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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第3幕 女王の死
35/67

「ふふふふっ。昨日は、何やら遅かったみたいじゃないの?」 


 サングラスをずらして、しまりのない顔をさらした巨大な狸が、寝起きの降沢の前に立ち塞がっていた。

 朝一番がこれかと思うと、げっそりするが、今朝は早めに起きない訳にはいかなかったので、降沢はとりあえず、やり過ごすことにする。


「家まで押しかけた挙句、何やっているのかしらねえ。堪え性がないわよね。芸術家って小難しいこと言っている割に、破天荒な行動をする人が多いみたいだけど?」

「それは、偏見じゃないですか?」

「ふふっ」


 薄気味悪く笑う浩介を押しのけて、降沢はたいして眠れなかった割に、派手にあっちこっちに跳ねた寝癖を擦りながら、自作のユリの花の下に立った

 今日も、我ながら異様な気配を発している絵だ。

 浩介が勝手に命名した絵のタイトル「慕情」。

 真っ白いユリの花と月を描いた絵のどこを慕情だと、当時散々降沢は難癖をつけた訳だが、しかし、じゃあ、他にタイトルを付けるとしたら、何だと考えてみても、意外に良いものが思いつかなかったりする。

 なんだかんだと抵抗しつつも、降沢は浩介の目論見にはまっているのだ。


(まさしく、今回もそれだな……)


 この男の掌で、降沢は踊らされているのだ。


 沙夜子の望むままに、生きてやろうと思っていた。

 ひたすら絵と自分との世界だけで生きてゆく。

 降沢はモチーフを通して、人の抱えている闇や光を描いているだけに過ぎない。

 誰とも交流せずに、たった独りで、好きなように絵を描いて、破滅的に死んでゆく。

 実際、その生き方の方が、自分に似合っているように思えた。


 ――降沢は、強力な霊媒体質者である。


 霊媒を封じなければ生きていけないほどに、いろんな物が視えて、身体を乗っ取られそうになっていた。

 結局、沙夜子の病気の発覚と共に、自ら閉じることを決意したわけだが、今もその残滓が身体に宿っていた。

 何も視えないけれど、微かに感じる。

 それが正邪なのか、判別がつかないほど大きな力に引き寄せられてしまう。

 何だか分からない得体の知れないものを、身体に寄りつかせて絵を描くなんて危険だ。

 キャンバスに移すことが出来るものであれば、まだしも、もしも、降沢の身体に残ったままだったら?

 命の保証はない。


 だから……。


 それでも、絵を描くことをやめられない降沢のために、浩介がいて、美聖が雇われたのだ。


 ――その美聖が、降沢の力を頼っているなんて。


(皮肉だな……)


 昨夜、限界とばかりに張りつめた思いを吐露した美聖は、降沢の腕の中で震えていた。


(可哀想に……)


 そう感じた。

 ずっと、彼女は張りつめていたものを抱えていたのだろう。

 降沢と美聖は、確かに似ているようだ。

 お互いに泥沼の中で、誰の手も拒否して、一人勝手に足掻いている。

 けれども、決定的なところで違っている。

 美聖は真面目に生きようとしていて、降沢は刹那的な生き方しかできないところだ。

 あの時、欲しいと感じたから、彼女を抱きしめた。

 でも、それはかえって、美聖の心の均衡を壊す行為に等しかった。


(だけど……)


 彼女の性格も、降沢の性質もよくよく熟知していたのは、浩介のはずだった。

 こんなふうになることを、浩介はどこかで想像していたのではないか?


「……そんなに、一気に彼女とどうこうなりませんよ。他でもない。貴方なら分かるでしょう?」


 降沢は複雑な感情を、その一言ににじませた。

 無駄に聡い浩介であれば、それだけで降沢の内心を多少は読んでくるはずだ。


「まあね」


 すぐに笑いを引っ込めた浩介は、案の定、核心をついて来た。


「…………美聖ちゃんは、やっぱり、お姉さんのことで足踏みしているのね」

「知っていたくせして、白々しい。そういう彼女だからこそ、貴方は僕に彼女を会わせたのでしょう。まさしく生贄スケープゴートじゃないですか。僕なんかに目をつけられて、かわいそうに……」

「まあ、それと。……単純に貴方の好みのタイプだと思ったから雇ったのよね」


 ……不純だ。


(でも……)

 

 降沢は、言い返せない。

 結局、浩介の意図の一端を理解しながら、それを良しとしていたのも、自分なのだ。 


「僕が苦悩する姿を見て、貴方は楽しむ趣向でもあるのですか?」

「そりゃあ、とても楽しいけれど、それだけじゃなくて、彼女に出会うことで、お互いに刺激になると思えたのよ。他人の中に自分を見つければ、客観的な判断もできるようになるでしょう」

「上から目線で、よく言いますよ」

「あら? これでも貴方と美聖ちゃんよりは、年上ですけど?」

「昨夜、彼女はお姉さんを、見殺しにしたのは自分だと、いつもお姉さんが近くで見ているような気がして、幸せになることが怖いと口にされていましたよ」

「そう……。よく、そこまで聞きだせたわね? 私だって、そこまでは聞けなかったわ」

「別に、僕は……」


 ただ、美聖の逃げ場を閉ざして、半ば強制的に吐露させただけだ。


「一ノ清さんは、僕にお姉さんの遺留品を見て欲しいと仰いました」

「……………………えっ?」

「今朝、少し早くいらっしゃるそうです」


 さすがに、浩介も意外だったのだろう。

 横を向いたら、口元に手を当て、固まっていた。


「…………浩介。貴方は少しだけなら、まだ視えるのではないですか? 一ノ清さんのお姉さんは、彼女にとってそんなにいけないものなのですか?」

「何となく……視えるけど。でも、声を拾うことは出来ないわ。それに、そんなに悪いものだったら、早々に気づいてはいるわよ。確かに、まだ一年と少し。お姉さんは、色濃く彼女の傍にいるけど、でも悪いものではないわ」

「…………僕も、そう思います。一ノ清さんのお姉さまですからね。ただ妹さんと息子さんの行く末を案じているだけでしょう」

「美聖ちゃんの家に行っても、貴方が惹かれる物がなかった時点で、確かに強烈なものはないのでしょうね?」

「ええ」


 姉のことを気にしているのは、美聖の方なのだ。

 亡くなり方が不自然だったから、自分を責めているだけだ。

 けれど、肉親を亡くした人に対して、それをストレートに告げて慰めたところで、意味をなさないことは降沢自身よく分かっている。

 降沢だって、未だに囚われたままなのだから……。


「僕は今まで、自分が描きたいと感じたものを描いてきました。今の僕にできることは限られています。僕は……一ノ清さんの力になることは出来るのでしょうか」

「そうなっちゃうのね。どうしてかしら」

「貴方にとって、初めての誤算だったわけですか……。僕に誰かを想うことで、絵を描くことをやめさせたかったくせに?」

「違うわよ。絵描きをやめろってわけじゃなくて、他の方法があることも知ってもらいたかっただけよ。沙夜子先輩に振り回され続ける一生なんて、馬鹿げているじゃないの。美聖ちゃんだって……そうよ」


 やや拗ねたような調子で浩介が言うのは、美聖の行動が普段の彼女らしからないことを、憂いているからだろう。


「そうですね。貴方の言うことは、もっともだとは思います。実際は、そう上手くはいかないものですけど」


 いつもの美聖だったら、絶対に降沢の力を当てになどしない。

 こちらが手を差し伸べても、かえって恐縮してしまうような女性だ。


(自分で自分を追い詰めて、訳が分からなくなってしまっている……)


 そこまで理解してしまっては、彼女の願いを拒否することなど、出来るはずがない。

 アルカナに姉の遺品を持って来るように伝えるのが、あの時の降沢の精一杯だった。


「僕はいつ自分がどうなっても構わないと思ってしまいます。それは、もうどうしようもないことで、だけど、そんなふうに、自分の価値観が著しく低いから、軽薄な男になってしまうのかもしれません。もっと、ちゃんと言葉を尽くして、彼女とは向き合う必要があったのでしょう」

「…………在季」


 浩介がぽんと降沢の肩に手を置いた。


「貴方、まさか……。告白もしないで美聖ちゃんに迫ったんじゃないでしょうね?」

「えっ?」


 ぎくりと、降沢が肩を震わせると、浩介が顔面蒼白になっていた。


「もしかして……貴方、美聖ちゃんを強引に襲っ……」

「この話の流れで、そこに終着させますか……」


 その時、店の引き戸ががらがらと音を立てて開いた。


「美聖ちゃん?」


 浩介が呼んだ。

 昨日の今日で、どんな顔をして会えば良いのか……。

 降沢は緊張感を払拭できないままに、浩介の後を追いかけ、入口まで出ていったものの……。


「…………あれ?」


 そこにいたのは、降沢にとって想定外の意外な人物だった。

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