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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第5幕 神の使者
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◆◇◆



 沙夜子先輩と私はある意味、世間から逸脱した者同士、上手くいっていた。


 私は霊能があることを、誰にも……先輩にすら告白をしなかったが、沙夜子先輩もまた霊感体質の従弟のこと以外、家庭のことは余り話したがらなかったので、お互いに居心地の良い関係を維持することができたのだ。


 本当は画家一本で生きていきたいけど、自立はしたいから高校教師になると、得意げに語ってくれたあの頃の先輩は、輝いていた。


 そんな二人の関係に変化があったのは、私がまったく違う職種をころころ変えていた頃だった。


 沙夜子先輩と余り会えなくなった。


 お互いの誕生日を祝い合うくらいは、仲良くしていたのに、一年に一度の機会ですら、先約が入ったとか、具合が余り良くないとかで、顔を合わせる機会が極端に減っていった。 


(仕方ないわよね……) 


 彼女は公務員で、私は職を転々としているニートのようなものだ。

 二人共、勤務体制も違うし、何より沙夜子先輩だって、いい歳なのだから、彼氏くらいいてもおかしくない。

 出来たら、彼氏が出来たことを祝ってあげたかったけど、沙夜子先輩が言わないのなら、私も無理に聞きだそうとは思わなかった。

 忙しい毎日に追われて、自分の行く末だけを考えて働いていたら、あっという間に、彼女と会わなくなってから、三年の月日が経過してしまった。

 その頃、結局、自分の特異な体質から逃れることはできないのだと観念した私は、大々的に占い師の仕事をスタートさせていた。

 そうして、沙夜子先輩と会わなくなってから、入れ替わりのように、腐れ縁でつるむ機会が多くなった理純のもと、私は精神修行を積んでいた。

 だからかもしれない。

 私の勘は異様なくらい、鋭くなっていた。



 先輩と最後に会った日から、およそ三年以上の月日が経った梅雨のある日だった。



(そういうば、沙夜子先輩は今どうしているんだろう?)


 ふと、思い出した時、沙夜子先輩から、メールが入った。


 ――今すぐ、会いたい……。


(珍しいわね。短文なんて。何かあったのかしら?)


 なにやら、胸騒ぎがした。

 いつも、彼女から届くメールは長文で、絵文字が踊っていて、私は彼女に会う日が待ち遠しくなるのに、どこかおかしい。


 そっけないくらいシンプルなメールには、会いたい理由すら、書いていなかった。


 その日、たまたま休みだった私は、意を決して、メールに添付されていた沙夜子先輩の一人暮らしをしているアパートに向かった。

 彼女は私が知らないうちに、引っ越していたのだ。



 彼女の住まいの近くから、激しい雨脚と同じくらいに、不安感が膨らんでいた。


 薄暗い鬱蒼とした場所に建っていたアパートの一階……表札の降沢を確認してインターホンを鳴らすが、誰も出てこない。


(……寒いわね)


 にわか雨にずぶ濡れになった私は、大きな体を震わせながら、ノックを繰り返した。

 しかし、反応はなかった。


「沙夜子先輩! 一体、何なんです。遠藤浩介ですけど? メール見て来ました。開けてくれませんか!?」


 ……と、そこで、激しく私はくしゃみをした。

 このままでは風邪を引いてしまうと、ドアノブを捻ると、そもそも、玄関の鍵がかかっていなかったらしい。私はすんなり一室に足を踏み入れることができた。


「……あのー…………沙夜子先輩?」


 カビの臭いに口元を押さえ、乱雑に積みあげられた彼女の作品たちを押しのけつつ、部屋の全容を掴もうと前に進む。

 白いカーテンが、雨水を散らしながら、部屋の中で激しく波打っていた。

 吹き込んでいる雨は、絵画にとって絶対的な悪条件のはずなのに、彼女はなりふり構わず一心不乱に絵と向かい合っている。

 自慢だった長い髪は乱れに乱れて、寝間着のようなワンピースは、いつから洗っていないのだろうと思うほどに汚れていた。

 以前は、写実画が多かったのに、彼女の描く世界はここ数年で、抽象画に変わっていた。

 白と赤、原色をそのままに、荒いタッチで筆を操る。

 その姿は、まるで悪鬼のようだった。

 彼女に群がる黒い影の数々。

 一人では、祓い落とせないほどの凶悪な存在の影に、私は一瞬怯え、歯を食いしばって前進した。


(どうして……沙夜子先輩が、こんなことに!?)


 彼女は、一切の穢れを受け付けない、清らかで、強い人だったはずだ。


 ――それなのに。


「沙夜子先輩っ 駄目よっ! ひとまず、それ……描くのをやめてっ!」

「な、何よ。誰っ!? 何をするの!? やめて!?」


 私は強引に彼女から筆を奪った。

 悲鳴は無視だ。通報されたら、その時考えればいい。


「私を見て下さい! 先輩っ!」

「やっ!?」


 力尽くで羽交い絞めにしてから、無理やり、沙夜子先輩の顔を自分の方に向けさせた。


「…………あっ」


 荒い呼吸の中で、振り返った沙夜子先輩は、大学時代と同じ炯々とした目を私に向けた。

 ……しかし、目の下の隈が酷い。幽鬼のようだ。

 彼女の漆黒の瞳の奥に潜む者の正体を、私は見過ごすことができなかった。


「あ…………、遠藤君じゃない? 久しぶり……ね」

「はっ?」

「何で? 君がここに来たの?」

「だって、先輩からメールで今すぐ会いたいって……?」

「私は、君に連絡なんてしていないわ」


 そして、彼女は、よろけながら、私の手を離れて、立ち上がった。

 絵の具が血の色のように固まって、彼女のワンピースを汚している。

 生白い手足は、やせ細っていて、骸骨のようだ。

 綺麗と禍々しさの境界にあるような、絶対的な圧倒感。


「さあ……早く絵を完成させなくちゃね」


 ひたすら、うわ言のように繰り返している。

 明らかに、彼女の様子は常軌を逸していた。


「……先輩、学校は? 仕事は?」

「………………」


 いくら待っても、返事がない。

 聞こえていないのか、あえて、聞こえないふりをしているのか……。

 沙夜子先輩は、キャンバスを嬲るように、筆を叩きつけているだけだ。

 ピカッと光って、雷が近くに落ちた。

 一瞬の光に当てられた彼女の横顔は、鬼気迫るほどに、凄絶に美しかった。


「ねえ……。先輩、今まで会わない間に、何があったのですか?」 


 予想はしていたけど、答えは返って来ない。


(ああ、そうだ。そういえば、確か……)


「沙夜子先輩、年下の従弟さんは、どうしているんです? 彼とは仲が良かったんでしょう? ほら、機会があったら、私に会わせたいって話していたじゃないですか?」

「…………知らない」

「……えっ?」


 その質問には、間髪入れずに回答があった。

 だから、私は更に問いかけを重ねることにした。


「知らないって、彼のこといつも自慢していたじゃないですか。十歳年下のイケメンだって……」

「さあ? だって、もう、ずーっと会ってないもの」

「どうして?」 


 やがて、彼女は筆を止めて、ゆっくりと私の方を向いた。


 くすりと、肩を竦めて笑っている。

 それはかつてのような、清々しいお日様のような笑顔ではなく、傷ついて歪んだ暗い微笑だった。


「…………だってね。在季ったら、私より絵が上手いんだもの」


 もしも、悪魔がこの世にいたとしたのなら、聖女のような彼女を堕とすことに、きっと快感を覚えるのだろう。


(ああ、私はなんて、愚かな……)


 彼女は私がいなくても、きっと大丈夫だと思い込んでいた。

 だけど、きっと誰よりも気高く、強い女性だからこそ、他の誰より脆い人だったのだ。


(どうして、もっと連絡をこまめにしなかったんだろう。何で、私は過信してしまったんだろう?)


 後悔したところで、手遅れだった。


 それから、理純や恵慧師に頼み込んで、彼女の闇を祓ってもらった。

 けれど、その時には、彼女の病は手が施せないほど進行していた。

 もう……駄目なのだと、誰の目にも明らかだった。


 ――私は、沙夜子先輩のことが大好きだった。


 男女の情かどうか分からないけれど、彼女は幸せになるべき人だと思っていたし、自分で幸せを掴む人だと信じていた。


『私の従弟にね、在季って、本当に霊感の強い子がいるのよ。何とかしてあげたいけど、こういうのって、どうにもならないわよねえ。あの子、繊細で弱いから、私がお姉さん代わりになって護ってあげたいの』


 今、振り返ってみると、それこそが彼女の遺言のようであった。

 正気だった頃の彼女は誰よりも、年下の従弟を可愛がっていた。

 彼の才能を祝福して、同時に心配していた。


(……でもね、沙夜子先輩)


 想像以上に、降沢在季は図太い男だった。

 彼女の言っていた通り、繊細で弱いけれど、我儘で、依怙地で、狡猾で、狙った獲物は絶対に逃さない……。

 護るなんて、バカバカしい。

 誰かがお姉さんどころか、父親代わりとなって、止めてやらなければならない、とんでもない奴だったのだ。

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