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何度目かの自覚

 親族会議の日、グレイシーは随分と遅くに帰宅した。

 それ以来、頗る機嫌の悪さで近づくことすら躊躇われるものだったけれど、そこで臆すると後々拗れることは分かりきっていた。

 また、法的パートナーを結んでいようが、どうしたらいいのかという答えも案も見いだせていないけれど、何の努力もしないままでいると放り出されてしまいかねないという文化の違いが怖かった。

 特に最近は、グレイシーの感情にムラがあり、仕事面で何らかのプレッシャーが一つ一つと積み重なっている気がする。

 彼女はそれを口に出さないし、出すのは彼女の肩書的にまずいのは知っている。




「では、ミセス・ムライ? この二人は何を議題にして話し合っているのかを答えて頂けますか?」


 憂鬱な思考の波の中で、突然名指しを受けた。今日は教養学校の日だというのを思い出す。


「ええっと……二人が話しているのは大統領選でどう経済が変わるのか、外交がどう動くのかを予想しているのかと」


 祖母が聞けば、蚊の鳴くような声で答えて、と叱責しそうな回答だと自覚している。

 けれども、私は集団で生活や学習が苦手だった。まるで学生の頃に戻ったような気分にさせるミズ・ウィットランドの授業は、この学校では避けては通れない。片眉を上げ、わざと溜息をつくミズ・ウィットランド。


「まあ、良いでしょう。もっとしっかりと自信を持って回答なさいますよう。次回は──作文を書いて頂きます。Ð国のことを、また移住をなさってからのことをありのままに。それではこれまで」


 作文というキーワードにざわめく教室内で、私は気が遠くなるのを感じた。

 仕事で文章を打ち込んでいるとしても、決められたものがあり、それに見合った構成があり、綺麗に整えるという作業が好きではない。

 誰かと挨拶も交わせないまま、ぽつねんとしながら校内を歩いて敷地外に出る。財閥一族の人間でもあるのにも関わらず、上級クラスにいけない可哀相なニッポン出身──その噂は耳に入っている。一人でいると義務感や物珍しさから離れらるから。


 外に出るとハルという存在を取り戻せた感覚があった。それくらいに学校が苦手だった。


 では、なぜ学校に行っているのか? それは単純に移住者の義務だからだ。

 語学はもちろんのこと、この国で生活するにあたっての様々な手続きの面で水準を引き上げる取り組みの一環。

 理想郷なんてものは目に見えないのだ、己がどうそれに向けて歩んでいくのかといった意識を自主的に持ってもらうためだとパンフレットには書いてあった。

 特例以外、移住者はお金を積み上げようとも教養学校には通わねばならない。それが財閥の人間だろうと。

 教養学校では定期的にテストが行われ、ある程度の必修条件を満たしていれば生活基準で修了する。

 通っている内に高度な学問を修めたくなれば、日本でいうところの高等学校認定試験に向けての課程を組んでいく。

 そして、Ð国の大学入学試験を受ける。生まれた国では、大学課程を修了していようとも編入ということは認められていない。

 しかし、特例条件に当てはまっていれば教養学校には語学などの足りない部分を習得しにくるだけで済む。

 何も予備知識もなくやって来た私は、すべてを修めないといけない。

 そんなことも知らずに──そんな目を何度もスペランツァ一族をはじめとする周囲から向けられている。

 また、二度も高卒認定試験のようなものに落ちている。

 ただ、不思議なもので臨時バイトで雇われている仕事では、なんの問題もないから、集団生活への適応能力のなさでしくじっているのかもしれないと前向きに考えるようにしている。



「ハル、送るよ」


 だらだらと歩いていると、後ろからクラクションとともに清々しい声が聞こえてくる。


「ああ、ニコラス。こんにちは」


「この時間に学校、終わったんか。午前の部だと、腹空くだろ?」


「それよりも眠たい。六時間、体内時計ズレてるから」


「ハルらしいねえ。なんか食ってくか?」


「んー? 冷凍庫に肉がないから、あの食堂にしてくれるなら」


 了解というように頷くニコラスに気兼ねせずに、そのまま歩き出す。

 ニコラスとの付き合いは、グレイシーから紹介されたスペランツァ一族との挨拶の場所からだった。

 彼は、グレイシーの義理の従姉弟だった。叔父の再婚相手の子どもで連れ子。三十を越えてからようやく落ち着いたようなものらしい。

 また、ニコラスという名前はもう一人いる。先日夕食を共にした姉、ケーラの夫であり、現在のスペランツァ一族が経営する会社の顧問弁護士。二人は性格も行動も何もかもが違う。ケーラの夫をニコラス・Kと心の中では呼んでいる。

 今、親し気に話しかけてくれているニコラスは、ただニコラスとだけ呼んでいる。

 彼はÐ国の純粋な出身ではない。

 グレイシーだって元を辿ればそうなのだけれど、生まれた時にはすでに誰かしらがこの国に居たわけではないということだ。

 ニコラスの母親がまだ幼い頃に移住して商売を始めたものの、希望で腹が満たされるわけではなかった。

 失っていくものが多くなったころに、ニコラスの母親と祖母は祖国に帰った。

 母親の兄たち──伯父たちは散り散りにA国に渡り、祖父だけが残った。その祖父は現在、行方不明人として登録されている。伯父たちとも連絡は取っていないようで、この国の土を再び踏むまで、母親は幼き日に見た夢だと思い込んで過ごしてきたようだった。

 それが通訳士をしている人の仕事の付き添いでやって来た日に、級友だった現在の夫と再会して幻でもなかったと知る。

 実にシンデレラ・ストーリーだ。

 私も感動はしなかったが、現実とは不思議な仕組みの重ね合わせだと思った。ニコラスはそうとは思わなかったようだけれど。




「最近、どうよ?」


 グレイビーソースがかかった牛肉のこま切れ炒めと、一番のお気に入りのマッシュポテトと人参のグラッセを次々に頬張っていると聞かれた。


「どうって、ふつう。ニコラスこそ、どうよ?」


 気が進まないくせにシチューを毎回頼むニコラスに眉を寄せて聞き返す。


「どうってことはないさ。倉庫責任者として日々、励まさせて頂いてますよ」


「筋肉自慢ばかりだっけ? 周りは」


 思い出したくもない状況が次々と流れたのか、苦い顔をして勢いよくシチューを口にする。


「ああッ……! マジ食いてェ。ばあちゃんのシチュー」


 日ごろのストレスによりG国訛り全開で、今は食べられない料理を欲する彼を見て、私も最後にもう一度だけ食べたい料理が口中と心を支配した。


「でも、帰りたいわけじゃないんだよ。俺の場合だけどさ。国はあってないようなもんになったしさ」


 そう言って、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。


「似たようなもんかな、ニコラスとは事情が違いすぎるけどね」


 私の言葉に頷くだけにとどめた彼には、かなりお世話になっている。愚痴から仕事でどう言いまわせば良いのかなど。移住では先輩であり、何も知らないまま来た者同士の連帯感で繋がっているような気がする。


「もしさ……次の試験、パスできなかったらどうすんの?」


 繊維に浸透してしまい、取れないままのシミみたいにずっと隅にあったそれをニコラスは問う。


「いや、なんちゅうか……グレイシーは曲がったようなことをするタイプでもないし、ハルは諦観が基礎を覆ってしまってるようで……」


 何も答えないままでいると痛いところまで見抜かれて、それを口にされてしまった。


「法的パートナーは失効するし、契約している会社に掛け合うしかないかな」


「なんとかしようと足掻かないのか?」


 普段のニコラスと違っていた。どこか悔しそうに、吐き出すとまではいかないけれど、近い語気で早口で言い切る彼が居た。


「どうすればいいのか、何をすればいいのか──わからない」


 本心だった。紛れのない、大げさでもなんでもない。


「じゃあ、調べるなり誰かに救援を求むとかできないのかよ? ハルはいつもどこかこんなもんだって、自分はここまでしか無理なんだって投げ出している。イライラする」


 言い終わるなり立ち去るニコラスをどうして止めることができるのだろう。突きつけてきたことは自覚していることばかり。



『どこに行っても同じやぞ』


 そう言った父親の言葉にずっと縛られてきた。それを自ら頑丈に、ほどけないようにしてきた。

 でも、このままではいけないと思ったこともあった。きっかけなんて覚えていないけれど、ある友だちが手を差し伸べてくれた。変わろうとか、見せかけのものとかではない。ただのおふざけの延長をただ楽しんでいただけだった。

 それはある意味、『感情を出す練習』だったのだと。連絡を絶って、ようやく知った。


 その友だちに会いたいと思った。



次回は十月七日水曜日に更新を予定しております。

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