④
――そんなこともあるだろう。
それが、トウコの意見だった。
別に、美聖の占いが原因のわけでも、降沢のせいでもない。
元々、そういう話があって最上が『アルカナ』を訪れただけなのではないか……と。
トウコの言う通りだ。
少し後味が悪いけれど、美聖が騒いだところでどうにもならないのだから、仕方ない。
降沢もニュースは耳にしているようだが、特にこの件に関しては反応しなかった。
むしろ、あの日を境に急に馴れ馴れしくなってきたのが、美聖には訳が分からなくて、逆に怖かった。
「あの……。一ノ清さん。その札は、何て言うんです?」
「……はっ?」
営業前に一通りのことを終えた美聖は、タロットカードを順番通りに並べていた。
タロットの浄化方法は、最初から順に並べ直してみることだと、どこかの本で見て以来、それを忠実にやるのが日課となっていたからだった。
別に遊んでいるわけではない。
けれど、降沢には趣味に興じているように映ったのかもしれない。
降沢の人差し指は、美聖が一番上に重ねた数字の1のついたカードに向けられていた。
「これは、魔術師のカードですよ」
ローブ姿の直立した男性が棒を手した右手を上に、左手で地面を指差している絵札。
大アルカナ最初のカード。
――魔術師。
見ての通りの名前だ。
「ああ、魔術師……」
降沢は、顎を擦った。
今日も白のだぼだぼのシャツに、ジーパン姿だ。
「浩介に聞いたことはあったような気がします」
「トウコさんは、いろんな種類のカードで占いますものね。私はウェイト版しか使えないので」
タロットカードにも、様々な種類がある。
正位置、逆位置でリーディングする方法が圧倒的だが、カードの種類によって逆位置を読まないものもある。
また、カードの名前が同じであっても、まったく違う絵柄のものもあるのだ。
特にトウコはその日の気分で、カードの種類を変えるので、降沢も話は聞いていても、覚えきれないのだろう。
「一ノ清さん、この魔術師の意味というのは、何なのでしょうか?」
「新しく始めるとか……。スタートとか、そういった意味ですね」
純粋な降沢の質問に、開店時間を気にしつつも、美聖は付き合って答えた。
「絵札をご覧いただくと……、魔術師の前に置かれているテーブルには、杖と剣と聖杯とコインが置かれているのがお分かりにはなりませんか?」
「ええ、置かれていますね」
「これは、魔術儀式に使う道具で、今まさに魔術棒で何かを創りだそうとしているのだとか……。それで、物事の始まりを示すのだと、本に書いてありました」
「…………なるほど。では、この魔術師は、創造主という意味合いもあるのですね」
「新しいものを作ると言う意味では、そうですよね」
降沢は、熱心に『魔術師』の札に見入っていた。
やはり、何を考えているのか、掴めない。
……と、美聖の考えが読めたかのように、降沢はぱっと顔を上げた。
「ああ、ほら。ウィザードって『魔術師』っていう意味だったなって思って。見入っちゃいました」
「あっ……」
(そうか……)
そういうことかと、美聖も納得した。
「魔術師は何かを創りだそうしているって……。音楽も絵も近いものがありますよね。僕は、バンドの『ウィザード』の曲は聞いたことないけれど、活動休止にせざるを得なかった彼の気持ちは、分かるような気がします」
「分かるのですか?」
「シンパシーくらいは、多少ありますよ」
「へえ……」
美聖は初めて、降沢を真っ直ぐ見つめた。
『慕情』以外、彼の作品を見たことがない。
降沢が作業に使っている離れのアトリエには、トウコによって、立ち入りが禁止されていた。
(何でなんだろう?)
美聖が部外者だから、盗難の心配でもしているのだろうか?
むしろ、彼が本当に画家なのか、疑いたくなったのも事実だが、今の話から察するに、やはり降沢は『画家』なのだろう。
得体が知れない。
美聖の知らない何かを、この人はまだ持っている。
長い前髪に隠れてはいるが、鋭い眼差しは切れ味抜群の刃のように、研ぎ澄まされていた。
――だから、怖いのだ。
何を隠しているのだろう?
問いかけたくて……。
しかし、さすがにそこまで踏み込むのも気が引けて、美聖は思いつきのままに問いかけてしまった。
「えーっと、降沢さんは、どうして、画家になろうと思ったのですか?」
「……どうしてって?」
「あっ」
その質問も、まずかったらしい。
降沢は、苦笑していた。
「逆に、問いたいのですが、一ノ清さんは、どうして占い師になろうと思ったのですか?」
「…………それは、その……。子供の頃から興味があって、何となく」
「本当に? なんとなくで、占いを仕事にするものなのですか?」
「ええと、まあ……」
愛想笑いをしながら、頷いてみせた。
その理由を簡潔に語るのは、美聖には気が重い。
(結局、そういうことなんだよね……)
自分が問われて答えにくいことは、相手も一緒という話なのだろう。
黙りこんだ美聖を待っていたかのように、トウコが開店時間を告げた。
今日も急いで、看板を出しに行くと、数人外で待っているではないか……。
二人組と、三人組の……合計五人ものお客様だった。
「申し訳ありません。お待たせいたしました!」
美聖はとびきりの営業スマイルが彼女たちを迎えた。
(来るときは、来るんだよな……)
特に観光地が近い訳でもない。宣伝一つしていない、住宅地と森の中のひっそりとした隠れ家にも関わらず、それでも客が途切れず、やって来るのが素晴らしい。
接客もだいぶ板についてきた美聖は、精力的に、若いお客さんを日当たりの良い、端の席に誘導していった。
(常連さんじゃなさそうだな……)
よくやって来る年配の女性や若い男性など、だいぶ顔を覚えたものの、今日の女性たちは違う。
――とはいえ、鎌倉ハイキング中に疲れて立ち寄ったという感じの装いでもなかった。
(口コミ……かな)
それぞれ、水とおしぼりをトレイに乗せて運ぼうとしていた矢先、二人組の女の子たちの華やいだ声が耳に入って来た。
「良かったね。無事、辿りつけて……」
「おもいっきり、隠れ家だもんね。スマホで探すこともできないし……」
「これも、縁ってことなんじゃない?」
大人しそうなショートカットの少女と、快活そうな長髪の少女が楽しそうに笑い合っている。今日は休日だから、女子高生かもしれなかった。
隠れ家の店を見つけた時の宝物を探し当てたかのような、きらきらした瞳をしていた。
「……だよね。近所のお姉ちゃんが教えてくれてさ。……ていっても、こんな綺麗な喫茶店だったなんて知らなかったけど。なんか、降沢って、おばあちゃんが絵を描いてくれるお店だって言ってたな」
(…………なにっ?)
動揺のあまり、美聖は手にしていたトレイを落としそうになってしまった。
(私、聞いたことない……)
降沢の祖母が絵を描いていたなんて、美聖が知らない話だ。
(元々、この古民家は、降沢さんのお祖母さんのものだって、聞いてはいたけど……)
美聖は、ちらちらと降沢の姿を捜していた。
開店前に、お客さんがいた場合、大抵の場合降沢は奥に引っ込んで、頃合いを見計らって、いつもの席に座っているのが日々の習慣となりつつあったのだが……。
今日は戻って来るのが遅い。
(どこに行っちゃったんだろう……)
美聖が接客をしている間に、自室にでも行ってしまったのだろうか……。
三人組のオーダーを取りながらも、美聖は二人組の彼女達の会話におもいっきり耳を傾けていた。
長い髪の少女がよく透る声で、言い放った。
「でも、絵は無理なんじゃない? おばあちゃんいないし。占いはやっているみたいだけど?」
ショートカットの大人しそうな子が、こくりと小さく頷く。
「うん。昔の話だからね。今、生きているかどうか分からないとは思っていたんだ……」
「一応、店員さんに聞いてみる?」
「いいよ、いいよ」
(…………うっ)
会話が丸聞こえなのに、いいと言われても……。
まさか、彼女がいいと言っているのに、美聖が二人の間に割って入って会話を進めるわけにもいかない。
「でも、もし生きていたのなら、描いて欲しかったな。従姉のお姉ちゃん、そのおばあちゃんに絵を描いてもらってから、玉の輿に乗りかけたらしいからさ」
「すごい! 誰と玉の輿になりそうだったの?」
二人の会話に、三人組の女性たちも興味を持ったようだ。
声を潜めて、耳をそばだてている。
「芸能人……。ほら、最近、活動休止しちゃったけど、ウィザードの」
「すごい! 本当に!?」
「しっ、静かに……」
だが、静かにさせるのは、少々遅かった。
その場の注目を一気に集めたのは、美聖だった。
「…………えっ」
かたん……と、空になったトレイを床に落としてしまった美聖は、失礼しましたと詫びながら、頭を下げ続けた。
(…………今、ここで最上さんの話を聞くなんて!?)
しかも、元彼女の知り合いが来店しているのだ。
こんな偶然があって良いものなのか……。
さすがに、トウコも何事なのか気づいたらしく、定位置のキッチンから、カウンター席に顔を覗かせている。
トウコに相談を持ちかけている隙なく、二人組の長髪の女性の方が手を挙げて、美聖を呼んでいた。
「あっ、店員さん! 注文と……あと、占いもいいですか?」
これは、またとないチャンスだ。
美聖は、あとの接客を託すべく、トウコに目配せすると、いそいそとエプロンを脱いで、彼女達の前に立ったのだった。