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占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第2幕 聖性
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 結局、降沢は部屋の奥にあるアトリエには入れてくれなかった。

 一人だけアトリエに行ってから、スケッチブックと鉛筆を持ってきて、廊下に座ると、そこで素描を始めてしまったのだ。

 ぽかんと大口を開けて、傍らで見守っている美聖を気にするでもなく、口だけが動いた。


「僕が絵を描いているところを見たかったのでしょう?」

「…………見たいと思っていましたけど」

「何ですか……。いきなりトランス状態にでもなって、白目を剥いて、描き始めるとでも思っていたのですか?」

「…………実は、思ってました。宇宙と繋がったり……とかなんとか」

「それは……ちょっと、自分でも嫌ですね……」


 しゃっしゃっと、軽快に鉛筆を動かす音が聞こえる。

 髪の隙間から、垣間見える目は真剣そのものだ。


「描いているところを人に、見られたくない人なのかな……とも思っていました」

「鶴の恩返しみたいな話ですね。誰も覗くなって……あれですか」


 降沢は、くすりと笑う。

 美聖に、気を許しているのだと察すると、急に緊張してしまった。

 この密閉された空間に、たった二人きりでいることを意識してしまうのだ。


(どうしよう……)


 最上の一件以来、今度、降沢が絵を描く機会があったら、絶対に度離れに行ってみようと考えていた美聖だ。

 降沢に告げた通り、好奇心の側面もあるし、彼が単純に心配だという思いもある。


(何にしても、降沢さんって、謎が多いから)


 占いという仕事をしていても、スピリチュアルな場面には、なかなか遭遇しない。

 どちらかというと、カウンセラーの側面が強い仕事だ。

 タロットはインスピレーション、統計学は根拠に基づいた運命の学問のようなもので、占い師=霊能者という括りでは、相容れない部分がある。美聖だって、自分のことも分からなければ、あの世のことなんて、さっぱり分からない。

 しかし、降沢と出会って、美聖はそういった世界が本当に存在するのだということを、痛感した。


 ――死後の世界があるのなら、会いたい人がいる。


 そして、降沢もまた……大事な人を亡くしたのだと知ると、もっと話してみたいと思う気持ちが強くなった。

 最初はあんなに毛嫌いしていたのに、不思議なものだ。


「どうしたんです?」

「わっ!」


 驚愕の余り、美聖は食材の入っているビニール袋を落としそうになって、慌ててキャッチした。


「せっかくのチャンスなのに、考え事ですか?」

「……チャンス?」


 ――何の?

 ごくりと息を飲んだら、何てことない。降沢がきょとんとした様子で返事をした。


「さっき、僕と浩介が話していたことが気になったのでしょう……」

「……すいません。気になります」

「どうして、謝るんですか? 大方、浩介から聞いた話でしょうに?」

「降沢さんの従姉さんが、美術教師だったって。店に飾ってあるあの絵は、彼女を想って描いたものではないのですか?」

「ちゃんと、分かっているじゃないですか……」


 ――と、降沢は一度、鉛筆を動かす手を止めてから、静かに告げた。


「あの絵に『慕情』というタイトルをつけたのは、浩介なんですよ。僕はそんな大層な名前をつけて欲しくなかった」

「……はっ?」

「従姉の沙夜子姉さんと僕は、十歳年が離れていました。しかも、彼女は美術教師。僕は高校の頃から絵を描いていた……とすると、今回の響子ちゃんと、共通点が多いでしょう? だから、浩介はあんなことを言ったのです」

「そういうことですか……」


 それにしては、あの絵は……。


(…………綺麗だけど、なんか怖かった)


 いや、降沢の絵はいろんな物をキャンバスに入れてしまうから、あの絵がイコール彼女のイメージという訳ではないのだろうけど……。


「降沢さんは、だから……あの子に関するものを描いてみたいと思ったのですか?」

「今、描きながら、そうだったんだと、納得しました」

「今……分かったんですか?」

「ええ。僕の場合限定かもしれませんが、偶然が必然となることって、間々あるんです。君がこの店に来てから、最上さんのこともそうですけど、僕の子供時代につながる偶然が続いているような気がします」

「どうしてなのでしょう?」

「……今更ですけど、あの人が僕に伝えたいメッセージがあるのかもしれませんね」

「すいません。好奇心とかなんだとか言って、立ち入ったことを聞いてしまって」

「君は、謝ってばかりいますね?」


 降沢は、あっけらかんとしていた。


「三か月、君はこの店にいてくれたのです。すべてと言わずとも、多少の説明義務もあるでしょう。僕の仕事も、君の仕事も私的なことにリンクしている職業ですしね」


 そうして、再び鉛筆を動き始めた。


「あの人も画家になりたいと言いながら、美術教師をしていました。僕の絵を見て、画家になるべきだと、熱弁をふるっていましたよ」

「……降沢さんは、従姉さんの夢を叶えたのですね」

「さあ、どうなんでしょうね。少なくとも……僕にとって、絵を描くことは」


 言いかけて、降沢は唇を噛みしめた。

 その先が言いにくいのだろう。

 降沢には、美聖には入れない境界線のようなものがある。

 そして、それは美聖も同じだった。


「私の肉親も……つい最近亡くなったんです」


 刹那の沈黙後、はっとして顔を上げた降沢は何とも言えない表情を浮かべていた。


「ああ、いいんですよ。それこそ、降沢さんと一緒。勝手に私が話し始めたんですから」


 美聖は微笑む。けれど、まだぎこちない。

 降沢と同じ、十数年経てば、もう少し上手く笑えるようになるのだろうか……。

 今は、まだ何も分からなかった。


「私も降沢さんと同じです。あの人が……私が占うと誉めてくれて……。占い好きだったから。まさか、これを仕事にすることになるなんて思ってもいなかったんですけどね」

「では……一ノ清さんは、その方が亡くなるまでは、占い師になるつもりはなかったんですね?」

「お恥ずかしいことですが、まさかプロになるなんて、想像もしていませんでした。今でも、どきどきしていますし、もっと勉強して、どこかの先生に弟子入りしてから然るべくして、デビューした方が良かったんじゃないかなって、毎日葛藤しているんですけど」

「……でも、結局、君は浩介の目に留まって、ここにいるわけじゃないですか」

「自分でも、ラッキーだったと思います」

「占い師風に、導かれたってことで良いのでは?」


 降沢はヒマワリのバレッタを注視しながら、さりげなく、しかし優しい口調で、美聖に説いた。


「以前、浩介が言っていたんですけど。先生と呼ばれる職業なのに、占い師には資格がなくて。だから、お金を取らずに、趣味の範囲で鑑定することもできるって。でも、プロになってお金をもらうようになったのなら、きっと、それは多くの人間を鑑定するように、導かれたんだろうって。役割だと思って自分を戒めていないと、いきなり先生と呼ばれるようになって、潰れたり、高慢になったり……しちゃうからとか……」

「その発想って、とっても、トウコさんらしいですね」

「いろんな占い師がいて、ただお金儲けでしている人も中にはいるのでしょうけど。君は違う。ちゃんと勉強もしているようだし、もう少し自信を持った方が良いと思います。先日の黒石芽衣さんのことも気にしているようですけど、彼女もきっと大丈夫ですよ」


 表立って、何も言ってこなかったが、降沢の観察眼も侮れない。

 結局、美聖の悩みなんて、降沢にもトウコにも、筒抜け状態だったのだ。


「ありがとうございます。なんか私だけ、すっきりしてしまったような気がします」

「いえいえ。むしろ、上手い言葉が出てこなくて、申し訳ない気分ですよ」


 降沢が苦笑している。

 あまり店内で喋らない人だ。こんなに話している時点で、とてつもなく珍しいことである。


「……あっという間ですね」


 美聖はしゃがんだ姿勢のまま、少しだけ絵に近づいて歓声を上げた。

 鉛筆一本で、ヒマワリが写実的に表現されていく。

 しかも、ありのままを描いているわけではなく、降沢が手を加えている部分がまた一層華やかさを増していて……まったく異なるヒマワリの絵となっていた。

 アトリエでない分、恐怖心も生まれない。ただ、美聖は驚嘆するだけだ。


(……すごい)


 すでに、それはただのバレッタのヒマワリではない。

 明らかに、ヒマワリを見ながら描いたと思える美しい大輪の花の一枚。

 降沢在季の絵だ。

 まるで、絵の中に、あらゆる感傷を染み込ませていくように……。

 無から有が生まれる。

 魔法を見ているような気分だった。

 この姿を目の当たりにして、ファンにならない人はいないんじゃないかと、思い込んでしまうほどに、降沢は『画家』をしていた。


「一ノ清さん、この絵に……何か……感じますか?」

「いえ、まったく……。でも、綺麗だけど、ちょっと物悲しい気持ちにはなりますね」


 禍々しいものは、何も感じない。


「これは、本当に言いにくいことなんですけど」

「なんですか?」

「少しだけ『慕情』に通じるものも、あるかもしれません」

「ああ……やっぱりか」


 降沢は、想定内だったらしい。

 軽い溜息を吐き捨てながら、ゆるゆると美聖に目を合わせた。


「一ノ清さん……。ヒマワリの花言葉って、知っていますか?」


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