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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
幕間 冬
55/67

✿2✿

 正直、この可愛らしいだけの女の子が……と、「アルカナ」で初めて会った時、理純は素直に思った。


 一ノ清 美聖は、長い髪を一つに結って、横から垂らしていた。

 清楚な雰囲気を与える膝丈のスカートだが、Vネックのセーターから覗く鎖骨は、ちょっと色っぽい。降沢の好みのタイプを理純は知らなかったが、毎日、こんな可憐な女性がいたら、単純な男だったら、すぐに意識してしまうのではないか……。


 降沢も、彼女のことは、気にしているようだった。

 それでいて、距離を置こうとしている姿は、近くで見ていると、微笑ましくもあり、痛々しくもあった。


(どうせ、一回、手を出そうとして、拒否られた。そんなところだろ?)


 そのくらいの男女の機微は、察することができる。

 降沢が壊れるレベルでなければ、それでいいのだが……。

 けれど、肝心なところは、読めない。

 店の占い師として、浩介が美聖を雇ったということだったが、彼女は感情が顔に出やすい。

 すぐに赤くなるし、青くなるし、表情がころころ変わる。

 亡くなった姉のことで、悩んでいるようだが、降沢と同様、吹っ切れてない感じが、逆に飲みこまれてしまいそうで怖い。

 更に、彼女の姉の死因を探ることは、嫌な予感がしないのだ。


 ――巨大な闇……。


 話がややこしくなりそうだから、必然的に理純と恵慧が浩介に呼ばれたのだろうけど……。


(まあ、俺はいいんだけどよ) 


 理純や浩介が動くことによって、降沢の意識が変わるのなら、そのくらい力を貸してやっても良い。

 だが、降沢と美聖が共倒れする未来なら、ごめんだ。

 最初から、首を突っ込まない方がいいはずなのに……。


「大丈夫よ! 絶対にね」


 美聖と降沢が西河マリアの講演会に行った日。

 このまま、最後まで付き合うかどうか、浩介に問い質した。

 嫌な予感は、的中しつつある。

 多分、この問題を追い続けていけば、浩介も面倒に巻き込まれるだろう。


 それなのに……。


 なかなか帰って来ない、二人を心配しているくせして、この期に及んで、浩介は強気だった。


「私は、美聖ちゃんを信じている。貴方には分からないかもしれないけど、この半年で、ずいぶんと在季は変わったのよ」

「ふーん。……なら、いいけど」


 ――だったら、仕方ない。


 他でもない、この幼馴染がここまで言い切るのなら……。

 みなとみらいのバーで飲んだ酒代は、浩介の奢りだったはずだ。

 理純は、約束を破るつもりはないのだ。


 それから、理純は美聖と降沢を東京まで迎えに行った。

 美聖を家まで送り、北鎌倉の自宅までの短い距離の間で、降沢は理純に頭を下げた。

 今までの付き合いの中で、考えられない行為だった。


『恵慧師に、表立って動いてほしい』


 浩介に続き、降沢までが父に話を繋げようとしている。


(これは、マジだな……)


 いよいよ、後戻りは出来ないのだと、理純も悟った。

 降沢と恵慧の繋ぎ役は、いつも理純だった。

 この二人は、仲が良いのか、悪いのか分からない。

 明らかに、二人で直にやり取りをすることを避けている。

 それでも、あの強情で、人に頼ることを避けていた降沢が、いじましく頼んでいるのだから、恵慧も嫌な顔はしないだろう。

 そう思って、渋々、恵慧に伝えに走ったわけだが……。


『俺は、やだよ』


 恵慧は、まさかの一蹴だった。

 それは、何度聞いても同じ答えで、取りつく島もない早さだった。

 さすがに、その答えだけでは、降沢も納得しないだろう。


「あの降沢が、俺に頭を下げてまで頼んできたんだぜ。せめて理由くらい教えてくれてもいいだろうが?」

『はっ、まさか、お前には分からねえのかよ。理純』

「何が?」

『馬鹿だねえ、お前は……。今回の主役は、美聖という女性だぜ。降沢でも、浩介でもない。それを、本来なら、第三者のお前が気づくべきところなんだよ』

「さっぱり、分からない……。どういう意味だ?」

『お前は、女を見る目がねえってことだ。こうなったら、一生独身で山ん中で修行してろ。俺が出しゃばったら、馬に蹴られるじゃねえか』

「…………はあっ?」 


 さっぱり意味不明な返答で、終わってしまった。

 いや、ただの色恋沙汰を相談したわけではないのだか……。

 よく分からないものの、坊主にとって、師僧の言葉は絶対なのだから、反論なんて出来やしない。

 もっとも、表立たないのなら、協力しても良いということだったので、降沢にも顔が立ったわけだが、今回の恵慧ちちの対応は、いつも以上に、不可解だった。


(あー……、分からねえ。俺か、俺がおかしいのか?)


 ――女を見る目がない?


 その言葉こそが一番悔しかった。

 何をどう、理純は見る目がないのか……。


 自然、理純は「アルカナ」に通う日が増えていった。

 美聖は、いつも笑顔で出迎えてくれる。しかし、普通だ。

 彼女に特殊能力があるわけでもなく、霊感もそこそこある程度だ。

 その都度、降沢のことをからかうと、すぐに顔を真っ赤にして、仕舞いには、うつむいてしまう。

 単純で平凡な子だった。

 普通の女の子が降沢を相手にするには、荷が重すぎる。

 本人も気づいているはずだ。

 だから、降沢を寸前のところで拒もうとしているのだろう。


(でも、アイツは欲に忠実だからなあ……)


 しかも、あの年まで、恋人がいた時期はあっても、自分から、ちゃんと恋をしたことがないという重々しい感情までセットでついて来るのだ。

 他人事ながら、大変なことだ。


(だって、この子……姉の子供も育ててるんだろ?)


 降沢を好きでいるということは、ある意味、赤ん坊みたいな男を、まともに相手をしなければならないということだ。

 彼女のことを生贄だと降沢が称したらしいが、よく言ったものだと感心してしまう。


(まあ、確かに生贄だろう。下手すると、二人して闇堕ちだ……)


 可愛い美聖を見ていると、癒しにはなるが、理純の心配は尽きなかった。


 ――だが。

 結果的に、理純は恵慧の言う通りだったことを思い知るのだった。


 それは、まさしく偶然の機会だった。


 ……………………理純は、美聖の占い鑑定を目の当たりにしたのだった。


(本当に、この子が人の人生変えちゃうかもしれないことを言えるのかね。まあ、ここに来る客だから、軽い悩み相談くらいなんだろうけど……)


 正直、彼女の占いについては、その程度の認識しか持っていなかった理純だったが、今日はたまたま、半個室の鑑定スペースのカーテンを客が開けていたので、美聖の鑑定に入る姿勢をつぶさに確認することができてしまった。


「それでは、鑑定に入ります」


 その言葉を合図にして、美聖の帯びていた気配ががらりと変わった。

 独特の冷気。

 引き締まった空気感に、理純は息を呑んだ。

 美聖が作る世界は、祈祷前の護摩壇の凛然とした気配に似ていた。


(…………どういうことだ?)


 穏やかで、優しい、お人好しで、単純。

 ただそれだけの普通の女の子……。


 理純の脳内の美聖に対するイメージは、一瞬で脆くも崩れ去った。


 もちろん、彼女は笑顔を浮かべている。

 …………が、表情はキリっと引き締まり、口調からは、力強い意志を感じた。


「まさか……ねえ」


(別人だ。ありゃあ……。でも、憑依で人格が変わっているわけじゃない) 


 占いは、一種の霊媒みたいなもので、憑坐となって、神霊の声を聞くパターンもあれば、わざとオンオフを切り替えている占い師もいるらしい。……が、彼女の場合は、あれが本来の彼女自身の姿なのだ。

 降ってきた結果に対して、自信を持って伝えている。

 あくまで可能性の問題であっても、今の時点ではこうだと、ちゃんと説明を加えていた。


(へえ……。なかなか、やるじゃねえか……)


 密教占星術を強制的に習わされている理純も、彼女のスキルには、舌を巻いた。

 人のことは、分かっても、自分のことは分からない。

 占い師の性かもしれないが……。


(あの子の本当の気性は、荒いんだな……)


 多分、頑固で自分を曲げない。お人好しだが、それだけじゃない。


 ――地に足がついている。


 浩介の見立ては、間違いではなくて、恵慧が言いたいことも、そこだったのだ。

 そもそも、独身でありながら、姉の子供を育てて行こうと、腹を括った女性なのだ。

 弱いはずがなかったのだ。


(何も出来ない子……じゃなかったんだな)


 依頼者に同情はしていても、決して、深い闇に飲まれたりしない。

 相手の為と思えば、強いこともきっちり伝える。

 多分、こういう子がこうと決めたのなら、梃子でも動かないのだろう。

 そして、こういうタイプの女性を、表立ってフォローする必要もない。

 こちらで用意した答えに、納得してくれるのか分からないからだ。


 主役はあくまでも美聖……。

 彼女自身が答えに辿りつかなければ意味がない。


(そういうこと……か。親父)


 今まで、理純は彼女の表向きの顔しか見ていなかったのだ。


「俺はただお姉さんのためで、一時的に占いをやっている子だと思っていたよ」

「きっかけは、そうだったかもしれないけど、才能はあるわ。私と違って、彼女なら飲まれないし、続けてほしいと思ってるの」

「いいんじゃないの。少なくとも、オカマ占いよりは断然に美聖ちゃんの方が、俺はいい」

「何ですって」


 怒りながらも、降沢の向いの席でコーヒーを飲んでいた理純のところに、浩介は余り物のサンドウィッチを運んできてくれた。

 丁度、閉店時間である。

 鑑定が終わった美聖は、店先まで客を見送りに出ている。


「よく分かったよ。浩介……。いくら何でも、自分の後釜になるかもしれない子を、見た目だけでは雇わないってことだよな。まあ、いい女だよな。ようやく、分かったような気がするよ。そういうことだろ? 降沢」


 ひょいと、覗きこむと、降沢にじろりと睨まれた。


「理純……。どうして、そこで「女」になるんですか? 一ノ清さんは、腕の良い占い師……でしょう?」

「お前にとっちゃ、占い師っていうより、どちらかというと女だろう?」

「………………」


(…………おっ、…………おおっ?)


 昔から、ああ言えば、こう言うの皮肉の達人、降沢が完全に黙り込んでしまった。

 反論が出来ないということは、まあ、図星に近いということだ。


「一応、自覚はあるんだな……?」

「何の?」


 降沢は、最近、アクセサリーと化している文庫本をわざとらしく音を立てて、閉じた。


「あああー、俺も親父に、女を見る目がないって言われちまったしな。表層でしか、美聖ちゃんを見ていなかったような気がするぜ。試しに、今度口説いてみようかな?」

「その手には乗りませんよ。馬鹿馬鹿しい」


 降沢は、冷めた紅茶を一口飲んだ。

 カップを持つ手が微かに震えていることを、理純も浩介も気づいていた。


「お前、結構、心が狭いんだな。長い付き合いだったけど、初めて知ったよ。……で、あの子の何処がいいんだ?」

「…………理純、そろそろ、寺に戻る時間なのでは?」

「最初に……アトリエに、美聖ちゃんが乗り込んで来た時から、意識はしていたと思うけどね? あれは、春先よね」

「ほう……」

「…………浩介、仕事は?」

「丁度、一段落したところよ」


 抜かりなく、浩介が答える。

 降沢は不服そうに、残り少ない紅茶を飲んでいるふりをしていた。


「ああ、そういえば、夏の初めに、ちゃっかり美聖ちゃんに誕生日プレゼントを渡していたわよねえ。誕生石のネックレス……だったかしら?」

「ネックレス……? こいつが人のために金を使うことがあるのか……」

「それから、夏に二人で、元町に行ったわよねえ。あの時も、事前にあの辺で美味しい店はあるのかって、私に聞いてきたくらいだから……最初から下心があったんだと思うけど」

「…………あの! 二人が行かないのなら、僕が部屋に下がります」

「何だよ。いい歳して、照れてんのか? 俺達は偏屈なお前に頼まれて、骨身を削ってまで、協力までしてやっているんだぞ。少しくらい、話してくれたっていいじゃないか?」

「………………何がなんだか……分かりませんよ。僕だって、まともに経験がないんですから」


 本当に困惑したように、小声で、降沢が呟いた。

 浩介と二人で、ぽかんと固まってしまう。


(…………中学生か?)


 ――その間隙を、縫うようにして、店の外から美聖が戻ってきた。


「あの? 三人で、何を話していたんですか? 何か私のこと……話していませんでしたか? あっ、もしかして、姉のこと?」  

「本当に、何でもありませんから……」


 美聖に気づかれまいとしているが、相当に降沢は焦っている。


(いい歳したおっさんが、情けないなあ……)


 降沢に助け舟を出すつもりで、理純は立ち上がり、おもむろに店の窓を開けた。

 乾いた秋の風が店内を駆け巡る。

 薄らと漂う甘い香りは、近くの金木犀のものだ。


「あー、つまり今日は暑いなあ……て、ことでさ。俺は、久々にむず痒い暑さを体験していたんだ」

「はっ? 暑い……ですか?」


 美聖がおもいっきり、首を傾げている。

 ――と思ったら、小さくくしゃくみをした。

 

「理純……」

「な、何だよ?」


 降沢の声が怒気をはらんでいる。


「馬鹿なこと言ってないで、とっとと窓を閉めて下さいよ。寒いじゃないですか?」

「………………はっ?」

「もう冬間近ですよ。外も寒くなってきたし、一ノ清さんが風邪を引いたら、大変です」

「…………あのなあ。昔、冬の雪風が丁度いいとか、訳分からないこと言って、風邪ひいているのに、むやみに熱を上げていたのは、どこの誰だ?」

「馬鹿馬鹿しい。何を言っているんだか? 雪の風なんて、ただの皮膚に痛いだけの風じゃないですか」


 ――こ、こいつ。


(ああ、そうだった……)


 変わったんだ。

 確かに、降沢は変わった。

 見事なまでに、コロッといってくれた。

 三十年近くかけて形成した性格を、意外にあっさりと捨てようとしている。

 しかも……。

 中学生レベルの色惚け具合に仕上がっているようだ。


 きっと、これで良かったのだ。

 浩介の頭痛の種も、多少は軽減されるだろうし、理純も、冷や汗をかきながら、降沢の家に駆け付けなくても済む。


 この男が極めて健全且つ、常識的な判断をすることが出来るようになったのは、めでたいことなのだ。


(いや……でもな)


 こいつ…………

 一度くらい……痛い目に遭った方がいい。


(俺が、お前に泣かれさた幾多の女に変わって、痛い目に遭わせてやろう……)


 理純はふんと鼻を鳴らすと、おもいっきり音を立てて、窓を閉めた。


 ――覚えてろ。


 ひやりと冷たい風が余韻のように、店のカーテンをふわりと舞い上がらせる。


 まるで、一つの季節の終わりを告げているようだった。

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