③
控室の一間で、エプロンを脱いだ美聖は、本と占い道具で一杯の鞄を肩に掛けた。
「はあ……」
誰もいないことを見計らって、軽く息を吐く。
無料とはいえ、芽衣の鑑定については、色々と考えさせられた。
(ズバッと言い切ることが出来たら良いのに……)
もどかしくて仕方なかった。
占いをしていると、度々、こういう消化不良のようなことが起こるが……。
本当にこればかりは、自分の限界が見えているようで辛い。
相談者は、答えを求めているのに、それを、きちんと指し示すことができないなんて、占い師として、どうなのだろう。
もちろん、大概はきっぱりと答えが出てくる場合が多い。
今日のケースで言えば、最上とやり直した方が良いと、断言できたのなら良かったのに、それができなかった。
最上が音楽をやめない限り、安定が見込めなからだ。
それでも良いという力強い意志が、芽衣にあるのなら、背中を押すことも出来ただろうが、彼女はリアリストな面もあり、恋愛感情だけではなく、将来の安定も求めていた。
「降沢さんの従姉さんの知り合いだったのに……な」
お客様を差別しているわけではないし、どんなお客様だって、鑑定後に笑顔になっていて欲しいと望んでいる。
けれでも、降沢の手前、彼女には晴れやかに、前向きな形で帰ってもらいたかった。
(なんか……こう、もやもやするな……)
それは降沢のことに関しても言えた。
降沢のことを考えると、むず痒くなる。
どうにも、上手くいかない。
それは、自分だけ蚊帳の外にいるような感覚があるからだろう。
いまだに直視できない降沢の絵『慕情』。
(ユリの花は、女性を表しているんだっけ?)
どうして気になってしまうのか……。
沙夜子という女性が、どんな人だったのか……。
どんな気持ちで、降沢が店にあの絵を飾っているのか………………なんて。
美聖には、見当もつかない。
だから、胸がちくちくと痛む。
その甘い痛みの正体を、美聖は何度か経験してきたはずだ。
今の時分に、恋なんて、冗談じゃない。
(そんなことしている暇なんて、私にはないじゃないの……)
しっかり地に足をついて立っていたいのに、美聖は今にも倒れそうな木だ。
弱い風で、簡単に倒れてしまいそうで、嫌になる。
「美聖ちゃん……帰るの?」
控室の外で、トウコが呼んでいた。
「はい、今日はコンビニバイトだし、直帰します」
美聖が無理やりテンションを上げて答えると、トウコがノックと共に室内に入って来た。
「じゃあ、今日は私も早く帰りたいから、一緒に駅まで帰らない?」
「はい」
当然、断る理由なんてなかった。
駅までは、歩いて二十分ほどの距離だ。
その後は、横浜在住のトウコは、上り電車を利用するので、美聖とは逆方面なのである。
「ほーんとうにね。ここのところ、偶然にしては、色々あって驚いているのよね。だから……その……美聖ちゃん、気にしないでね。別に、美聖ちゃんにだけ隠し事をしているとか、そういうことじゃないから。まあ……美聖ちゃんに、こんなこと言える義理じゃないってことは重々分かっているけど」
「トウコさんは、良い人ですね」
トウコは、わざと明るい口ぶりで、話をしていた。
美聖がよほど落ち込んでいるように見えたのだろう。
フォローしてくれているのだ。
今日の私服も相変わらず派手な花柄シャツだが、空気を読む能力が一番長けているのは、やはりトウコのようだった。
そういう、きめ細かい配慮が素直に嬉しい。
「別にいいんです。それを気にしているわけではないんです。私的なことと仕事は違いますから。ちゃんと、オンオフのスイッチをつけて、鑑定をしていますよ。無の状態でいないと、結果に出てしまいますから」
「仕事の気構えとしては、感心するけど、沙夜子先輩と降沢の関係が気になるんでしょう?」
「全然、気にしていませんって……」
「在季は自分からは、なかなか話さないでしょうからね。少しだけ、私が話しておきたいと思ったのよ。二人の間には何もなかったって……」
「どうして、トウコさんがそんなことを言うんです?」
「さあ、どうしてかしらね。でもね、美聖ちゃんには知っておいてもらいたいのよ」
北鎌倉の狭い路地を、美聖を先頭に一人ずつ歩く。
途中、学校帰りの子供たちの、不思議そうな視線を浴びながら、トウコはのんびりとした口調で話しかけてきた。
「私は大学で沙夜子先輩に知り合ったの。先輩に、在季のことを聞いて。可愛くないガキだったわ。今も可愛げのないおっさんだけど……。ほら、在季は誰がどう見ても変わり者でしょう。在季と対等に話すことができる身内は、亡くなったお祖母様と、先輩くらいしかいなかったみたいね」
「降沢さんの……ご両親は?」
「都内の一戸建てに住んでいるわよ。在季の弟さんも、同居しているんじゃなかったかしら? もっとも、在季は高校の頃くらいから、両親とは会っていないそうだから、私も詳しいことはよく分からないけどね」
「……そうだったんですか」
さぞ、恵まれた人生を送っているものだと、思っていた。
「私……」
(嫉妬するなんて、最低だ)
今はそうでもないが『アルカナ』でバイトを始めた頃、美聖は降沢に嫉妬していた。
あくせく働かずとも、好きな時に好きなように絵を描いて、生活している降沢に腹を立てていた。
そんなことが絶対にできない美聖の立場を憎んだのだ。
(…………だけど)
降沢は、祖母が亡くなってから、ずっとあの大きな家の中に、一人ぼっちなのだ。
家族との縁も薄く、唯一親しくしていた従妹は死んでしまったなんて、辛すぎる。
誰にだって、大なり小なり悩み事あるものだ。
占い師は、そういう人間の弱い部分を直視する仕事だ。
それなのに、その人の上っ面だけで、判断するなんて最低ではないか……。
「…………私、自己嫌悪です」
「はっ? どうして、ここで美聖ちゃんが落ちこむのよ?」
がくりと肩を落とした美聖に、トウコが顔色を変えた。
「私、おかしなこと言った?」
「いいえ。違います。トウコさんのせいではないんです。私の問題です。人間として、まだまだなのに、占い師としての腕だって、未熟で……。このままで良いのかなって……情けないなって」
「ああ、何よ。今日の黒石芽衣さんのことを、まだ気にしているの?」
すぐさまトウコに見抜かれたので、美聖は身体を強張らせた。
(さすがベテラン占い師。……勘が冴えているわ)
トウコはしばらく黙り込んだ後、いつになく、男性らしい声音で言った。
「差し詰め、はっきり、答えてあげられなかったってことを気にしているのだろうけど。それは、それで良いのよ。貴方が気にすることじゃないわ」
「……気になっちゃいますけど?」
美聖は重い鞄の持ち手を強く握りしめながら、独り言のように呟く。
「今回は無料ですけど、みんなちゃんとした答えが欲しくて、お金を払ってまで、占いに来ているんですから……」
「でもね。現状を当てることは、もちろんだけど、占い師の腕が要求されるのは、その先のことよ。結局、答えを決めるのは、その人自身。私たちが出来ることは、占いで導き出した最善の道を助言することだけ。その人の人生を肩代わりすることなんてできないもの」
「…………でも、芽衣さん納得はしてくれましたけど、笑ってはくれませんでした。私はままならない答えでも、希望があるように伝えたかったです」
「それでも、結果を捻じ曲げるわけにはいかないでしょ。占いで導き出した代案を提示して、美聖ちゃんなりに、助言したのなら、あとは、その中から、彼女が何を選ぶのかってこと。私は、それでいいと思うわ」
「私の力不足はないのでしょうか?」
「正解が何処にあるのかなんて、誰にも分からないから。それが分かるのは、神様しかいないわ。私たちは、しょせん生身の人間。明らかに、分かったふりをして『こうしろ』と答えを押し付けるのは、洗脳よ。霊感があれば……なんて思わないでね。それがあったとしても、正しい使い方をしなければ、相談者も占術者の方も潰れるだけだわ」
「…………トウコさん。なんか、すごく身に染みます」
ようやく、歩道が開けてきたので、美聖はトウコを待って立ち止まった。
正面にやって来たトウコの厳つい顔に、疲弊した自嘲のようなものが垣間見える。
「私がそれだから……ね」
「えっ?」
「私も……視える方の人間だったのよ」
トウコはサングラスを少しずらして、灰色がかった目を、美聖に見せた。
「トウコさん……?」
「思い上がって、自分で食われた愚か者なのよ。……だから、貴方には知っておいてほしいの」
そして、しっかりとした口調で告げた。
「私にも、在季にも、美聖ちゃんが必要なのよ……」




