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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第3幕 女王の死
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 降沢の様子が変だ。

 いつも、変ではあるが、今日は得体が知れない変だ。

 普段マイペースで、淡々としている降沢が、明らかに感情を表に出して、重々しい溜息を定期的に零している。

 鬱陶しい前髪がなくなった分、より顕著に表情の変化を感じ取ることができるので、美聖はどう接していいのか、心底困り果てていた。

 さすがに、ここまで来ると、美聖自身になにか問題があったと思わざるを得ない。


「あの……」


 一段落したところで、意を決して、降沢に声を掛けようとしたが美聖だったが、しかし、引き戸が開く音がして、断念せざるを得なかった。

 お客様が来店したのだ。


「いらっしゃいませ!」


 美聖は、忙しくなく廊下を駆けた。

  ……すると。


「こんにちは! 美聖さん!!」

「あっ……!」


 弾んだ声と共に顔を見せてくれたのは、最上の元カノの黒石芽衣だった。

 髪色を少し明るく染めたせいだろうか、表情もぱっと晴れやかだった。


(もしかして……?)


 彼女のこの様子から、例の問題は無事に解決したのではないかと想像した美聖は、笑顔で応じた。


「お久しぶりです。芽衣さん! 私、 あの後、気になっていたんですよ」

「すいません。美聖さん、あの後、ばたばたしちゃって、なかなか報告に来られなくて……」

「いえいえ、来てくださっただけで、とても嬉しいですよ」


 美聖は彼女と親しげに歩きながら、以前と同じ庭の見える席に案内しようとする。

 ……が、そこで。


「ああ、芽衣さんじゃないですか……」


 降沢も彼女の来店に気づいたようで、座ったまま、ぺこりと頭を下げた。

 人見知りのように見えて、意外に社交的なのが降沢の謎の一つだ。


「お久しぶりです。芽衣さん。お元気そうで何よりです」

「先生の方こそ……あれ、髪切りました? すごい良い男になっていますよ」

「えっ? あっ、僕が? ……はあ。ありがとうこざいます」


 曖昧に照れながら答える降沢に、芽衣がくすくすと笑った。


(あっ、いつもの降沢さんだ……)


 美聖も嬉しくなる。


「じゃあ、私、降沢先生の向かい側に座っていいですか?」

「降沢さん?」

「別に、僕は構いませんよ」


 降沢はもたつきながら、たいして進んでいない読書本を自分の椅子に引っ込めた。

 彼の準備が整うまで待つでもなく、芽衣はちゃっかり降沢の前の席に腰をかけている。

 今日も、体型を隠すような踝までのロングスカートと、七分袖のカットソーに身を包んでいる芽衣であるが、それでも、その美しさは一目見れば分かるもので、降沢と並ぶと美男美女のカップルにしか見えなかった。


「あっ、芽衣さん、占いはされますか?」

「もちろん! 美聖さん、あとで二十分、お願いしますね」

「承知しました」


 これで良し。

 美聖は、内心ホッとしていた。

 先日の彼女の鑑定では、個人情報が沢山出ている。

 芽衣が降沢やトウコに訊かれたくないのなら、最上と彼氏の件を個室で話を聞くこともできるだろう。


 ……しかし。

 美聖の心配は杞憂だったらしい。


「実は私、彼と別れて、初とやり直すことにしたんです」


 水とおしぼりを美聖が運ぶのを待って、芽衣はあっさりと告白した。


「えっ?」

「初とは、来月入籍予定です」

「嘘。もう、そこまで話が進んでるですか……」


 呆気にとられる美聖に、芽衣も同意なのだろう。

 赤面を隠すように、頭を抱えた。


「……ですよね。私もいくら何でも早すぎるって言ったんですけど、何事もスピードだって、初が言うから」

「ああ……」


 なんか、言いそうな気がする。最上は、そういうキャラだった。


「…………とても、おめでたいことじゃないですか」


 降沢がさらりと言った。


「お幸せになって下さい。芽衣さん」

「ありがとうございます」


 芽衣もはにかみながら、何度もうなずいてみせた。幸せそうだ。


(良かった……)


「お、おめでとう……ね。芽衣ちゃん」

「お幸せにね!」


 美聖も厨房にいたトウコも、降沢に続いて、声をかけた。

 みんなで祝福していると、お店のお客さんも一緒になって、芽衣に拍手を送ってくれた。


「ありがとうございます。皆さんに、こんなふうに祝福してもらえて、本当に嬉しいです」


 芽衣は涙ぐみながら、立ち上がって方々に頭を下げた。


「きっと、沙夜子姉さんも喜びますよ」


 降沢が柔らかく微笑みかける。

 芽衣も、席に座りなおすと神妙な面持ちで応えた。


「そうだと、嬉しいです。やっぱり、沙夜子先生が下さった縁なのかなって感じて、復縁しようって決めたので。初は、昔やんちゃだったけど、今は結構真面目になったみたいで。以前の刺々した感じがなくなったというか。穏やかになったんですよ」


 きっと、それは、降沢が絵を描いた効果だ。

 彼の仕事での成功の象徴でもあった「髑髏の指輪」を、キャンバスに描くことによって、彼に違う人生を与えたのだ。

 降沢の人の描く絵には、そういった作用もあるらしい。


「曲の方向性を変えるみたいで、将来が心配だったんですけど、でも、やっぱり、気持ちは殺せないから……」

「……そう……ですか」


 最上も芽衣もこの「アルカナ」に来て、縁が再びつながったとしたら、こんなに素敵なことはない。


(前回、タロットで鑑定した時は、先行きの経済不安も出たけど、今回の鑑定で、違う結果が出るかもしれないものね)


 芽衣に関しては、美聖自身、鑑定結果に迷いがあったので、ずっと気にしていたのだ。

 嬉しい報告をしに、わざわざ「アルカナ」まで足を運んでくれたのは、心の底から嬉しかった。


「それに……ですね」


 頬を赤らめながら、芽衣は言葉を足した。


「私、早く子供が欲しくて。実家が五人兄弟だから、五人は欲しいし。元々、賑やかなのが好きなんです。それで、誰の子を生みたいかと思った時、やっぱり、初の子供かなって思ったんです。初となら、ちゃんと育てていけるんじゃないかって思って」


 父親としての最上は想像がつかない美聖だったが、結婚=家族を作ると考えている彼女の堅実さには、共感できた。


「……うーん、ですよね。父親の存在って、大切ですものね」

「……………………っ」


 がしゃん!

 ……と、まるで美聖の発言をきっかけとしたかのように、降沢が派手に紅茶を零してしまった。

 口に運ぼうと手にしたカップをうっかり落としてしまったらしい。


「すいません……」

「大丈夫ですか。降沢さん?」


 美聖は慌てて、厨房から台拭きを借りて、テーブルを拭いた。


「降沢さん、服とか、ズボン濡れていません?」

「それは、大丈夫です」

「大丈夫じゃないじゃないですか。ちょっと腿の辺りが濡れてますよ」

「あっ、別に僕は平気ですから」

「紅茶のシミは取れにくいんですよ。おとなしく、私に拭かせて下さい」

「はあ……」


 美聖は新しくタオルを用意して、降沢のズボンの太もも辺りを丁寧に拭いた。

 手際よく零れた紅茶を拭いていく美聖を、すでに席を立っていた芽衣が興味深く眺めていた。


「なんか……美聖さん、降沢先生の奥さんみたいですよね?」

「…………はっ!?」


 思いがけない一言に、勢いよく振り返ってしまったものの……。


(馬鹿だ。私……)


 美聖はすぐに後悔した。


「それ、あまり笑えない冗談ですからね。芽衣さん」


 降沢が淡々と大人の態度で応じている。


(そうよね……)


 その通りだ。

 ぜんぜん、笑えない冗談だ。

 美聖がこういったことに、手慣れているのは、家に幼い子供がいるから……。

 それだけのことなのだ。


「ごめんなさい。つい……」


 芽衣も、二人の微妙な空気に、深追いはいけないと、感じたのだろう。

 すぐに話題を変えた。


「それで……ですね。私、いつ子宝が授かるのか、美聖さんに鑑定して欲しいんです。いいですか?」


 美聖は半分上の空で、笑っていた。


「芽衣さんったら、ははは、気が早いですよね。でも、分かりました。そういうことでしたら、タロットと……勉強中の手相で鑑定していきましょうか。飲み物は、そちらに運ぶ感じでいいですか」

「あっ、では、私、ハーブティーをお願いします」

「ハーブティ、お待ちしますね。鑑定スペースで少々お待ち下さい」


 あえて明るく振る舞っているが、美聖の気持ちはどん底だった。

 芽衣に気づかれないようにするので、精一杯だったが、降沢の顔がまともに見られない。


(ダメよ。仕事中なんだから、色々考えるのは後にしないきゃ……)


 美聖は愛想よく脇の占いスペースに芽衣を誘導した。

 その隙に、お会計となったお客様をトウコが見送っている。


(今はトウコさんに、任せるわけにはいかないわよね……)


 さすがに、バイト生活半年だ。

 お茶の一つくらいは、自分で淹れることができる。

 美聖はトウコのいないキッチンで、手早くハーブティの準備をしていた。

  降沢のことを思い出さないよう、仕事のことばかり考えて、頭を落ち着かせようとする。

 手相鑑定は、最近トウコに言われて学び始めた占術だが、子宝や結婚などを鑑定するには適していると思えた。


(実践で使ったことはないけれど、頑張ろう)


 ヤカンに火をかけて、ハーブティの茶葉を探した。

 けれど、美聖は、割と早い段階から、背後に近づいてくる人の気配を感じとっていた。


「…………降沢さん?」


 勇気を奮って振り返ったら、案の定だった。

 気配なくやって来る人間は、みんな降沢のような気がしてきて、怖い。


「ああ、もしかして、濡れたところが気になりますか? もう一枚布巾を使います?」


 無理して、笑顔を浮かべてみたが、どうにも上手くいかない。

 しかし、それは降沢も似たようなもので、苛められた子犬のような表情を浮かべていた。

 なぜ、彼がそんな顔をするのか……。


(落ち込んでいるのは、私の方なのよ……) 


 美聖には皆目見当もつかなかった。


「どうしたんです? そんなに紅茶を零したことがショックだったんですか?」

「それこそ、笑えない冗談です」

「す、すいません」


 頑張ってひねり出した言葉は、降沢の意味不明な迫力に葬られてしまった。


「じゃあ、何でしょう?」

「……実は、気になったことがあったんです……」

「気になること……ですか?」


 どちらにしても、ヤカンが沸騰するまで、この場から逃げられない美聖は、降沢の話に付き合うしかない。

 降沢は美聖の内なる葛藤を知ってか知らずか、ゆっくり時間をあけて、こちらがイライラするほど言葉を選びながら、尋ねてきた。


「さっき、君が言っていた父親の存在が偉大だって、どういう意味ですか?」

「…………えっ」


 さして、意味もなく発言したことだったので、美聖は一時面食らった。


「それは、そのままの意味ですけど?」

「やけに実感がこもっていました」

「降沢さんは、そんなことが、気になるのですか?」


 美聖は首を傾げた。

 降沢の切れ長の漆黒の瞳は、揺らぎがない。

 それがかえって凄みを増して、美聖を後ずさりさせてしまうのだ。


(やっぱり、抉るよな……。この人は)


 さすがに嘘を吐く気にはなれなかったので、美聖は詮索されるのは覚悟の上で、言葉を返した。


「あれは、姉の旦那さんのことを思い出していたんです」


 瞳を伏せて、小声で告白する。

 降沢のリアクションは美聖が想像していたより、やや大きかった。


「…………一ノ清さんの……お姉さんのですか?」

「結婚した途端、働かなくなったらしいです。私はずっと知りませんでしたけど……」

「そう……だったんですか」


 降沢が拍子抜けしたように、壁にもたれた。

 一体、この人は美聖の何を知りたかったのだろうか……。

 美聖が掛け持ちしているバイトのことなどには、一切興味を示さないくせして、こんな細かな言動に関しては、いちいち気になるのだろうか。


(私だって……)


 先ほどの降沢の言動がフラッシュバックして、辛くなってきた。


 ――いくら何でも、笑えない冗談はないだろう。


 たとえ、降沢と美聖の関係が、恋人同士になど見えなくとも、あんまりな言い方ではないか。

 言い繕うにしても、他に言葉が思い浮かばなかったのだろうか……。


(……なんてね)


 美聖は、そうして心の中で溜息を一つ零して、込み上げそうになる内なる熱を必死に冷ました。


(そうだよね。一人で勝手に苛々しても仕方ないわよね。降沢さんは、そういう人なんだから)


 責めたところで、どうしようもないことだ。

 最初から結論を出すつもりもない関係に、自分から終止符を打ってどうするのだ。

 こういう時の美聖の逃げ方は、大体決まっている。

 まず、わざとらしく、声を張り上げるのだ。


「さーて、この話はここまでで!! 降沢さん! 私は芽衣さんにハーブティーを持って行くので、そこをどいてもらっても良いですか?」

「ああ、すいません。今……」


 降沢は普通に謝罪しながら、美聖の言いなりに、道を開けようとしたのだったが……。


「はっ?」


 その次の瞬間には、堂々と美聖の前に立ち塞がっていた。


「何しているのですか? 降沢さん」

「やっぱり、駄目です。……駄目でした」

「…………いや、駄目も何も……ですね」

「今朝の……あの少年は、誰なんですか?」

「はっ?」

「今朝、一ノ清さんを送り届けた車に乗っていた男の子です。君のことをママと呼んでいました」

「何で? 見ていたんですか……。降沢さんが?」


 ひきこもりのくせして、朝早くから外に出る理由がこの人に何かあったのだろうか?


「今日は、せっかく昨日髪の毛を切ったんで、君に見てもらおうと思って、迎えに行ったんですよ」

「……そう……だったんですか」

「一番に反応が見たかったんです」


 断固たる口調で、宣言しているが、一音一句が美聖には刺激が強い。

 何だろう。その年頃の女子中高生のような理由は……。


「…………そんな、あっさり、恥ずかしい告白をされましても」

「何が恥ずかしいんですか……。君が毎回ちゃんと切れと言うから、腹を決めて、ちゃんと切ってきたんです。早めに評価して欲しいのは当たり前じゃないですか」

「……そうかもしれません。いや、よく分かりませんが」

「僕は、今朝あの少年を見てから、色々と考えて、君のプライベートは訊かない方がいいだろうと躍起になっていたのです。それなのに、芽衣さんと、子供がどうのとか……君は……。偶然にしては、色々と刺激が強すぎます」

「それは、よく分かりませんけど、なんだか、すいません……。ちゃんと説明しますから」


 なぜか美聖が責められている構図になっているが、別に子供の存在を隠していたわけではないのだ。

 当然、トウコは知っているし、だからこそ「アルカナ」を紹介してくれたという経緯がある。

 むしろ、何も尋ねてこなかった降沢の方がおかしいのだ。

 しかし、どうして今更降沢は、こんなに熱くなっているのだろう。

 それが美聖には、よく分からない。


「あの子は……私の」

「……って」


 瞬間、ぱん……と乾いた音が響いて、美聖は目をつむった。

 一体、何事か?

 おそるおそる目を開けていくと……。


「はいはい、まったくキッチンまで来て、口説きモードに入らない」


 大きな体が降沢の背後にあった。

 トウコが降沢の頭を叩いたようだ。

 軽く良い音がしたのだが、降沢はまったく堪えていなかった。


「違います。浩介。僕は」

「それを最初の時点で訊かなかったのは、貴方の方じゃないの。ちゃんと説明して欲しいのなら、店の終了時間にでも、残業代払って美聖ちゃんから話してもらうのね」

「偉そうに……。大体、貴方が」

「話すなと言ったのは、そっちでしょう?」


 とどめに、ふんと鼻を鳴らすトウコと降沢は、激しく睨み合っていた。

 この二人は、本当に仲が良いのか悪いのか、分かりはしない。


(ああ、もう……。こんなことしている暇はないわ……)


 美聖は、慌ててハーブティーを作ると、今にも取っ組み合いの喧嘩をやりかねない二人の間を縫って、芽衣のもとに走って逃げたのだった。


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