていた。
夕方といえども、真夏日で気温の衰えを感じさせない中、防音をメインに設えられた屋内。冷めた熱気が怠慢に襲ってきていた。
「うわッ! きみこやん! もしかして次のバンドってカレシのかよ!?」
唐突に叫ばれた声はヴォーカルとドラムに呑み込まれた。カバーをメインに力を蓄え、模索しているバンドは確かに力強かった。だけれど、私が立っていた後方では会話をする時間にもなってしまっていた。
「せやせや。こちら、ムラ。んで、こっちがきみこやで」
「あ、どうも。きみこでござい」
当時、江戸時代の文化を題材にしていた漫画にハマっていたキミコはそう自己紹介をしてきた。
「こちらこそ、ムラって呼ばれてます」
どっと笑いが湧いた。それが何故だかわからないわけではなかった。腰を折ってお辞儀をしたから笑われたんだと理解している。よくそんなことがあったから。
「ご丁寧にどうも! ムラっておもろいやん」
仕事仲間とは違った笑みがそこにはあった。親しみが込められていることが瞬時に覚ることができる笑顔だった。
秋前、夏の最後に一つ思い出つくりをしようと、仕事明けに海水浴に誘われた。仕事仲間やその恋人、友人がいる中にキミコもいた。
「なあ? 無理に付き合わんでええんちゃうん?」
私にそう声を掛けてきたキミコ。その問いに首を傾げると同時に、私は見透かされた気持ちを抱いた。
「どういう意味?」
「意味もなんも、あんた結構、無理してそうやから」
「いやいや、初めてわいわいしてるからやと思うで」
どこか意地になっていた。お前には分相応ではない、と断じられた気分だったから。
抗い、死守すべきでもない関係だとしても、今、この場所をなくせばずっとひとりだという恐怖。
人付き合いが苦手でも、手にした偽りを離すのが怖くなるほどのものがあった。
「──だって、あんたは築き上げるんしたことないやろ? でも、表面の付き合いなんて似合わん」
「なんやねん! よおわからんことで絡むなや!」
言っている意味がわからず、どうすれば良いのか理解できなかった。だから、怒鳴りつけてその場から立ち去った。仕事仲間の一人に帰るとだけ言って、最寄り駅までふらふらりになりながら帰った。事前に場所を調べておいて良かったと思う距離だった。
もう関わることがないと思っていた。あんな暴言にも似た、勝手に他人を判じる相手とはどう頑張っても横に立って会話をしたりするとは思わなかったから。
「ごめん。ちょっとストレートに、言いすぎた」
一週間後、お詫びの菓子折りとともに閉店処理を終えて退店した私をキミコは待っていた。呆気に取られて、またネイルを施された指に不釣り合いにも思える和菓子の包装に目を見開いた。
「これ、あっこのやん」
「あ! わかる? ここの餡子がお上品なんよね」
瞳が輝き、しおらしかった身体が同志に出会った喜びに跳ねる。
「うちんち、ばあちゃんが好きで毎月あったわ」
「へえ! ばあちゃん子なんや。あたしと一緒やん」
近く広場で座りながら、煙草の火をつけるキミコは、見た目派手な格好をしているけれど、私が出会った誰よりも楚々としていた。行動や言動、見た目の問題ではない、基礎とそれを固める環境がそう見させるだけの何かを持っていた。
「なんでわかるん? ばあちゃんが好きであったとしか言うてないやん」
「ばあちゃん子は、ばあちゃん子アンテナでわかるんです~」
「いやいや、意味わからんよ」
共通の話題が次から次へと移る。ここまでは無しが盛り上がることは経験したことがない高揚感があった。でも、どこか一定の距離を置かないと、と感じさせもした。
夏が終わって、短い秋が終わる明け方の空は暗い青と白色が多かった。長袖だとしても薄着にして間違いだったなと感じさせた。
きちんと話をしておこうと思えた。これが仕事仲間だとか、今までの友人にも満たない学校生活での隣り合わせの他人であれば話の決着なんて考えなかっただろう。
「なんであんな風に言うたん?」
少し早く帰りたいと思った。わいわいとしていても一対一の状況では、いずれ話題は尽きる。
「同族嫌悪、みたいなんかな?」
その言葉のままに嫌悪感を露わにした顔をキミコは向けてきた。
「ムラは他人と深く付き合いたくないんやろ? なんでか知らんけど、なんか嗅覚で察した。いつも冷めてたんやろ? だから、感情に刺激したらほんまのムラが見れるかなって」
かっと顔と頭に血が上る。言い返す言葉は見つからないけれど、何か口にしないといけない気がした。言葉を探しているとキミコはさらに言っていく。
「言葉がわからんけど、言いたい気持ち。抑えるか、それを探して的確に口にするか。それも個性やと思うわけで。出さないって没個性よりもビミョーやと思うわけで」
キミコのそのよくわからない理屈に、すっと上った血は下がっていった。自らを言い当てられたことに脱力していく。こうなると人間は笑いが出てくるようだ。
「とってつけた笑いよりもそっちのがええやん」
それはとても心が嬉しくなる言葉だった。だからもっと笑った。同じくらいにキミコも笑っていた。