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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第4幕 支配者
49/67

 マンションの前で、降沢と理純に軽く挨拶をしてから、美聖は疲労困憊の足取りで、自宅にたどり着いた。


(色々あったな……)


 今日一日で、理純の言っていた通り、降沢との間に合った距離が縮まったような気がしていた。

 ちゃんと美聖と話したいと、口下手な降沢が頑張ってくれた。

 自分はこういう性格だから、美聖に将来を約束できないかもしれない。

 でも、誠意は受け取って欲しい……なんて。


(もしも、これが私の都合の良い思い込みじゃなかったら、私は……)


物事はシンプルだと、理純が語っていた。

あれは降沢に対する言葉だったようだが、美聖にも当てはまっている。


(そうだよね……)


 たとえ、映里が美聖にどのような感情を抱いていたとしても……。

 降沢の気持ちが、美聖の好きとは違っていたとしても……。


(降沢さんと深く関わることは危険なことだって、分かっているけど、やめられないのなら?)


 いろんなリスクや、不利な条件があったって、自分の気持ちに正直に生きずに後悔するよりは、マシではないのか。


(私はやっぱり、降沢さんのこと……好きなんだ)


 自覚を深めると、かあっと体が熱くなった。

 たった一日降沢と一緒にいただけで、一人で舞い上がって、熱に浮されているだけかもしれない。


(落ち着こう。私……)


 頭を冷やすつもりで、台所で一杯水を飲んでいると……。

 突然、煌々と明かりが点いた。

 パジャマ姿の円がリビングのスイッチの横に立っている。


「あっ、円。ただいま」

「おかえり」

「どうしたの? お祖父ちゃんと、寝てたんじゃないの?」

「眠れないんだ」

「そっか……。あっ、ママがホットミルクでも作ってあげようか?」


 美聖がしゃがんで冷蔵庫の扉を開けると、隣にやってきた円が美聖の袖を引っ張った。

 甘えているのだろうか……。

 美聖はそっと円の柔らかい髪を撫でた。


(かわいそうに、眠れないのかしら?)


 一ノ清家に来てから、円は一度も泣き言を零さない。

 映里の話も余りしなかったから、こちらから聞くこともしなかった。

 それでも、このくらいの年だったら、母を恋しがって、泣きじゃくるものだろう。


(お姉ちゃんは円を、どんなふうに育てていたんだろう?)


 姉のマンションで、一人ぼっちで姉の帰りを待っていた円は、八歳とは思えないほど痩せ細っていた。


 ――ネグレスト。


 真っ先に浮かんだ単語だった。


「明日も学校だし、ミルクを飲んで早く寝なくちゃ」

「でも、眠れないんだもん」

「じゃあ、ママが一緒に寝てあげるから……」


 美聖はたとえ疲れ切っていても、優しく丁寧に、円に接するように心掛けていた。

 円が心に傷を負っていることは、会った時の状況だけでも分かることだ。

 散らかった部屋で、膝を抱えて独りで座っていたのだから。


(この子は、賢い子だから……)


 きっといろんなことが分かっていて、口に出さないだけなのだ。

 ……でも、円にとって、降沢は別らしい。


「ねえ? 今日は、降沢の兄ちゃんとデートしてたの? みっちゃんママ、嬉しそう」

「そんなんじゃないわよ」


 今までの熱が一気に冷めた。

 円にまで、からかわれてどうするのだ。


「あのね、今日は、降沢さんだけじゃなかったのよ。他の人も一緒だったの」

「ふーん」


 まあ……理純がいたのは、帰り道だけだが、決して嘘ではないはずだ。


「まったく、もう……。円はマセガキなんだから」


 美聖は、くしゃくしゃと円の髪を乱すと、立ち上がって、てきぱきと、ミルクを鍋に入れて温めはじめた。

 しかし、驚愕すべき言葉は次の方だった。


「じゃあ、今日はママが死んだ理由は調べてないんだ?」

「…………えっ?」


 途端、耳を疑った。

 円には、映里の死について、嘘をついている。


 ――事故だと、話していた。


 少なくとも、美聖の口からは、自殺であったことすら教えていなかった。

 時が来たら、ちゃんと説明しようと思っていたのだ。

 だが、円は念押すように繰り返した。


「降沢の兄ちゃんと、みっちゃんママは、ママが死んだ理由を探しているんだろ?」

「……円?」


 気まずい沈黙が続き、沸騰した鍋の火に美聖は我に戻った。


「どうして…………円?」

「降沢の兄ちゃんから聞いた。ママは自分から死んじゃったのかもしれないけど、でも、その原因が分からないんだって。それを知らないと、前に進めないんだって言ってた」

「ああ、もしかして、あの時……」


 車内で、円と降沢が何やら話していた。

 降沢は、そんなことを円に言っていたのか……。


「俺にさ、何か思い出せることがあったら、教えて欲しいって、協力して欲しいって言ってた」

「…………そんな! いいのよ。円は無理しなくったって」

「でも、男の約束だから」

「なによ。それ?」


 余計なことを……と、降沢に怒るのは早計だ。

 美聖が彼を巻き込んだのだ。

 前に進むためだと、降沢は口にしていたのなら、遅かれ早かれ、美聖も円に本当のことを話す機会を設けざるを得なかったはずだ。


(……でも)


 美聖は円に駆け寄り両肩を掴んでから、抱きしめた。

 辛い記憶だったら、わざわざ口に出す必要はない。

 映里のことを余り話したがらないのは、円にとって良い思い出がないからだということを、美聖は理解しているつもりでいた。

 だが、美聖の心配なんかより、円は遥かに大人だった。


「あれから、思い出したんだけどさ。ママが死ぬ前に、よく知らないおじさんが家にいたよ。……でも、ママは幸せそうじゃなかった」

「えっ?」

「なんか辛そうだった。俺がどうしたのって聞いたら、放っておいてって、あっちに行けって怒ってた」


 映里は、円に対して、そんなことをしていたのか……。


(ひどい……)


 暗がりの台所で、美聖は更に円を抱く手を強めた。


「ごめんね。円……。本当にごめんね」

「どうして? 何で、みっちゃんママが謝るの?」

「私が悪いんだよ。ママがそんなになるまで気づかなかったんだもん」

「みっちゃんママの何が悪いの? ママは、みっちやんママの心配をしていたよ。よく写真見てたもん」

「……嘘?」


 そういえば、以前、円は降沢に対して、映里が「美聖は結婚したら変わるのに」と話していたことを告げていた。


(お姉ちゃんは、私のこと嫌いだったんじゃなかったの?)


 距離を取ったのは美聖だが、映里も美聖には辛辣だったはずだ。

 いや……。

 辛辣だと、美聖が思い込んでいただけなのだろうか?


「ああ……それと、お金をあげるから、外で遊んできてって言われた時には、違うおじさんが家に来ていたみたいだった」

「えっ?」


 円は衝撃的なことばかりを口にする。


 ――それって、つまり。

 レンヤとという男と、もう一人誰か映里の死に関わっていることではないのか?


 美聖が円の背中をぽんぽと叩くと、温かいものが首筋に降ってきた。

 円が泣いているのだ。


「分かった。円。それ以上はいいから……ね。今日は、もう寝ようか」

「俺、まだ起きてる」

「……じゃあ、ママも起きてる。ごめん。本当にごめんね、円」


 今は円を抱きしめるくらいしか、美聖には出来そうもないから、とにかく、ありったけの愛情を掌にこめた。


「でも……ママのこと話したら、みっちゃんママは、幸せになれるんでしょ? ヒトリミにならないんでしょ?」

「円は、そんなこと気にしなくったっていいんだからね。ママが望んで円と一緒にいるんだからね」

「でも…………ママは、独りが寂しいって言ってたから。俺もいるのに、寂しいんだって。だから、死んじゃったんだ。みっちゃんママも、そうなの?」


(お姉ちゃん、どうして?)


 こんなに頭が良くて、可愛い子に、トラウマになるようなことを言ったのだろう。

 やはり、死の間際、映里は壊れかけていたのではないか……。

 美聖はつられて泣きそうになるのを、懸命に堪えながら微笑んでみせた。


「円……。私はぜんぜん寂しくないよ。円もいて、お祖父ちゃんもいて……。幸せだから」

「嘘だ」

「本当だって」

「一人で泣いているくせに。嘘つき」


 円が美聖にしがみついて、号泣している。

 こんなふうに、激しい円を前にするのは、初めてだった。


(やっぱり、子供だからって、誤魔化せやしない。いつも、円は我慢していたのよ)


「私、ママ失格ね……」


 美聖も嗚咽を堪えることが出来なくなっていた。

堪えきれずに、泣いてしまう。


「でも、私はまだ未熟で、ダメダメだけど、これからは、もっと強くなるからさ。大丈夫よ。円を置いていったりなんかしないから、それは安心してね」

「じゃあ…………ママが死んだ理由、分かったら俺に教えてくれる?」

「……もちろん。分かり次第、絶対、教えるから」


 そうして、二人で抱き合いながら、わんわん泣いていたら、騒ぎを聞きつけて、起きてきた父に腰を抜かされてしまった。


(これで良かったのかな……)


 最初、降沢のしたことは、怖いことだと感じた。

 けれど、泣きながら、こういうのが家族なんだと実感を深めていた。


(なんか初めて、ちゃんと家族になれた気がするよ)


 円とは、姉が死ぬまで、数回しか顔を合わせたことがない間柄なのだ。

 ママと呼ばせたところで、急に近づけるでもないけど、こうやって、泣いて笑って、同じ時間を共有しているうちに、家族のようになれたらいい。


 その日、疲労と安堵の中で、円と同じ布団で眠りに就いた美聖は、亡くなってから、初めて姉の夢を見た。


 夢の中の映里と美聖はまだ子供で、二人で終わりの見えない長い階段を下りていた。

 一人で先にジャンプしながら、すいすいと下りていく映里と違い、美聖は尻込みしながら、一段ずつ下りていく。

 泣きながら「お姉ちゃん待って」と訴えるが、映里は振り返って、にこりと笑うだけで、どんどん先に行ってしまうのだ。


(あんな人だったな……)


 目を開けた美聖は、記憶の中の映里を丹念にたどった。

 一ノ清 映里は、男勝りで、姉御肌で、正義感が強く、思いついたら、積極的に動くタイプの女性だった。

 少なくとも、美聖のイメージでは、占いに依存するような人間ではなかったのだ。


(お姉ちゃん……)


 内容はともかく、夢で会えたことは嬉しい。


 そんな甘ったるい、ふわふわした気持ちで、緩やかに体を起こした美聖を、先に覚醒していた円が覗き込んでいた。


「どうしたの? 円、昨夜はちゃんと眠れた?」

「うん」


 素直にうなずく、至近距離で見ると、目と鼻が映里にそっくりだった。


「みっちゃんママ。俺、昨日からずっと考えてたら、思い出したことがあるんだけど……?」

「えっ……?」



 ………………それは、映里の死の直前、家によく来ていた「お兄ちゃん」のフルネームだった。

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