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「浩介の誕生日プレゼントなんて、買う価値もないと思うのですけどね」
トウコの誕生日プレゼントについて、相談に乗ってもらったその日から、降沢は、そればかりを主張している。
それなのに、自分も美聖について来ると言うのだから、やっぱりとんだ変わり者だ。
――『アルカナ』の定休日。
美聖は、鎌倉の小町通りを訪れていた。
トウコは、小町通りに新しくオープンした洋菓子店を気にしているというのは、降沢からの情報だ。彼にその洋菓子店の名前と場所を聞いたら、運動不足なので、自分も付き合うと言って何だかついて来ることになった。
(これって…………デート?)
だが、今日の美聖は、午後からコンビニのアルバイトが入っているので、たった数時間しか鎌倉にいることが出来ない。
降沢には、事前にそれを知らせているのだが、そのわずかな時間に同行したいというのは、本気で散歩のつもりなのかもしれない。
少なくとも、デートの格好ではなかった。
今日も変わらず、白シャツに、ジーンズ。使い古したビーチサンダルと、やる気のなさそうな装いの降沢だ。
ほんの少しの時間とはいえ、先日買ったばかりの花柄のカットソーを意気揚々と着てきてしまった美聖とは、かなりの温度差がありそうだった。
「降沢さんから聞いた情報をもとに、ネットで調べてみましたが、そのお店、小町通りの奥にあるみたいなんですよ。結構歩くみたいですけど、大丈夫なんですか?」
「ええ。歩くことは苦になりません。僕は、そのつもりで来たんですから」
「本当に?」
「一ノ清さん、僕はひきこもりですけど、人間恐怖症ではありませんよ」
そんなやりとりを、小町通りの大看板の下、二人ですることになったのは、通りの中の人ごみが半端ないことになっているからだ。
目的地に到着するまで、倍の時間はかかりそうな程、人で賑わっている。
あの人口密度状態だ。ここよりもっと暑いことは必至だろう。
「最近、来ていなかったのですが、凄いことになっていますね。メディアの力でしょうか?」
「……でしょうね。そうでないと、平日なのに、ここまで人はいないでしょう」
観光客と、修学旅行中の中高生がここぞとばかりに小町通りに集中しているようだった。
「若宮大路から、まわって行きましょうか? ちょっと遠回りになりますけど」
降沢が提案する。
鶴岡八幡宮の参道でもある若宮大路から、歩行者専用のお店が連なる小町通りは、細い路地を通じてつながっている。そちらのルートから移動した方が手っ取り早いのは、確かなのだが……。
「せっかく来たんですし、私の知らないお店もありそうなんで、行きはこちらから行きたいのですが、降沢さん、辛いですか?」
美聖の主張に、降沢はにっこり笑って返した。
「いいですよ。僕も小町通りに来たのは、高校生の時以来ですから……」
「えっ? ……それ……本当ですか」
逆に、本当だったら凄い。
しかも、降沢はこのうだるような暑さの中で、汗一つかいていないのだ。
(やっぱり、降沢さんって、人間じゃないんじゃ……)
割と真剣にそんなことを考えてしまった。
「さて、行きますか……」
独特のテンションで、降沢はゆらゆら歩きだした。
「あっ、待って下さい」
美聖は慌てて、降沢を追いかける。
隣に並ぶと、髪の隙間から降沢と目が合った。ここ最近で発見したことだが、意外に彼は感情を表に出してしまうタイプのようだ。今は、何だか嬉しそうだ。
「良かったです」
「何がですか?」
「君、あの女性の鑑定以来、ちょっと元気なかったみたいですから」
「…………お恥ずかしい限りです」
降沢にまで心配されていたら、世話がない。
「浩介も疲れたって言ってましたけど、あの人、難しいタイプだったんですか?」
「うーんと、それは」
あまり深く話すと、個人情報に抵触しそうなので、美聖は簡潔に答えることにした。
「つまり、復縁をしたかったみたいなんです」
「そうだったんですか。こんなこと言っては何ですけど、ああいう方は、あまり執着をしないタイプに見えました。特に僕が描きたいと思うものもなかったですし……」
「ああ……。自分でも無自覚なんですよね。だから、かえって厄介なんです」
あの後、トウコの鑑定でも、復縁は有り得ないと出ていたようだ。
しかし、ここで美聖とトウコが違うのは、鑑定結果の伝え方だった。
漏れ聞こえたトウコの声は、揺るぎのない強い意志を持っていた。
食い下がる容子に対して、きっぱりと『復縁はありえない』と、言い切っていた。
彼に未練があることを、ぼんやりとだけは認めていた容子だったが、その後はトウコに何とかして欲しいの一点張りだった。
『貴方、霊能者なんでしょ。人の縁を結ぶのが仕事なんじゃない。お金はいくらでも払うから、彼と結婚させて欲しい』
どうやら、彼と復縁をして結婚もしたかったようだ。
そんな無茶な依頼、引き受けることなど出来ない。でも、伝え方はある。
トウコは、あくまでも落ち着いていた。
『人の縁だからこそ、うかつに霊能なんかで立ち入れないんですよ。貴方がこだわっている……前世で彼に縁があったからこそ、今生では縁を切る方向に運命が動いたのではないですか。その縁を第三者が介入して修正するなんて、そら恐ろしいこと、私には出来ません』
――一刀両断だった。
美聖は崇めるように、両手を重ねあわせて、その時のことを降沢に伝えた。
「あの時のトウコさん……ものすごく、格好良かったんですよ」
「えっ、あれの、どこが? あいつの見た目が怖いから、女性も言い返せなかっただけでしょう?」
降沢は、顔をひきつらせている。
「そんなことありませんよ」
占い師ではない彼には、トウコの凄さが分からないのだ。
(だって……)
上手い説得方法だった。有無をも言わさない迫力すらまとっていたのだ。
「トウコさんが、あの占いの後に話してくれました。人の縁って、旧式のテレビのチャンネルみたいだって。ガチャガチャと自動でダイヤルが回り続けていて、ぱっと繋がった人と繋がるけれど、また少しすると、自動的にチャンネルは切り替わるそうです」
「あのオカマ……。分かりやすそうで、分かりにくい説明をしますね」
「えっ、そうですか? 私は腑に落ちましたけど?」
美聖は笑いながら、肩をすくめた。
「人生のチャンネルって、なんか良い響きじゃないですか。ずっと長く止まったままの場合もあるけれど、回転の速い人もある。また逆戻りして、繋がる人もいるけれど、もう二度と繋がらない人もいる。そう考えると、人の縁って本当に神秘的だなって思います」
賑わいを見せている小町通りで、楽しそうにお店を巡っている沢山の人達に目を向ける。
(この人たちだって、何処かで奇跡的な確率でつながって、今ここにいるんだろうな……)
――だとするのなら、美聖が降沢やトウコに出会ったことも、地球規模で凄いことなのだろう。
日ごろ、ほとんど考えもしないことだが……。
降沢も美聖と同じようなことを考えたのか、独り言のように呟いた。
「家族でも、友人でも、恋人でも、みんな自分とは違う、あかの他人ですからね。自分が向ける好意と、相手の好意がまったく同じになるはずがない。それがあまりにも乖離していた場合、人間関係は破綻するのかもしれません」
「……ですね。時間の流れと同じく、人の気持ちも変わっていきますからね。それがトウコさんの言っていた『チャンネル』のことなのかもしれませんね」
「僕はひきこもりで、人間関係を築こうという意志すらなかったんです。執着もないので、去る者追わずと言った感じで……。だから、少し前までは、あの店にそういった内容で鑑定に来る人が理解できなかったんですよね」
「あー…………分かるような気がします」
降沢があの店で、トウコと美聖以外と話しているところを一度も見たことがない。
開店してから、五年。
毎日、あの定位置にいるにも関わらず……だ。
「でもね。最近は何となく、分かるようになってきたんです。その人でないと、駄目なんだって思うその気持ちが……」
「すごいじゃないですか。一歩どころか、かなり人間として、前進していると思います」
降沢が何となく美聖に話を合わせているのではなく、自分でそれを理解した上で、話しているのなら、それは素晴らしい変化だ。
人間同士、執着も未練も、恋情も嫉妬も共感できるからこそ、縁を結び直すことが難しいことも理解できるのだ。
『まったくね……。アイツの人として成長は、十五歳くらいで終わっているのよ。変に期待しないこと。それに尽きるわね』
そんなふうに、愚痴っぽく語っていたトウコに教えてあげたかった。
「…………有難うございます。一ノ清さん」
「えっ? 私ですか。お礼を言われるほど、何もしていませんが?」
「僕は、君のおかげだと思います」
「…………そう……なんですか。何だか、分かりませんが、お役に立てたのなら、嬉しいです」
一体、どういう意味なのだろう。
それは、期待しても良いフレーズなのか。
(トウコさんの言う通り、降沢さんって、期待すると落とされるタイプだから、あまり喜ばないでおこう)
それでも、彼の真意が知りたくて、じっと目を凝らせば、さっと目を逸らされた。
軽くショックだが、仕方ない。
「何だか、僕が来た頃と、ほとんどお店が変わってしまった気がしますよ。一ノ清さん」
「お店が一段と増えましたね。私は、結構頻繁に鎌倉には来ている方ですけど、それでもたった数カ月で随分と変わった感じがします。飲食店もそうだし、パワーストーンの店も増えましたね。あそこもあそこも、石のお店ですね」
物珍しさに、美聖はすぐ近くの天然石の店先に走った。
そこは日陰となっていて、涼しかった。
色とりどりの石が、すでにブレスレットの状態となって、店先で売られている。
「気持ちいい! 生き返るようです」
自動扉が開くと、冷房の風がどっと外に流れだす。
美聖がそれを掬うようにして、自分に向けて扇いでいると、降沢が美聖を店の中に誘った。
「一ノ清さん、ちょっと、ここで涼んでいきましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「君、興味があるんでしょう。こういうの?」
「……あっ」
そういうところだけは、変に鋭い。
「はい、好きですね。自分の誕生石は何かなってくらいは、興味があります」
「そういえば、浩介は、時々、茶色の石をしていますね」
料理担当のトウコは、料理中気になるからと言って、装飾品を一切身に着けないのだが、鑑定の時、たまに持参したブレスレットをはめている時がある。
「トウコさんは、虎目石と水晶のブレスレットですね」
「分かるんですか?」
「虎目石は、仕事運向上ってよく聞きますから……」
「へえ……」
「ほら、これですよ」
豊富な種類の石が色別にショーケースの中に飾ってあったので、虎目石の場所もすぐに分かった。
(それにしても、混んでるな……)
最近オープンしたらしい、天然石の店は、若い女性客でおおいに賑わっていた。
外観からは狭いイメージがあったが、店内に入ると、奥行きがあってゆったりとしていた。女性が好きそうなヨーロピアンテイストの凝った内装に、天然石のペンダントや、指輪が並んでいる。もちろん、石一つから購入することのできるコーナーも設けられていた。
こういう可愛らしい場所に、降沢と二人でいるなんて……信じられない。
もう二度とこんな機会は、ないのかもしれない。
「それで、一ノ清さんの誕生石は何なのですか?」
「ああ、私は五月生まれなので、エメラルドですね」
「えっ、五月?」
今更なリアクションで降沢が仰け反った。
「……それじゃあ、もう終わってしまってるじゃないですか?」
「ええ。今年もつつがなく……歳を取ってしまいました」
「一ノ清さんの誕生日を、浩介は知っていたんですよね?」
「はい、履歴書を見たせいだと思いますけど、トウコさんには、何でか誕生日プレゼントまでもらってしまって。だから、今回はちゃんとお返しと感謝をこめて贈り物をしたかったんです」
「ふーん」
そのあからさまに機嫌の悪そうな物言いに、以前の美聖だったら、それとなく距離を取りたくなっていただろう。
でも、もう……さすがに慣れてしまっている。
彼は、単純に自分だけ知らなかったことが気に入らないだけなのだ。
(困った中年よね。まったく……)
美聖は一つから購入できる天然石のコーナーで立ち止まると、その中で一つ水晶を手に取った。クリスタルの澄みきった怜悧な雰囲気は、降沢の凛とした姿を彷彿とさせる。
(これを買ったら、降沢さんの気持ちも紛れるかしら?)
かえって、悪くなったら、目も当てられないが、石に罪はないと言い聞かせてみるのも手だ。
いらないのなら、美聖が返してもらえばいいのだ。
そんなふうに、安易な気持ちで、美聖はそれをレジに持って行った。




