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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第5幕 神の使者
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「……でも、意外にも連也さんは引き下がらず……、悪人ではなかった。姉は困ってしまったはずです」


 ワガママに振る舞っても、連也は子犬のようについてきた。

 映里には、よく分からなくなってしまったのだろう。

 だが、時間がない皇は、次の台本を映里に用意した。


 ――別れてくれなければ、飛び降りる……と。


 そんな素振りを見せたら、きっと連也は慌てるはずだ。

 連也の洗脳を解くためにも、必要なことなのだと言葉巧みに映里を説得した。


(ゲームのつもりだったんだ……)


 映里には、飛び降りるつもりなんて、なかった。

 昔のように、ちょっと階段を飛び降りたような気になっただけで……。


「あの雑居ビルの屋上……パラペットがあるんです。結構幅広で頑丈な……。降沢さんは、それを見た時に、もしかしたら……お姉ちゃんは、ここ目がけて落ちたフリをしたんじゃないかって、思ったそうです」


 降沢は絵を描く中で、何を視たのか話してはくれなかった。

 だけど、それだけは、美聖に教えてくれた。

 飛び降りたふうに見せかけて、隠れることもできるパラペットがある……と。

 彼はあの段階で、その可能性を考えていたのだ。

 美聖は怖くて、あのビルを見上げることも、見下ろすことも出来なかったのに……。


「そんな馬鹿げた話、円くんに聞かせるのは、酷な話だと思いますけど?」


 皇は不毛な時間だと思っているのだろう。渋々、小切手を内ポケットに収めて、立ち上がろうしとたものの……。

 円の黒い双眸がじっと皇を捉えていた。


「……俺は、知りたい。ママが死んだ理由。みっちゃんママが全部、教えてくれるって言ったから」

「…………円」


 父と二人、真ん中に座っている円を見下ろした。

 円はこの場の誰よりも、毅然としているようだった。


「気丈な子ですね……。小さいのに、感心してしまうな」


 皇は不機嫌そうだったが、しかし……再び、ソファーに座り直した。

 意外に、子供には優しいようだった。


「円くん……。申し訳ない。ママの死は、事故だったんだ。確かに、私はお兄ちゃんとは一緒にいて欲しくないと、君のママに頼んだ。でも、それ以外、私は何も知らないんだよ」

「……でも、貴方は姉の最期の場面にいたでしょう?」

「何を根拠に?」

「貴方は、これを…………」


 美聖は持参した肩掛けのショルダーの中から、ふくさで包んだ映里の遺品……。

 タロットカード「女帝」のカードを取り出した。


「これを、お姉ちゃんに握らせたのは、貴方ではないですか……」

「何ですか。そのカードは……?」

「西河マリアが顧客に渡している、タロットのキーカードですよ」

「ああ……。そういえば、そんなカード、ありましたね。私も貰ったことがありましたよ。……で、それが、どうしたと言うのです?」

「…………皇さん」


 美聖は、溜息を吐いた。

 本当は、皇自身の口から話してもらいたかった。

 どうせ、連也の父、日下部誠一のためにやったのだろう。


 ――連也が女性を、言い争いの上、ビルの屋上から突き落としてしまった。


 日下部誠一氏は、連也の言葉よりも皇の言葉を信じる。

 そこで、何かあった時の保険のために、西河マリアに目が向くように、映里が彼女から貰ったタロットカードを握らせて、恩を売った。


(そうなんじゃないの……?)


 ……だって。

 映里の最期の記憶に、皇がいたことは間違いないのだ。


 その弁護士徽章を、降沢が描きたいと思った理由も、そこにある。

 映里は、その徽章を掴もうとして、出来なかった。

 その場面を、美聖は降沢の絵から直感した。


 ――仕方なかった……とか。弁明でも、何でもいい。


(何か……)


 だが、皇は薄笑いの仮面をかぶったままだった。

 彼は結局、変わらないのだろう。

 この先、いつまでたっても……。


「皆さん、せっかく、遠い所からいらして頂いたのに、申し訳ありません。私は仕事がありますので、そのような蒙昧な話でしたら、相手にはしていられません。どうぞ、今日はお引き取りを……」

「美聖…………」


 父が膝の上で、強く拳を握りしめていた美聖を、気遣わしげに呼んだ。

 まだ何か出来ないか……。

 その手段を探る前に、皇が口を開いた。


「……ああ、それと、美聖さん」

「何でしょう?」

「先日お会いした、貴方のご主人の本当の名前は、降沢在季さんだったんですね?」 

「はっ? ご主人?」


 目を剥いた父には構わず、皇は怪しげな微笑を湛えていた。


「何でも、降沢先生は、噂の……黒衣の宰相さいしょう殿と親しい画家さんなのだとか?」

「えーっと? 黒衣の……宰相って? 江戸時代の坊さんのことですか?」

「いえいえ、お父様。金地院崇伝こんちいんすうでんとか、天海てんかい僧正じゃありませんよ。……ああ、でも、ある意味、現代の天海……かもしれませんね」

「………へっ?」


 金地院崇伝こんちいんすうでんも、天海僧正てんかいそうじょうも江戸時代初期の徳川家康に仕えた僧侶だ。

 天海は特に有名で、徳川家康の孫の家光には、尊崇されていたらしい。 

 美聖も、そのくらいの知識は持っている。

 しかし、今回の場合、皇は間違いなく、理純の父、恵慧師のことを指しているようだ。

 美聖もいまだ会ったことがない、トウコの幼馴染理純の父。

 誰も何も美聖には言わないが、今回、色々と裏で動いてくれたようだった。

 これほどまでに、有名人だったとは……。


(いや、政財界に知り合いが多いって、そういうことなんだろうけど。黒衣の宰相って、すごいネーミングだわ) 


 暗号のような会話についていけない父を放って、皇は話を続けた。


「日下部先生も、いまだに一度も面会すらしたことがないのに、このお坊様には、随分と心酔されているようでしてね。私は、西河先生で懲りましたので、そういったことは、一切、信じないのですが……。貴方の方こそ、気を付けた方が良いのでは?」


 皇は柔和に声音に毒を潜ませて、美聖に呪いをかけた。


「…………己の身の丈以上の人との関わりは、貴方を破滅に招きますよ。貴方は、ただ円くんのため、小遣い程度に、占いをしているのが宜しいかと思います」


(この男……)


 どうせ、皇は、最初から西河マリアのことなど信奉していなかったはずだ。


(西河マリアより、はるかに自分の方が優れていると、思っていたくせに……)


 この短時間で、美聖の主張には耳を貸さず、こちらの心をかき乱す言葉の刃を浴びせてくる。


(分かっているわよ……)


 降沢と自分が釣り合っていないことなんて、最初から百も承知だった。

 だから、きっと、少し前の美聖だったら、その言葉に大いに揺れて、泣きだしそうになりながら、この場を去っただろう。


 …………しかし。


(今は違う……)


 今までの美聖ではない。

 もう、そんな悩みも、苦しみも、走り抜けたところに自分はいる。

 理純の言葉が、脳裏で蘇った。


 降沢在季と一緒にいる方法は、一つ。


 ――――揺れないこと。


 美聖は、毅然と背筋を伸ばして、艶やかに微笑んだ。


「皇先生。ご忠告、有難うございます。……でも、私は今が幸せなんですよ。余計なお世話です」

「…………ほう」


 皇は意味ありげに、顎を擦った。


「そうでしたか……。それは、大変失礼いたしました」


 目元の笑い皺を深く刻み、どこか達観したような薄い笑みを浮かべる。

 その仕草が降沢に似ている。


(やっぱり……)


 二人は、どこか似たような空気を放っている。

 根源的なところで、繋がっている何かがあるのだろう。

 だけど、降沢は自分の目的のために、人を利用するなんて真似は絶対にしない。

 むしろ、すべて分かった上で、利用される側を選ぶはずだ。


 ……そういう人なのだ。


「さっ!」


 美聖は軽く息を吐くと、未練を断ち切るように、すっと立ち上がった。

 長い髪がさらりと音を奏で、膝丈の白いフレアスカートがふわりと揺れた。


「行きましょう。……お父さん、円」

「えっ……。しかし」


 もたもたしている父には一瞥もくれず、美聖は「失礼しました」と、皇に一礼すると、円の手を引っ張りながら、廊下に出て行った。

 すたすたと歩き、丁度停まっていたエレベーターに飛び乗る。

 走って追いかけてきた父が、息を切らして問いかけた。


「おい、いいのか? 美聖……お前は」


 ――いいはずなんてない。


 だけど、これ以上、皇から言葉を引き出すことは出来ない。

 証拠もなければ、皇の背後には著名な政治家が控えている。

 何も持たない、美聖の出来ることは、限られているのだ。


(……でもね)


 美聖は、閉まっていくエレベーターの扉の隙間から、横目で搬入業者の姿を確認した。

 自分には、霊感なんてものはない。

 だけど、あの人のことだけは、分かる。そう……自負していた。


「どうしたの? みっちゃんママ……」


 怪訝そうに、円が絡めていた手を握り返して来たので、美聖は微笑みを作って、円の目の位置にしゃがみ、その手を両手で包みこんだ。


「………………大丈夫よ。きっと、これだけじゃ、終わらないわ」

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