⑥
胸元で十字を切って、天を仰いだマリアは目をつむった。
「今から、なぜ、映里さんは死んでしまったのか。死者の声を拾うわ……」
そんなことを頼んだわけではないが、やってくれるというのなら、止める理由はない。
マリアは手を固く組んで、聖句を唱えると、突然涙ながらに話し始めた。
「暗く冷たいイメージ。裏切られた絶望感。悲しい気持ち……。こんなはずじゃなかったのにって……泣きながら……。誰に裏切られたのかしら? 男性……みたいだけど」
「男性?」
美聖と降沢は、顔を見合わせる。
マリアは、美聖の背後に目を凝らしていた。
……映里を視ようとしているのかもしれない。
「ねえ、映里さん。だって貴方は、あんなに幸せそうだったじゃないの。私が言ったとおり何でもしてくれて、レンヤくんとやり直すように言ったら、喜んでその通りにしてくれたじゃない……。これからは、明るい未来が待っていたはずなのに……」
「…………レン……ヤ?」
聞き返したものの、マリアの反応はなく、その後、悲鳴を発して頭を振って瞠目した。
「駄目だわ。ぜんぜん、視えない。どうして、映里さんは、私に姿を見せてはくれないのかしら?」
「先生。レンヤくんって?」
「映里さんのパートナーよ。私の講演会にいつも来てくれた子なの。二人とも来なくなったから、てっきり幸せすぎて、私のところに来る時間がないと思っていたのだけど」
「レンヤくんの名字を、教えてくれませんか?」
降沢が忙しなく尋ねるが、マリアは息を整えるのに必死で回答はそっけないものだった。
「さあ……。知らないわ。私は何も知らない方がいいから、知らないようにしているの……よ」
少し寂しげに、何処か遠い目をしている。
それは、降沢がたまに見せる茫洋とした眼差しに似ていた。
今のたった数分で、一気に疲れ果てたのだろう。
綺麗に整えてあった髪は乱れ、よろめきながら立ち上がったマリアは、窓の方に向かった。
最上階の窓からは、東京の全景が見渡せる。
「……ああ、映里さんは本当に亡くなってしまったのね」
ぽつりと呟いたマリアの後ろ姿に、含みを感じた美聖が続けて立ち上がった瞬間、マリアがゆらりと振り返った。
「映里さんが寂しいと言うから、彼女と相性の良いレンヤくんを紹介してあげたのよ。子供がいても受け入れてくれる彼のもと、せっかく、幸せになる方向に導いてあげたのに、どうして死ぬ必要があったのかしら? 分からないわ」
「先生は、姉に男性を紹介したのですか? 姉はその人が良いと言ったんですか?」
「ええ。とても、相性が良いのが分かったから、二人を私の目の前で引き合わせてあげたの。二人共、戸惑っていたけど、でも、きっと二人が大丈夫だということは、私には分かっていたのよ。二人の未来が視えていたから……。私ね、男女の縁を結ぶのが得意なの。何人も私の引き合わせで、結婚しているのよ。だから、映里さんも上手くいくはずだったわ」
(それは………………)
酷くはないのか?
映里の意思はどこにあるのか?
それでいいと言っても、本当に良いはずがない。
あれだけ、意思の強かった映里が誰かの言いなりになって、結婚相手を見つけるなんて、そんなこと有り得ない。
「西河先生……。 それは、反則なのでは? だって、先生が指示をしたら、ただのお見合いでは済まなくなってしまいます。判断力が衰えているところに、信用しきっている人から、この人が良いと言われたら、相手を好きになるより先に、この人と結婚しなければならないという義務感が勝るかもしれません」
「それでも、幸せになれるのなら、良いじゃないの?」
やんわりと、しかし揺らぎのない口調で、マリアが返答した。
美聖は頭を振った。
そもそも、幸せの定義なんて、人それぞれで分かりはしないではないか。
「鑑定は……押し付けになってしまってはいけないのだと思います。あくまでも、代案をいくつか用意して、選択はお客様自身に委ねる。お客様にとっては、はっきりしない占い師だと思われるかもしれませんが、人生を変わってあげることは出来ないのですから、最後の決断はお客様に委ねるべき……。そういうものなのでないですか?」
「私のところには、はっきり導いて欲しいと望むお客様がいらっしゃるの。私はお客様の希望を叶えてあげているだけだわ」
「……でも」
そうかもしれない。
だけど、美聖には腑に落ちないのだ。
「…………確かに。そういう考え方もあるのでしょうね……」
平行線をたどりそうな会話の中に、降沢が飛び込んできた。
「もちろん、高いお金を払っているのです。はっきり言ってくれて、幸せに導いてくれる人の方が絶対にお客さんも喜ぶでしょう。でも、元々辿るべきだった人の宿命すら変えてしまったのなら? それは人の領域を逸脱した行為です。……確実に食われますよ、貴方?」
腕を組んだ降沢は妖艶な笑みを、マリアに送っていた。
美聖はそんな降沢の表情から目が離せない。
(そうだ……。この人は)
何度も、怖いと感じていた降沢のもう一つの顔。
断言しているところをみると、降沢は知っているのだろう。
その領域のことを……。
(もしかして、トウコさんも……食われたんじゃ?)
だから、美聖に鑑定結果を押し付けるなと、釘を指していたのだろうか……。
「貴方……?」
マリアは降沢を凝視しながら、凍り付いていた。
「貴方……一体誰なの? ……貴方も、私と同じ側の人間じゃないの。そうよね?」
「僕は……」
降沢は美聖を一瞥すると、一切の迷いもなく告げた。
「僕は、彼女の夫です。だからこそ、一緒に義姉のことを調べているんですよ」
「………………っ!?」
この期に及んで、何てことを言うのだろう。
きっと何か考えがあってのことだろう。だけど、美聖の心はパニック状態だ。
更に追い詰めるように、ノックの音がこだまして、美聖は身を竦ませた。
「なっ、何?」
「先生! そろそろお時間ですよ」
返ってきたのは、優しそうな男性の声だった。
「あっ! ごめんなさい」
マリアはきつくなっていた眼差しを和らげて、最初に応対した時のように、ほんわかした笑顔を装着した。
「ごめんなさいね。時間が来てしまったみたい。映里さんのこと、教えて下さって、ありがとう。また講演会や、個別鑑定でお会いできる日を楽しみにしているわ」
にこにこしているが、一刻も早く出て行けの合図だろう。
美聖と降沢は礼を告げ、軽く一礼すると、すごすごと、重い扉を開けて部屋の外に出た。
――と、そこに。
丁度、それを待っていたらしい、マリアを呼びに来た男性が立っていた。
「あっ、申し訳ありません。何だか急かしてしまったみたいで……」
即座に謝罪されて、美聖も軽く頭を下げた。
「いえ。先生には、お忙しいところ時間を作って下さって有難かったです」
顔を上げたら、珍しい茶色っぽい瞳が美聖をじっと見つめていた。
やや茶色がかった髪の男は、人形のように整った顔立ちをしていた。
降沢と同い年か、年下か……。
男はグレーで、降沢はダークグレーのスーツを着ている。男の方は、ポケットチーフを挿していたが、まるで対のように、降沢と男は身形と雰囲気がよく似ていた。
ぼうっと見ていたら、降沢が美聖の腕を掴んでいた。
「えっ、どうしたんです……?」
「あっ、いやその……」
降沢が言いにくそうにしていたが、美聖もまた彼の気持ちにすぐに気が付いた。
男とすれ違うその間際、降沢が気にしている物の正体に気がついたのだ。
左胸のコージに輝くひまわりの徽章。
――弁護士バッチだった。




