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――妻が亡くなったのは、秋の訪れと同時だった。
映里と美聖……二人の娘をよろしく頼むと、泣きながら死んだ彼女の二十三回忌が終わって、ほっと一息をついていた翌年の秋に、今度は映里が自ら命を絶った。
妻よりも若い二十代の死だった。
日差しは痛いくらいなのに、吹く風は何処か肌寒さを感じる。
それが秋の始まりなのだと、私はいつも墓の前で思い出すのだ。
(妻だけでも辛いのに、この上……娘にまで先立たれるとは……)
映里の葬儀後、二人の墓前から動くことのできない私に、美聖が明るくかけてきた言葉を私は忘れることが出来ない。
「……お父さん一人じゃ、心配だからね、私も手伝う。他でもないお姉ちゃんの子だもの。育ててみせるから」
何を言っているのだろう。
「お姉ちゃんが握っていたカードが気になるし、昔から占いって好きだから、会社を辞めて、占い師をやってみたいと思う」
バカな子だ。
本当は泣き虫で、打たれ弱くて、誰よりも子供でいたかったくせして、どうしてこういう時に泣かないのか……。
――お前が、そんなことはしなくていい。お父さんのことは放って、自分の幸せを探して欲しい。映里の死のために、占い師になるなんて、馬鹿げている。占い師になるというのなら、お父さんは家にいれないぞ。
本当はこの時、そんなふうに、私は美聖を突き放すべきだったのだ。
それか、もっと美聖の未来について、話し合うべきだったのだ。
しかし、弱いのは私も一緒で、何も言うこともできないまま、だらだらと時間だけを重ねてしまった。
―――この日までは……。
「円の水疱瘡で、七日間も休みを取ってしまったから、もしかしたら、北鎌倉の占い喫茶は辞めることになるかもしれないんだ」
出勤前の私に、バイト先に欠勤の電話を入れた美聖が沈んだ顔で、私に告げた。
そんなに深刻な面持ちをされてしまうと、私もどう反応して良いか困ってしまう。
「そりゃあ、仕方ないことじゃないか。家族の病気なんだから……」
「うん、そうだよね。お店の人も、父さんと同じことを言ってくれているんだけどね。でも、あのお店は、少人数で回しているところだから、今後こんなことがあったら、まずいと思うんだ」
「何だよ。だったら、父さん、何がなんでも休みを取ったのに……」
悲しいことに、内心占い師バイトを反対しているくせして、娘の浮かない顔を見ると、ついそんな出来もしないことを口走ってしまう。
美聖は、そんな私の心中を察しているのだろう。
「大丈夫! ここを辞めたとしても、ちゃんと働くから……」
――と、また、大丈夫でないときに使う言葉を繰り出してきて、話を終わらせるのだった。
(一体、どうしたらいいんだろう……?)
私は、円を引き取ることに関しては、強硬だったくせして、育児と家事のほとんどを、美聖に丸投げしてしまっている。
美聖の自由を奪っているのは、この私だ。
このままでは、本当に定職に就くことも出来ず、結婚はおろか、彼氏すら出来やしないだろう。
……だったら。せめて、アルバイト先くらい、慣れ親しんだところで、長く勤めさせてやりたい。
(最悪、クビという話になったら、私が頭を下げて頼んでみるか……。いや、美聖が迷惑だと怒るだろうし……な)
その後出勤した私は、職場でも鬱々と悩み、どんよりとした気持ちを引きずりながら、取引先から直帰した。
(美聖は明日、占い喫茶に出勤するのだろう。その前に……何か元気づけてあげる言葉があれば……)
悶々と思考を脳内で巡らせている私は、珍しく玄関の鍵が開いている理由について、考えもしなかった。
――が、いつもバラバラの靴が綺麗に並べられているのを発見して、ようやく、家の異変に気付いた。
(えっ? 誰か、来ているのか?)
知らない男性の革靴が置かれている。
「おーい、美聖。誰かいるのか!?」
叫びながら、私は早足でリビングルームに向かった。
(どうせ、親戚の誰かだろう……)
そんなふうに、高を括っていたのがいけなかった。
「…………あっ?」
リビングの私の定位置。
スーツ姿の若い男が、違和感なくそこに収まっていた。
「み、美聖……。これは、どういう?」
私は懸命に目を擦るが、男は消えない。むしろ、こちらに近づいてくる。
「あの……お父さん、この人はね」
まさか、夕方の時間に、私が帰宅するはずがないと、美聖も油断したのだろう。
見事に声が裏返っていた。
「みっちゃんママの彼氏……」
「円! だから、違うって言ってるでしょう!」
悲しいことに、美聖はこの手のことで、嘘を吐くのが下手なのだ。
すべて、感情が顔に出ている。
(こいつ………………何者だ?)
父として、美聖には、一刻も早く幸せになって欲しいと願っていた。
それは本心だったはずなのに、いざ、相手が現れると、敵対心を露わにしてしまうのは、父親の悲しい性なのだろうか。
明らかに、不快感を漲らせている私に対して、しかし、若い男は私の手前で立ち止まると、折り目正しく挨拶をした。
「はじめまして。一ノ清……美聖さんのお父様ですよね。僕は降沢在季と申します」
「降沢……?」
「北鎌倉の占い喫茶の……私の上司にあたる方よ」
美聖が小声で私に耳打ちをした。
「北鎌倉の……」
占い喫茶でアルバイトをしていることは重々承知だが、上司がこんなに若い男だとは、聞いていなかった。
ただでさえ、占い師バイトには、悪い印象しか持っていないのに、こんな若い男と仕事をしてるのかと思うと、私は益々心配になってしまう。
「その……上司の方が、わざわざ自宅まで来て下さるとは、娘に何か用がありましたか?」
「ああ、いえ……。特に用はないんです。ただ、こんなに長くお休みされたことがなかったので、心配になってしまって。つい、来てしまったんです。僕の独断です」
「つい……来てしまった? …………つい?」
「ちょっ、ちょっと、お父さん、ストップ!」
美聖が私のワイシャツの袖を掴んでいる。
どうも凶暴な目になった挙句、掴みがからんという間合いまで、迫ってしまったらしい。
――いや、待て。
私が悪いのか。違うだろう。この男、何てことないように、へらへら笑顔を浮かべているが、今の言葉を反芻してみろ。
――特に用はないけれど、美聖に会いたいから、何だか来てしまった……そういうことじゃないか。
美聖はなぜ、それに気づかないのだろうか……?
おそらく、美聖のことだから、付き合っていないというのは、本当のことなのだろうが、この男はその気が満々ではないか……。
こんな危険な男がアルバイト先にいたなんて、今まで私は知りもしなかった。
美聖が楽しげにバイトに行っていたのは、好きな仕事が出来るからというのではなく、この男がいたからなのか……と。
私はその時、初めて思い至ったのだった。




