スーパー店員ナツキ 異変
ナツキはガイアハンマーを握ったまま男へと歩を進める。
今や1トンの重量を持つ暴力は完全にナツキの支配下に置かれていた。
ナツキの力は、火や水を生み出す超常現象を起こすようなものではない。ナツキの力は、その細腕からは想像できない程の腕力が解放されること、また、触れた対象の質量をナツキのみ無視できるといったものであった。
無効化装置を作動させたナツキにとってハンマーを持つ感覚は、箸を握っているに等しい。
「確かに、凄いパワーです」
男はナツキの圧倒的な力を目の当たりにし、悔しさを滲ませるように呟いた。
「それは⋯⋯どうも!」
ナツキは両足に力を込めると、磨かれた床を蹴った。1歩踏み込むことで、爆発的な加速が生み出され、男の一呼吸を待たずに懐へと潜り込む。
軽く柄の持ち手を握り直し短くすると、ナツキはガイアハンマーのヘッドが右膝と床スレスレを通過するように、男のみぞおちに向かって振り上げた。
ガツン!
鈍い音と、岩が割れる乾いた音が混ざり合い、店内に響き渡る。『因子』を持つ者同士しかにか知覚できない戦闘である。
ナツキの後ろには、普通の女性客がナツキと男のいる通路を眺めていたが、すぐに通路に入ってくることを止めて立ち去ってしまった。
ナツキによって後方に吹き飛ばされたコンテナは、既に再転送され、その姿はなくなっている。
男はナツキの打撃に大きく身体を仰け反らせると、耐えきれずにその巨体をゆっくりと倒し、床に尻餅をついた。
男の身体から沸き上がった砂埃がナツキの視界を少し曇らせる。
!!
その砂埃を突き破り、男の右足が鞭のように伸び、ナツキの腹部を貫こうと迫ってくる。ナツキは柄で迎撃すると伸びてきた足を左手で掴んだ。下半身に力を込めると同時に男の足を掴んだまま左手を振り上げる。
いとも簡単に男の身体は浮き上がり、信じられないといった表情が、岩と化した男の顔に浮かんだ。
案外頑丈ね。
先程のナツキの一撃は、男の腹部に1cm程の窪みを作り、多数の小さいヒビが見えたが、致命傷には至っていなかった。
「加速装置起動!」
ナツキが叫ぶと呼応するかのようにガイアハンマーのヘッドに配置された換気口から、ボッと、燃焼された青白い炎が出現した。
ナツキは左手に握っていた男の足を天井に向かって投げると共に、床を蹴る。最上段にガイアハンマーを構えるとハンマーの換気口からアフターバーナーが吹きだし、軽いナツキの身体は支点となり、加速を加えたハンマーは轟音と共に男の頭部を粉砕した。
ドンッ
床に落下した男の身体にナツキは着地する。ナツキの意思に答えるように換気口が反転する。
ボッ
アフターバーナーの勢いによってガイアハンマーは、強制的にナツキの両腕を最上段の構えまで運んだ。ナツキの腕が1番高くまであがると、再び換気口は反転する。
ゴオッ
青白い炎を二筋、弧を描きながら直径2メートルのヘッドは、今度は男の左肩を粉砕した。
あとは繰り返すだけである。
アフターバーナーによって強制的に繰り返されるメトロノームのような動きは、少しずつ、しかし確実に男の身体を破壊しつくしていく。
このタイプの種族は、自在に再生する。
再生速度を上回る攻撃と、無効化装置を見つけないと!
ナツキは崩れ行く男の身体に目を凝らした。
破壊と衝撃、ハンマーの風圧が砕けた男の身体の破片を店内に撒き散らした。
見通しの悪い砂の中から無効化装置を探しだす。
「見つけた!」
胸部を完全に粉砕した時だ、ナツキは破片となった小岩の間に、ルビーのように輝く赤い1センチ程の珠、無効化装置を発見した。
やっぱり身体に埋め込まれている。
ナツキはその事実に驚嘆する。そして、再び核の場所を確認すると、ガイアハンマーを的確に核の上へと振り抜いた。
男の身体の崩壊が始まる。
無効化装置を破壊された男は、今やその身体は元に戻ることもできず、砂の破片となって床に散らばったままであった。
「これ、掃除するのかぁ」
いつもの荒事。しかし胸のざわつきは消えない。
ナツキは同時に襲撃を受けた勇者、主人昂と、彼と共に戦っている仲間のことを想った。
シフト交代まであと10分
仕方がない。ナツキはガイアハンマーを片手に歩き出す。
掃除と報告書。帰れるのはまだまだ先になりそうだった。
「とりあえず、スマホは確認しないとね」
早くスマートフォンを確認したい衝動に駈られつつ、ナツキは清掃用具入れがあるスタッフ通路へ向かった。
バタン!!
ナツキが病室に駆け込むと、ベッドで横になっている遊佐 イズミは驚いた表情でナツキの顔を見た。
「遊佐さん!大丈夫ですか?」
肩で息を切らすナツキの姿をみて、52歳の遊佐は目を細めた。
「わざわざ来てくれたの?」
ナツキの姿は、直接職場から駆けつけたため、エプロンを外しただけの格好。表情は疲れと眠気、不安が混ざり、髪も乱れている。
遊佐さんが闘いで大ケガを負い、病院へ運ばれました
昂から連絡を受けたナツキは、スマートフォンに書かれた文字を信じることができなかった。
遊佐 イズミは昂にとっての仲間、ナツキにとっては命の恩人である。その彼女が怪我を負ったと、仕事終わりに連絡を受けたナツキは、報告書もそこそこに急いで駆けつけてきたのだった。
時刻は午前5時を少し過ぎたばかり。
病室内の閉ざされたカーテンの隙間からは、今まさに昇ろうとする朝日の光がぼんやりと差し込み、蛍光灯だけの室内に暖かみをもたらしていた。
ナツキはイズミを見る。
パーマがかかった白髪混じりの黒髪、ふくよかな頬には擦り傷があちこちに見られ、特に左頬には痛々しい程に大きなガーゼが傷口を被服している。
左手は三角巾によって吊るされており、前腕には重々しいギプスが巻かれている。
右腕には点滴が入っており、点滴ルートの途中からは抗生剤と思われる小さなボトルも点滴台にかけられていた。
30度に起こされたベッドの上で、病衣に包まれたイズミの姿はナツキにとって酷く小さく見えた。
「イズミちゃん、本当に来てくれてありがとう。昂君も、ムラサメちゃんも帰ったわよ。あとは、レオ君とやっちゃん、トオルさんも来てくれたわ。さすがに東京以外の県から召喚された人達は帰ったけど…こんなに来てくれただけで、おばちゃん嬉しいわ」
イズミは腰の位置を変えるために小さく身をよじると、イタタと顔をしかめた。
「人の身体は治せるのに、自分の身体は治せない。都合良くいかないものねっていつも思っちゃう」
イズミは寂しそうに笑うとナツキに微笑みかけた。
「私、私、遊佐さんが死んじゃったらどうしようと。ごめんなさい、私も一緒に戦っていたら⋯⋯本当にごめんなさい」
自然と涙が溢れた。ナツキはイズミの擦り傷が残る右手を優しく両手で包み込むと、病室の床に両膝をついて泣き崩れた。
「ふふ、ナツキちゃんは本当に優しいわね。そんなに強くて、隊長さんなのに、今は可愛い女の子ね」
イズミも両目の目尻にうっすらと涙を浮かべると、優しく右手でナツキの両手を包み返した。
「だって、遊佐さんは私がこの世界に迷い混んだ私を助けてくれた!遊佐さんがいなかったら、私死んでた!」
感情を納めることができず、嗚咽と共に言葉が溢れる。
「大怪我を負った私を、遊佐さんが助けてくれなかったら、私は生きてることもできなかった。遊佐さんは私の、私の命の恩人なんです!」
ナツキの叫ぶような声に、イズミは優しく語りかける。
「ありがとう。そういう風に言ってくれてとっても嬉しいわ。でも、自分を責めないで。私は充分に守られたわ。回復薬士は今回私しかいなかった。昂君もムラサメちゃんも皆で戦えない私を守ってくれたんだけど、それほど敵は強かったわ。皆の傷は私が治せたのだけど、自分が傷ついたものはね」
そこまで話すと、イズミはナツキの右手前腕に赤黒い打撲痕があることを見つけた。
「もしかして、ナツキちゃんも戦っていたんじゃない」
打撲痕を見たイズミの表情は少し険しくなったが、すぐに時間と共に内出血が広がって痛々しくなったナツキの腕に優しく触れた。
「はい、私が昂君の仲間と知って襲ってきました」
ナツキの言葉にイズミは目を丸くする。
「同時にナツキちゃんのことも狙っていたの?じゃあ、今回の相手はもしかすると、大きなバックがついているのかも」
イズミは優しく右手でナツキの痣を包み込む。
「縛り(ルール)があるから、大したことはできなくてごめんね」
汝が負いし穢れ、痛み、孤独。邪なる物を祓いたまえ。
南天の星ぼし、サウスの神々の加護を顕したまえ。
小さくイズミが唱えると、ナツキはぼうっと、皮膚の内側から暖かいものが沸き上がってくるのを感じた。
動かすと痛かった腕の痛みが嘘のように和らいでいく。
遊佐さんの力だ。
ナツキは3年前、自分がイズミに拾われたことを思い出していた。
「さぁ、おまじないくらいしかできなくてごめんね」
イズミは唱え終わるとナツキの目を真っ直ぐ見て笑った。
嘘のように痛みが消えた右腕を見てナツキは目を見開く。痣は薄くなり、左手で痣の上を強く握ってもかすかな違和感しか残っていなかった。
傷、呪い、毒等を同時に浄化する高等魔法だ。
傷つきながらもナツキを心配するイズミの優しさに触れ、また涙が溢れてくる。
「失礼します」
ノックと共に一人の看護師が入ってきた。
少し茶色のメッシュが入った髪をネットでまとめ、パンツ姿の白衣に身を包んだ女性。胸のネームには顔写真と共に『館木』と書かれている。
「ご面会中失礼します。点滴を交換に参りました」
館木という看護師は、ナツキを見ると微笑んだ。
「心配しないで下さい。私はこの病院で主に『因子』を持つ患者さんを担当している館木と言います。」
よくみると、ネームには「看護師」と書かれた職名の下に「異世界患者担当」と書かれている。
特殊なインクで書かれているのか、普通の人には見えないのであろう。
「私は3世なので、特別な力もほとんど持っていませんが、『因子』を持った患者さんの看護は数多く担当させて頂きましたから、何かご用がありましたら遠慮せずナースコールを押して下さいね。先生も何人か専属の先生がいますから安心してくださいね」
館木は、そういうと肩にかけていたPDFの端末で、イズミの患者リストバンドと、手に持っていた点滴を照合させた。
ピッ
音と共に認証は終わり、手慣れた手つきで館木は点滴を交換していく。
「イズミさんの治療は、特別な薬は使っていません。時折、この世界にはない病気やウイルスにかかる人もいますので、そういった方々には特別な治療をさせて頂いています」
点滴のルート全てを確認し、異常がないことを確認すると館木はイズミに微笑みかけた。
「遊佐さん、すぐにお見舞いに来ていただいて良かったですね。ご親族の方ですか」
館木はイズミに話しかけると、ついでナツキの顔を見た。
「いいえ、とっても大切なお友達なのよ」
「そうなんですね。本当はご家族以外のご面会はできない時間ですが…内緒ですよ」
館木は少し悪戯っぽく笑うと、小さく人差し指で口元を押さえた。
可愛い。同性ながらその仕草にナツキはドキッとした。
館木が去ると、イズミはナツキにカーテンを開けてもらえるよう頼んだ。ナツキはレースカーテンを残してカーテンを開ける。
立ち並ぶ家屋やビルが、朝の金色の光を浴びて陰影の深いコントラストを町並みに投げかけていた。
もうすぐビルの隙間から太陽が、その姿を現すだろう。
長い夜が明けるのだ。
「もう、やめなって。あの人は言うんだろうけどね」
イズミはポツリと呟いた。
「亡くなったあの人は、いつも私が勇者を助けに行くのをとても心配していたから」
ナツキはイズミの声が震えているのが分かった。
「歯痒かったでしょうね。あの人は普通の人、私達が闘っていても、それを知ることも助けることもできない。⋯⋯でも、私の話を全部信じてくれたわ」
「⋯⋯」
「私はこの世界に助けられた1人、結局あの人は私より先に亡くなっちゃったけど。でも、この世界に来れたおかげで、私はあの人に出会い、共に年を重ねることができた。だからこそ、この世界を守る勇者さん。今は昂君ね、彼とその仲間みんなを助けたいの」
窓から射し込む光にイズミの横顔が照らされる。その頬に一滴、涙が流れ、頬のガーゼに触れるとたちまち吸い込まれ消えていった。
「ナツキちゃん、昂君はとっても弱いわ。きっと先代の勇者の翔君より遥かに弱く、きっと彼を越えることはできない。でもね、彼は自分が弱いことを知っている。弱いから人に頼ることができる。翔君を亡くしたのは、彼が強くなりすぎたから。私達に危険が及ばないようにって、全部一人で抱えていったからだわ」
そこまで告げるとイズミはナツキの顔をしっかりと見据えた。
「彼を助けてあげてね。私は暫く昂君を助けることはできない。きっとナツキちゃんの力が彼の力になるわ」
イズミの真剣な表情に、ナツキは両手でイズミの右手を握ると力強く頷いた。
朝陽が昇る。
夜に襲ってきた敵について分かっていることは少ない。
昂君に会いに行かなければ。ナツキは強く心に決めて立ち上がる。
その横顔をイズミは眩しそうに眺めていた。