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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第4幕 支配者
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  映里が最期に飛び降りた十階建ての商業ビルは、美聖にとっては家族と来るのも勇気がいる場所だった。

 月命日にひっそり一人で来ることはあるが、様々な感情が渦巻いてしまい、落ち着かなかったりする。

 まだ心の整理がついていない。

 それでも、こういうドロドロとした思いとどこかで折り合いをつけなければならないことは、覚悟をしていたはずだ。

 降沢の申し出は、チャンスに違いない。


(積極的に、降沢さんが動いてくれると言ってくれているんだから……)


 幸か不幸か、姉の最期の場所は、都内である。


 ……ぜひ、行きましょう!


 ……と、美聖は自らを鼓舞するように、大きな声で快諾した。


 そして、食事の後……。


 美聖は降沢を伴い新宿から電車を乗り継いで、人通りの少ない薄暗いビルの裏手までやって来た。

 映里は、ビルの合間に挟まるようにして、仰向けに落ちていた。

 発見が遅れたのは、人気がない路地裏で目撃者がいなかったことと、当時、付近で道路工事をしていた為、落下した音が聞こえなかったせいではないかと父が話していた。

 もしも、もっと早く、病院に搬送されていたら、姉は助かったのだろうか?

 いや……そんなことはない。

 ほぼ即死だったと、病院の先生が告げていたはずだ。


(キツイな……)


 腹は括っているはずだが、いざその場所に立つとどうしようもなく、体が竦んでしまう。

 花を手向けた手が無意識に震えた。

 そんな美聖の左手を、降沢はそっと握ってくれたわけだが……。


「一ノ清さん、お姉さんが飛び降りたのはビルの屋上からですよね?」

「えっ、ええ……」

「行ってみたいんですが、いいですか?」

「はっ?」


 美聖が聞き返した時には、降沢はすでに率先して歩き出していた。

 手を握られているので、美聖は引きずられているような形となっている。


「あの! 降沢さん、屋上は今、立ち入り禁止だと思いますよ。入れませんって」 

「行くだけ行ってみましょう」

「でも……」


 姉の件があったのだから、屋上は完全に封鎖されているはずだ。

 しかし、降沢は交差するようにして、立ち入りを禁止していた二本の鉄パイプを謎の力を発揮してどかしてしまい、あっという間に扉を開けてしまった。


「嘘でしょ……」


 不用心なことに、施錠されていなかったようだ。


(こんな偶然ってあるのかしら?)


 もしも、あるのなら……映里の導きかもしれない。


「あっ、降沢さん、待ってください!」


 湿りっ毛のある生温かい風が轟々と高所に吹き荒れている。

 結わって来なかった髪が躍り、フレアスカートは捲り上がりそうだった。

 美聖はあっちこっちを手で押さえながら、前に進む降沢を追った。


「一ノ清さん、あれ、新宿の都庁でしょうか?」

「……うーん、そうかもしれませんね」


 景色について、それ以上語ることができなかった。

 十階建てのビルから望む景色は、都会の灰色のオフィスビル群のみである。


(お姉ちゃんは、本当にこれで良かったのかしら?)


 人生最期に、こんな無彩色の風景を目にしたかったのだろうか?


「降沢さん、私、屋上に来たの……初めてなんです」

「えっ!?」


 刹那に、降沢が反応した。


「すいません! 一ノ清さん、屋上は駄目でしたか?」

「今更ですよ。降沢さん」

「僕はどうして……まったく配慮が足りなくて」


 降沢の不安そうな表情を目にすると、美聖の方が冷静になってしまうのが不思議だった。


「そんなことより……降沢さん、ここで何か、気になることがあったんですか?」

「いや……どうして、お姉さまは、このビルにしたのかなって?」


 それは、美聖も常々思っていたことで、更に現在進行中で疑問に感じていることだった。


「……私にもよく分からないのですが。柵が低い……からとか、そういうことなのでしょうか?」


 屋上を取り囲んでいる柵が、若干低いような気がする。

 映里は大柄ではないから、飛び越える時の手間を考えた可能性はある。


「そうか……。確かに、君の言う通りですよね」


 降沢は向かい風に体を預けるようにして、手摺の方に行ってしまった。


「ちょっと、降沢さん! 危ないですよ!」

「平気、平気」


 振り返った降沢は、安穏としている。

 平気でないのは、美聖の方だ。

 ひょいと柵から体を乗り出した降沢は、じっと下を覗きこんでいる。

 そのまま、降沢が風に導かれるままに、軽く柵を乗り越えて行きそうな予感がして、美聖は気が気でなかった。


「…………降沢さん、早くこっちに来てくださいよ」


 返事がない。

 美聖は仕方なく、彼の傍まで前進した。


(降沢さん、フリーズしてる……)


 降沢は、そのまま柵にもたれて思案しているようだった。

 美聖は降沢と同じポーズを取るべく、更に接近しようと試みるが……。


(私には、無理だわ……)


 そこから、映里が飛び降りたと思うと、とてもじゃないが、柵の方まで行くことなんてできない。

 目をつむって後ろ向きに歩き、前を向かないように、背中で凭れることが、せめてもの妥協点だった。

 降沢は、そんな美聖の涙ぐましい努力を見ていなかった。

 さっきの会話は何だったかのというくらい、また自分の世界に入ってしまっている。

 だからこそだろう。

 最初その言葉は、独り言だと思ってしまった。


「やはり……違うかもしれません」

「…………えっ」

「一ノ清さん」


 降沢は、美聖に話しかけているらしい。


「本当に、お姉さんは自殺なのでしょうか?」


 横から垣間見た限り、降沢の視線は、柵の真下に向いている。

 映里の落ちていた場所を、見下ろしているようだった。


「…………降沢さんは、姉が自殺ではないと思うのですか?」

「まあ……証拠はありませんけどね……。なんか、もやもやします。ここまで来たら、ちゃんと、はっきりさせた方がいい」


 俄然、やる気を出している降沢が怖い。

 ……かといって、今更美聖に彼を止める権利はない。


(私のせいで、おかしなことにならなきゃいいけど…)


だが、降沢は美聖の内心を読んできたかのように、念押しした。


「でもね、一ノ清さん、これは君のためというより、僕のためなんです。だから、君は変に意識しないで下さいね。確信が持てたのなら、二人で答えを出し合いましょう」


見事な回答だ。

美聖に罪悪感を抱かせないよう、しかし、これ以上は話せないことを、しっかりと明言している。


(話したくないのね。降沢さんは……) 


 姉の死因を、降沢は憶測では話したくないのだ。

 映里の死の原因を探していた美聖だったが、それは、あくまでも自殺と見立てた場合だった。


 もし、自殺でないとしたら、一体……。


(やっぱり、レンヤ……という人が、関わっているの?)


 その後、間もなくして、降沢のスマホが鳴り響き、心配したトウコが車で理純を迎えに寄越したことを伝えてきた。

 絶対、美聖がトウコからのメールの返信に、これから姉の最期の場所に行くと送ったせいだ。


「よう、お二人さん、お疲れ」


 真っ赤なオープンカーで乗り付けてきた理純は、上下ジャージ姿だった。

 ちょっと、近所に散歩しに来たような風体と、ゴージャスな車とのギャップに美聖の頭の中を、はてなマークが埋め尽くした。


「何だ、ご両人。似たような……鳩が豆鉄砲食らったような顔してさ」


 理純は、今日の重要事項だった西河マリアの講演会のことなど一切聞かずに、車内で、一人うるさくよく喋った。


「……で? 二人で、こんな時間まで何処に寄り道していたんだよ? この辺りホテルが多いけど」

「理純。貴方僧侶でしょ? 下種な勘繰りは、やめて下さいよ」


 どうやら、理純には映里の最期の場所に行ったことは伝わっていないらしい。

トウコが伝えなかったのか、理純が聞かなかったのか……。


「下種じゃないだろう? 別に悪いことしてるわけじゃないんだ。それに、なんかよー。前に比べたら、二人の距離が近いと思ってな」

「まさか! そんなこと……」


 美聖は後部座席で、隣に座っている降沢から気持ち程度離れた。

 理純に揶揄されることを、降沢が嫌がっているのだろうと、気を利かせたつもりだったが……。

 あからさまに溜息を吐いた降沢は、心なしか少し残念そうだった。


「理純……。貴方は、幼稚園児並みのからかい方をしますよね?」

「そうかね。俺は、物事をシンプルに考えているだけだけどな? お前は複雑に考え過ぎなんじゃねえの。いっそ、俺と一緒に一晩中、山を駆けてみるか。すっきりするぜ!」

「僕を殺す気ですか」


 降沢の機嫌が悪くなるほど、理純のテンションが上がる、おかしな状況を続けながら、高速を使ってあっという間に逗子に着いた。


「じゃあ、また明日。おやすみなさい。一ノ清さん」

「おやすみなさい。降沢さん」


 美聖の自宅前に到着したのは、夜十時を回った頃だった。

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