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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第4幕 支配者
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 ――やはり、あの弁護士徽章が気になる。


 今回、長い時間皇のそばにいて、降沢はより一層そう思うようになっていた。


(あれには、何かあるんだろうな……)


 絵を描いたのなら、一発でメッセージが降ってくるはずだ。

 視えることのない世界があんな小さなバッジの奥から、降沢に手を伸ばしているようだった。

 美聖もそれに関しては同じような考えを持っているようだったが、突然突き付けられた姉の死の真相に、だいぶまいっているようだった。


「一ノ清さん、今日は濃密な一日でしたね……」


 帰りの車の中、少しだけ透かした窓から吹き込む風が、彼女の艶やかな黒髪を揺らし、伏し目がちな横顔に匂い立つような色気を感じた。

 降沢の言葉に反応して、美聖はぎこちないものの、笑みを返してくれた。


「ありがとうごさいました。降沢さん。ここまで、降沢さんにお付き合い頂いたおかげで、結末にたどり着きました」


 どきりとした降沢は慌てて、前を向く。

 丁度、停まっていた前の車が動いたので、軽くアクセルを踏んだ。


「いえ……僕は」


 何もしていない。

 ――というより、引っ掻き回しただけだ。

 つい堪えきれなくなって、弁護士バッチを貸して欲しいと願い出てしまったが、あの流れで、そんなことを言ったところで、手酷く拒まれて当然だ。

 だいたい、貸してもらえるものでもない。


(一ノ清さんは、偉いな……) 


 彼女の内心は千々に乱れているはずだ。

 あんな説明で、家族の死に納得なんてできるはずがない。

 それなのに、美聖は誰に当たるでもなく、あらゆる感情をぐっと飲みこんでいるようだった。


(……やっぱり、こんな時に申し訳ないと思うけど)


 純粋に、美聖がいじらしいと思う。

 きっと、ここで感情のままに、降沢が抱きしめたら、美聖は泣いてしまうだろう。

 そんな慰め方を、彼女は望んではいないのに。


(浩介だったら、もっと上手く出来るんだろうな……)


 その場の感情で動くのは駄目なのだと、降沢は最近学習したばかりだ。

 告白もせずに、彼女に手を出すのは失礼なことなのだと、腹立たしいが、浩介に教えられたような気がする。

 …………けれど。

 好きだと……美聖に伝えたら、降沢はどうなるのだろう。

 好意の比重が相手と同じことなんて、有り得ない。

 むしろ、降沢の暴走に歯止めが利かなくなるだけなのではないだろうか?

 彼女は、他の誰とも違う。

 苦しめるだけと分かっているのに、覚悟なんてできるのだろうか?


(僕には、慰め方が分からない……)


 降沢が慰めと思う行為は、彼女にとっては、意味を持たない。

 余計なことを口走って幻滅されるくらいなら、何も言わない方がまだマシだ。

 降沢は、運転に集中することで、ふいに溢れそうになった自分の衝動を抑え込んだ。


「降沢さん」


 急に黙り込んだ降沢を、美聖は心配してくれたらしい。

 わざとらしいほど明るい声音で喋った。


「それにしても、今日は、びっくりするほど、いろんな偶然が重なって、すごかったですよね」

「……一ノ清さん」

「一応、あの弁護士と、日下部連也が話していたことは、タロット占いの結果とも符合しますし、辻褄は合っていましたから、きっと姉も満足していると思います。姉は自殺ではなかった……そういうことを伝えたかったのでしょうから」


 それは彼女なりの気遣いだろう。これ以上調べるのは、危険だと察知したのか。

 映里の件は、ここで終了だと宣言しているようだ。


(でも……な……)


「彼らの説明では、事故……でしたね」


降沢は低く呟く。

 …………自分は、深く首を突っ込みすぎてしまった。

 もはや、彼女の姉の死から端を発した大きな事態に直面してしまっても、立ち止まることもないだろう。


「一ノ清さん、僕には腑に落ちない点があります」

「何でしょうか?」


 青信号が赤に変わって、降沢はブレーキを踏んだ。

 このまま黙っていることも出来るが、そういうわけにもいかない。


「どうして、彼女はビルの屋上で、日下部 連也を脅してまで飛び降りなければならなかったのでしょうか?」

「それは……精神状態が」

「あのビルで、飛び降りなければならかった理由は何ですか?」

「わ……分かりません」

「君が言っていたもう一人の男性……。「正義」のカードは弁護士。明らかに、皇のことですよね。今日の説明では、彼は完全に自分は蚊帳の外だったとアピールしていました」

「降沢さん、つまり……あの人達が言っていたことは嘘だと言いたいのですか?」

「いいえ。嘘だけだったのなら、あの場で僕も指摘できたかもしれませんが……」

「それは、どういう意味で……?」

「皇という男は、なかなか手強いようです」


 あの様子だと、連也は嘘をつくのは苦手なタイプだ。

 皇がいくら優れた脚本を書いたところで、それを覚えることができなければ意味がない。

 そのことを、皇自身、よく分かっているのだろう。 


 ――あの男の本音は、何処にある?


 皇という男、顔は笑っていても、目は鋭く光っていた。

 あの手の男は、面倒だ。

 変に頭が切れる。


「浩介が狸なら、あの男は…………狐ですかねえ」


 溜息混じりに、言い捨てた。

 美聖は、理解不能とばかりに、瞬きを繰り返している。


「えっ? 皇って人……狐には似ていませんでしたけど?」

「面白い人ですよね。一ノ清さんって」

「私のこと、絶対に馬鹿にしていますよね?」


 その後、膨れっ面の美聖を宥めすかして、ファミレスで軽く食事を済ませてから、名残惜しく、家の前まで送り届けた。

 出来ることなら、何もできずとも、落ち込んでいる彼女の傍にいたかったのだが、降沢には、この後行かなければならない場所があったのだ。



 ――龍仙(りゅうせん)寺。


 鎌倉と北鎌倉の丁度真ん中に、位置する寺は、軽自動車一台が通るのがやっとの細い路地に、ひっそりと佇んでいる。

 禅宗や日蓮宗の寺院が多い鎌倉にあって、珍しい天台宗の古刹であった。

 創建がいつの話か、降沢は聞いたこともないが、いまどき茅葺屋根を維持しているのだから、相当古いはずだということは分かっていた。


「アルカナ」から徒歩、三十分足らずで到着してしまう距離でありながら、ここ十年間の間、降沢の行きたくない場所ナンバーワンの座に君臨し続けている威圧感は、半端ない。


(…………心の底から、行きたくない)


 降沢は寺の脇に、車を停めたあとで、山門の前をうろうろしていた。

 行かないで済むものなら、回れ右をして帰ってしまいたい。いつもの自分なら、近くを歩くのも嫌がるだろう。

 だけど、美聖が頑張っているのに、降沢が何もしないのは、気が引けるのだ。 


(晩秋か……)


 その場でしゃがむと、街灯が丁度良い角度に、山門の前の紅葉を照らしているのが見えた。

 龍仙寺が余り知られていないのは、非公開にしているせいだと、理純が誇らしげに話していた。

 確かに、観光客向けの寺ではない。

 檀家を持たないスタイルの寺なので、墓参りに来る人もいないのだ。

 常に固く閉ざされている山門は、ここに来るものをあえて拒んでいるようにも見えた。

 …………実際、恵慧も理純も多忙で、この寺は無人であることが多い。

 ここに恵慧がいると確信があるだけ、降沢は幸運なのだろう。


(この寺に来ることが、彼女のためになるのなら……)


 今まで、周囲の人間が降沢のために、あれこれと親身に動いてくれた。

 次は、自分の番だ。


(けれど、あのジイさんが苦手なんですよね。下手なこと言うと、説教が二倍になりそうだし……)


 降沢は心の中でぶつぶつ文句を言いながら、左手の腕時計に目を落とした。

 時計の針が、夜の十九時を指している。


「………………行くしかない……か」


 腹を括ろう。

 今回ばかりは、浩介を仕向けた責任もあるのだ。

 降沢は山門の前で一礼してから、扉を開けると、早足で寺の中に入って行った。

 梵鐘を横目で見やりながら、見事な日本庭園を忍び足で通過して、本堂の真横に向かう。

 縁側に見知った男女の影を発見した途端、降沢は珍しく大声で彼を呼んだ。


「浩介……! 首尾は?」


 僧服姿の大男は、姿勢良く正座をしたまま、崩さなかった。

 その目には、いつものサングラスがない。


「浩介?」


 反応がないので、降沢はもう一度呼びかける。

 すると、浩介は、ようやくぱちりと目を開けた。

 どうやら、今まで眠っていたらしい。


「ああ。何? 在季じゃないの? びっくりしたわね。ちゃんと、正面から来たら、どう?」

「貴方の方こそ、どうして黒染めなんて着ているんです?」

「鈍った精神の修行をしろと、恵慧師に言われてね……」


 浩介が遠い目をしている。


(ああ、そうだった)


 ここが苦手なのは、降沢だけではないのだ。

 昔から浩介だって、嫌がっていた。


「状況を聞きにきました」

「ああ……私の方は、上手くいったけどね。こっちの方は、見ての通りよ」

「芳しくないようですね」


 降沢は靴を脱いで、縁側から繋がっている本堂に上り込んだ。

 見上げると、金色の十一面じゅういちめん観音像が開いた厨子の前に鎮座していた。

 こぢんまりとしているが、豪奢な護摩壇ごまだんは、この寺に潤沢な資金があることを、如実に表していた。


(あのジイさん……。また儲けたんですね)


 恵慧師は密教占星術の大家たいかであると同時に、加持祈祷かじきとうで著名な人物であった。

 占いも勿論だが、政財界と深いパイプがあるのは、加持祈祷のご利益が絶大だと評判だからだ。

 それでも、降沢が距離を取ってしまうのは、恵慧師の力を認めながらも、根底に沙夜子を救えなかった、ただのジイさんというイメージが濃いからだ。


 ――人の運命を変えることは出来ても、宿命を変えることはできない。


 恵慧師から、そう諭されたのは、沙夜子が亡くなる少し前のことだった。

 あの時の絶望感を降沢は忘れることができない。


「さて、久々ですし、とりあえず、御本尊にも祈っておきましょうかね」


 降沢は護摩壇の横で正座をして、広い本堂の中にあって、小柄な本尊の十一面観音像を拝んだ。

 

(うまくいきますように……)


 何となく願をかけた。

 呪術が万能でないことは、嫌というほど知っている。

 切実に祈ったところで、どうせ叶いはしないだろう。

 本当に叶えたいのなら、行動するしかない。


(いっそのこと、恵慧師が解決してくれたら、てっとり早いのですが……)


 そうはならないだろうと、降沢は予知していたし、しかし、普段絶対に頭を下げない降沢がここまで来ているのだから、多少配慮の一つくらいしてくれるだろうという打算も働いていた。


「ねえ、在季。そちらの首尾はどうだったのよ?」 

「……ああ、狐がいましたね」

「はっ?」

「ちょっと鼻につきました。意外に僕は短気らしい」

「貴方、今更そんなことに気づいたの?」


 振り返ると、浩介が眉を潜めていた。

 サングラスも、派手な装いもない黒染めの僧服を纏っている浩介は、まるで武蔵坊弁慶のようだ。沙夜子の後輩でなかったら、全力で背を向けて、逃げ出したくなる外見である。


「浩介、貴方ならどう視ますか? 僕達が会った翌日に、逮捕された西河マリア。今日、出向いた日下部連也の別宅に、なぜか鉢合わせすることになった弁護士と、日下部連也。彼らはわざわざ邸宅に僕らを招待して、一ノ清映里さんの件は、事故だったと謝罪した。偶然にしても、神がかりすぎではないでしょうか?」

「まあ、運命の出会いとか、実はツインソウルだとか、占い師だったら言いかねないところだけど、そんな天文学的な偶然有り得ないでしょうね。先方に、貴方の来訪がバレていた可能性が高いということでしょう」

「貴方が日下部連也の住所まで調べたわけじゃないでしょう?」

「住所は、恵慧師ね」

「……やっぱり」

「それで、狐は何をしたって言うのよ?」

「あのビルの構造。僕は映里さんの件が自殺とも、事故とも思えないんです」

「…………そう」


 浩介から目を逸らした降沢は、頼りない蝋燭の灯に目を凝らす。

 静まり返っている寺の中響くのは、虫の合唱だった。


 どのくらい、そうしていただろうか……。


 どたばたと僧侶らしからぬ足音で、本堂にやって来たのは、僧服姿の理純だった。


「こんばんは。夜分に失礼しています」


 降沢は正座から、折り目正しく立ち上がった。


「何だ。降沢も来ていたのか?」


 理純の濃い眉毛が八の字になっている。

 その表情で、降沢にも、すぐに分かった。


「どうやら、駄目だったようですね」

「駄目というか、とりつく島もないというか……。奥の間の前で何時間も待たされて、ようやく口を開いたと思ったら、修行の邪魔をするなって、一喝だぜ。まったく、何が修行だよな。どうせ寝てただけだろうが」

「まあ、そんなことだろうと思ってはいました。どうせ、自分が表舞台に出てきたら、一発で解決してしまう……とかなんとかでしょうね」

「おっ、よく分かっているじゃん。だから、お前たちが訪ねてきたところで、無駄。会わないってよ」

「相変わらず、一刀両断よね。霊能者の一人くらい紹介してくれても罰は当たらないのに」

「いや、それがよ。出来れば、紹介してやりたかったけど、みんな政治家なんかと関わるのはごめんだって断られたそうだ。まっ、乗りかかった船だ。お前がやれってことらしいな。降沢」

「でも、恵慧師は、その一ノ清美聖さんのために、助け船くらい出してくれたんでしょう?」

「助け舟なのか、泥船なのか、俺は知らんけど……」


 理純は溜息混じりに、言い放った。


「親父もうっかり関わってしまった分、百パーセント知らぬ存ぜぬは出来ないそうだ。パイプくらいにはなってやるそうだ。日下部連也の父、誠一に、裏から手を回してやるって言ってたぜ」

「それで結構」


 降沢は口角を上げて、今後の展開を思い浮かべた。


 自分の憶測を後押ししたいのなら、やはり絵を描くことしかなさそうだった。

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