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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第5幕 神の使者
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 トウコの料理の腕は一流だった。


 高級レストランでフルコースにも劣らない味と量で、しまいには、美聖は有難いのか、申し訳ないのか分からなくなってしまった。

 しかも、二人とも、円の誕生日プレゼントまで用意してくれていて、何処で聞きつけたのか、降沢は円が欲しがっていた恐竜のフィギュアを、トウコは、画材屋に行かないと置いてないような、珍しい水彩色鉛筆をケーキの後に、そっと渡してくれた。

 ご満悦の円は、恐竜のフィギュアで絵を描きたいと言い出して、アルカナの庭に、トウコを引き連れて丁度良い背景探しの旅に出て行ってしまった。

 どうやら、降沢に触発されて、自分も絵を描きたいと思っていたらしい。

 トウコのチョイスは、見事に的を射ていたようだった。


「結構、陽も落ちてきましたし、トウコさん、寒くないのでしょうか?」

「円くんは?」

「あの子は、今日は厚着させてますけど、トウコさんが心配です」

「ああ、浩介だったら、大丈夫ですよ。君がくれたマフラーもあることですし」


 降沢は早速、美聖が贈った紺色のマフラーを首に巻いていて、にこにこしていた。


「降沢さんには、すごく喜んで頂けて」

「浩介とお揃いというのは、複雑ですけど……とっても嬉しいです」

「すいません。悩んだ挙句、いっそ、同じ物が良いと思っちゃいました……」


 本当は別々の物にする予定だったが、考えているうちに訳が分からなくなって、無難なところで落ち着いてしまった。

 それにしたって……。


(降沢さんだって、マフラーの一枚や二枚くらい、持っているだろうに……)


 以前、水晶を一粒プレゼントしたときも、降沢は飛び跳ねるくらい喜んでいた。


(基本的に……降沢さんって、子供みたいな人なんだよね)


 円と同じような対応をしていれば良いのではないか……と、たまに感じるものの。

 それでも、彼は大人の男性で、美聖の心を乱す唯一の人だから、困っているのだ。


(しかも、今……二人きりなんて)


 トウコが気を利かせたのか、必然的にこうなってしまったのかは分からない。

 ただ、微妙な緊張感を抱きつつ、美聖は後片づけをしながら、改まって降沢に声をかけた。


「降沢さん、円がこんなに嬉しそうなところ、私、初めて見ました。今日は、本当にありがとうございました」 


 微妙に声が上擦っていたが、きっと大丈夫だろう。


「いえいえ。僕も楽しかったですよ。なかなか、子供と関わる機会ってありませんから。感性を刺激されるって、言いますけど、本当にその通りですよね」 


 降沢は白い紙に鉛筆で、恐竜を描こうとして、悩んでいるようだった。

 円に強請られてしまったのだ。


 恐竜の絵を描け……と。


 自発的に絵を描くことは、降沢にとって意外に難しいことなのかもしれない。


「降沢さん、円のおかしな要求については、別に無理しなくても大丈夫ですからね」

「…………面倒じゃありませんよ。他でもない円くんの頼みですからね」

「いつの間に、そんなに仲良くなってたんでしょうね……」


 美聖は、鉛筆を動かそうとしている降沢の横顔をしげしげと眺めた。

 白い紙に、長い睫を伏せて、真摯に向かい合っている降沢は男性なのに、綺麗だ。

 同時に、どこか儚げでもあって、つい手を伸ばしたくなる。


「……えっ、何です?」


 ふいに、降沢が顔を上げる。

 伸ばしかけた手を、美聖は慌てて背中の後ろに引っ込めた。

 見惚れていたなんて、恥ずかし過ぎて、言えるはずがない。


「いえ……。円が言っていた男の約束って、何なのかなって、思って……?」

「それを言ったら、約束にならないじゃないですか……」

「……そうかもしれませんけど」

「まずは、円くんに気に入ってもらわないといけませんからね。地固めは大切です。怪獣の一体や二体くらい、描きますよ」

「怪獣と恐竜は、だいぶ違いますよ……」


 降沢の言葉は、日本語のはずなのに、よく分からない時がある。

 何となく、降沢の白皙がほんのり赤く上気しているように見えたので、美聖は違う意味で焦ってしまった。


「あっ、降沢さんこそ、トウコさん以上に薄着ですけど、体調は大丈夫なんですか?」

「えっ、むしろ、僕、絶好調ですけど?」

「本当ですか? 降沢さん、絵のことになると、集中して何も見えなくなるから、すごく心配です。円の頼みなんて、適当でいいんですからね」

「まあ、今までは、ちょっと入れ込みすぎて、倒れることもありましたけど。でも、最近は僕なりに色々と描き方の研究を始めて……だいぶマシにはなってきたんですよ」

「どうだか……。今回は、たまたま上手くいっただけですよ。時間を区切って描いたとしても、毎日ぶっ通しでしたら、体の消耗は半端ないと思います。もっと上手く……効率的に」

「………………君、知っていたんですか?」

「……あっ」 


 降沢がじっとりと、美聖を見上げていた。


 …………失敗した。


 話題にするつもりもなかったのに、つい口が滑ってしまったらしい。

 今更、引くに引けない美聖は、早口で言葉を浴びせた。


「……そっ、そりゃあ……。分かりますって。そういうことは……。他でもない、貴方のことですから」


 自分の口から、そんな率直すぎる台詞が飛び出してくるなんて、びっくりだ。

 美聖は空いた皿をキッチンに運ぶことで、降沢から離れようとした。

 ――なのに。

 降沢が美聖の後ろを追って来る。

 流し台に皿を置いたところで、彼に追いつかれてしまったので、美聖は笑って誤魔化そうと躍起だった。


「もしかして、浩介から、聞いたんですか?」

「違いますって。最終確認はしましたけど。でも……私には……分かってました。降沢さんが何を考えているのかは、いまだによく分からないんですけどね。でも、降沢さんがやろうとしていることなら、何となく分かるんですから」

「……そうなんですか」


 降沢が虚をつかれたような、半ば呆然とした面持ちで美聖を見返していた。 

 少しだけ降沢を出しぬけた感じがして、美聖は気分が良かった。


「……そういうことですから、改めて、ありがとうございます、降沢さん。姉に代わって、私から礼を言います」

「一ノ清さん」

「姉は……きっと、少しは皇って人のことを想っていたんでしょう。だから、降沢さん……手加減してくれたんですね。あの人に後悔させるように仕向けてくれた……?」


 美聖は、気づいていた。

 降沢がただ、あの映里の最期の絵を描いて、満足するような人間ではないことを……。

 皇の事務所に搬入されていたのは、降沢の絵だろう。

 後日、トウコに問いかけたら、彼は秘密の話だとして、教えてくれた。


 降沢がもう一枚、皇に送りつける時限爆弾のような絵を制作していたことを……。


 そして、その制作現場を絶対に美聖には見られないように、配慮していたことまで、聞いてしまったのだ。


「どうでしょう。手加減……なんでしょうか。ただ、僕が同調しすぎて、これこそが彼に有効な復讐方法だと、憑りつかせた人の魂から、思わされただけなのかもしれません」


 降沢は目を伏せて、苦笑する。

 美聖はそういう降沢だから、安心しているのだ。

 彼は決して、奢らないから……。


「それでも、ありがとうございました」

「……いえ、どういたしまして」


 美聖がぺこりと頭を下げると、降沢も同時に頭を下げる。

 しかし、顔を上げた瞬間、美聖は今までの笑顔を維持できなくなっていた。


「でもね……。降沢さん。……こういうことは、二度としないで下さいね。……いつか、降沢さん自身が駄目になってしまうかもしれません。そんなこと、絶対に嫌ですから。前にも言いましたよね。私は心の底から降沢さんのことを心配してるって」

「ええ、聞きましたけど。本当に? 君は心配……してくれているんですか。僕なんかのことを?」


 降沢が眩しいものでも見るように、そっと目を細める。

 今更の質問だった。


「当然じゃないですか!」


 思わず、声を荒げてから、美聖は口を押えて、もごもごと独りごちた。


「本当は、今、ここでそんなことを言いたくはなかったんですけど。気づかないフリをしておいてって、トウコさんとも約束したんですけど……。黙っているのって、どうも駄目みたいで……」


 結局、美聖は秘密が守れなかった。

 降沢が心配なのだ。

 トウコは、ここまで織り込み済みだし、たまにあることだから、降沢の身体は大丈夫だと話していたが、美聖には耐えられそうもない。


「……君、本当に嘘がつけない人なんですねえ」

「ええ、本当に……。占い以外じゃ、てんで駄目な人間なんですよ。すぐに顔に出てしまったり、せっかく上手く隠していても自分で暴露しちゃうなんて、本当に情けない」

「はははっ」


 降沢が声を上げて、笑っている。

 かあっと、美聖は顔を赤らめた。

 多分、その一瞬の表情で、彼に惹きこまれてしまっている自分がいる。


「ふ、降沢さん……私」


 美聖は膝丈ワンピースの裾を鷲掴みした。

 とくんとくんと、うるさい心臓の音がバックミュージックのように、美聖の中で鳴り響いていた。


「わ……私、きっと、すぐ顔に出てしまうし、態度にも出ちゃうし、本当に分かりやすくて。その実、捻くれているから、やっぱり降沢さんみたいな人は無理だとか勝手に葛藤して、変に距離を取ろうとしたりして……。今回の件では、多大なご迷惑をおかけしてしまったと思うんですけど……」

「えっ……。いや、別に僕は」


 降沢が目を丸くして、突っ立ったままなので、美聖の緊張度数は、マックスに膨れ上がろうとしていた。


(……もしかして、これって、フラれるフラグ?)


 ここまで突っ込んでも、美聖が言わんとしていることを、彼は欠片も感じ取ってないらしい。

 成るようになれとばかりに、美聖は、目をつむって深呼吸をした。


「きっと、降沢さんには、バレバレだと思いますけど。私は…………初めて会ったときから、ずっと……ずっと降沢さんのことが!」


 ――好きだ……と、告げる直前で、しかし、俊敏な小さな影が降沢のすぐ横に現れていた。


「えっ?」


 円が「ひひひっ」と、本格的な小悪魔のような笑声を上げながら、降沢の白い袖を引っ張っていた。


「降沢の兄ちゃん……。机の上の紙と鉛筆、借りていってもいい?」

「えっ……あっ……はい、どうぞ、お好きに」

「ありがとう! あのな、俺、すげー良い場所発見したんだ。兄ちゃんも見に来る?」

「それは、すごいですね。でも、絵が仕上がった時にまた教えてください。すぐに行きますから」

「おおっ! 上手く描けたら、兄ちゃんの誕生日プレゼントにしてやるからな!」

「ありがとうございます。楽しみにしています」


 降沢が優しく微笑みかけると、トウコが待っているから戻ると言い放って、跳ねっ返りの弾丸のように円が去っていってしまった。


「降沢さん……あの……」

「ああ、すいません。それで、君の話の続きを……」

「それは、その……」


 そんな明るいテンションで、今の告白劇を再開するように、促されても困る。 

 いや、何より……。

 美聖は震える声音で、尋ねた。


「降沢さん、円が言ってた誕生日プレゼントって、どういうことでしょうか?」

「ああ、浩介が喋ってしまったんでしょう。まったく口止めしておいたのに。……アイツは」


 降沢は億劫そうに、溜息を吐いた。


「僕、実は十二月生まれなんですよ」

「…………えっ、そ、そうだったんですか!? 何日ですか!?」

「上旬だった……かな」


 美聖は、おおいに狼狽えた。

 もう、とっくに終わっているではないか……。


「そんなこと。だって、あれから、何度聞いても降沢さん教えてくれなくて。私、ちゃんとお礼をしたかったんですよ」

「別に、誕生日なんて、わざわざ言うことでもないでしょう。もう三十も過ぎているんですから」


 ――そんなことはない。

 知っていたら、美聖は張り切って降沢の誕生日プレゼントを用意しただろう。


(このネックレスの分くらいは、返したわよ)


 トウコに聞いても、笑ってはぐらかされてしまったのに、まさか、こんな形で知るとは、残酷だった。


「降沢さん、後でちゃんと、プレゼントしますから……。もう少し、待っていて下さいね」

「いりませんって」

「私があげたいんです」


 美聖はおもいっきり眉間にしわを寄せて、念押した。 


(…………今日は、日が悪いんだわ。きっと)


 これからのためにも、九星気学を勉強した方がいいかもしれない。

 九星気学とは、生まれた年月日、干支、木火土金水の五行を組み合わせた占術である。

 日取りと方位の鑑定には、最も優れているはずだ。


(そうだわ。次は気学を勉強しよう。それで、日取りを調整してから、告白するという流れで良いんじゃないかしら? もうかなり先になっちゃうけど)


 美聖は腰砕けになりそうな自分を必死で支えながら、洗い物に専念しようと水を出した。

 新品のワンピースを濡らしたくないから、エプロンをしてからにしようと思っていたが、それも、もうどうだっていい。


「一ノ清さん?」

「ああ、降沢さん。机にまだ空いたお皿があるようでしたら、持ってきていただいてもよろしいですか? 私、洗っちゃいますので……」

「…………一ノ清さん、聞いてもらいたいことがあるんですが……って、聞いてます?」

「はい、ちゃんと聞こえていますよ。聞いてますから、降沢さん。どうぞ、続けて下さい」


 蛇口の水を調整しつつ、美聖は曖昧に笑った。

 口では、そんなことを言っていたが、降沢の話は聞いてるようで、ほとんど耳に入ってなかった。

 自分のことで、精一杯だ。

 完全に勢いをそがれてしまった状態で、今更、告白なんて一世一代の大勝負をすることなんて出来やしない。

 この微妙な不完全燃焼な気持ちを、美聖はどうやって立て直したら、いいのか……。


(今の告白は、なかったことにして、次回の私に期待して下さい)


 降沢のことだ。

 あの……きょとんとした様子からして、美聖が告白をしようとしてたなんて……露ほども思っていないだろう。


(次に向けて、頑張ろ……)


 ――などと。


 一人で完結していた美聖は、降沢をよく分かっていなかったのだ。

 降沢は「愚者」のイメージだと、先ほどトウコから聞いたことを、すっかり失念していた。

 そして……。

 直後に、降沢を侮っていたことを、美聖は身を持って思い知るのだった。

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