③
降沢が何も感じないのなら、仕方ない。
――あの日から、美聖は、ある意味すっきりした気持ちで過ごしていた。
降沢と出会ってから、心の何処かで、彼に姉のことを尋ねてしまうのではないかという、恐怖心があった。
それだけは駄目だと言い聞かせながらも、何処かですべてを話して楽になりたい、自分がいたのだ。
そして、ついにぶちまけてしまった訳だが、降沢はカードには惹かれないと、ばっさり結論づけてくれた。
きっと、これで良かったのだ。
亡くなった時に、映里が手にしていたから、何かあるのではないかと疑っていたわけだが、特段思い入れのあるものでもなかったようだ。
(私が使っていたタロットカードと同じだからって……)
降沢は他に遺留品があるのなら……と申し出てくれたが、まさか当日に身に着けていた血染めの服を持ち込む訳にもいかない。
(そんなことまでしたら、益々後悔するわよ)
気になるのなら、やはり自分の手で調査すべきだったのだろう。
降沢との冷ややかな関係は、自業自得だ。
あの一件以来、一際大きな壁が出来てしまったようだが、それも美聖が何処かで望んでいたことなら、少し寂しくても我慢しなければいけない。
収まるところに、収まっただけのことだ。
そう感じているから、美聖は、極力笑顔で過ごしている。
お客様も一段と増えたし、鑑定している時の美聖は別人だ。
降って来たメッセージを読む作業は、ある意味神憑りで、自分を自分でなくしてくれる。
(もうしばらくの間は、店に置いてもらっても大丈夫かしら?)
そう感じていた閉店後……。
「美聖ちゃん、ちょっと話があるんだけと、いいかしら?」
サングラスをずらして、真剣な眼差しのトウコに話しかけられた。
トウコは、美聖の掛け持ちバイトのスケジュールも知っている。
今日、美聖がこの後、オフであることは、承知だったのだろう。
仕事中には感じなかったが、有無をも言わさない勢いを持っていた。
(一応、バイトはないんだけど、円のお迎えに行かなきゃならないんだよね……)
さすがにそこまでは話していなかった。
いつもは、定時で上がりの父が、円の学童保育の迎えに行ってくれるのだが、今日は残業になるらしいので、必然的に美聖が行かなければならないのだ。
……とはいえ、まだ充分に時間はある。
すぐに終わるだろうと、予想して美聖は軽いノリで返事をした。
「えっ……はい。大丈夫ですけど、掃除が終わってからでいいですか」
「あとはテーブルだけでしょう。それは、いいから」
「はあ……」
美聖は握りしめていた布巾をそっと掃除の収納棚にしまって、トウコに促されるままに、降沢の前の席に腰をかけた。
……いや、しかし。
この距離はあの日以来、あり得ない近さだ。
降沢の茫洋とした目が美聖の周辺を漂って、トウコに向く。
彼のだぼだぼの白いシャツを懐かしく感じてしまうほどに、美聖は降沢と距離を置いていたようだった。
忘れていたはずの心拍音は、うつむいてやり過ごすしかない。
手早く、三人分の紅茶を淹れたトウコは、美聖の隣に腰をかけると、ふうっと一息を吐いた。
「……浩介。血相を変えて、一体、何なのでしょうか?」
意外に短気な降沢が最初に切りだした。
しかし、軽やかに降沢を無視したトウコは、テーブルの下で足を組みながら、上体だけ美聖の方に向き直った。
「ねえ……。美聖ちゃんに、聞きたいことがあるんだけど」
「はい、何でしょう?」
「お姉さまが、はまっていた占いとか、セミナーとか、調べたことある?」
「それは、まあ、一通り……」
どうして今更、美聖が忘れて欲しい話題をトウコがするのか分からないが、この人のすることは、大抵意味がある。
美聖は当たり障りのない言葉を選ぶのに必死だった。
「評判を見て回りましたけど、あまりにも沢山ありすぎて」
「どのくらい?」
「凄まじいことに、三十社以上は、あるみたいです」
「それじゃあ、一人で調べるのも骨が折れるわよね」
「でも……トウコさん。少なくとも、客を自殺に追い詰めるような悪徳業者の名前は、確認できませんでした。他の占い師の人にも、聞いたことがありましたが、待遇が良いとか悪いとか、その程度のことしか……。トウコさんにも聞いたことがありましたよね?」
「ああ、電話占い会社の評判とかでしょう。てっきり、美聖ちゃんがバイトをするのかと思って話したことはあったけど……。まあ、そうね。美聖ちゃんから聞いた会社は、悪くはなかったはず。鑑定士の質も上下あるけれど、強烈な先生はいないはずだわ」
顎を擦りながら、片手でテーブルを叩きつつ、トウコは思考を巡らせているようだった。
「あの……トウコさん?」
美聖が口を挟む前に、降沢は合点がいったのだろう。
「浩介……。もしかして?」
「そうなのよ」
トウコは深く頷いてから、サングラスを外した。
灰色の瞳で、降沢と美聖を交互に見比べる。
「あくまでも、占い師としての情報なんだけど、一種の宗教みたいになっている開運アドバイザーがいてね。その人、常連のお客様にタロットカードを配っているって噂なのよ。鑑定結果に沿って、キーカードを渡すんですって」
「カード……一枚だけですか?」
「らしいわね。どうせ配るのなら、七十八枚、丸ごと渡せばいいのにね」
「それで、トウコさん、その人の名前は……?」
美聖は映里が持っていた沢山の占い師の名刺や、スケジュール帳にあった名前を、頭の中で、広げながらトウコのピンク色のシャツを掴んだ。
トウコは一拍間を置いてから、いつものよく通る声で言い放った。
「西河マリア」
「マリ……ア……?」
そういえば、映里のスケジュール帳に、マリア様がどうのとか書いてあったような気がした。
しかし、マリア様はあくまでもキリスト教のイメージで、実際身近にいた人物だとは、思ってもいなかった。
「そんな名前の人がいたような……いなかったような……」
「そうよね。名前が名前だしね。でも、この人……業界内では手広くやっているみたいで、政財界の大物にも顧客がいたりするらしいのよ。彼女の実力については、賛否両論みたいだけど」
「ところで、浩介、そんなネタ、どこで仕入れたんです?」
「当然、恵慧様からでしょう……」
「………………ああ、そうでしたか。その手がありましたか」
降沢がブリザード級の微笑を口元に湛えていた。
純粋に、存在自体が降沢の脳内から消し去りたい人物だったらしい。
「あの……恵慧さまって? どなたでしょうか?」
「理純のお父様よ。お坊さんだけど、密教占星術の達人で、占術協会の理事もしていらっしゃったかしら……。美聖ちゃんに渡したお札は恵慧様、作成のものよ」
「……そうだったんですか」
理純の父親がそんな大物だったなんて、予想もしていなかった。
美聖の専門外だが「密教占星術」とは中国から空海が持ち帰ったとされている経典の中に登場する占いである。生年月日から二十七宿に分けて、人の性格や相性を鑑定する方法である。
仏教で占いというと不思議な感じがするが、意外に学んでいる僧侶はいるらしい。
「恵慧さまご自身、顧客にいろんな方がいらっしゃるから、占術界の噂話には詳しいと思ったの。まあ、占いの世界自体、狭いから。美聖ちゃんが捜していても、いつかは見つかったかもしれないけど……」
「そんなことありませんよ。絶対、私一人ではたどり着けませんでした」
――タロットカードを配っている占い師がいる。
その発想自体、美聖にはないものだった。
トウコがいなかったら、永遠にたどり着かなかったに違いない。
西河マリアなる人物が、映里の死に関与している可能性は低いだろうが、本当に彼女が映里に女帝のカードを渡したとしたら、死の原因につながる何かも見えてくるかもしれない。
「ありがとうございます! トウコさん。理純さんにもお父様にも、よろしくお伝えください。もし、お礼が必要ということでしたら、出来る範囲で必ず致します。私、頂いた情報をもとに、今度こそ、自分でちゃんと調べてみせますので」
「待って下さい。一ノ清さん」
「はい?」
突然、降沢が介入してきたので、美聖は目を丸くした。
「一人で調べるというのは反対です」
「どうして?」
「………………なんとなく」
特に理由はないらしい。
(変なの……)
トウコと同じように、腕組みをしている降沢は、何やら不機嫌そうにも見えた。
「大体、浩介、そこまで分かっているのですから、すでに、色々と西河マリアという人について調べているのでしょう?」
「……まあね。でも、全部は調べ切れていないわよ。探偵じゃないんだから……」
そんなことをぶつぶつ呟きながら、トウコはサングラスをぶら下げた胸ポケットから、光沢のある三つ折りの紙をテーブルにぽんと置いた。
降沢がそそくさと、紙を広げると、真ん中に大きく楷書体で「西河マリアの開運レッスン」と書かれていた。
「他には?」
「はいはい」
降沢の一瞥を受けて、トウコは再び胸ポケットから、二枚の細長いチケットを取り出した。
「見ての通り。西河マリアの講演会が今週末にあるって聞いたから、チケットを入手してみたの」
「随分と、良いタイミングで入手できましたね」
含みを持たせた一言を降沢が浴びせているが、美聖には関係ない。
はいっと声を上げて挙手をすると、鼻息荒くトウコに詰め寄った。
「トウコさん、そのチケット買い取らせて頂いても良いですか?」
「美聖ちゃん……?」
「私、ここまで皆さまを私事で巻き込んでしまって、申し訳ないと反省しているのです。元々、これは自分の問題ですから、西河マリアに接触するのは、私だけで良いと思うのです」
トウコにまで、美聖の事情で迷惑をかけてしまっている。
(申し訳なさすぎるよ……)
美聖の我儘で、いろんな人を振り回してしまった。
もはや、恥ずかしい記憶を封印するためにも、姉の問題は、美聖一人で立ち向かわなければいけないのだ。
――それなのに。
「でも、一ノ清さん。このチケット一枚十万円しますから」
「一万円じゃなくて……ですか?」
何を言っているのか。
冗談だと笑ってみせたが、悲しいことに降沢は真顔のままだった。
「確かに、十万ですよ」
「せめて、ペアで十万とか?」
「お一人様と書いてありますね」
(……んな馬鹿な)
冷静な降沢の指摘に、絶対に一桁金額を読み違えているのだと、美聖は高をくくって講演会チラシをチェックした。
――が、無駄だった。
何度見ても、桁数に間違いはない。
お一人様、十万円が正しかった。
「………………これ、少々、高すぎやしませんか?」
美聖の脱力しきった降参ぶりに、今度は降沢が軽く手を挙げる。
「浩介、このチケット僕が買い取ります」
「…………はっ?」
困惑と羞恥と罪悪感と緊張とときめきの、ごちゃまぜになった顔で、美聖は降沢を見上げた。
「一ノ清さんと、僕も行きます」
無表情のくせして、一切妥協しない頑固な意志を漲らせて、降沢は宣言したのだった。




