帰路
ヒトは何を求めているのだろうか。
今私は休日だというのに家族との団欒を捨て、若かりし頃飛び出した故郷の街に向かう電車に揺られている。
二度と乗ることはないと思っていたこの路線は、神奈川のベットタウンと東京をつなぐ動脈のひとつで。私が大学に通っていた頃、緑とオレンジに塗り分けられた車体は重々しく、始動も停車も手荒で慣性の法則を意識せずにはいられなかった。しかし今私を辛い思い出の地に運ぶ車体は軽やかで、隅角部を丸く仕上げられたステンレス製の車体は滑らかな動きをする。これがインバータ制御ってやつなのか、どこかで耳にしたワードをスマホでググってみたが。wikiの内容が今ひとつ私の理解の範疇を超えているので、新しい車体はなんとなく乗りやすくなったとだけ思うことにしておく。普段ほとんど車でしか移動しないので、こういう経験もなんとなく嬉しいものだ。あまり嬉しくない思い出しかないあの街に、行かねばならないとしても。
「同窓会のお知らせです」なる件名のメールが仕事場に送られてきた時、スパムかと思い消去していたのだが。暫くして、高校の頃そんなに親しくもなかった同級生から電話が入り、事情を説明された。大学卒業後すぐに所在が分からなくなった私のことを彼は、私の名前で検索をかけ、ヒットしたところに片っ端から電話をしたのだそうだ。私のような平均的な名前では、同姓同名の方に多大な迷惑をかけたかもしれない。もしかしたら、何処かで血縁関係にあるのかも知れないのでどうか許したいただきたいものである。
そんな不毛な捜索の果て私を見つけ出した辣腕の彼曰く、高校1年の担任、M尾元教師の音頭取りで高校の大規模改修に合わせて寄付金集めの同窓会を開くのだそうだ。我が母校を退職されてから10年近い歳月が経とうというのに奇特な御仁である。寄付と称したビジネスなのかとも勘ぐりたくなったが、寄付金の金額を聞いてそれ程警戒するものでもなさそうなので、スケジュールの確認をしてから数日以内に返事をすると確約して通話をきった。
生き馬の目玉をくり出すことなど日常な業界で鍛えられた人間関係の基本に、他人の話しを鵜呑みにするなという項目があるので。私は私なりに、この寄付話しの裏を取るつもりであったのだ。私が即答することはせず後日連絡という手段をとってことで、どんな対応にもめげずに私を見つけた彼のことだ、私の魂胆など見抜いていただろうが…。
そもそも大学を卒業した途端に実家を飛び出した私の、その後を知る高校の同級生など居ない筈なのだが。検索方法を尋ねても根気と偶然だと装う彼曰く、過去の名簿を頼りに私の実家に電話を掛けたら。
「そんな奴は知らん!お前は、あいつの何なんだ!」
「突然あいつの名前を出して、失礼千万!お前の所属は何処なんだ、お前の上司に文句を言って、お前を破滅させてやる!!」
過去に何度となく私と派手な立ち回りを演じてきた元家人に、声を荒げられ凄まれたそうだ。
相変わらずの反応である。
自分の思惑と異なることが生じると、激昂することしか出来ない。怒声をあげれば、他人が。家族が。どのような反応をするのか、想像も出来ないのだろう。怒りは判断を鈍らせ、自己の社会性をも崩壊させるというのに…。
その習癖が、私の遺伝子の中に組み込まれていると思うと背筋が凍る。言葉や態度で周囲を威嚇し、妻や子供の未来と自由を摘み取る暴君。自分が家族を持った今、この連鎖だけは断ち切らねばならないと確信している。
相変わらず小さなプライドで自己のアイデンティティーを死守しようとあがく父親とは、もう随分と連絡もしていなかったが、彼の話してくれた話しで充分すぎるほど現状が理解できた。赤の他人にまでそれだけで悪態をつけるのならば、歳はとったかもしれないが今暫くの間は大丈夫であろう。彼は私への怒りを生命の源として生きているのだろう、しかし、私も彼への怒りが人生の源になっているので、相手にそうは簡単に好々爺に成ってもらっては困るのだ。周囲に毒舌を、暴言を吐き捲ってこそ彼への挑戦が、彼への反発が出来るというもの。
まぁ、いくら身体を弱くなってもこちらとしては故郷を遠く離れた所で生活を構築してしまったので、歩み寄るつもりも無いが…。
相模湾の中央部にあるあの街は、今住んでいるところとは、都心を挟んで100キロほど離れている。東京湾のヘドロ臭が海風になると運ばれて来る今の住処より、311の影響が少なく。空間線量は遥かに低いし、重金属が放置されたと報道されたこともないので、環境は良いところであろう。
近くには古都鎌倉や逗子葉山と有名どころが鎮座し、夏になれば定番のサザンやチュウブの軽薄なサウンドがそこかしこで流れ。ファッション雑誌に特集を組まれない年は無い程、人々の心を引きつけるの魅力的な場所と思われている地区なのである。
出身者の私にとっては、休日になると生活道路の裏通りまで他県ナンバーの車が猛スピードで侵入してくる厄介な場所で。海無県のナンバーであるのにサーフボードを括り付けている陸サーファーどもが、我が物顔で闊歩しているのを見ると。いけてない奴の妬みか、イケ面共に石を打つけてやりたくなったものだった。
あるとき、そんな輩が深夜公園で乱痴気騒ぎを起し、腹の虫が収まらなくなり、浜の中華街で春節あたりで使われる例の物に点火して投げ込んだ事もあった。若気の至りってやつだ。「火遊びと爆竹花火を掛けてやったぜ!」とその時は得意満面な気分であったが、後日大人たちにばれこっ酷く絞られた。頭は当然丸刈り、ヤブ蚊に食われながら公園の掃除をひと夏課させられた。
この時、嫉妬や羨望は適当なところで切り上げないと、制裁なんて上からの考えを他人に押し付けることはしてはならないのだ、と言うルールを身を以て覚えた。
そんなノスタルジーに浸りながら車窓を眺めていると、県境の大きな鉄橋を越えるぐらいから徐々に乗客が増えてきた。私は元々横座りの座席に座ることがあまり好きではないので、車両間を結ぶ連結部のドアに半身を預けスマホの画面を眺めていた。
私のように体が厚い人種は、単座式ではない座席に座るということは、多くの場合肩を狭めて座らなければならないのだ。しかし、近頃の方々は男性であっても女性であっても、特にスタイルが美しいとされる部類に入る方に多く見受けられるのだが、肘を張り自己主張をする方が多く座っていると脇肉の敏感なところを刺激されまくってしまうのだ。
彼らはそんなに他人の微妙な部分をくすぐりたいのだろうか、いや、ただ単に想像力が足りないのであろう。たまには、体が大きくなってしまった時のことも考えておいて貰いたい、中年になれば多くの人に贅肉という荷物が着くものなのだから。
さして面白くもないネットニュースを読んでいると、身を預けているドアが乱雑に叩かれた。振り返るとサングラスに原色のアロハという出で立ちの若い男が何か言っていた。口元の形から通り抜けたいのだろう、と思い身体をずらし大人一人が充分通れる空間を作った。まぁ私としては、でかい身体を捩り、出来る限りの努力をしてみたつもりだった。
「うひゃぁぁぁ、こっちもけっこう混んでるぜ。」
いかにもという声をあげ、彼はこちらの車両に侵入してきた。自由席なのだからどこに移動しようが個人の自由である、運行中の揺れで自分が傷ついたり他の乗客に危害を与えなければという前提であるが。
「もっと先に行けば、空いてんじゃね。」
男言葉の若い女性の声出したと思ったら、私のかかとを抉るような衝撃が走った。背中越しだったのではっきりしなかったのだが、彼らは混雑した車内をベビーカーを押しながら移動しているのだった。
「スミマセ〜ン、通りま〜ス。」
とぼけた声を出しながら男親は力任せで乗客のことを押しのけていく、まるで砕氷船のように。初めの一撃でうまく身体の位置を入れ替えたのでかかと以外にわたしには被害はなかったが。外国製なのだろうか十数年前、うちの子供が使っていたようなひ弱な構造ではない。ショッピングカートのようなベビーカーは、ぶっといタイヤが頑丈そうなパイプで補強された三輪車で、他の乗客の足やカバンを弾き飛ばしながら進んでいく。さながら、金色の荒野に降り立つ、蒼き衣の聖者のように。
「痛い!」
「何するんだ、痛いじゃないか!」
そこかしこで彼らを咎める言葉が飛び交ったが、何処吹く風でベビーカーは進んで行った。
「はいはい、ベビーちゃんが居るんで、すんませ〜ん。」
「どいてどいて、通れないよ!」
言葉や常識では、ベビーカー様の進軍を止めることができないのだろう、乗客は災難が遠ざかるのを待つしかないようだった。彼らは子供の頃、感謝や遠慮などと言う言葉を教育されなかったのであろう。こんな親に育てられる子供が不憫になるが、これが今の若い親の標準像では無いだろうと、あえて考えることにした。今の出来事が日常であると、思いたくは無いので。
再びドアにもたれイヤホンを耳に入れ、周囲の方に音漏れで迷惑をかけ無い程度の音量でお気に入りの楽曲を流す。気分が落ち込んだ時や心が荒んだ時には、お気に入りの音楽を聞くに限る。音楽で癒しと同時に、自分らしさを取り戻せるような気がするから…。
この頃、私はギターインストの楽曲を好んで聴いている。8弦ギター2人に、5弦ベースとドラムの4ピースバンド。軽快なギターのユニゾンと絡み合うリズム隊のコンビネーションが何とも心地よいのである。今聴いているアーティスト、アメリカの平均年齢21歳の若いバンドなのだが。海外のメタル系を漁っていたらばたまたまYouTubeで「もしかしたらお気に入り?」に引っ掛かり。気に入って聴いていたら、日本版のアルバムが2枚同時にリリースされたのだった。彼らの動画に「イイね!」を付けるだけのにわかファンとしては、自分の感性が世間様に認められたようで嬉しい限りである。
お気に入りのサウンドが脳内で響き、滅入りかけた気分を鼓舞してくれる。普段車の中で聴いているような音量で聞くわけにもいか無いのでこのグループの最大の持ち味であるグルーブ感が、車両がレールのつなぎ目を通過する際の振動が鼓膜に伝導され楽曲のリズムと多少の不調和を生むが、誤差の範囲の事なので気になる事もなかった。
幾つかの駅に着き、乗客も入れ替わり車両に間隙が出来始めた頃、車内に再び不幸が。いや、天使の囁きが車内を駆け巡ることに。
「おみずのみた〜い。」
連打されるスネア越しであるのにも係わらず、幼い女の子の声が聞こえた。私が今使っているイヤホン、少々値が張るもので簡易版であるがノイズキャンセリング機能が付いている。それなのに、声が聞こえるということは…。
嫌な予感というものは当たるものだ、声のする方に視線を向けると3歳であろうか、身体の大きめの2歳か。幼女が若い母親に派手に駄々を捏ね始めていた。
「さっき飲んだでしょ、あれが最後なの。おばあさまの駅に着いたら買ってあげるから、もう少しがまんして。」
うちの娘も疳が強くて、この子ぐらいの時出掛けると本当に苦労したものだから。若いお母さんが駄々っ子にどんな対応をするのか、興味本位で彼女らの方向のイヤホンをずらし、やり取りに聞き耳をたてた。
「おみず、おみず!お!み!ず〜!」
そうそう、何を言っても無駄なんだよな。ちびっ子に大人の都合や論理が通じる分けないんだよ。
「××ちゃん、許してね。お願い。」
お願いだって…。駄々こねてる相手にお願いは無いんじゃないの。そう思い母親の顔を覗き見た。彼女は綺麗に化粧をし、他所行きなのだろうか身綺麗に格好を整えていた。しかし彼女の顔には生気がなく、これでは子供のわがままに対応出来そうもない。何か不安なことでもあるのだろうか、そう言えば「お祖母様」の所に行くだとか言っていたな。姑がうるさいんだろうか。今から緊張していたら子供もナーバスになるわなご、愁傷さま。
そんな勝手な妄想を展開していると…。
「いやぁぁぁぁっぁ!オミズーーーー!!、!」
小さな身体で何処からそんな音圧が作り出せるんだ、鼓膜を貫く絶叫が車内に響いた。
「オミズ!オミズ!オー!ミー!ズーーー!!」
こうなると水が欲しいという事ではなく、自分の欲求を満たして貰えないという事実に対しての抗議なのだろう。彼女のボルテージは天井知らずに上昇していく。私の持ち物に子供を満足させるものなど無いし、8ビートの世界にもどろうとイヤホンを戻そうとした時、初老の淑女が××ちゃんに声をかけた。
「かわいそうに、ノドが渇いちゃったのね〜。」
「すみません、すみません、すみません…。」
この若い母親にとって義母と同じ世代の方は全て同類項なのだろうか、反射的に謝っていた。
「オバちゃん、イイモノ持ってるけれどのむ?」
さすが歴戦の勇者、きっと何人もの子供や孫を育てられたんだろう。私など他人の子供が騒いでいると、どうも冷静になれない。表情には努めて出さないようにしているが心の中では『うるさいなぁ〜、早く黙らせろよ!』、『近頃の若い奴らはなってない!公衆の面前で子供をビービー泣かすなんて!』などと思ってしまうのである。
もちろん社会人の一員としてそんな不平不満を口にする事はないし。混雑してくれば、ご老人や妊婦の方に席を譲るなどというエチケットな対応を自然に行っているつもりだが、内面は実家に生息するモンスターと何ら変わりのない怪物を生息させているのだ…。詰まる所私は、表向きは紳士面しているのだが、心の中はドス黒い悪意に満ちた嫌な奴なのである。だから耳を突く叫声や心を抉る罵声を浴びて怪物が目覚め、口から妄言が出そうになるとこう思うことにしている。
『 私が年金を貰う時、いや、振込んでいた年金を引き出す時。年齢的に彼らが生産者として掛け金を振り込んでくれるのだから、寛大に行こうではないか。』、『××ちゃん、早く元気に大きくなって、沢山稼いで、保険料をしっかり納めてくれ。』
そう考えれば、心の中の怪物も騒ぎ出さず、多少の賑やかさも移動中のエピソードとして昇華出来る筈だ。
「すみません、ご厚意ありがとうございます。」
平身低頭する母親の視線にはやはり生気は無く、口から出る言葉も定型文のようで、人はこんなにも無表情な反応ができる物なのか。若い母親の内面の闇を察してしまった時、おおらかな感じの淑女の台詞が耳に入った。
「いいえ、ご心配なく。×× ちゃんどうぞ、お野菜ジュースよ。」
「ううううう、お水は?」
「ハイ、おいしいわよ。」
やってくれた、淑女の美味しいとちびっ子の要求に天と地との間のような乖離があったのだ。彼女の好意は××ちゃんの要求を到底満たす物では無く、母親が解決策を見つけてくれたわけでは無いので。彼女の不満は頂点に達し、車内には破壊的な音波が響き渡って行った。
「イヤァァァアァァァ!!!!おヤサイ、いやぁぁぁぁっぁ!!!ギャァァァァ!!!!!!」
かつてどこぞのお偉いさんが言っていたように『泣く子と地頭には勝てぬもの』と思い、とめども無く流れる音圧に押されるように車両を変えようかと思い始めた時。彼女の奇声を制するように、命令口調の怒声がした。
「うるさい!黙らせろ!」
声の主は、型が崩れたワイシャツにループタイ、ほつれた袖の背広を小脇に抱えていた。見るからに加齢臭を撒き散らしているような汗染みのついたシャツを、お痩せに成られたからであろうか、だいぶサイズがオーバーされているズボンの中にインするという独特の出で立ちの高齢の男性であった。疎らになった前髪でどこから始まっているのか定かではない額から、怒りの為なのだろう多量な汗を流された男性はお世辞にも紳士という範疇ではなかった。私などよりも長い年月この世で生活されているようなのだが、理性を制御する術をどこかに忘れてしまったような気配で棘のある台詞を隙間だらけの歯列から吐き続けた。
「満員電車の中で、何時まで泣かしるんだ!いい加減にしろ!」
「公共の場をなんだと思ってるんだ、ガキをおとなしくでき無いなら直ぐに降りろ!」
「喚くな!静かにしろ!!」
確かにこの爺さんがいう事は的を得てるところもある。しかし、ここで怒鳴ったって問題は解決しない。それに怒鳴れば子供が更に泣くだろうが、こいつが有名な『暴走老人』って奴なんだろうな。実家にも居るが、こんな具合で周囲に騒音を撒き散らす輩は増えているのであろうか。この男性の思考に、家族間の問題であるとか社会的な背景であるとか様々な要因があるかと思うが、彼の言動を擁護することはできない。どんな人生を浪費してきたのか伺い知ることは出来ないが、短くなってしまった残り時間を意識して余裕が無いのかもしれない。
確かこういう人間は、権威に弱いと聞く。防犯ベルでも押さねば事態の収拾は無理か、そう思い作動の心得が解いてある透明のカバーで覆われた赤いボタンを探していると…。
「××ちゃん、この方に怒られちゃったから、お願い静かにして。」
なかなかどおして、この母親反撃のツボを心得ている。
「そうよ、いい子にしてないと、このおじいちゃまに、叱られちゃいますよ。こんなに可愛いのに。」
淑女の方も追撃する。
「貴様ら、私が悪いと言うつもりか!失礼な奴らだ!自分の仕出かしていることを棚にあげて!」
「うるさい!うるさい!うるさい!!」
老人斑が浮き出た顔を真っ赤にして、さらなる暴走を始めた老人に何処からともなく声が飛んだ。
「うるさいのは、お前だよ。」
吊革につかまっている中の誰かが口にしたのだろう。
「誰だ!!今言ったのは!私が悪いというのか!」
「ウルセェな、いい加減にしろよ。」
また違うところからも声が飛んだ。
「何なんだ貴様ら!うるさいものをうるさいと言って、なぜ批難されなければならんのだ!」
「だから、ウルセェっていうの。くせぇ息吐いて怒鳴んな、バカ!」
「無料パス使って乗ってんだから、黙って座ってろよ。」
「子供相手に大人気ねぇ、いい歳こいてんだか静かにしろよ!」
これぞ意趣返しか、ブーメラン効果か。なまじ××ちゃんらに激しい言葉を吐いていたからであろう、周囲から一斉攻撃を浴びる事になってしまった。
「なんだ、私が…。なぜ?」
自分こそ正義という自分ルールがあったのであろう、自信満々であった彼が批難をあびることになったのだ。なまじ派手なことを口にしていた彼が、乗客のフラストレーションの捌け口に成り下がってしまったのであろう。高齢だから何をしても許されるとは彼自身も考えていたわけではないのだろうが、結果的に全ての乗客から批難の視線を浴びせられる事になってしまったのだ。
槍玉に挙げられた彼は居たたまらなくなったのであろう、捨て台詞とともに隣の車両へと消えて行った。
「どいつもこいつも…、不愉快だ!」
××ちゃんはこの冷ややかな大人のやり方に、何を悟って居たのだろうか、騒動の最中は一言も発していなかった。大きく眼を見開き、強張った表情でやり取りを観ていた。子供なりに身の危険を感じていたのかもしれない、あるいはこんな具合に母親が虐げられる姿を見たことがあるのかもしれない。
「あらそうだわ、ごめんね、××ちゃん。オバちゃん、飴ちゃん持っているけどなめる?」
子供が現実に戻る前に、ナイスなタイミングで淑女は子供に問いかけた。無言で頷く彼女に包装を剥き差し出された楕円形の飴は、何事にも語尾に「ちゃん」を付けずにはいられない彼女の心根を表すような優しい桜色をしていた。
「ハイどうぞ、キシリトール入りだからムシ歯にならないわよ。」
「ありがとうございます、ありがとうございます。」
母親の無機質な返礼を余所に、淑女は子供の口元に飴を運ぶ。
「梅の飴ちゃんよ。美味しいわよ。」
次の駅は古都に向かう路線との分岐点、多くの乗客が降りていった。淑女と幼女は何時の間にか親密になり、手を繋いで降りていった。どうも梅飴が気に入ったようであった、年端が行かなくてもやはり女性は梅味がお好みのようである。
楽しげな二人に対し、若い母親の背中がやけに小さく見えたのは、これから行われるであろう嫁姑間の抗争への布石のだろうか。あまりも対照的な後ろ姿に、私の想像はいやが上にも膨らんで行く。それはまるで、自分の身に起こったことを反芻する感覚にも似ていた。
遂に私が出奔する迄、幼年期を過ごした街に着いた。宴会の場所はもう一つ先の駅であるのだが、連呼される駅名に集合まで時間があるので降りてみる事にした。仕事のメリットもデメリットも無い、何も期待している集まりなので、遅刻しようが早退しようが問題もある筈がないので、何となく継ぎ接ぎだらけのアスファルト製のホームに降りたった。
駅舎の基本的な構造は変わってはいなかった。橋上駅にたった一つの改札口。そしてそこに掲げられる不釣り合いに大きい駅前葬儀場の看板、ホームで突進してくる鉄の塊にダイブしてもココで後始末は完璧とでも言いたいのだろうか。疲れて帰って来て、この看板を見上げなければならないこの駅の利用者はどう思うのだろう、若い頃には感じもしなかった感覚に戸惑いつつコンコースに出る。
それだけ不惑の年を越え死というものを身近に、感じぜざるを得ない年齢になったのかもしれない。駅舎から先は、見覚えのある風景の中、歳の離れた兄に何度となく崩された存在意義と無造作に放置された他者からの評価。嫌な思い出がそこかしこに見え隠れする、筈だった。
しかしそこには、私の記憶にない建物が鎮座していた…。
なんと軽薄なブランド嗜好とでも言うのだろうか、いわゆる「湘南カラー」を前面に押し出した商業施設が駅に直結していたのだ。
そこかしこにオリーブの木が根拠のなく植えられ、オフホワイトを基調とした中間色だらけのデコレイトがされている。このカラーコーディは寝ぼけているとしか形容できないだろう、これがお洒落なつもりなんだろうか。
漆喰のような質感の塗料が無造作に、斑だらけに塗られた壁には、訳のわからない書体で店の屋号らしき物が書き殴られている。アーティスティックな演出のつもりなのであろうが、それがどれだけの広告効果があるのだろうか、はなはだ疑問である。
その壁沿いに並べられている椅子の列に、こじんまりとして座るこれまたいわゆる湘南人がいた。雑誌の特集記事から出て来たようなボーダ基調の服装を、男女が何の疑問を持つ事なく、さして旨そうもないものを口に入れるために待っている。
パンケーキに、ワッフル、シナモンロールと小洒落た店が軒を連ねるが、此処では我々の味方である筈のラーメン屋ですら小洒落た制服にベースボールキャップという出で立ちで、『此処は意識がお高い系のお客様以外は、ご勘弁を…。』と鼻息が荒い。湘南と言う地域ブランドに乗っかり、オリジナルを押し通そうという意気込みは感じるのだが。何処の店も何処ぞのチェーン店の模倣というか、改悪版というか。劣化した印象しか持てなく私の購買意欲は彼らの意図とは真逆なベクトルを示し、財布の紐にギュギュッと固結びを掛けてしまった。
そんな所で時間を浪費する気にならず、どうせなら昔からの店が良いと思い、かつて知ったる何とやらで記憶を頼りに古い街並みの方に向かうことにした。
そもそもここは貨物専用の駅で、親がこの地に住まいを建てるほんの数年前まで通勤電車の通過駅であった。その後住宅地が整備され乗降客も増えたため、整備され、バスターミナルと橋上駅が配置された。しかし私が旅立つときですら、隣の東海道53次の宿場町と比べて場末感満載で、海沿いのいわゆるサーファー通りの方が拓けていた。しかし見上げるとタワーマンションが何棟も建ち、いったいどこから集客つもりか分からないが500台以上の巨大な駐車場を併設した商業施設まで造られている。ニューファミリー思考のお洒落な雰囲気に、かつて公害問題で激しい住民運動が行われていた事実を知る者として「湘南=お洒落」という下らない雰囲気作りに反吐が胸を悪くし、安易な拝金主義にヘソが茶を沸かしそうになる。
戦前からだと思うがこの駅には大きな製鉄関連の工場が二つあり、その工場に勤める人々の為に住宅が造られ、次いで宅地開発がすすみ、人口が増加したので駅から三方向に商店街が存在する筈であった。元町商店街、若松商店街、そしてわたしが馴染んでいた新町商店街と。そこには大小合わせると200は下らない店舗があり、それぞれ家族がいたのである。私の小学校の同級生も、印鑑店や佃煮屋を営んでいた。しかしかつて大踏切と呼ばれ親しまれていた東海道線を横切る道は地下隧道となり、手旗で横柄な態度で仕切ってた踏切守りの姿は消え去り、無機質なコンクリートの壁に単色のスプレーアートが何層も重ね描記されていた。その様は治安の悪さと、民度の低下を物語っているようで。雨水が溜まり、苔だらけで黴臭い歩道をようやく抜けると、多くの住民が行き来していた新町商店街に向かう…。
残念ながら、予想通り商店街は壊滅的な状況であった。当然である、大規模な商業施設が出来れば、個人経営の店がどんなに頑張ろうと先は見えている。それならば損出が小さなうちに商売替えするのが常であろう。
見事なまでのシャッター街、同級生が営んでいる筈の店の痕跡もなく、元気が良いのはいつの間にかに進出していたパチンコ屋だけ。派手な宣伝がスピーカーでがなり立てられ、何だかわからないポップがのぼり旗になってはためいている。劣化したスピーカーからだだ漏れする割れ気味の呼び込みに辟易し、駅に戻る事にした。何番台にアタリが何連続しようと、アタリの確率が変動中であろうと私には関係無い。仕事で博打に近い勝負に出る事はあるが、私は一切ギャンブルと名の付くものに手を出さないからである。
そもそも公的に確率管理された物に資金をつぎ込むなんて、不毛な事はしない事だ。そんな物は勝負でも何でも無い、只の浪費以外の何者での無いからだ。始めから負けると分かっている勝負はしないほうが良い、それが負けない秘訣なのではないだろうか。
元町商店街も同様な有様で、若松商店街にも足を伸ばしてみたが、休日の午後だというのに商店街の遺骸を歩く人は少なく。元気いっぱいのスロット店が宣伝音楽を垂れ流しているだけであった。あんな音量で近所からは苦情はこないのだろうか、それとも苦情を言うだけの市民運動などもうこの街には存在しないのだろうか…。住宅地に醜悪な害意を垂れ流す小悪をはびこらせるなんて、間特、角金と言う大きな工場を環境保全の運動で移転させた住民のパワーは何処に失われてしまったのだろうか。
今此処に住む人々は、偽物の店がひしめく所で作られたイメージの中、磨くべき牙を失い、ただひたすら「意識が高い」と思い込む自分に酔っているにだろうか。
私は追い立てられるように目的地である隣町に向かった。流石に宴会場はいわゆる呑み屋で、私の住処にある物とそんなに変わった風態では無かった。まあ、入り口付近の黒板の看板に書かれた「本日のおすすめ」なる物に、地物の生シラスやサザエの壺焼きなどの文字が踊っていたが、かの過酷事故が起こって以来私にはこのような宣伝文句に惹かれることが無い。
ここは相模湾産のものであるから、住処の近所で取り扱われるホンビノスや瞬間〆のシーバスの様に高確率で汚染されていることは無いだろうが。習慣というものは恐ろしいもので、近海物の魚貝類にメンタリックではあるがアレルギー反応を起こすのである。
呑み屋の入り口で躊躇していると、後ろから声を掛けられた。
「あれ、◯◯君?入って入って。M尾先生おいでになっているから。」
相手は私のことを知っているらしいが、残念ながら私の記憶には声のヌシの方の記憶はなかった。
「あれ?分からない、私、バスケ部の△△よ。おばちゃんになっちゃったから仕方がないよね。」
「いや、失礼。落ち着かれた感じだったから、分からなかった。ごめんなさい。」
正直なところ名前を言われても、私の海馬の底からは記憶を呼び覚ますことはできなかった。
「いいのよ、お互い様。みんな変わったから分かるかしらね。さぁどうぞ、みんな◯◯君、来たよ〜。」
引きつった笑顔で会費だけ払って帰ろうかとも思ったが…、半ば強引に店の中に引き入れられた。手際がいいと思っていたら、彼らは高校卒業後も定期的に飲み会を繰り返し、交流を深めていたそうだ。ここでも私は完全にアウェイな状況であった、名前も素性も分からない同級生らしき人物達、多少の恐怖を感じずにはいられなかった。
故郷を離れ四半世紀も経てば、記憶も居場所もなくならない筈もない。朱に交わる必要性を感じることなく、笑顔を顔に貼り付け導かれるまま席に着く。集合時間からはさほど遅れた筈ではないのに、長テーブルには空いたビール瓶と突つかれた料理の皿が散乱し、皆赤ら顔をしていた。特に担任であった元教師の周りには独特の空間が拡がっていて、立ち入り難い雰囲気であった。
駆けつけ三杯でグラスに注がれたビールを呷ると、近況の報告をせがまれた。私は適度なフェイクを交え、この地を離れた実父との確執から、起業した話しを簡単に紹介した。
「全てゼロからの出発で、事業を始め、成功に導くなんて素晴らしい!君は我々の出世頭だ。」
「素晴らしい話しを有難う、さぁ呑もう!」
「先生も◯◯の話しをもっと聞いたやってください!ほら、◯◯、先生にお酌して。」
酔っ払いどもが退職してもまだ教師の風態を崩さぬM尾の面倒を見させようという魂胆なのか、私を隣に座らせた。
「良いかい、若いと言っても君たちは、もう中堅の教師だ。若手を指導していかなければならない立場でもあるんだ、しっかりしたまえ!」
「教職と言うものは、社会の未来を委ねられているんだよ。素人風情が、批判出来るほど簡単なものではない。それをただ単に保護者であるというだけで、我々と同列。場合によっては我々以上の存在であると主張してくる。そんな理不尽がまかり通ると思うか?」
「モンスターペアレントが何だと言うんだ、素人相手に臆するな。ん、君は誰だ…。あぁ、行方が長い間分からなかった◯◯君か。」
教師の道に進んだのだろう数人の同級生が、M尾のことを車座になって囲んでいた。M尾は畏まる後輩に教育論を声高々に語っていたので、門外漢の私の登場に話しの腰を折られ少し気分を害したようであった。アルコールの入った赤ら顔の眉が、彼の気分を如実に物語っていた。しかし酔いながらも寄付金集めという大義は忘れなかったようで途切れかけた記憶の糸を手繰り寄せて私のプロフィールを思い出した様であった。
私が瓶ビールを差し出すと、呑むことが当たり前であるという風体でグラスを空にして酌を受けた。律儀であるのか、ただ単に酒に意地汚いのか…。まぁ、彼のまえに並んだカラの瓶の数を見れば、自ずと回答は見えて来るが。
「先生、お久しぶりです。」
「おぉ久しぶり、遠かっただろう。」
「はぁ、二時間弱ですから、ちょっとした旅気分です。」
通り一遍の挨拶を済ますと、早々と教師同士の傷の舐め合いに話を戻してもらおうと気配を消そうとしたが、元教師は好奇心を隠そうともせず私の柔らかい弱点を無遠慮に突いてきた。
「ご家族は元気なのかな?」
「はい、家内も子供達も私を支えてくれています。」
「そうじゃない、お父様とはどうなんだ?」
来た、やはり人間というものは結局は他人の不幸を聞きたいもなんだ。まあこの会の連絡を実家にした時、幹事に向かって罵声を浴びせたらしいので、仕方がない話すしか無いだろう。
事の経緯を話し終えると、担任は深くため息を吐くと生徒であった頃の私にしていたような諭す口調で話し出した。
「良いかな、今の君があるのは、ご両親のご苦労の賜物なんだ。早く仲直りをしたまえ。責任ある地位にいる君ならば、僕の話を理解できるだろう。」
「君は、君という作品をお造りになられたご両親に、感謝の念を忘れてはならないのだよ。」
「良いかい、人は一人では生きていけないものなのだよ。人という字は…。」
私が生きてきた半生を、この元教師はいとも簡単に完全否定してきた。何も知りもしないくせに。彼は私がまだケツの青いガキだと思っているのだろう、錆び付いたたとえ話で説き伏せようというのならば、受けて立とうではないか。相手が私をガキと思っているんだったら、ガキなりの対応をしてやろうじゃないか。
わけ知り顔の年長者の説教はこれまで至るところで受けて来たが、私の人生に何のプラスにならない過去の人間にここまで言われる筋合いはない。しかし、こんな所で怒声を上げても意味がないのでさりげなく話題を変え地雷を仕掛けてみた。
「そう言えば、数学のK村先生はどうなさいました。三年の時担任で、ずいぶんありがたい指導をして頂いたものですから。」
「あぁ、K村先生は面倒見が良かったからねぇ。今は彼も退職されて、悠々自適だと思うよ。」
「そうなんですか、今日お会いできるかなと持っていたんですが、ちょっと残念ですね。」
「あぁ、近々彼に会うから君のことを伝えとくよ。」
元担任は話しを変えられてことにも気がつかず、聖職であると信じて疑わない自分の過去職が今でも栄光に満ちていると勘違いをし、鼻高々という雰囲気で答えてきた。
「そうですか、ありがとうございます。ではあの時のことを私は未だに忘れてはいないとお伝え下さい。」
「?、どういうことなんだね…。」
罠にはまったことも分からずにいる彼には、到底理解できない話であろう。過去の栄光にしがみ付き、年齢が
「先生、貴方に受験の報告をしている時、K村は横から話しに入って来て私の事をこき下ろしたじゃないですか。」
「奴は私に、「いったい幾ら積んだんだ。どうせ裏口入学なんだろ。」と言ったんですよ。職員室に響き渡るようなでかい声で。覚えていませんか?」
語気は鋭くは無かったが、辛辣な私の発言に周囲のイエスマン達は凍りついた。だが、そんなコトは御構い無しに私は続けた。
「今なら完全にアウトな発言ですよね。まぁK村はよく職員室で、模試関連だったかなぁ。業者さんから何か貰っていましたからね。」
「呼び出され、説教喰らわせている生徒の前でやり取りしてるんだから脇が甘すぎんですよ。私が「それなんですか?」と聞いたら、臆することもなく、「付け届け」だと言っていましたからね。常態化していたんでしょう。」
「現代だったら、コンプライアンス違反で失職ものですよ。『K村さん、ICレコーダも無くて、いい時代でしたね。』と、お伝え下さい。では、明日仕事があるので失礼します。」
こんな下らない事の為に、せっかくの休日を使ってしまったのかと思うと。気持ちよく送り出してくれた家族に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、幹事に必要最低限の金額を渡すと店を出た。
外には海岸からの海風が、心地良い潮の香りを運んでいた。ここに住んでいた頃は、屋外に置いた洗濯機や車のボンネットがほんの数年で錆が浮くなんて思っていたが、鼻腔をくすぐる香りは今の住処で嗅ぐS番瀬のヘドロ臭とは根本的に違うと感じた。
しかし、この恵まれた環境に住んでいる居るのに、何故腸が腐っている輩が多いのだろう。私がそう言う輩を呼び寄せるからなのだろうか、もしそうならば反省しなければならない。しかし、そんなに私に過失があるのだろうか、私はただ単に外の世界を知ってしまっただけではないのか。そう言えば、不仲の原因の一つでもある兄貴がよく言っていた。
「神奈川には横浜があるから。わざわざ都心なんかに出なくても何でも揃う。」
糞食らえだ!小さなコミュニティーで、何時までも乳繰りあっててくれ。私にはもう関係ない事、一時のノスタルジーでこんな所まで足を運んでみたが、2度とこの地に足を運ぶことはないだろう。
私はスムーズな動きの上り電車で、ソラマメ臭い彼の地に帰ることにした。
例えセシウムで穢されていようと、私にはそこにしか帰るところが無いのだから。
おわり
5年程前に感じた事を、私小説風に書いて見ました。
虚無感が表現出来ていれば良いのですが。。。。。