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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
幕間 冬
54/67

✿1✿

 雪が積もると、なかなか溶けない。

 それが日蔭の多い、北鎌倉で暮らす上の難点だ。


 もっとも、法月恵慧は龍仙寺以外にも、拠点としている寺が幾つかあるので、息子の理純としては、冬の間だけでも、温かいところで過ごしてもらいたいと思っているのだが……。


(あのクソオヤジ……)


 修行と称しているが、かえって寒い所で過ごしたがるのは、絶対にマゾだからだ。

 まあ、今回龍仙寺で冬を過ごすことが出来たのは、良かったのかもしれない。

 たまに、北陸の山奥の寺で過ごすときもあるからだ。

 そういう時は、決まって、父は理純や弟子たちに、山の中での厳しい修行を命じてくる。


(ああ、そうだったな。あれは、マゾじゃない……。サドだった)


 きっと、人をいたぶるのが好きなのだ。

 どうして、そんな父の下、こんな厳しい修行に明け暮れる僧侶になる道を歩んでしまったのか、理純にもよく分からなかった。

 僧侶なんて地味な仕事だ。

 毎日、経を唱えているか、山に入って歩いているだけの単調な日々である。

 天台宗に属している龍仙寺だが、檀家のない寺の主な仕事は加持祈祷だ。

 病人の病のためや、願望成就のために護摩ごまを焚く。

 頼まれたら、除霊の仕事もしないわけではないが、それはあくまで仏の力を借りて行うだけで、別に特別な能力があるわけでも何でもない。


(……まあ、親父の場合は多少あるんだろうけど)


 しかし、それを認めた時点で、駄目なのだということは、理純の頭でも分かっている。

 事を為すのは、あくまで本人と仏の力によって……だ。

 自分自身に特別な能力があると勘違いした為に、闇に堕ちていった僧侶や霊能力者を数多く見てきた。

 でも……。


(でもなあ……。仏様というのが、俺にはいまいち分からないんだよなあ)


 理純には、絶対的な存在である「仏」とか「神」が分からなかった。

 確かに、父の加持祈祷はけんが出やすい。

 全国津々浦々から、噂を聞きつけて、遥々やって来る人が後を絶たない。

 しかし、どんなに祈祷しても、叶わない願いも存在している。

 この男の場合も、そうだった。

 従姉の病を治したいと必死に願っても、叶わなった。

 降沢 在季……。

 まだ二十歳そこそこの青年のために、理純は一層、雪深い北鎌倉の奥まで体を張ってやって来たのだ。


「…………さむっ!」


 足場の悪い道を懸命に歩いて、北鎌倉の緩やかな坂を上る。

 車を使わせなかったのは、父だ。


(足腰を鍛えろってさ、それ僧侶じゃなくて、体育会系のノリだからな……)


 すでに、10センチ以上は降り積もっている雪のせいで、倍以上の時間をかけていた。


(ここまでして、俺は……)


 たとえ、恋人であっても、ここまでマメに動いたことはない。

 ようやく見えた昭和レトロな和洋折衷の大きな屋敷の住人。

 ここで現在、一人住まいしている降沢青年は、理純の幼馴染を巻き込んで、法月親子の目下の頭痛の種となっていた。

 恵慧が今年に限って、北鎌倉を離れなかったのは、この男のことがあるからだということを、理純は察していた。

 降沢在季は、一時期、食べない、寝ない、喋らないの三拍子をそろえていて、余りに危険すぎたため、半ば強制的に寺で預かっていたのだが、最近、ようやく落ち着いてきたこともあり、本人の申し出に従い、渋々家に帰したところなのだが……。


「おーい。降沢……」


 勝手に裏口から入ろうとする。

 インターホンを押したところで、降沢が出て来ないことは分かっていたからだ。

 裏口なら、きっと鍵が開いているだろう。

 究極の無精者である降沢が雨戸を閉めているはずもない。

 理純は、ようやく到着したことに対する安堵感で、一杯だった。


「親父がそろそろ、札を持っていけってさー。替え時だってよー。どうせ、お前のお得意の絵で、変なモノをぞろぞろ連れ込んでるんだろ? こまめに部屋に札張っておかないと、マジでどうにかなっちまうからなー」


 がらがらと音を立てて、一階の窓を開けた理純は、長靴を脱ぎ捨てて、室内に侵入した。

 二階が降沢の部屋のはずだ。

 それは以前、祖母と同居を始めた時から、変わらない部屋の間取りのようだ。

 古い木材の香りは、年代モノの寺と同じようで、微妙に違う。

 これは、あまり良くないモノだ。


 ―――寒い。


(何で、こんなに寒いんだよ?)


 冷凍庫の中にいるような、冷気が流れている。

 雪が降り積もっている外より、屋内の方が冷えているなんておかしな話だ。


「あのバカっ!!」


 ――その時になって、理純はハッとした。


 恵慧が自分を遣いに出した理由があるとしたら……?


「おい、降沢っ!?」


 ぎしぎしと軋む階段をモノともせずに駆け上がる。

 ハアハアと息を弾ませながら、部屋の扉を開け放つと………………。


「………………降……沢?」


 絵筆を握ったまま、椅子にもたれかかって、目をつむっている降沢がいた。


 …………白い。


 窓の外の雪景色と、降沢の白シャツ、白皙が相俟って、空間自体を芸術作品のように、演出していた。 


 理純に絵心なんてものはないが、降沢の刹那的な存在が、孤高で儚い、絵画のような一つの世界観を作りだしているのだろう。


(………………て、男のくせして、綺麗で、美しいとか、賛辞にもならんわ!)


「馬鹿やろうっ!」


 惑わされてはいけない。


(コイツは、ただの大バカ変態野郎だ)


 何で、この冬一番の寒い日に暖房もつけずに軽装で眠っているのか、理純にはまるで理解ができない。


(……薄着で寝たら、病気になるって、子供だって分かるだろうが!?)


「おいっ! 凍死するつもりかっ!?」


 理純が一喝する。

 それでも、目を開けないから、力の限り体を揺さぶった。


「降沢っ!!」

「ああ…………貴方か」


 降沢は驚くでもなく、ゆっくりと目を開いた。

 相変わらずの淡泊さだ。

 別名、生意気ともいう。

 白いシャツと、長いニットのカーディガン。自殺願望はなさそうだが、限りなく、それに近いものを理純は感じていた。


「いきなり入って来るなんて、不法侵入じゃないですか?」

「そうきたか……」


 この調子だ。

 怒るのも、馬鹿馬鹿しくなってくる。


「…………はっ、また、絵を描いてたら、寝オチしましたって奴か?」

「うーん、そうみたいですね」


 降沢が、くしゃみを一つしたので、理純は机の上に乱雑に置かれていたエアコンのリモコンを手に取ると、直ちにスイッチをオンにした。

 それにしても、禍々しい部屋だ。

 浩介だったら、入室するのも躊躇していたかもしれない。


「……で? 何処で拾ったんだよ?」

「拾った?」


 理純は降沢の描き上げた油彩画を睨みつけた。

 赤い炎の絵だ。

 すべてを燃え尽くそうとするような、嫉妬と情念。

 どろりとした黒い感情が絵全体に刷り込むようにして、塗り込められている。


「何をモデルにして、描いたんだ?」

「ああ、病院の看護師さんですよ」

「…………ほう?」

「最近、なかなか寝付けなくて、睡眠薬を処方してもらっているんですけど、その病院、いつも良くしてくれるんですが、何だろう。こないだ行った時、その女性の看護師のことが酷く……気になって、無性に絵にしたくなったんです」

「降沢、その病院は、もう行くな。無意識に、持っていかれるぞ」


 ――持っていかれる。

 ――食われる。


 視えない世界と縁を持ってしまった人間たちは、よくこの言葉を使う。

 降沢は、強制的に、そちらの世界と縁を切らせたはずだった。

 けれども、駄目だった。

 ……結局、彼の能力を表層だけ封じただけで、根本的な解決にはならなかった。

 ある意味、危険を察知する術がない今の方が危ない。

 それを、恵慧も理純も反省していた。


「僕は、視えないのに?」


 降沢が皮肉気に口角を上げる。

 この青年もそれを気づいているのだ。

 ………かえって、問題をややこしくしやがって。

 理純は、折に触れて、この青年から責められているような圧力を感じていた。


「いや、まずは……だ。視える視えないの話以前に、降沢……てめえの外見を理解しろ。その看護師は、最初純粋に、お前に恋心を抱いていたはずだが、今は妄念とか、執着になっちまったんだ。しかも、お前の内側にある秘めた能力にも感化されている。元々霊感がある女なんだろう。これ以上、お前が接触すると、二人して悪い方向に堕ちていくぞ」

「ははっ。何です、それ? 難儀なものですね。僕を好きになってくれる人は、みんなおかしくなっちゃうんですか。それって、僕のせいじゃないですか……」

「とにかく、この絵は、俺が預かる……。いいな?」

「ええ……。別に構いませんよ。描き上げたものに、興味はありません。どうぞ、お好きなように……」


 多分、興味がないのは、絵だけではない。その女に対してもだ。

 降沢は、執着しない。

 自分がどうでもいいから、他人だってどうでもいいのだ。

 だからこそ、その女は、この空気みたいな男に恋焦がれて、おかしくなってしまった。


  ……そうだ。


(こいつは……)


 触れたら溶ける「雪」のようだ……。

 ……………………なんて。


(くだらんな……。俺も)


 苛々しながら、理純が外に目を向けると、降沢も視線を追ってきた。

 一面に広がる雪景色に、降沢は感嘆の声を漏らす。


「…………雪、降っていたんですね。知らなかった」


 淡々と言い放ち、降沢は長くなった前髪をかきわけた。

 そして、何度かくしゃみをしてから、咳をする。

 露わになった顔が赤かったことは、すでに理純は確認済みだ。

 熱がある証拠だろう。


「何やってるんだよ、降沢。お前さ、今日が一年で一番寒い日だぜ。そんな日に、その格好でうたた寝してたんだ。俺が来なかったら、お前、確実に死んでたぞ」

「そうかもしれませんね」

「少しは感謝しろ。ついでに俺を敬え」

「あー……。そうですね、死ぬのは仕方ないとして、僕が死んだら、この絵が絶筆ってことになりますよね。それは、なんか嫌かもしれません」


 相変わらず、強情で投げやりだ。そして、感謝の一欠片もない。

 もしも、凍死してしまったら、まあ仕方ないと、あっさり、あの世に行ってしまいそうな、身軽な気配が漂っている。


 ………………纏っているのは、死の香りだ。


 この青年を、手招いているのは、十歳年上の従姉、沙夜子なのだろうか?


「馬鹿なこと言ってると、熱が上がるぞ。いいから寝てろ。そのくらいの風邪なら、一日寝てれば、治る……って……?」


 しかし、理純が説教しているそばから、降沢は無言で部屋の窓を全開してしまった。


「ばっ……!?」


 バカだっ!!


 びゅおっと、音を立てて、みぞれの混じった風が室内に吹き込む。

 カーテンが風にあおられて、音を立てて揺れていた。

 降沢も、理純の髪も、派手に後ろになびく羽目になった。


 とてつもなく、寒い。

 せっかく利いてきた暖房の温かみは、儚く消えてしまった。


「何だ!? てめえは、俺に殴られたいのか!?」

「……………………えっ? いい風じゃないですか」

「はっ!? お前、正気かよ!?」

「このくらいが丁度いいんです。僕は、これがいい」


 ……何だ、それ?


(格好つけるな……)


 皮膚に悪い、刺すような冷たい風だ。

 それ以外の何物でもない。

 けれど、降沢は陶然と風を受けている。

 熱もあるくせして、寒気もないのだろうか……。


『降沢在季っていう小僧はよ、お前や浩介、俺なんかより、よほどこの道の才能があるよ。本人は不本意だろうけどね』


 ある時、恵慧はふと理純にそう零したことがある。


『だけど、あいつがこちらの世界に来たら、一年も持ちやしない。あいつは、愛されているからね。それを、やんわりとかわす力がなきゃ、すぐに棺桶の中だ。俺たちがやっているよく分からん修行は、そのためのもんさ。限界が来た時、極上の美女に、甘い言葉を囁かれたら、コロッといっちまうだろ。……そういうことなんだ』


 当時は、さっぱり訳が分からなかったが、今なら理純も分かる。

 降沢は、それを口に出すことはないし、意識もしていない。

 でも、何処かで危ない橋を渡ることを好んでいる。

 だから、危険なものばかりを吸い寄せる。大きな明かりに虫は群がるものなのだ。


(……分かってるよ。親父)


 今日、降沢のもとに理純に行くよう促したのも、恵慧の判断。

 自業自得のくせして、降沢在季は、周囲の人間を巻き込む才能だけはあるようだ。




『…………そう。またなの』


 とりあえず、無理やり降沢を寝かしつかして、仕事帰りの浩介に理純が電話をすると、この男には珍しく重苦しい溜息を落とした。


『……おい、またって? アイツは、こんなことばっかりしているのかよ?』

『女性は……何人目かしら? 何しろ、あいつ、見てくれだけは良いでしょう。物腰も一見柔らかいし、来る者、拒まずだから、女性がころっと騙されんのよ。でも、内面があんなだから、恨まれやすいというか……。他にも、私が良かれと思って街に連れ出すと、人の黒い部分ばかり拾ってきて、絵にしているわね。まあ、世の中、良い波動より、悪い物の方が惹かれやすいから……』


 ――ある意味、自分に正直ということか……。


 描きたいと思ったら、降沢は、その欲望に逆らうことはしない。

 たとえ、それが自分の寿命を縮めるようなものだとしても……。


『正直、あんたん所の札がないと、あいつの部屋に入るのも厳しい状態なのよね』


 浩介がぼやいているが、まあ気持ちは分かる。

 それでも、放っておけないのは、理純も一緒なのだ。


『ああ、分かったって。ついでに書き方も教えてやるから、今度、寺に来い。……ったく、手間のかかる』


 そのまま、不躾に電話を切ろうとしたが……


『理純』


 切迫感のある浩介の声色に、理純は携帯を持つ手を強めた。


『…………理純。私、今お金をためているのよね』

『はっ?』

『在季の家のスペース借りて、店を開くの。そうしたら、あいつを見張ることも出来るでしょう? 在季に、反対はさせない』

『過保護……。あいつは成人した大人なんだぞ。お前も馬鹿か?』

『………………償い。それが、私の……』 


 短い言葉に、この幼馴染の苦渋の気持ちがこもっている。

 浩介が降沢の従姉に、並々ならぬ気持ちを抱いていることは知っている。

 この男は、男も女も広く受け入れてしまう珍しい人種だが、きっと、その沙夜子という女性は別格だったのだろう。


『私がサポートできるうちは、まだいいんだけどねえ。でも、在季自身の意識が変化しないと、今のような生き方をしていたら、遅かれ早かれ、破綻するわ』

『意識の変化ねえ……二十年かけて形成されちまった人格を変えるのは、無理なんじゃねえか? それこそ、限界が来る前に、甘い言葉を囁いて、コロッと意識を変えてくれるような、極上の美女がを捜さなくちゃ……』

『……………………それ、いいわね』

『はっ? 真に受けんなよ。あり得んだろ』


 ――しかし、それから、十年近くも経って……。


 自分の力が衰えていくことを知った浩介は、その時の理純の戯れをついに実行した。


 降沢に対して、甘い言葉を囁いて、コロッと意識を変えてくれるような極上の美女を、ついに見つけたのだという……。

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