⑤
――日曜日。
結局「アルカナ」は、トウコとヘルプの理純の手によって開店することになった。
美聖は降沢と駅で待ち合わせて、開運アドバイザー西河マリアの講演会に参加したわけだが……。
しかし、新宿のホテルのホールを貸し切った満員御礼の講演会の中身は、驚くほど内容のないものだった。
――これが十万円?
「……うん、まあ、価値があるということなんでしょうけど」
美聖は講演中にも関わらず、声に出してしまった。
今日もまたスーツ姿の降沢と二人でいることに、当初、緊張を覚えていたくせに、講演会が始まってすぐ、あまりに無味乾燥な内容に、いろんな感情が吹き飛んでしまったのだ。
(これってさ……)
悪い噂で耳にしたことのある自己啓発セミナーのような……。
必ず幸せになると、参加者に叫ばせて、言霊で幸せになれると説く手法と一緒だ。
「なんか……よくテレビで見かける、講習で受験生たちが先生に叫ばされているような感じですよね」
独特の空気の中、マイペースを崩さない降沢が欠伸をしながら、暢気に言った。
「いや……もう何というか、その……」
降沢がテレビを見ていることが衝撃的だったが、今はそんなことはどうでもいい。
彼は、こんなことで良いのだろうか……。
(……こんな会に、大枚はたくなんて)
しかも、トウコは最初に二十万円もかけているのだ。
(とても、喫茶店収入だけじゃ賄えない額だよね……)
いずれ返すつもりでいる美聖だったが、正直こういう講演会は初めてで、怖くなっていた。最終的に、何か買わされるのではないだろうか?
不安は尽きないものの、二時間半の講演会は、粛々と進んでいる。
空席は、驚くことに一つもない。
(それだけ、西河マリアが魅力的だということ?)
どれだけ、キツイ女性なのだろうと、美聖は身構えていたのだが、予想に反して、西河マリアは穏やか人だった。
シックな黒のワンピースは、父兄参観に来ている保護者のような格好だったし、ナチュラルな化粧も、横から一つに結っている髪型も自前ぽくて、お金を荒稼ぎしているようにも見えなかった。
ネットの情報だと、五十六歳だということだが、どう見たところで、四十代前半にしか見えない。近所にいる円のママ友のような雰囲気だ。何処か天然っぽい、ゆっくりとした話し方も嫌味っぽくはなかった。
美聖は、西河マリア自身に、マイナスな感情を抱かなかったが、しかし、講演会内容はやはり退屈で、願望を叫ばせたと思ったら、開運アドバイスの体で、風水なども取り入れて、西に黄色だの、鬼門に玄関は良くないだの、何処かで聞いた話をするばかりだった。
(一体、いつになったら、タロットカードの話が出てくるのかしら?)
待ちに待っているカードの話は一言も出てこない。眠気が苛々に変わりそうだった。
……だけど。
終盤に差し掛かってきた頃、司会者の口から個別鑑定の話が出てきて、美聖は彼らのやり口に合点がいった。
降沢も気づいたのだろう。
なんてことないふうに、淡々と語った。
「つまり、個別鑑定希望なら、別途料金を払わなければならないということなのでしょうか?」
途端に、美聖は震えあがった。
「もういいですからね。ここまでにしておきましょうね。降沢さん……」
いくら何でも許容範囲を越えている。
これで、映里の死と関係がなかったら、一体どうするのか?
「ですが……。せっかく来たことですし、これだけ参加者がいるのも、個別鑑定目当てなんでしょう?」
「だめです。絶対にだめですからね」
特段声を張り上げたつもりでなかったのに、意外に場内に響いていたらしい。
参加者の視線が降沢と美聖に集まっていた。
それは、西河マリアも同様で、猫のような丸い大きな目の中に、美聖と降沢がしっかりと映りこんでいた。
「あら……貴方?」
唇に手を当てて、何やら思案している。
「…………何……でしょう?」
美聖は上目遣いで聞き返すが、西河マリアが声を発する前に、司会に促されて彼女は、プログラムの進行を始めた。
「降沢さん、今の……?」
「何か言いたげでしたね?」
かくして、講演会終了後に美聖は司会者に丁重に呼び出された。
「西河先生が、お話されたいことがあるとのことですが、少しお時間はあるでしょうか?」
(あちらから、ご指名とは……)
願ってもない申し出だった。
降沢と美聖は顔を見返して、頷き合った。
案内されるままに、ホテルの最上階のスイートルームに向かう。
多分、今日が一生の中で、最初で最後になるだろう、スイートルームのふかふかの絨毯の上をヒールの尖った踵で刻みながら進んでいくと、あどけない少女のような微笑を湛えた西河マリアが豪奢なソファーにちょこんと座っていた。
西河マリアは、檀上にいた時は余り感じなかったが、随分と小柄な人のようだ。
美聖より、一回り以上も小さい。
「ごめんなさいね。お呼び立てしてしまって。私もちょっとしか時間が取れないんだけど、どうしても話がしたいと思ったのよ」
「えーっと……。一体、どうして?」
「だって、貴方……映里さんの身内の方でしょう?」
「……姉を、ご存知なのですか?」
「当然よ。個人情報とかあるから、滅多なことで呼び出しはしないけれど、貴方が映里さんのことを強く思って、ここに来たことが伝わってきたから、どうしたのかしらって思ったのよ」
普通に彼女の話を聞いていたら、何をおかしなことを口にしているのだろうと、横槍を入れたくなることだが、美聖は藁にもすがる気持ちだった。
「姉は……先生の客だったのですか?」
「よく来てくれていたわ。一年ちょっと前から、ぱったり来てくれなくなったから、どうしているのかと思ったのだけど? 妹さんは、彼女を捜しているのかしら?」
美聖の気持ちを読むことは出来ても、映里の行方については知らないらしい。
黙り込んだ美聖に、少女のような澄んだ瞳が向けられている。
……やがて。
「あら、嫌だ。ごめんなさい。座ってちょうだい。いやねえ。どうも、私ったら、配慮が出来なくて」
とても名高い開運カウンセラーのようには見えない低姿勢で、マリアは中腰になって、美聖と降沢を誘った。
促されるままに、ソファーに腰をかけた美聖は逡巡の末、正直に話すことにした。
「西河先生……。実は姉の映里は昨年亡くなったのです」
「………………えっ?」
呆けた表情のマリアは、次の瞬間口に手を当てて、絶句した。
「嘘でしょ? だって……私には視えなかったわ」
「…………本当です。もう一周忌も終わりましたから」
「そんなはず……」
……さすがに、美聖も悟った。
マリアは、映里の死を悼んでいるわけではない。
自分の能力が彼女の死を悟れなかったことに、ショックを受けているのだ。
ぐっと赤いスカートの上で拳を握りしめた美聖に、降沢が寄り添うように距離を縮めた。
(分かってる……大丈夫よ。降沢さん)
美聖は、心の中で降沢に呼びかけた。
このくらい、たいしたことでもない。身内でもない限り、普通の反応ではないか。
「私にも未だに信じられなくて。姉は、ビルの屋上から飛び降りて亡くなりました。でも遺書も何も残っていません。先生は生前の姉のことを知りませんか?」
「……映里さんが亡くなったのが去年の秋口だったしたら、私は直前まで会っていたはずだわ」
「姉にタロットカードの女帝を渡したのは、先生なのですか?」
「ええ、そうよ。私がカードをプレゼントするのは、稀なんだけど、個別鑑定で特別なお客様には、キーカードをプレゼントするのよ。映里さんは女帝だったの。力強く子供を抱いている強い母のイメージが降りてきたから……」
「あのタロットカードには、子供はいませんでしたよ」
先日、美聖が見せた女帝のカードを思い出しつつ、降沢が首を傾げる。
「実は……ウェイト・ライダー版のタロットには、子供はいませんが、他のタロットカードには、子供を抱いた構図のタロットもあるんですよ。女帝は子供を生む母の象徴でもあるんです」
「……そうなんですか」
「貴方、タロットカードについて、詳しいのね?」
「ええ……少しだけ。亡くなった姉の手に「女帝」のカードが握られていたので、自分なりに調べたんです」
「ちょっと待って。 映里さんは、私があげたカードを握って亡くなっていたの?」
美聖の狙い通り、マリアは自分のあげたカードを映里が握りしめて死んでいたことに、混乱していた。
作った表情ではなかった。
(……やはり、この人は?)
「先生は、何もご存知ではないのですね……」
降沢も美聖と同様のことを感じたようだった。
こくりこくりと、何度もマリアは首肯した。




