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追い求めて昇る煙と気づかないままふたりの心

「ムライ ハナエさまのごヨウダイはシズカになっております。

──これより医療法修正十二条適正安静処置をテキオウさせていただきます。どうかサイゴのひとときをごカゾクとともにおすごしください」


 見送りの段階に進んでいた。医療法に関しては疎すぎるほどだった。

 それがどんなもので、どう改正されてどういった最期を迎えるのかがベストで、家族にどのようなサインを求めてくるのかも。サインしたのは、父親だった。見届け人としては姉の夫がサインしたと聞いた。


 祖母のベッドを囲うように、姉とその夫、父親に後妻が居た。私はどうしても現実のことのように感じられずに後ろに居た。

 祖母は呼吸を和らげる注射をされて、酸素マスクを外されていく。


 この世に未練などあろうはずもない。諍いの絶えない家族の大黒柱でもあった祖母がようやく、安らぎだけを得られると一人よがりにも思っている。

 そう思わないと、私は日本が医療法という完全に独立した法整備を敷いたことに激しく抵抗しそうになる。


 現代の姥捨て山──可決されるまでマスコミや一部の有識者、国民はそう皮肉っていた。

 だけれど、そこには自らが迎えたときのことを考えることを拒んでいるところがあった。世界でも日本が選択したことに賛否があがったりもした。



「ハルの国はとても素晴らしい選択をしたのね。安楽死も選べるし、なによりも人間の寿命を思いやっての行為。わたしだったらと考えて、選べることをひとつひとつ取り出しては眺めて、熟考するわね」


「私はこの医療行為が安楽死とどう違うのかまだ、わからないんだ。頭に入ってこないというか、なんだかつかめないというか」


「そうね。たとえば、リミットなく遊べてもいつかは飽きがくるし、面白みが感じられないものよね? それと同じで、人生の充実度も他人に対する思いやりも少しだけ余裕があることもあるってこと。周りだけに限られても、それは人間らしさを法で求めることだと思うの」


 理想論だと理解しているけれどね、と笑うグレイシーは慈愛の表情を見せていた。ほんの少しだけ気恥しさを覗かせて笑いをこぼす彼女になんと言えばいいのか。


 当時の語学能力では、グレイシーと話し合うということができなかった。

 たくさん会話したい、それが論じることだろうと意見が分かれようと深く知っていきたいと思っていた。


 そうだ、グレイシーからの連絡に返していないし、きちんとメールを読んでいない。

 ──グレイシーに会って、おばあちゃんが言っていたことを伝えたいな。




「ハル、あんたもおばあちゃんに話しかけてあげ」


 目が真っ赤になり、瞼は腫れてしまっている姉の声に顔を上げる。


「おばあちゃん、晴渡(ハル)やで」


 よたよたと祖母の近くに行く。私のほんとうの名前をきちんと呼んでほしくて。

 父親がなんとも言えない顔をしていた。久しぶりに会うものの、断絶したままの糸はもう繋がりそうになかった。


「──晴渡、グレイシーさんとなかよくしなさいよ。縁があっての関係、血なんかよりも素晴らしいんよ」


 言い切ると私の言葉がどうあれ心を見透かして肯定のような頷きを一つした。

 そのまますううっと吸い込んだ空気を静かに吐き出して、祖母の呼吸は消えた。


 時間を読み上げる声。

 泣いて縋る声。

 初めて聞く嗚咽。

 支えになろうと慰めの一声を掛ける者の音。


 ずっと遠くに聞こえる。


 幼き日に手を伸ばした大きな掌でいつも拭ってくれていたのに、今日はそのぬくもりがどこにも無い。

 姿を探して小さく声を掛け続けても答えるそのやさしさはもう感じられない。

 地球のどこを探しても──。



× × ×

・・・グレイシー視点


 グレイシーは妹とその夫、それにすぐ上の兄との食事会に上の空で参加していた。


 ニコラスが代わりにハルへの連絡を取ることを約束して送り出されたのだ。

 妹は妹なりに考えて生活を送っていたらしく、スペランツァ一族の発展につながることをこの席上で話している。

 それに真剣に聞こうとはしても、記事の内容が頭の中の中央に鎮座して離れても、わきに行ってもくれなかった。


「姉さん? 聞いてるの? 興味がないならもうこの話は止める」


 妹のキャシーは投げやりになって言った。

 あえて黒に染めた髪に短くしすぎで前髪ですらないそこを乱暴に触れた。

 食事の席で髪を触るくせは昔から直そうともしない。グレイシーに咎めてほしくてわざとやっているところがあった。


「ジュディス、何か心配事でもあるのかい?」


 ナルシストで中途半端な兄はグレイシーのミドルネームで呼ぶことが好きなのだ。一瞬、遅れてしまう反応を見たいという昔からの意地の悪さのような面をずっと持ち続けていた。


「なんでもないわ。キャシーの話に戻りましょう」


「わかった! あのニッポンジンのことでしょう。姉さんがまさか煽られるまでになったとはね」


 盛大に溜息をついて睨んでも誰も文句は言わないだろう。いや、言わせない。



× × ×



 大阪でもウシガエルの鳴き声が聞こえる時分があった。

 だみ声で響かせる声には物悲しさがあった。

 聞こえると祖母の服のすそを掴んで、離されないように必死になった。

 童話の影響ではなく、ただその物悲しさを訴えつつ、だみ声で鳴く声に追いかけられているかのような錯覚がしたのだ。


「感の強い子やなあ、晴渡は。大丈夫やで、おばあちゃんはいつだってここにおんねんから」


 負けじと豪快に笑う祖母がどんなヒーローよりも逞しく、ほっとしたことを覚えている。

 空高く昇っていく煙は、雲の多かった空で蹴散らかすように太陽の存在を見せさせた。




「帰るのは遅くなると思う……おばあちゃんが、亡くなった」


 私の言葉を聞いてニコラスは息を飲む声だけで言葉を失くしているようだった。

 電源を入れると着信レポートが発信者番号別の件数で表示されていた。留守電にはメッセージ、メールには似たような文章があった。


「ハル……なんと言ったらいいのか……」


 私以上に掠れる声で、お悔やみの言葉をかけるニコラス。その声は左右の耳をただ流れていくだけだった。



「ニコラスとグレイシーが連絡を取ろうとしていたのは、あの記事でしょ?」


 キミコが焦って掛けてきたのは、祖母のお見送りを終えて帰宅した時だった。義務感からスマホの電源を入れたタイミングで聞いた内容は、笑えた。


「知っていたのか」


「一緒に写ってるのはキミコだよ」


 声からも身体からも力が勝手に抜けていくようだった。

 その後どんな会話をしたのかは覚えていない。

 でも、グレイシーからはその後、なんの連絡もなかった。

 掛けようかと思うものの、指は動こうとしなかった。


 私の憂いを断ち切ろうとするように、煙は煙突からずんずんと太陽に向かっていく。




今後もグレイシー視点の挿入が出てきます。ご了承ください。

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