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「何を買ったんですか?」
レジで会計が終わり、店から出た矢先に、降沢が問いかけて来た。
美聖は「はい、降沢さん」……と、プレゼント用に包んでもらった水晶を手渡した。
「これを、僕に?」
「ええ。今日の記念です。日ごろのご愛顧、ありがとうございます」
「愛顧って……また、面白い言葉遣いをしますね」
降沢は歩きながら、ビニールの袋から丁寧に水晶玉を取り出した。
「……水晶?」
降沢に、面白いくらい簡単に笑顔が戻っている。
こんなに無防備で大丈夫なのかと問いかけたくなるくらい、満面の笑みだ。
「うわーっ、有難うございます!」
「…………いや、その」
(本気で喜んでいるわ。この人……)
水晶丸珠の十二ミリ。値段にして、百円ちょっとの……たった一粒を、降沢は大切な宝物をもらったように、覗きこんでいる。
(水晶玉一つで、そんなに……。今まで、どんな人生だったのかしら? 降沢さん)
ここまで喜んでもらえるのなら、もう少し高いものを買えば良かった。
あまり値の張るものをしたら、有難迷惑なのではないかと、あえて避けたのだ。
「その……水晶のクリアな感じが降沢さんに通じるような気がして」
「へえ、君から僕はそんなふうに見えているのですね」
「ほら、水晶は魔除けにもなりますし、いわくつきの絵ばかり描いている降沢さんには、いいんじゃないでしょうか?」
「ああ、まさしく、その通りですね。良い魔除けになると思います。大切にしますね」
降沢は、背中に羽が生えたかのように、ふわふわと歩いていた。
小町通りの混み具合は、一層ひどくなっているのに、降沢はまったく気にしていない。
人に接触しても、にやにやしたままだ。
「大丈夫ですか? 降沢さん!?」
降沢を気遣いつつ、まともな歩行が困難な密集状態を、這うようにして前進していたら……。
「あのー、すいません」
美聖は突然、中学生の集団に呼び止められてしまった。
「お姉さん……教えてください。大仏には、ここからどう行ったらいいんですか?」
「えっ?」
――またか。
美聖は街に出ると、なぜか決まって道を聞かれるタイプなのだ。
「長谷大仏……。君たち、今から行くの?」
「はい。これから行こうと思うんだけど、ここから離れてるんでしょうか?」
「そうねえ……」
美聖は、炎天下の徒歩コースを除いたバスと江ノ電のルートを簡潔に教えてあげた。
「すいません、降沢さん。お待たせ……」
――ようやく、仕事をやり遂げた。
そんな得意げな表情で振り返ったところ、先程までそこにいたはずの降沢は忽然と消えてしまっていた。
「あれ? 降沢さん?」
きょろきょろ周囲を見渡したところで、降沢が沸いて出てくるわけでもない。
美聖は、いろんな人にぶつかって弾かれるだけだった。
(…………降沢さん、まさかの迷子?)
どっと疲労感を深めながら、美聖はすぐ横の店の前に引っ込んだ。
「まったく、もう……。あの人は」
何しろ、降沢の電話番号を美聖は知らないのだ。連絡の取りようがない。
(まあ、ここで動くのは得策じゃないわよね……)
捜しに行くにしても、体力を消耗するだけだ。
だったら、ここで大人しく降沢が来るのを待っていた方がいい。
蒸し風呂状態に長くいるせいか、頭がぼうっとして、余計なことばかりが頭に浮かんだ。
(…………こういうのを、チャンネルが切りかわっちゃった状態っていうのかしら?)
何かの偶然で繋がった縁も、ある日突然、スパッと切れてしまうことがある。
こんなふうに、いずれ、降沢との縁も切れる時が来るだろう。
その時、美聖は容子のような執着をせずに、彼への想いを断ち切ることが出来るのだろうか……。
(……なんて、私の場合、付き合っているわけでもないんだけどさ)
しょせん、美聖の片思いだ。
この気持ちを、一生、降沢に告白するつもりなんてない。
最近、嫉妬という感情について学習したばかりの彼が、親愛の情一つで、美聖の抱える事情を受け止めきれるはずはないのだ。
……………………だけど。
それを一番よく分かっているくせして、降沢の姿を目で捜してしまう美聖に、人のことをとやかく言う資格なんてあるのだろうか……。
美聖だって充分に、執着しているし、嫉妬深い。
もしも、本気で降沢を諦めるのなら『アルカナ』を辞めないと、絶対に無理だ。
(恋愛は……引き際と、諦め方が一番難しいんだろうな)
それが嫌だから、歳を重ねるごとに臆病になっていくのかもしれない。
そして、去っていった相手に依存してしまう。
トウコが話していた『復縁』のコツは、『自分の人生を豊かにすること』だそうだ。
そうして、自分自身でチャンネルを変えていけば、再び過去の人とつながるチャンスもあるだろう……と。
しかし、そんな労力をはらってまで、恋愛をしないといけないのは、疲れることではないか。
余程、バイタリティーのある人でないと、意中の相手と両想いになって、それを継続させていく努力なんて、出来やしないのだ。
その点、容子は方向性を変えれば、可能性はゼロではないかもしれない。
(私には、無理だわ……)
だって、とても疲れている。
よりにもよって、相手が降沢なんて、普通の人の倍以上の労力がかかること間違いなしではないか……。
「痛い……な」
無理して履いて来た高いヒールのサンダルが足の疲労感を増長させている。
(こうなったら、とりあえず、洋菓子店の方に行ってみようか……)
もしかしたら、降沢が先に行って待っているかもしれない。
一瞬、ぎらぎらの太陽を仰ぎ見た美聖だったが、意を決して、人の流れの中に飛び込んだ。
――と、その時だった。
「一ノ清さん!」
大勢の人に半ば体当たりするようにして、降沢が走ってきた。
(なっ? ……走ってる!?)
いつも、歩くことすら、怠そうなのに、彼に走ることなんて出来るのか……。
しかし、夢ではない。
証拠に美聖のもとまでやって来た降沢は息を切らし、汗を流していた。
「ごめんなさい! 一ノ清さん。僕のこと捜しちゃいましたよね?」
「勿論ですよ。一体何をしていたんですか? 道案内が終わって、振り向いたら、いらっしゃらないんですから。私、どうしようかって思ったんですよ」
「ああ、すいません。君は丁寧に道を教える人だから、もう少し時間かかるだろうって、勝手に思い込んでいました」
「あの……! それなら、一言くらい断ってくれても……」
「はいっ、一ノ清さん!」
「えっ?」
降沢は突然、美聖の鼻先に、ピンク色のビニール袋を押し付けてきた。
「これは……?」
それは、忘れもしない、先程の天然石の店のラッピング包装だった。
「…………もしかして、降沢さん、これを買いに行っていたんですか?」
「ええ。だいぶ遅くなりましたか、僕からの誕生日プレゼントです」
「はっ!?」
――プレゼント?
幻聴ではなかった。
(ちょっと何? 水晶一個で、お返しってこと? そんなつもりじゃなかったのに!)
美聖はパニック状態だ。どうしていいか分からずに、フリーズしていると……。
「開けてみてくれませんか?」
降沢に促されてしまった。
申し訳なさと、照れ臭さが絶妙にミックスした気持ちで、美聖は包装を解いていく。
四角い白い箱を、ゆっくりと開けてみると、そこには……。
「…………これ」
鮮やかな緑色の石を中心で輝かせてるいネックレスが収まっていた。
(まさか……?)
――そのまさかの、エメラルドだった。
何てことだろう。 美聖がうっかり、誕生石がエメラルドなんて話してしまったからだ。
ぶるりと、身体が震える。
その時にはもう、暑さなんて吹き飛んでしまっていた。
「どうして、こんな……。降沢さん、エメラルドって高いんですよ!」
「おおっ、凄いですね。一ノ清さんは、一目でその石のことが分かるんですか?」
「私の誕生石だから、買って下さったんですか?」
「……まあ、それもありますけど」
降沢が狼狽している美聖の掌から流れるように、ペンダントを取った。
石自体は小さいが、鮮やかな緑色は綺麗だった。銀色のチェーンとも色の相性が良い。
「あの店の店員さんが、エメラルドのことを色々教えてくれて。人との絆を深めてくれる石なんだとか……。自分も周囲も癒してくれる、優しい石だから、きっと効果がありますよって。君に打ってつけですよね」
「…………絆……ですか」
たった今、それについて、美聖は考えていたばかりだ。
(この人は、どうして……?)
ある日、突然切れてしまうような絆を憂いていた美聖に、絆を結ぶ石を降沢は贈ってくれたわけだ。
「降沢さん、誕生日いつですか?」
「……さあ、いつでしょう。当ててみてください」
絶対、わざととぼけている。
「せめて、これの半分、私、お金出しますから……」
「やめて下さいよ。格好悪い」
言いつつ、降沢は美聖の首にネックレスをつけようとしていた。
だが、不器用だと公言しているだけあって、降沢は笑えるくらい手間取っていた。
早く洋菓子店に行かないと、美聖のアルバイトの開始時間に間に合うかどうかの騒ぎになりそうだ。
(うわー緊張するよ。降沢さん)
それは、降沢に汗ばんだ首筋を触れられているせいなのか、道行く人の刺すような視線のせいなのか、もはや美聖にも分からなくなっていた。
後に美聖は、エメラルドが浮気防止の意味を持つ石だということを知るのだが、それはまた別の話である。




