ニコラス
ニコラス視点です。少しだけ、ほんの少しだけグレイシー視点。
・・・ニコラス視点
世間では週末であり、平日の疲れをとるために羽目を外しやすい日でもある。
ニコラスは、Ð国一番の繁華街を気ままに歩いて馴染みのクラブに向かっていた。
ニコラスはそのクラブを見つけたことが良かったと、今日は心底思った。そのクラブは、音楽好きが集まっている。
質の悪い人間も中にはいるけれど、それは仕方がない──ニコラスはそう思うことにしている。
クラブの番人に挨拶をして、扉を一歩くぐる前から今日はシンフォニック調の日だと頬が緩んでいく。
ハルも好きだったな、連れて来ると言っていまだに叶っていない約束を思い出す。それもすぐさまに舌打ちをして吹き消した。
「よお、ニコラス。今日は一段と疲れてるじゃねえか」
顔見知りのバーテンダーが声を掛けてくる。
スキンヘッドでピアスだらけのその男は、ここのオーナーとは双子だった。一部の人間しか知らない情報でもあり、周知の事実でもあった。夜はバーテンダーをしているが、昼間は古本屋兼音源ショップの店長をしている。
「まあな。ちょっと昼間、いやなことがあってさ。最近、友だちともちょっとね」
ニコラスは言葉を濁した。それに気づいたバーテンダーは肩をすくめて、ビールを渡してきた。
「あそこにまがい者が居るから気をつけろよ。一応、お前さんはスペランツァ一族なんだから」
言っておきながらバーテンダーはすでに他の客の対応をしていた。
ただ、ニコラスにはそれだけで十分だった。Ð国のゴシップ記者が居るということだ。
最近、流通ライン最大手のモラーレ一族がゴシップされぱなっしだった。
新旧財閥は各々が戦々恐々としている。次は我が一族が皮を剥がされるのではないか、と。
だから、今日の会議ではそれを口ずっぱく言われた。そのせいで明日も仕事だけれど、ニコラスは繁華街にまで足を運んだのだ。
音楽に身を任せつつ、ニコラスは気分を変えようとスマホを取り出す。
今日はとことん音楽三昧といきたい。リクエストを投げておこう。そうすれば今日の気分を解消されるはずだ。
そう思ってまずはSNSで検索をしようと開いた。運悪く検索する前に最新情報が上がってしまった。
なんとなく気晴らしになるかと思ってフォローした情報発信アカウントだった。
音楽、映画、アート……と様々な情報をてんこ盛りにしているアカウントだった。
最近はゴシップに力を入れてきてしまって解除しようかと悩んでいた。
手がける人間──生み出す人間のゴシップなら、覗きたいような覗きたくないような、そんな気持ちを抱くが、多岐にわたるゴシップばかりを垂れ流されてもな。と思っていた。
“もしや!? S一族のあの人が破局?? N国に一時帰国の噂??!”
「なんだよ、これ……」
ニコラスは茫然とした。
S一族は他にもいる。
たとえばÐ国の芸術発展支えている一族だってSだ。
それにいくつかのグループ経営会社もゴシップでは一族表記されてもいる。
ゴシップ記事は売れるためにそうした頭の使い方をしている。現にこの情報もサイトに飛んで、有料で閲覧しなければ全文読めないものだ。
だが、ご丁寧にも写真が貼ってあった。目隠しされているし、わざと画質を荒くしているものの誰なのかがニコラスにはわかった。
盛大に舌打ちして、通話アプリを開けた。使うことは一年に数回程度の相手。こんなことで使う機会を増やしたくないとすら思っていた相手だった。
いつ来てもこの部屋はスペランツァ一族らしさが感じられないとニコラスは思った。
ごっちゃりしているのに、どこか無機質な、それこそ博物館などで見かけるような整え方を好むスペランツァの人々。
その中で理路整然とした執務室を持つ者はこの人物だけだとニコラスは断言する。
ハルに言わせれば、それは仕事だけで生活面ではどこもかしこも血を引き継いでいると笑っていた。
そう、ハルのことでこの場にやって来たのだ。
今日は夜勤シフトに入っているから昼間はのんべんだらりと過ごしておきたかった。
夜勤責任者がひどい風邪を引いたことでフォローをするのは当たり前だし、結果として友の障害物を排除できるかもしれないことになったから、夜勤責任者には何か差し入れをしたい気分だった。
「グレイシー、この記事は見ましたか?」
会話の距離感がつかめない。
二人はハルが居れば気安く話せるが、ここは倉庫や管理事務所でもない創業当時の社屋だ。本社は違った場所にあるが、グレイシーが執務する場所はこの創業当時の社屋だった。
「ただのゴシップでしょ。しかもSNS発信のものは信用性ではなく、疑惑をもっともらしくラッピングしているわ」
グレイシーの返事が読んだことを物語っていた。
少しだけ化粧が厚く見えるのは気のせいだろうか。
ニコラスは女性付き合いの経験が少ない。それでも仕事で関わる内に、女性は脆いことがあってもそれをカバーしようと化粧を使うと知った。
だけれど、男のおれが知っているからと言ってどうしようもない部分もあることも知った。そんな過去があるから、グレイシーにはそのことを触れないように諫めつつ、次の言葉をどうにか絞り出した。
「ハルには連絡しないんですか? 俺は部外者でしょうが、ハルだって不安なんだと思いますよ。大好きなおばあちゃんのことがある。それをご存知ですよね?」
言ってしまえば、ぬくぬくとした環境しか知らないグレイシー。
離れていくなら、自らが断ち切ってしまえる状況で放置しようとは考えていなくとも、理由に一つにしてしまうような気がした。
ニコラスはグレイシーのことを知らない。
けれど、最近のハルの無気力さがそれを匂わせているような気がした。
「十代や二十代の初めのころのような……ハルがもう少し、共用語を流暢に使ってくれたらね」
グレイシーは無数の言いたいことを呑み込んで、言い訳だけを口にした。かっと頭に血が上るのを感じた。
それでも深呼吸をして、
「あいつはヒアリングは俺よりもうまいっすよ。特に好きな相手の言葉には食らいついて離そうとしねえはず。知ってんでしょ」
訛りや口の利き方なんて気にせずにそれだけを言うと、ニコラスはハルが惚気ていた時を思い出して部屋を後にした。
これでだめだったなら、二人はそんな運命だったのだと少しだけ寂しく感じた。
でも、俺はハルにごめんなさいをしよう。俺なりに力になれることはあるにも関わらず、しないでなんとかしようと思わないのかと言ったのは問題すぎる。ハルに連絡しよう。
× × ×
グレイシーはニコラスが去った扉を見つめていた。身動きせずにただ、じっと見つめていた。ただ、見つめているものは扉ではなかった。ハルとのことを、出会いと恋人と呼べるに至るまで。Ð国に来るまでの日々、来てからのこと……
扉に映し出されているかのように、見つめていた。




