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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
幕間 秋
40/67

✿3✿

 別に「金」で人間の価値を決めるつもりはない。

 もしかしたら、財布の中身の札束は、降沢の小細工かもしれないのだ。

 それでも、出前寿司の支払いを自分がすると言い出した降沢の財布の中に、大量の万札を見つけてしまった私は、動揺を隠せなかった。


(ニート画家でも、北鎌倉の一軒家に一人暮らしということは、遺産相続などで収入があったということなのか……。だったら、美聖の未来も安泰……か?)


 ――いやいやいや。


 駄目だ。色々あったせいで、現金な考え方ばかりしてしまう。

 そんな私を降沢は上手い相槌で、もてなしてくれた。

 おかしい。

 こんな簡単に懐柔される予定ではなかったのに。

 私は思った以上に、鬱憤を溜めていて、酒の力はなけなしの警戒心を完全に解いてしまった。

 だから……。

 美聖が眠いと訴えた円を寝かしつけに行った途端、私は話すつもりもなかった本音を降沢に零してしまったのだ。


「申し訳ないね。降沢さん」

「えっ、何がですか?」


 私は焦点の定まらない瞳で、降沢を覗きこんだ。

 降沢は、私と同じくらい飲んでいるはずなのに、酔っていなかった。


「上の娘の……映里の時……私は相手の男の判断を間違えてしまったから、美聖の上司とはいえ、男性である貴方を……どうも、肯定的に見られなくなってしまっているんだよ」

「そんなこと、別に構いませんよ。帰宅して、知らない男が家にあがりこんでいたら、怪しいと思うのは当然じゃないですか」

「そう言ってくれると、有難いんだけどね。でも、やっぱり……画家とか言われると、なんか……気になっちゃうんだよな……」

「占い師と並んで、特殊な職業ですからね」

「美聖も、まさか占い師になるなんて思わなかったんだ。だって、美聖には霊感めいたものは何もない。それは、父親の私がよく知っているんだ。あの子は昔……よく映里のことを占っていたらしいからな。それも理由の一つには、あるんだろうけど」


 私はあえて、映里の死因については話さなかった。

 降沢は美聖の姉映里がこの世にいないことについては、知っているようだったが、それ以上のことは、聞いていないようだった。

 美聖が占い師になったのは、映里の死因に関係しているはずだ。

 だが、さすがに一回会っただけの男に、娘が変死していることを伝えるのには、抵抗があった。


「仲が良い姉妹だったんですね……」

「ああ、昔はね」


 私の口はすっかり滑らかになっている。

 きっと、長い間、誰かに聞いてもらいたかったのだ。


「二人きりの姉妹だし、助け合ってくれたら、良かったんだけど、美聖が思春期を迎える辺りからかな。こちらが冷や冷やするほど、目に見えて仲が悪くなっていってね……。当時の私は本当に困ったものだった」

「そんなに、仲が悪かったんですか?」

「ああ、最悪だったよ。まったく……。美聖は映里に、母親の代わりでいてもらいたかったんだと思う。思春期に、子供は親に反抗するだろう。最初はそれだったんじゃないかってね」

「…………なるほど」

「美聖自身、どうして映里を徹底的に嫌っていたのか、途中から、自分でもよく分からなくなっていたんだろう。だから、あの子は何も言わないけれど、ずっと映里に対して、罪の意識みたいなのを持っているんだよ」


 私は、何杯目になるのか、日本酒をぐいっと煽った。


「私も映里には申し訳ないと思っている。あの子の夫を、ずっと好青年だと思い込んでいた。まさか……ろくに働きもしない、ヒモだったとはね……。私の目は曇りきっていたというわけだ」

「映里……さんは、お父様に、それを話さなかったんですか?」

「あの子は、一言も弱音を吐かなかったよ。彼の死後になって、私は映里の友達からそのことを聞いたんだ。酷い話だろ?」


 なぜ、こんな話を彼にしているのか分からないまま、私は空になっている彼のグラスに酒を注ぐ。


「再三、一緒に住もうと、映里には話したんだが、あの子は死ぬまでここに帰って来なかった。それもまた、美聖を苦しめているんだろうな。映里が死んでしまうくらいなら、自分が家を出れば良かったんだって、話していたことがあったからね」

「………………辛い……ですよね。肉親が亡くなるのって。その時よりも、後々、尾を引くように、黒い染みのようになって、拭きとっても取れないような傷になる」


 降沢は、注がれたばかり酒を一気に飲み干した。

 苦々しい表情は、同情だけではない。彼にもまたそういった経験があるようだった。


「だからね。降沢さん、つい……私の目は厳しくなってしまうんだ。あの子まで、辛い目には遭わせたくはないんだよ」

「僕も、同じように思います。一ノ清さんには……彼女には、絶対に幸せになってほしいです」

「…………………………ん?」


 今、なんて言った?


 ――おかしい。


 この流れで、どうしてそうなる?


(そうじゃないだろう?)


 なぜ、降沢は、そこで自分が美聖を幸せにしたいと言わないのか?

 その……何処か突き放したような物言いが、私には気がかりだった。

 美聖に気があるくせに、肝心なところで、一線引こうとしているような……。


「降沢さん、あの子はねえ、しっかりしているふうに見せているけれど、本当は寂しがり屋で、泣き虫なんだよ」

「えっ? そう……なんですか」

「うん、ほら、鎌倉に閻魔寺があるだろう。昔、あれの閻魔様を見せてやったことがあってね、怖いって泣きだしてしまってね。いつまでも泣き止まないものだから、映里がまたからかってね」

「可愛らしいですね」

「ああ、本当に可愛かったよ。私の中ではね、あの頃も今も変わらない。その美聖が映里の死後、一度も泣かないんだよ。一人で踏ん張ろうとして、自棄になっている。あの子には、支えてくれる人が必要なんだと思う。私じゃ、もう役不足だから……」

「僕は……………………」


 降沢は寂しげに、酒杯に目を落とした。


「一ノ清さんに、支えられてしまっていますね。……こんなんじゃ、嫌われてしまうかな」


 ここまで深追いしても、降沢は決定的な言葉を吐かない。


(まるで、深い河の底にいるようだ……)


 この男の消極的な理由は、どこにあるのだろう。


(妻子持ちなのか、死に別れなのか、それとも……自分自身の問題なのか?)


 降沢の左手に結婚指輪はなかったが、しない男性もいるだろう。

 私は、美聖の恋路の前途多難を思い知った。


(いや、それでも……)


 降沢はこうして美聖のことを想って家にまで訪ねてきたのだ。


(事情なんて、知ったことか……)


 私はおもいっきり酔ったつもりをして、彼の手をがっしりと掴んだ。


「降沢さん!」 

「はっ、はいっ!?」


 今までのまったりムードが急に緊迫感に満ちたものに変わった。


「あの子を頼むよ……」

「へっ?」

「私は個人的に、貴方のことは気に入らない。滅多に絵を描かない絵描きは、絵描きとは言わないだろうが!」

「……そうですよね。はい、仰るとおりです」

「でも、貴方は、今、美聖に近い人だから……。貴方に託すしかないんだよ」

「えーっと……?」

「だから、たしかに、頼んだからね!」


 ぎゅっと掴んだ手に力を込めて、血走った目で睨みつけると、降沢は観念したのか、何度か頷いた後、一言簡潔に答えた。


「分かりました」


 ――そうだ。それでいい。


 答えは、シンプルなものなのだ。

 たとえ、降沢が仕事の上司として娘を頼まれたのだと、思い込もうとしていても、構わない。


「ああ、疲れた」

「えっ、あっ、ちょっと?」


 いい気分で、テーブルに突っ伏した私を、降沢がおろおろしながら、見守っている。

 丁度、その時に円を寝かしつけた美聖がリビングに戻ってきた。


「ああ、もうお父さんったら、酔っ払っちゃって、みっともないんだから。取り合わなくていいですからね。降沢さん」

「でも、こんなところで寝てたら、寒いですよ?」

「まだ寝てないから、いいんです」

「そうなんですか……」


 美聖と降沢、同時に私を見て、それから二人で目を合わせた。

 私がじっとその様を注視していたことに気づいたのだろう、美聖は気恥ずかしそうに、私の介抱に回った。


「もう、起きてるくせに、嫌がらせするなんて。とっとと寝たら、どう? お父さん」

「いいや、まだ私は、飲むんだ」

「まったくもう……」


 美聖は溜息を吐き捨てると、私を無視して、降沢に軽く頭を下げた。


「すいません。父がご迷惑をおかけしてしまって……」

「迷惑だなんて、そんな。素敵なお父様じゃないですか」

「あまり誉めないで下さい。調子に乗るので……」

「おおっ、降沢さん。今夜は泊まっていったら、どうだ?」


 私が降沢と馴れ馴れしく、肩を組もうとすれば、美聖がすかさず間に入った。


「お父さん、飲み過ぎ! 酒臭いから、降沢さんに近づかない!」

「あのー、お父様、さすがにそれはまずいので、僕、今夜は帰ります」


 降沢は恐縮しながら、立ち上がった。


「待ってください、降沢さん」


 美聖は慌てて、帰り支度を始めた降沢に寄り添う。


「私、駅まで送りますから……」

「はっ? やめて下さいよ。子供じゃないんだし」

「いいんです。降沢さん、私のことは、お気にせずに、素直に送らせて下さい」

「どうして? 僕は道を覚えるのは得意なので、平気です。大体、こんな夜分に女性が歩く方が危険ですから」

「いや、普通に夜の十二時くらいなら歩いてますから、問題ありませんって」

「あのね、一ノ清さん、前々から思っていましたけど、ちゃんと、防犯グッズ持って歩いているんですか? スタンガンくらいなら、僕が買いますからね」

「待って下さい。普通に、スタンガンの方が危険なので……。私は大丈夫ですって」

「…………しかし」


 降沢は、美聖のことを心の底から心配しているようだった。


「……………………降沢さんっ!」


 私は隣に転がしていた未開封の大吟醸を、降沢の眼前に突き付けた。


「貴方、これを、みやげに持って行きなさい」

「あっ……は……はい」

「美味いん……だぞ」


 言いながら、その場に崩れ落ちた私に、降沢は一瞬、目を丸くしていたが、やがて大きな声で笑った。美聖もつられて笑う。


 ――ほら、やっぱり。

 良い組み合わせじゃないか……。


  私は人を見る目はないが、美聖の目は信用したい。きっと大丈夫だ。


(私が出しゃばらなくても、いずれ……なるようになるだろう)


 その日、私は健やかな気持で、二人を送り出したのだった。




 ――が、その後日。


 安心した矢先に、落ち込んで帰ってきた美聖を目の当たりにした私は、怒りに震えて、降沢に直接抗議をしようと、北鎌倉の店の前まで乗り込んだのだ。


 結局、勇気がなくて退散してしまったわけだが……。


 そんな間抜けな私の行動については、いつか再び美聖が降沢を伴って、我が家を訪れたときに、執拗に話してやろうと思っている。

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