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無意識の嘘シリーズ

空ろな緋色の嘘

作者: 風雷寺悠真

――ある晴れた夏の早朝、人通りのない木々が整然と並ぶ道を錆だらけのロードバイクでひた走る。気温はまだ高くなく肌に当たる風はどことなく涼しくて、やんわりと通り抜けていく。夏が嫌いなのに早朝からわざわざ自転車を漕ぐのには理由があった。


◇◇◇

「アンタ、家で暇してるんなら運動して来たらどう? ほんとにだらしない!」

 夏休み開始早々、母親の八つ当たりに遭った俺は走るのも筋力トレーニングをするのも苦痛なタイプの人間だったため仕方なく、父親のロードバイクを借りては早朝にサイクリングをすることにした。初めは夏休みだってのに朝早くから起きるのが嫌で嫌で仕方なかったが、ある日出会った人物の言葉で自分の生活や自分自身を見直すことに。

 夏風が心地良い林道の途中にある公園で自転車を止め、誰も居ない公園のベンチで汗をぬぐったある日の事だ。切れる息を落ち着かせては立ち上がろうとしたその時、ふと後ろから声を掛けられた。


「君、いつもここ通ってるよね……?」


 振り向いた先の声の持ち主は同じクラスで見かけた人物だった。スポーティーなショートヘアに凛とした綺麗な目。彼女の格好を見やるに自分と同じで早朝に運動をしていた様子。

「あれ、君……同じクラスの?」

「冴草……冴草玄樹です。君は確か、西之森さん?」

「そうそう! 覚えてくれていたんだね? 西之森美晴です。何々? 君みたいな子が朝からサイクリングだなんて……」

「運動部でもない帰宅部なのにサイクリングしてるのがおかしいのは俺だってわかってるさ。家で暇してるんなら運動しろって言われたから、やっているだけだよ」

「ははっ、君も私とおんなじ事言われてやってるのかぁ……」

「あれ、西之森さんって運動部じゃなかったっけ」

「ううん、今はもう辞めたの。もう私はやりたくないのにお母さんに自分の過去の経験を無駄にするなんて勿体無いって」

「ってことは過去に運動部経験がおありで?」

「……陸上、やってたんだ。でも私が本当にやりたかった事じゃなくてさ、でも大会とか出たり気づけばこっちの道に進んでいた。親の期待に応えなきゃって、自分に嘘ついてさ」

「自分に、嘘か……」

「そう、今思えば無意識についちゃうんだよね。私にはこれしかないんだって。んで、冴草くんと同じで家に居るなら走ってこいって言われたわけよ、お母さんに」

「なるほどね、まぁその無意識な嘘については言及しないよ。それ、何となく分かるからさ」

「へぇ、面白い事言うんだね」

「……何が面白いんだ?」

「ううん、何でもない。さっ、私はランニングのの続きしなきゃだから」

 西之森さんはそう言うと足取り速くこの場を去ってゆく。それに続く様にロードバイクにまたがった。


◇◇◇


 自分に無意識な嘘。これはまさに今ロードバイクを漕ぐ理由だ。夏休みが始まる前、俺は自分が気になっている子がいるんだと再認識させられる。同じクラスの男子に声を掛けられて俗に言う、恋バナが始まっては自分の番が回ってくる。だがそこで「好きな子はいない」とはっきり言ってしまった。目線はその気になっている彼女に向かっていたのに。その彼女はクラスの人気者で文武両道、透き通る様な白い肌にそれと対比した艶やかな黒髪。クラスの男子たちの恋の的である澤谷真白さん。あんな人と自分が釣り合うわけもないと、好きじゃないんだと自分自身に嘘を付いて生活していたのだ。

 その嘘を嘘であると認めたくない、やっぱり好きなんだと決意したからこうやってペダルを漕いではだらけた生活を打破しようとしているのだ。気づいた頃にはあの母親の八つ当たりは一つのきっかけに過ぎなかったのだ。好きな子と釣り合うために己を鍛える。男子高校生としてはよくありがちなことだ。だがそうやってこの夏休みは自分に付いている嘘を打破しようと決意した。

その日の夕方、俺は再びロードバイクにまたがっていた。だがこれはサイクリングではなくちゃんとした目的地があった。そこはこの辺りで一番のビュースポット、街を見渡せる丘だ。ここは自分の中での息抜きの場所となっている。街から少し距離もあるので空気が住んでいて、何より周囲で揺れる木々の音が心地良い。夏場ならば蝉の声も聞こえ、気分も落ち着く。到着しては日陰の柵に腰掛ける。

「何も予定のない夏休みほど、つまらないものはないよな」

 ふとそう、呟いた。家で暇にしている時間が嫌いなわけではないが流石に一カ月近くそれをやると考えると他の男子高校生はさぞ輝かしい日々を謳歌しているんだなと実感する。海や、花火大会、お祭りや肝試し。この世界には夏というだけで沢山のイベントが存在するが片親な俺には縁がなかった。だからこそ何もない日々に飽き飽きとしていた、自分の心は空っぽで、何もやる気力もなかった。そんな中始めた、早朝のサイクリング……何も予定のない日々を変えるきっかけだった。

「……楽しい事は自分からいかなきゃ寄って来ねえよな、そりゃ」

 持ってきたペットボトルのキャップをひねっては馬鹿らしく、一気飲みをする。太陽の日は落ち込み、空は赤くなりつつあった。息抜きもしたし、暗くなる前に帰ろうかと近くの自販機横のゴミ箱にペットボトルを投げ入れ、来た道である木々が整然と並ぶその道を引き返す。すると途中の公園で、彼女はまた一人で休憩をしていた。


「最近、良く会うな……西之森」


 そう声を掛けると彼女は驚いた表情でこちらを振り向いた。

「なに? まだ自転車漕いでるの、冴草くん」

 その声音は前とは違いどこか鋭かった。

「あぁ、息抜きにな。別に自転車は嫌いじゃないんだよ。で西之森はまたランニング?」

「そうだよ、私も走るのは嫌いじゃないんだ……」

「じゃあ何で陸上部辞めたんだ? 知り合いに聞いたぞ、そういえば。過去に大会準優勝したことがあるんだってな」

「……それが何? 実績があるからやめるのが勿体無いとでも?」

「い、いやそういう訳じゃ……」

「私はやりたい事とは裏腹に結局走るしか出来なかった。だからそっちを強制された、だからそれを好き好んでやれなくなった……、だけど今はやりたい事だった陸上に縛られない普通の生活を送れてる。だから走れるの」

「西之森がどれだけ苦労したかは俺は知らない。単なるクラスメイトだしな俺は。だけど西之森の言っていたことは俺にも何となく通じるところがあるよ、分かるよ」

「……なんかごめん、強く当たっちゃってさ。そんなつもりじゃなかった」

「いや、いいんだ。声を掛けたのは俺だし。でも無意識の嘘の怖さは今身をもって実感してる」

「……そう」

「西之森に言う事じゃ無いかもしれないけどさ、俺今好きな人がいてさ。でもそれは俺なんか手の届かない程の人気者でさ。俺はそんな人無理だと決めつけて自分に嘘ついてた、好きじゃないんだと。でも西之森と何度かこうやって話して、こうして何もしない時間は無駄なんだと思い知らされた。だからこうやって日々自分を鍛えてるっていうか、彼女に近づくために」


「ねぇ……、その子ってやっぱり澤谷さん?」


 西之森がそう言うと、風も止み、木々の揺れも止まって公園が静寂に包まれた気がした。

「……そうなるね、ていうか何で分かった?」

「やっぱりかぁ、私さ……分かるよ。だって前から冴草くんの事好きだから」


――唐突の告白に俺の思考は止まった。


「私が好きでも、君、冴草くんは私の事なんて気にもしていなかった。君はいつも澤谷さん、彼女の事を見ていた。それが例え手が届かなくても、ね」

「……そんな、分かりやすかったか?」

「そりゃもう女の勘? ってやつだよ。私は悪い女だよ、君が彼女を好きなのを知っているのに君を好きになって、好きのままでいる。だから私は君にお近づきになりたかった」

「……だからあの朝、声を掛けたのか?」

「それもあったのは否定しない。けど自分に嘘を付きたくなかった。君、冴草くんは女の子を甘く見過ぎだよ。確かに澤谷真白、彼女は男子から人気だよ? じゃあ男子で人気なのは……? 読者モデルやってる早川くん? サッカー部のエースの菊池くん? いいや違うね、君も女子から人気を集めているんだよ」

「そんな馬鹿な話が……」

「そりゃそうだよ、男の子と違って表に出さないようにするからね。だけど私は負けたくなかった、だから強行突破してきた……だから居場所も無く、放課後はこうやって一人で走ってる。そこに都合よく君が現れたの……でも冴草くんは自分に嘘を付いていると言いつつ彼女を諦めてなかった。何なら諦めようともしていない」

「突然すぎて、何も言えない……ごめん」

「それだよ、男の子はそうやって逃げる。もう私、耐えられないよ。もうこの世界は嘘で溢れていてさ、それを信じて生き残る人もいれば見捨てられる人もいる。どこもかしこも都合の良い嘘で溢れている。嘘嘘嘘、どこもかしこも嘘ばかり……」

「あぁ、それは否定しない。だからこそ俺もじゃあ……逃げちゃいけないよな」

「……?」

「俺は澤谷さんが好きだよ。西之森、君じゃなくて。でも俺は君に会えて良かったと思ってる。君に会えたことで嘘で塗りたくられた自分が馬鹿らしくなったんだ、変に自分に嘘ついている自分がさ。自分に素直になるなら尚更だ、だから俺の事見ていてくれよ、それこそ都合の良い嘘かもしれないけどさ」

「冴草、くん……?」

「俺、やれる努力は全てするつもり。澤谷さんに近づくためにも、西之森の好意を断ったならそれをやるしかない、本当にごめん」

「……ふふっ、それも都合の良い嘘なんでしょ? 私なんかより彼女の方が良いもんね」


「あぁ、そうだ都合の良い嘘だ。でもこれが答えだ、有難うな。……西之森」

 彼女にそう告げると俺は停めていたロードバイクにまたがり、彼女の顔を見る事無くこの場を去る。太陽は落ちきらず、空模様は緋色で綺麗な夕焼けだった。彼女の泣き声が聞こえるが振り返ってはいけない、これは自分に対するけじめで戒めなんだと。鋭く眩しい夕日とともに生ぬるい風が俺の肌を突き刺した。


――彼女が居たからこそ自分への無意識な嘘を見抜くことが出来た。まだ打破はしていないかもしれないし、これから先、自分に都合よく逃げ道を用意して嘘を付くかもしれない。だが俺には西之森美晴との時間があった。この事は無駄にはしてはいけない。


――この世界は人と人との無意識な嘘で溢れている。それには自分への戒めの様に付き纏う嘘や相手とすれ違う嘘、都合よく使う嘘。沢山の嘘があってそれを人々は上手に使い分けて生活をしている。普段会話している中でその嘘を見抜き、言い返すことを無意識に人々はしているんだと俺は思う。だから俺は嘘を付くならば相手が、自分が、無駄になる事のない嘘を付きたい。それが例え都合がいい、偽善だと言われても。


◇◇◇


「俺は君の事が……好きだ」

 季節は雪降る冬になり、半袖のワイシャツだった制服は今や紺色のブレザーに首にはマフラーを巻いている。学校の前、寒がりながら早く暖を取りたいと下校する生徒やその中でも部活に励む生徒たちが見える中でそう告げた。


「嬉しい……嬉しいけど、私はね……」

 

――彼女の答えはそこから先、言葉にはならなかった。

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