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――ヒグラシが鳴いていた。
北鎌倉は夏であっても、少し日没が早いように感じる。
山の中にひっそりと佇む『アルカナ』は尚のことだ。午後二時を過ぎた途端、徐々に翳りはじめた日差しを確認しながら、美聖は閉店準備のことを考える毎日を送っていた。
だいぶこのアルバイトに慣れたとはいえ、急な鑑定が入ってしまうと、片づけが雑になってしまっているような気がして、最近一人で反省していたところだった。
美聖の至らないところを笑いながら、一人でカバーしてくれているトウコに申し訳ない。
(トウコさんに、なんかお礼がしたいんだけどな……)
丁度、お中元の季節だ。
日頃の感謝を、ここぞとばかりに形で渡したいところだが、唐突にプレゼントをするのも、恐縮されてしまうように思えて、気が引けていた。
それに、トウコに贈り物をするのなら、降沢にも何かしなければいけないだろう。
(困ったな……)
トウコには気軽にプレゼントも渡せそうだが、降沢に渡すとなると、格段に難易度が高まる。
美聖には無理だ。
(……と、いけない。いけない)
がらがらと引き戸が開く音が響いた。
その合図に合わせて、美聖は早足で店の入口まで出て行った。
本日、ぴったり二十人目のお客様だ。
「いらっしゃいませ!」
そのお客様は、満面の笑みで応対した美聖とは正反対の仏頂面をしていた。
腕組みをして、店先に佇んでいる長身の女性。
四方八方、隅々を舐めるように、鋭く観察していたお客様は『アルカナ』には珍しい一人客のようだった。
胸元の開いた黒いシャツに、体にフィットした膝丈の花柄スカートをはいている。肩掛けの小さなポシェットは、ブランド品だ。女性の持っている手提げ袋の店名も、セレブ御用達の都内の洋菓子店のものだろう。美聖はテレビでその店の放送を見たことがあった。
とても、ハイキングの途中で、迷い込んだというふうには見えない。
わざわざ、この店を目指して来たようだった。
そして、そういうお客さんの九割方が『占い』目当ての人だった。
「あの……どうかされましたか?」
多分、占いをご所望なのだろうが、そうだと言ってくれないと、美聖も対応できない。
むっつりと押し黙られていても、困るだけだ。
しかし、美聖が問いかけても、微笑みかけても、彼女はうんともすんとも応えてくれず、無表情のままだ。
その割に、鋭い双眸が美聖に向かって、値踏みするように細められているので、怖くて仕方なかった。
(ひーっ、なんで初対面なのに、怒ってるの?)
美聖は内心、肝を冷やしながら、必死に仕事をこなそうとしていた。
「あっ、今日は、お一人様ですか?」
「………………」
それからしばらく、女性は黙っていたものの、やがて美聖以外の人間が来ないことを悟ったらしい、億劫そうに口を開いた。
「ええ。私、一人……よ。ここにトウコっていう占い師がいるって聞いたんだけど?」
「ああ、トウコさんですね」
そういうことか……。
トウコ目当てだったから、美聖にはあまり興味がなかったらしい。
(……て、いや……だったら、そう言ってくれてもいいよね?)
……などと、心の中でいろんな愚痴を零しながら、美聖は笑顔の仮面を装着し直した。
「トウコさんは、接客中で今すぐの鑑定は難しいのですが、お待ちになりますか?」
トウコは美聖より遥かに忙しいのだ。
軽食だって作るし、デザートも担当している。
今は丁度、軽食のお客さんと、ケーキセットのお客さんが重なる時間なので、店内にそれほど客がいない状態であっても、トウコだけはてんてこまいなのだ。
美聖もデザート作りくらい手伝いたいと申し出ているのだが、トウコ曰く、占いを勉強しろということなので、彼の言葉に甘えてしまっていた。
そういうことで、基本的に現在『アルカナ』の占い担当は、美聖なのだが、トウコ指名というのなら、取り次ぎをしないわけにもいかなかった。
「じゃあ、どのくらい、かかるの?」
自分の時計を見下ろして、苛々しながら尋ねてきた。
美聖も自分の時計を見下ろす。
丁度、二時ぴったりだった。
ランチタイムが二時三十分までなので、それ以降ならトウコも多少融通は利くだろう。
以前も、そのように案内したことがあったし、基本的にトウコは、鑑定までに待ち時間を設けるタイプなのだ。
「あと三十分ほどですね」
「三十分!?」
女性は、感情そのままに舌打ちをした。
「どうにかならないの?」
「厨房の仕事を、トウコさんが一人でしているので……」
「貴方がやればいいじゃない……」
「私は、まだここで働き始めてから、日が浅いのです」
「日が浅くても、ホールなんでしょう?」
「主に占いをやるように、仰せつかっています」
出来れば、こんなこと話したくはない。
だが、そこまで言わなければ納得もしないタイプなのは、この短時間で美聖にも伝わってきていた。
「ふーん。貴方が占い師ねえ。見えないわ」
再び、女性は上から下まで、顎を引いて美聖の品定めを始めてしまった。
横に一つに髪を緩く結んだ美聖は、ボーダーのシャツに、ハーフパンツ姿だ。
確かに、占い師っぽくはないだろう。
(私、余計なことを言っちゃったな……)
失敗した。
気持ち半分で、鑑定しろと命令されるくらいなら、ホール専門のアルバイトで役立たずなんだと、へらへら笑っていれば良かったのだ。
嫌な予感は、おおよそ的中するものだ。
「じゃっ、トウコって人が来るまで、貴方、私の占いをしてよ……」
(うっ、やっぱり……)
「駄目だって言うの?」
「いえ……」
美聖は、迫力に満ちた美人に、押し切られてしまったのだった。
こういう時に限って、給仕業務は一段落していて、やるしかない状況となっている。
彼女の名前を聞いてから、先に向かったキッチンは、今まさに戦場と化していた。
「トウコさん。灰田様という方の紹介で、剣崎さんという女性の方が鑑定して欲しいとお越しです。以前と同じように、あと、三十分後には鑑定出来ますとお答えしましたけど……」
「ああ、灰田……知音ちゃんのお知り合いの方ね。はいはい、了解」
トウコはサンドウィッチのセットを作りながら、デザートの盛り付けもこなしている。
一体、幾つのことが彼の脳内で同時並行に進行しているのか、分かりはしなかった。
「それで、私……。剣崎様の希望で、トウコさんが来るまで、占って欲しいということなので、鑑定入りますね」
「はーい、分かったわ。よろしくね、美聖ちゃん」
さすが、トウコだ。
この凄まじい環境でも笑みを絶やさない。
(ああ、私はああいう人になりたいよ……)
かつかつとピンヒールで、店内に入ってきた剣崎 容子と名乗る女性は、一般席で待ちたくないので、とにかく、占い席に連れて行けということだった。
(降沢さん……?)
途中、降沢が困ったような微笑で、美聖にエールを送っていた。
見るからに、容子は手強いタイプに見えたのだろう。
降沢からして、そう感じるのなら、ここが美聖の試練になるかもしれない。
「さっ、こちらに……」
美聖はカーテンを開ける。
そして、鑑定席と向き合うように設けられたリクライニングの椅子を彼女に勧めた。
「……暑いわねえ」
容子はポシェットの中から、取り出した扇子を使って一人涼んでいる。
常に、殺気立っているのは、暑いせいなのか、性格なのか……。
(多分、性格なんだろうな……)
「冷房の温度を下げますね……」
美聖は円卓の上にあったリモコンで室温を3℃ほど下げると、静かにタロットカードをシャッフルし始めた。
「では、剣崎さま。私はタロットカードメインで鑑定します。今日は、どういったことを視るのか、教えて下さいませんか?」
「私を見て、わからないの?」
「霊視と占いは、別ですよ」
美聖は、断言した。
『私の悩みを当てて下さい……』
それが一番占い師をやっていて、困る依頼なのだ。
「タロットカードは、悩みに応じて、テーマにあった占い方法を展開するので、曖昧な内容ですと、かえって命中率が下がります」
「ふーん。じゃっ、私の恋愛運をお願い」
「恋愛ですね?」
「そっ」
「お相手はいらっしゃるのですか?」
「いるというか、いないというか、別れた男のことを視て欲しいのよ」
「承知しました」
「なんかね、あいつ……。私に未練たらたらな感じがするのよ。半年前に別れたんだけどね。私、こういう勘は鋭いの。あいつ、私に連絡取りたがってるんじゃないかって? 前世からのソウルメイトだから、困ったことに別れられないのよね。私は迷惑なんだけど」
「そうなんですか……」
ソウルメイトとは、魂の伴侶という意味らしい。
前世からの宿縁というやつだ。
スピリチュアル好きな人に、この手の言葉が出てくることが多かったりする。
電話占いをしていると、頻繁に耳にするフレーズだが、北鎌倉の土地柄のせいなのか、対面鑑定のせいなのか、『アルカナ』で対面鑑定をするようになってから、余り聞かなくなっていた。
(久々に耳にしたわ…………)
美聖は、そういう運命的なものを否定するつもりもないし、むしろ、そういう話はロマンチックで好きなのだが、その運命やら前世やらが今生で、影響力を発揮しすぎるのもいかがなものだろうと思ったりはしていた。
(あくまでも、私が感じていることかもしれないけど……)
つまり、灰田という女性は、トウコに霊視をしてもらったのだろう。
そして、剣崎はそれ目当てで『アルカナ』まで遥々やって来たのだ。
(でも、私は霊視なんて出来ないし……)
美聖は自分のスタイルを貫くしかないのだ。
「分かりました……。その別れた彼が何をしているのか、視てみます」
ちょっとした言葉選びで、怒鳴りだしそうなお客様だ。
美聖は、なるべく、丁寧に占おうと躍起になったものの……。
――導き出された鑑定結果は、散々たるものだった。
(お相手の男性、未練の一つもないんだけど?)
元恋人の男性には、すでに付き合っている女性がいるようだった。
彼女に対しての恋愛感情など、欠片もない。
(…………恋敵……か)
小アルカナのカードで、棒の5と、9の逆位置。
彼というより、容子の方が未練たっぷりだった。
気持ちのところに、やる気満々の戦車や剣の騎士のカードが出ている。別れた男性に執着しているのは、彼女の方なのだ。
「どうなの?」
容子は、脅すように、円卓の端に両肘をつけて、身を乗りだした。
「…………彼は彼の人生、容子さんには、容子さんの人生が始まっているようですね」
「どういう意味よ?」
「過去に未練はあったかもしれません。でも、今の彼の気持ちは平穏を取り戻しています」
「嘘?」
「容子さんは、素敵な女性だから、きっと他に男性がいるのだろうと、諦めていますよ」
「…………まあ、私は他の男にも言い寄られているけどさ」
(あっ、これなら、いけるかな……?)
美聖は彼女をおもいっきり持ち上げて、話題を反らす作戦に転じた。
いくら占っても未来のない男性より、新たな男性にシフトしてくれた方が彼女の人生にとって遥かにプラスだ。
…………しかし……だ。
思った以上に、容子は手ごわかった。
「でも、あいつ絶対私のこと諦めてないんでしょう? あの男の念が飛んでくるから、私が他の男つ付き合うことができないのよ」
「……念?」
何だそれは……。むしろ、念を飛ばしているのは、容子側だろう。
「……で? 私はこいつに連絡取った方がいいの? どうしても私じゃないと駄目だって言うのなら、もう一度付き合ってあげてもいいと思うんだけど?」
「それは……その」
――悪いが、そんなチャンスはもうない。
いや、もしかしたら、容子に劇的な変化があって、別人のように変わればあるかもしれない。
けれど、凄まじいことに、容子は彼の気持ちが自分にあると、微塵も疑ってないのだから、その可能性も薄いのだろう。
「占い師なんだから、いつが最適だってことくらい、分かるでしょう? 何月の何日の何時くらいに電話をしたら、いいのか教えてよ」
「えっ?」
本気で、電話をするつもりなのか?
(今の流れで、どうして、そうなってしまうのかな?)
美聖は一言も、復縁可能だなんて言っていない。
この鑑定結果からして、彼に連絡を取った時点で、迷惑がられて関係が壊滅的に終わるだけだ。
でも、彼にそう言われたところで、高いプライドを持っている彼女は、信じやしないはずだ。
ストーカーではないけれど、限りなくそれに近い感じがする。
「電話して良い日は、改めてカードに聞いてみないと分かりませんね」
「だったら、早くして頂戴」
(ぎゃー……。このお客様、もう、私、どうしたらいいんだろう?)
――と、そこに。
「美聖ちゃん、お待たせ」
飄々と、カーテンをくぐって、トウコが現れた。
――その姿。
まるで、救世主のようだった。
彼の蛍光イェローのポロシャツに、すがりつきたいくらい、美聖はホッとしていた。
「代わるわ」
「あっ、はい。では……」
このまま変に引き留められないうちにと、そそくさと立ち上がった美聖に耳打ちする形で、トウコが囁いた。
「在季が、とっとと行けって言うからね」
ウィンクをして、美聖に軽く手を振る。
「貴方がトウコさん?」
あらかじめ、トウコが大柄の男性であることを聞いていたのだろう。
表情を緩めた容子は、手にしていた手提げ袋をトウコに渡した。
「知音がバースデープレゼントだって。七月が誕生日だったんでしょう。渡しておくわ」
「あら、嬉しい。ありがとうございます。知音ちゃんによろしく伝えて下さいね」
「ええ、伝えておくわ。それで、今、鑑定時間中だったけど、お金どうしたらいいの?」
「先程の分は、無料にします。あとは私が……」
「そう、ならいいけど……」
そして、二人が着座するのを待って、美聖はカーテンの外に出た。
(危なかった……。本当に身が縮む思いだったわ……)
しかし、ああいうお客様とも対等に渡り合っていかなければ、プロの占い師とは言えないのだ。
(本当に、自信なくすわ……)
降沢がちらちらとこちらを気にしていたので、美聖はぺこりと頭を下げた。
当初、なかなか近づきがたかった降沢だが、最近では、遠巻きに見守られているような気がして、会話の数も格段に増えていた。降沢は人見知りだと言っていたが、本当にそうだったようだ。今は、結構頼もしく感じている。美聖の窮地にトウコを寄越してくれたことは、素直に嬉しいことだ。
(でもね……)
美聖は、ずんと肩を落とした。
落ち込むことは、他にもあった。
(お中元とか、そういうレベルじゃなかったよね……)
トウコが七月誕生日であることを、聞きそびれていたことは、とんだ失態だった。




