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知ろうとするからこその想いと、知ろうとしても近すぎて見えない想い

 またもや長い時間を掛けて審査などの諸々の手続きをする。

 ある意味、これが人生だとも言えなくはないような、なんだか虚しい時間がずっと流れている。



 姉に避けられたまま、どうにか向いてもらおうとしてもずるずると滞在期間を延ばせば、Ð国は歓迎しなくなるとキミコに諭された。

 キミコとも空白の時間があったからこそ、もっともっと新たな時間を過ごしたいと思っていた。キミコからもそれは感じていた。


 姉の言うように住み慣れた、生まれ育った国で生きるべきかと心がぐらついた。

 じゃあ、グレイシーに改めて誓った言葉はなんだったのだ? それが電話口だとしても、言霊になって漂っているものとあの時の自分、グレイシーを裏切ることになる。

 鬱々している私の心に気が付いたキミコは、


「あんたな、あれもこれもって欲張りだけはやめてな? 『爆発教育』を破門にさせるからな」


 あくまでもそこにこだわるキミコは、一瞬で流れていた空気を払った。弱音というか、優柔不断な態度に出れば、一瞬で胸倉をつかまれて凄まれるだろう。

 この場に相応しくて軽やかな空気にもなる言葉があったことを思い出した。


「キミコがこの国に居てくれるってだけで、私はこれからもÐ国に日本のことを紹介できるわ。この作品はある友人と一緒に観た思い出があり、当時はそのままで観たものだった。だが、今きちんと観直すと……ってなぐあいに」


「ええ……? 評論家気どりっすかぁ」


 げんなりとした態度を作って、キミコは笑った。


「自称やったらなんぼでも言えるやろ?」


 さらに笑い合って、お互いに指さして笑う。


 解放感溢れる、空港の窓から見える空は夏に向かう支度をしていた。

 雲はのっそりとした動作を取り出しており、使われる色は鮮やかさを心がけていた。

 もう夏がやってくるのか。

 日本の空をしかと目に焼き付けているとキミコが別れの──再会を願っての──言葉を掛けてきた。


「どんなことがあっても、頷いてたるわ。あん時に言われへんかったから倍でな!」


 しっかりと、それこそハリウッド映画で俳優たちがやるように抱きしめてきた。

 こんなキミコははじめてだった。

 他人との接触があまり好きではなく、必要な時にできる限りそっと触れるか触れないか程度のもので済ます。

 だから、至近距離では見れなかった顔をじっくりと目にしてみた。驚いてしまうと変な行動にとるのは本当なんだなと思っていると、キミコの瞳には薄い水膜が張っていた。さらに下まつげは涙が逃げ場を求めていた。


「そっくりとそのまま返すよ。これからもよろしく」


 その言葉を聞いたキミコの涙腺は、完全に決壊してしまった。私は驚きとはじめて尽くしのキミコの行動に泣くということを置き忘れてしまった。


「くぞお……! 現実はぼんまに映画みだいにならべん! 格好よく送り出したがったああ!」


 鼻水のせいで濁音の叫びになっていた。

 ただエコーのようなものは映画のシーンそっくりだった。後でさらに加工をすれば完璧かもしれない。笑いを必死にかみ殺しても出てくる笑いは止めようもなかった。


「ある意味、私ららしいやん!」


 そう、キミコと私だからこその台無しな感動シーン。


「なに自分は格好よく決めてん! 美味しいとこどりしやがって、お母さんはそんな育て方してませんよ!」


「いやいや、育てられてもないような……同い年やしな」


 何でも笑いに変える。

 いや、キミコと居ると笑いに変えようと意識できる、心地よい時間。

 日本が選んだ道は、今だけは見えないふりをしても許されるはずだ。

 前回にだって似たような状況があった時、日本は抜け道も用意していた。そして、脱退したのだから。




 完全に隔たれた一部の国に向かう路線に搭乗する入口に一歩足を踏み出す。長い通路と横に見送り人専用の通路。

 私とキミコはまたまた、映画のシーンのように、ゆっくりと歩く。

 変顔をしてみせるキミコは、行きかう人すらも笑いを引き出している。

 キミコに変顔をさせたら本気でしてくる。

 物心ついたとき、他者と触れ合うようになってから座る椅子を確保するために覚えた一種の武器だと珍しく酔ったときに語っていた。

 その彼女の変顔は無数の引き出しを持っている。

 なんなら寝ぼけたままだってできる。


 プラスティックなのに、分厚い透明の壁を隔てた側に居るキミコは、動物が食べ物を落とした時の落胆ぶりを披露している。

 その落胆ぶりから一転、涙を堪えて堪えて何かを必死に伝えようとしていた。

 なのに伝わらない方が良いという潔さもあった。

 だって、私は読唇術がまるきりだった。

 あともう少しで、完全に遮断される。

 教えてくれとジェスチャーで伝えても、マスカラもライナーも取れた顔のキミコは微笑んでいるばかりだった。



 後一歩を踏み出せば、お互いに見えなくなる場所。そこで足をお互いに止めて、ただ一方通行のジェスチャーと表情を繰り返すのをやめた。


 どの国にいても、どの国の人間でも、どんな立場の人でも使えると謳われているメッセージツール──そこだけが安全地帯で、人道的な場所でもあった。伝説的な人物がそこを作って、意志を引き継いだ人々が目を光らせている休養地──で連絡をくれとあらかじめ用意していたメモを見せて、キミコはさっさと見えない場所に移動した。


 見えなくなったおかげだからなのか、私の涙腺は大いに仕事をしだした。

 重力に逆らうことができないくらいになり、すとんと膝をついた。痛みが後になって出てくるかもしれない。

 今はそんな問題よりもなによりも……次があっても言いようのない涙が必要だった。

 持っていたタオルハンカチが重くて絞れるくらいに、とめどなく流れてくる。

 そんな私に心配して駆け付けた係員を見て、恥ずかしさからようやく立ち上がれた。




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