妹の実力
ドアを開けた瞬間、この爆発が誰の仕業であるのか、ということは彩香にはわかった。
前方には、月明かりに照らされてなお醜く脂ぎった顔の男と、その隣には片腕を前に伸ばしたガラの悪そうな小さな男、二人を挟むような形でローブをまとった女とアサシンのような身なりをした男がいる。
四人パーティ、というのは彩香のやっていたレヴェナント・オンラインにおいても平均的な構成だった。
人数制限といったものはないのだが、人数が多すぎても攻撃効率が悪かったりボス戦の際敵が強くなるといった欠点がある。
結局、気心の知れた仲間と密な連携をとり、頭を働かせることこそが重要なのだった。
相手方から下品な声が飛んでくるのを無視し、彩香はさらに観察を続ける。
見た所これといった、彩香の頭の中にある、“対人戦用対策必須武器リスト“の中に該当するものはない。
だからと言って安心してはいけないのだが、慎重になりすぎるというのもとっさの動きができなくなる恐れがあるため、適度な緊張感を保つ。
と、先ほどから何かを言っていたような小さな男が何やら喚き出す。
「てめえ、人が遊んでやってりゃいい気になりやがって!俺を無視しやがったな!?劣等種ごときの分際で気取ってんじゃねえぞ!このクソザコが!」
ピキッ、と、彩香の中で何かが切れる音がした。
「・・・この機会に、この世界での魔法の威力でも検証してみようかなあ?」
彩香の後方をちらりと見やれば、なぜか青ざめたエルフと兄がいる。
兄に至っては足が子鹿のように情けなく震えており、その姿は滑稽そのものだった。
男たちのヤジが怖かったのかもしれないなあ、と、少々反省しながら正面を向き直す。
「ごめんね、そこのちっちゃい男の人。ちょっとだけ検証させてね」
「ああ!?何言ってんだ?ぶっ殺されてえのか!?」
あの口調は、彩香の昔の家で聞き覚えがあった。父親と呼ばれていた男の顔がその小さな男に重なり、純粋な殺意が芽生える。
あとは正当防衛という形が欲しかった。
どんな形であれ先に手を出した方が悪いのだ。私は悪くない。
ああ、早く私に攻撃してくれないかな。
そんな彩香の願いは、男の喚き声が続くことでなかなか叶えられない。
「しょうがないなあ。んじゃまあ、まずは身体能力の検証ってことで」
次の瞬間、玄関先の土が抉り取られる。
その場所に彼女の姿はなく、彩香は一瞬で15メートルはあろうかという距離を走り抜けた。
元の世界にいた頃の彩香にとっては不可能な動きであったが、それすらも今の体であれば呼吸をすることのように簡単だった。
彼らの目の前で急ブレーキをかけるように止まると、片手直剣を構えていた醜い男の目の前へ滑るように移動する。
理由は単純で、最も分かりやすい形で攻撃してくれそうだと思ったからだ。
爆発魔法であれば味方を巻き込む恐れがある。味方は攻撃できない、という法則がこの世界にない以上、この至近距離で範囲魔法を使うことは愚策だ。それにローブの女はこの構成であれば回復役であろう。アサシンのような格好をした男は野伏か何かに近い役割を果たしていそうだ。
そう考えると最も分かりやすい攻撃をしてくれるのは、斧を隠し持った醜い男であるはずだ。
この世界に来てから思考速度が上がった気がする。
賢さ、という能力値を受け継いでいるのだろうか。
考えが長くなりすぎる前に醜い男に話しかける。
「こんばんはぁ!すっごい弱そうですね、その武器!うわ!口臭もひっどい!なんのために生きているんだろう、この劣等種は?」
渾身の煽り文句である。
当然のことながら、月明かりでさえ真っ赤だとわかる顔になった醜い男が言う。
「んだとゴラァ!!!!!!!!」
彼にとっては渾身だったのだろう直剣の一振りを、左腕を上げることだけで彩香は防ぐ。
彩香の少々の恐怖も、杞憂に終わった。
彼女の腕は素肌でありながら、さながら鋼鉄か、それ以上のもののように、いともたやすくその剣をはじき返したのだ。
もしかすると剣で腕を切り飛ばされるかもしれない、という痛みに対する恐怖心はもう彩香の中にはない。
男が驚愕の表情を顔に貼り付けたまま硬直している。
「はーい、攻撃されましたっ、と!連帯責任という言葉も忘れずにね」
満面の笑みが浮かぶ。
今からこの、エルフたちを大量に殺していたであろう憎き集団を、正義の名の下に殺すことができるのだ。
これを快感と呼ばずしてなんと呼ぼう?
「じゃあ、まずは攻撃して来たあなたから・・・『最上位魅了』・・・さて、かかったかな?・・・うん、よし、それじゃあ命令。『その剣でお前の首を切り落とせ』」
男の腕はそのまま、操り人形のように、自らの首へ剣を叩きつけるように動く。
しかし、やはり片手では一回で切れないのだろう。何度もその剣を首に叩きつけている。
「ぐごっ、ぐぎゅ、い、でえ、いでえよ、あ、う、わあああああ!!!!」
絶叫を上げながら、泣き叫ぶ男。しかしそんなセリフとは裏腹に、彼の顔には依然として『最上位魅了』によって見える幻覚のせいか、恍惚とした表情が浮かんでいた。そのちぐはぐさはともすると不気味とさえ言えた。
何度も打ち付ける剣は時折外れて、彼の頭に叩きつけられる。
意識はしっかりと保ったまま、それでもその剣を自らの首を切り落とすまで、その反復作業をやめない。
「うわ、こんなこともできるんだ。グロいなー」
この世界に来てから、特技を使おうとするたび、それで出来そうなことがだいたいわかる、という現象に関しては非常に不思議に思うところがあった。
この『最上位魅了』も、相手への命令、などということは「レヴェナント・オンライン」でも出来なかったのである。
ゲームとこの世界では多少の仕様変更はあるのかなあ、という感想が浮かぶ。
「さて、じゃあ次は、と」
ありゃ、と彼女は呟く。周りを見れば、今にも泣き出しそうな顔をしたローブの女と、逃げ出しそうにしているアサシン、それに魔法を放とうとしている男が見える。
その目標は、彩香ではない。
家の中にいる兄たちだ。
その狙いを見抜いた彩香は男の汚さに辟易しながら、『武器変更』のスキルで、今まで何も持っていなかったその手に一振りの長剣を持つ。
男はそれを認めたのだろう、またもや驚愕の表情をするが、もう遅い。
彩香は男の背後に座標を設定してから第五級魔法、『転移』で移動し、すぐさまその男の上げた腕を切り落とした。
「うわああああああっ!?!!!!!??」
ボトッ、と言う腕の落ちる生々しい音がするが、人間の肉を断つ感触は彩香に伝わらない。
彩香の持ちうる武器の中ではあまり強い方とは言えないが、その切れ味の鋭さに由来する攻撃力の高さにはゲームの中でも序盤の長い間恩恵を受けた。
「ベラ・ラフマ」と言う名前のついたこの長剣は彩香のお気に入りの剣である。
ゲームの中ではもちろん魔法を使うのが本職の彼女だったが、その身体能力の高さゆえに戦士職としての立ち回りも状況によっては切り替えることができた。
これが、彼女が最強クラスのプレイヤーである、と言われた所以の一つでもあった。
月明かりに、剣についた鮮血がぬらりと光る。
腕を抑えて地面を転がり回る男に、不快げな目を向けて告げる。
「腕がないからって魔法が発動できない、なんてことはないと思うんだけど。ああ、それと、そこの逃げ出そうとしてるお二人さんは逃がさないからね」
言うや否や、『束縛』を二人に向けて放った。
途端、彼らの動きが止まる。
「これでしばらくの間は動けない、っと」
声さえも出せなくなった哀れな男女を見て少しだけ嗤った。
そこで、彩香は一つ思い当たる。
兄はこの世界の情報を欲していたことを。
そうであるならばこの二人は生かしておくか。
そう考えた彼女は二人を生かすことに決め、殺すべき下に転がる男を見る。
男はギョッとしたように慌てて距離を取り、今までとは逆の手で魔法を放とうとして、言う。
「畜生が!!!!!てめえ、一体何モンなんだってんだよ!?なんでいきなり剣が出てきた!?何故いきなり俺の背後に現れた!?それにその剣はなんだってんだよ!!!強化魔法をかけた俺の腕がただの剣で切り落とせるわけねえだろ!?」
男は口の端から泡を飛ばして言う。
その外見はかなり若いものと思われてた。兄と同じくらいかな、と言う印象を受けるが、それにしてはやや老けている気もする。
「えーっと、彩香って言います、よろしくー。あんな程度の武器で切れちゃうんだね、その腕。私もびっくりしたよ」
男は一気にヒステリックになった。
「アヤカ?聞いたことねえよそんな名前!劣等種のくせに名前なんて持ちやがって!ああもう、わけわかんねえ!畜生畜生畜生!てめえは絶対許さねえ!吹き飛んじまえ!『低級爆破』ッッッ!!!!」
男の手の先に大きな魔法陣が広がった。
次の瞬間、彩香を中心とした大爆発が起こる。
一瞬視界が白く染まるが、彩香にとってはなんのことはない、少し暖かく感じる風、その程度の魔法だった。
ただ、自分の知っている『低級爆破』にしては多少威力が強くなっている気がする。この世界での魔法は少々勝手が違うのかもしれない。そう認識を改める。
それでもやはり、彩香には傷ひとつついていない。
立ち込める黒煙と土煙が辺りを覆う。そのことによる体の汚れの方が、彩香には気になっていた。
痛みも一切感じなかった。おそらく彩香にダメージは入っていないのだろう。そのことにまたひとつ安心する。
「・・・は?なんでお前、アレを食らって、立っていられるんだよ!?」
男が呆然として言う。
「第六級魔法、それも聖遺物によって強化もされているんだぞ!?なぜあれを食らって生きていられる!?」
なるほど、少し威力が強い気がしたのは勝手の違いなどではなく、彼の持っている補助アイテムによるものだったのだ。
「うるさいなあ、あの程度の強化ごときで調子に乗らないで欲しいな。まあでもそのアイテムとやらは欲しいかも、ね」
「はあ!?何言ってんだ!このアイテムを渡せるわけねえだろうが!」
「あ、そう。なら殺して奪うしかないじゃんね」
もう、男と会話する気は無かった。
次にすべきは、自身の魔法の威力を確かめる作業。
なら、少しずつ威力を上げていくのがいいだろう。
「うん、もう話す気しないや。実験台になって有意義に死んでね」
「は、おいちょっとま———」
「・・・第三級魔法、『落雷』」
彩香がその魔法を唱えると、男の上方、天高くに魔法陣が形成される。
そして、そこから降り注いだ稲妻が男の残った左腕を正確に撃ち抜いた。
空気を強引に引き裂く電気が出す轟音が周りにいるものの聴覚を一瞬奪う。
第三級魔法、『落雷』。
指定した場所に撃ち落とすことも可能な優れ技で、彩香も中ボス戦などでよく使っていた。
もちろん、アップデートによってこの魔法の上位互換なる魔法が追加され、使う機会が減っていたのだが、懐かしさもあって使ってみることにしたのだ。
「ま、こんな機会じゃないと使わないしね。コントロールもちゃんとついた、と」
「が・・・あ・・・」
両腕を失った彼は、痛みに朦朧としているのだろう。
ヒューヒューという荒い呼吸を繰り返す男。
男はまた、うわごとのように何か呟いている。
「馬鹿な・・・第三級魔法など・・・我が師匠でさえ使っているのを見たことがない・・・」
それを一切無視した彩香は、こちらもまた呟く。
「じゃあ次、第二級魔法行ってみよっか。第二級魔法『地獄の業火』」
「第三級魔法以上・・・だと・・・!?サキュバスが・・・?ありえない・・・!!」
そんな声をあげる男に慈悲を与えることもなく。
その男の立っていた地面に魔法陣が広がり、そこからたちまち灼熱の、赤熱したマグマが噴き出してきた。
「うがああああ!!!!!熱い、熱い熱い熱いいぃぃぃぃい!!!」
見れば本当に熱そうで、その両足は焼けるどころか溶けはじめているのだ。
あたりには灼熱による熱気が放射されていて、地面に生えた草は焦げ付いているものもあった。先ほどの爆発魔法より、こちらの方が暑く感じる。
魔法の、やや短い発動時間が終わった後に残ったのは、両手足を失った残骸だけである。
それがかろうじて一命をとりとめていた。
今にも絶えそうな呼吸をする彼に、最後の慈悲を、彼女は与えた。
「それじゃあ残念だけど、最後だね・・・」
「やめろ・・・やめてくれ・・・・俺が悪かった・・・!!」
か細い謝罪の声が聞こえる。
だが、それももう遅い。
「さようなら。第一級魔法、『無間地獄』」
幻覚系魔法の中でも最上位クラスに位置していたこの魔法は、運営の設定としては、「この世の全ての苦しみを幻覚として体感させる魔法」、と言う大変悪趣味な魔法になっていた。
ゲーム内での効果は、幻覚魔法のくせにかなりのダメージを与え続け、さらにMPも削って、相手がプレイヤーであればしばらく操作不能、という、対策さえされなければなかなか強力な魔法だった。
それはこの魔法を使おうとした時に再確認できたのだが、運営の設定しているものよりもっと悪趣味な魔法に仕上がっていることが彩香にはわかった。
どうやら一度この魔法にかかれば、人間ではもはや考えられないような、まさに地獄のような拷問を、同時並行して味わわされる、と言った効果を持っているらしい。
あれほどまでに弱っていたはずの男があげる絶叫が、静かな森のざわめきの中をこだまする。
いったい彼はどんな夢を見ているのか、彩香にはわからなかったし、想像もしたくなかった。
森は、戦闘前の静けさを取り戻す。
周りを見渡せば、いつのまにか息絶えたのか、片手斧を使わずに死んで行った男が地面に転がっている。
さらに、先ほど『拘束』をかけたアサシン風の男とローブの女とが、震えることさえ叶わずに動きを止められて放置されている。
そんな彼らをを、逃げ出さないよう、そして情報を吐かせるために、『最上位魅了』にかけてから、命令した。
「『私に絶対服従せよ』っと」
効果はやはり抜群で、意思を失った木偶人形のように、二人は恍惚の表情を浮かべながらついてきた。
気分のいい夢を見ているのかもしれない。
手柄を立てたような気分の彩香は、玄関に立ったまま依然として呆然と立ち続けている兄とエルフに向かって言う。
「ね?余裕だったでしょ?」
と。