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キミコ

今話はキミコ視点でございます。

 どうにもならない感情がキミコの涙を止めさせないままだった。


 新幹線で帰ってくる時、泣く行為に虚しさを感じて一旦、止まった。

 だけれど、オオサカに着くと途端に思い出のある場所が多すぎると感じてしまった。


 どのルートを選択しても途中の駅で降りたことがあったりもした。変な自信だけがあって、遠回りの行き方をすることもあったハルを何度も呆れつつも咎めることができなかった。

 ただ、時間の関係上──たとえば景品の都合上だとか──で早く行かないといけない時は、自らが率先して行ったこともあった。


「キミコ、この道ってなんかワクワクする!」


 きょろきょろとお上りさんみたいに、電気屋と昔ながらの電気屋なのかがらくた屋なのかわからない店先とその合間に覗かせるエロを全面に押し出す店、大手アニメメインショップを眺めるハルを見つめたことが何度もあった。

 興味津々だけれど、触れてしまえばどこまでも浸かってしまってどうにもならなくなると知ってしまっているからだろうか。キミコはハルの実母の話を一度だけ聞いたことがあった。


「私はあの母親の血が入っているから、ハマったらずぶずぶになってしまうかもしれん。それが怖いねん。だって──生きていく安定剤なはずやのに、それが壊していくんやで?」


 宅呑みをしているからと、いつもだったら休憩するはずのタイミングも無視して飲み続けるハルは、酔いが回り過ぎていた。呂律は少しだけ危うい程度だったけれど、顔が真っ赤だった。


「でも、あんたはあんたやろ?」


 キミコは過去というよりも家族に囚われ過ぎているハルを見るのが辛かった。

 だから、この言葉を言いたいと思った。そこにいろいろな意味を込めてはいたけれど。

 ハルはキミコの言葉を聞いて、目を大きく開いた。そのまま嬉しそうな顔をして、頷いた。それを見たキミコは名の知らない気持ちが心を温かく支配していくことを覚った。

 そして──その気持ちを優先すると二択の道に狭まってしまうことも。



 今流している涙はどんな感情なのだろうか?


 キミコは目的の買い物をしに繁華街まで足を伸ばしたのに忘れた時の気分になった。


 自分が可哀相だからだろうか? いや、違う。それだけは言える。


 もしかしたら、今後、生身で会えなくなるかもしれないからだろうか? それも違う。

 だって、線引きをしてしまったのなら、生身だろうと繊細な部分に自分の手で、触れられないのだ。心を「友だち」としては触れ合えても。それがこの手にはしかとある。

 ただ、もんどりうって唸り続けてしまうような、何度も再生したくなるような、プリントアウトしても一瞬で色あせてしまう。だけれどまた、見られる表情や状況を居合わせることは叶わない。


 それへの悔しさの涙なのか? ますます違っている。それはエゴでしかない。


 そう──すべてを手にしたかったのかもしれない。




「キミコ~? 帰ってきたん?」


 自分との行き着く場所のない会話をしていると母親が声を掛けてきた。

 母親が四苦八苦しながらも経営している店は閉店してすでに二時間以上も経っていた。

 ハルを送ってから時計が勝手に早送りされた気分だった。

 遠い昔、時計の針を進めたら世界も同様に早くなるのか疑問に思ってしたことがあった。その時、祖母にこっぴどく叱られた。


 その祖母が寝起きしていた部屋とキミコの部屋は一枚のふすまで仕切られており、現在はどちらもキミコの部屋になっていた。昔からの部屋はヲタク関連の部屋になってしまっている。


 何度か家を出て、独り暮らしをしたものの自分同様に男を見る目の無い母親が気になって戻って来てしまう。

 男を見る目が無いのはもはや遺伝レベル。

 キミコの祖母も男を見る目が無かった。それでも子どもに正直に向き合って生活をしてきた人だった。それが母親にどう映って活かされたのかはわからないが、キミコを育てる時は心がうすら寒い状況なんてものは皆無だった。



「おかあ、おかえり」


 部屋から出もせずに返事だけを返した。ひとりを堪能していれば、いつしかこの状況に慣れるだろう。


「ハル、行ったん?」


 人間には別れもあれば、それ以上に出会いがある。

 それを信条にしている母親が寂しそうにつぶやくように聞いてきた。母親にハルをはじめて紹介した日がよみがえる。



「おかあ、友だち連れて来たで」


 休日だったので、だらりとテレビに向かっていた母親にそう声を掛ければ、ぴくりと身体中の神経を張り詰めてこちらに向いた。


「はじめまして、村井 晴渡です。娘さんにはお世話になっております」


 まるで真剣なお付き合いをしておりますとでも言われたかのような顔をした母親だった。

 茫然と立ち尽くして、ハルがおろおろとし出してようやく声を出せるようになった。


「ああ……こちらこそ、娘がいつもお世話どころかご迷惑をおかけして……小汚いところですが、おかけになって? お飲み物はどうなさいます?」


 こっちが呆然となる番だった。何を勘違いしている? この母親は。と思って舌打ちをしたものだった。


「キミコ、お母さんに何してるん? あかんやろ? 飲み物は自分たちで用意してきたんで、お構いなく。むしろお休みの日に来てしもうて……気にせんといてください」


 ハルは甲斐甲斐しく母親の体調や細々した気遣いを見せて、あしらいを見せずにキミコの自室に一旦、引き上げる状況を作った。



「ハル、あんた……なにあれ?」


 ハルはキミコに怒られるか何かされると思ったのか、身体をびくりと震わせた。顔色もどこか白くなっているようにも感じられた。


「怒ってへんで! むしろ関心してんねん! あんな応対したん、あんたがはじめてやで! たぶん、おかあにごっつう気に入られたで!」


 その言葉通りになった。

 次はいつ来るのか、ご飯はきちんと食べているのか? 子どもよりに接するときよりも親身になっていた。

 お気に入りのおもちゃを取られたくない幼児のように、キミコはハルを巡って母親とハートウォーミング口論を繰り返したものだった。



 キミコの返事をいつまでも待つ母親に向けて、八つ当たりと自分にも向けて声にして言う。言いたくなくても、言葉にして。


「行ったんちゃう。帰ったんや。ちゃんと収まる場所に、すとんと」


 そうぱちんとハマる場所があるパズルのように。それがショックだったのかもしれない。途端に引いていた涙が再びあふれ出してきた。


「いっぱい泣きなさい。今度、会うときにキミコの傍が木漏れ日やと思うて長居されるように」


 母親は侮れないとキミコは思った。ハルに接する僅かな合間だけで見破ってきたのだ。そして今日までそれを言うでもなく、嫌悪するでもない。ただアドバイスをしてくるだけだった。



──おかあは絶対に敵に回したくないな。


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