②
「先日は従妹と、初がお騒がせしました」
お客さんが少ない、月曜の午後だった。
いかにもなロックミュージシャンの出で立ちの最上初とは、真逆の清楚な小花柄のワンピースで来店した女性は、態度もまた正反対で、美聖と顔を合わせた途端に、黒石芽衣と、自らの名前を名乗り、深々と頭を下げてきた。
「従妹からも、私のことを『アルカナ』の店員さんに話したと聞いてはいたのですが、先日、初に久々に会って……。皆さまに、ご迷惑もおかけしたようなので、これも何かの縁だと思って、お詫びに伺わせて頂きました」
「えっ、いや! とんでもない! むしろ、わざわざ、すいません!」
美聖は恐縮して、彼女と同じくらいお辞儀をする。
さすが著名なロックミュージシャンの最上が、忘れられない元カノだ。
若干、以前来店してくれた『従妹』の女の子と似た部分はあるものの、彼女の一連の所作には色気が漂っている。
同性であるにも関わらず、美聖が息をのんでしまいそうなほど、芽衣は女性的で美しかった。
「初が、せっかく降沢先生に絵を描いてもらったのに、買い取らなかったと聞きましたから、もしよろしければ、私に絵を買い取らせてもらえませんか?」
「…………それは……その」
言葉を濁した美聖は、とりあえず女性を庭の見える奥の席に案内した。
――それと、ほぼ同時だった。
「申し訳ありませんが、僕の絵をモデル以外の方に販売するのは、御遠慮しているのですよ」
例によって、気配なく降沢が美聖の隣に立っていた。
心なしか、今日はやって来るタイミングが早いような気がする。
「貴方は…………?」
芽衣がさらさらの髪を掻き分けて、降沢を見上げた。
「申し遅れました。僕が最上さんの絵を描いた降沢です。最上さんから、聞いてませんでしたか?」
降沢は、画家だとは名乗らなかった。
女性は数瞬、遠くを振り返るように、フリーズしたが、すぐに我に戻ったのか照れ笑いをした。
「あっ、貴方が降沢先生……ですか。失礼しました。初からは、詳しいことは、何も聞いてなくて。ただ、私が昔話した内容が若干違っていたことと、画家先生に絵を描いてもらったけど、買わなかったって、それだけを聞いて……。無理言って、描いて欲しいと押しかけたくせに、酷いなって思ったんです」
「ああ、そうでしたか。僕は降沢 在季と申します。貴方は、かつてここに住んでいた僕の祖母のことを最上さんに話したようですね」
「ごめんなさい。昔のことを、よく確かめもせずに……」
女性は赤面して、うなだれた。
「実は私……幸せになれるわよって、降沢先生から聞いて鵜呑みにしてたんです」
「降沢先生?」
美聖はとっさに、降沢を目で追ったが、女性はやんわりと訂正した。
「……失礼しました。降沢 沙夜子先生です」
「ああ」
降沢は得心がいったとばかりに、顎を撫でた。
「あの人ですか。やはり……」
――やはり……ということは、降沢なりに予想していたということなのだろうか?
「降沢先生は、私の高校の担任だったんです。あの頃、まだメジャーデビューしていなかった初と、私は付き合ったばかりで。でも、初……やんちゃだったから、しょっちゅう、別れようかって悩んでいたんです。そんな私を心配して、先生がこちらにに連れて来てくれたんです。……といっても、だいぶ昔のことで、当時は普通の民家だったはずなのですが……」
「喫茶店を開業したのは、五年前からですからね」
「そうだったんですか……。実は私、降沢先生に卒業してから一度も会ってなくて、連絡つかなくなってしまったんで、それもあって、今回こちらに伺ったんです。画家の降沢先生と沙夜子先生は親戚なんですよね?」
「ええ。降沢沙夜子は、僕の従姉です」
「ああ、やっぱり。降沢……在季先生……。ちょっと、沙夜子先生の面影がありますものね」
「…………一応、お褒めの言葉だと思っておきますよ」
「それで、降沢在季先生、沙夜子先生はどうされていますか?」
「それは……」
降沢は困惑した面持ちで、淡々と告げた。
「実はあの人は、亡くなっています」
「えっ?」
刹那、芽衣が表情をこわばらせた。
「亡くなった?」
「はい。僕が大学生の頃に」
「……そんな」
まるで、タイミングを見計らったように、トウコが水とおしぼりと、冷たいレモンティーを運んできた。
初めて耳にする名前に、美聖は言葉一つ発することができない。
息苦しさに横を向くと、降沢の描いた『慕情』が目に飛び込んできた。
(もしかして、あの絵は、その人と関係があるんじゃ……?)
そんな気がしてならなかった。
「……沙夜子先輩が倒れてから、亡くなるまで、あっという間のことだったから」
会話の流れを把握していたらしい、トウコが口を挟む。
「あのね、私は、沙夜子先輩とは大学の時の後輩なんだけど、十年も前に沙夜子は病気で亡くなったのよ。元気な人だったから、未だに信じられないんだけど」
二人に淡々と告げられて、芽衣は口元を押さえて、愕然とした。
「…………びっくりしました」
言いながら、外の庭に視線を逸らす。
目元が潤んでいるのは、彼女なりに、思うところがあるからだろう。
「長い間、ずっと……いろんなことを先生に報告したいと思っていたんです。私が高校生の頃、先生には、いつも勇気づけてもらいましたから。あの時、先生のお祖母様に描いて頂いた絵はなくしてしまったけど、私はおかげさまで、幸せなんだって」
「……そうでしたか」
降沢は寝癖を押さえながら、彼女に向かい合うようにして、椅子に腰かけた。
「だけど、本当は幸せ報告なんかより、貴方は沙夜子先生に相談に乗ってもらいたかったのではないですか?」
「えっ、ああ。すいません。………………そうですね。実際、そう……なのかもしれません」
いつになく優しい、降沢の声音に導かれたのだろう。芽衣は疲労を隠せずに、うなだれた。
「すいません」
「いえ、構いませんよ。何かの縁だと、貴方が一ノ清さんに言っている声を聞きました。僕もそれを感じます。最上さんが来店した時から、どうもおかしいと思っていましたけど、きっと、沙夜子姉さんが貴方をここに呼んだのでしょうね」
「そうだったら、嬉しいな。先生、私の行く末が心配だって言ってたから……」
芽衣はハンカチを口元に押し当てて、嗚咽をこらえていた。
沙夜子の死を耳にしたことも衝撃的だったのだろうが、彼女の涙には、他にも理由があることを、さすがに美聖も気づいていた。
「だったら、一つ占ってみましょうか……」
ほとんど無意識レベルで、美聖は芽衣に呼びかけていた。
「これも縁ということで、お代はいりませんから」
「それはいいわね」
トウコが笑っている。
見切り発車だったと、一瞬後悔したが、美聖は真剣だった。
人の悲しむ顔は好きではない。
占うことによって、彼女が前向きになってもらえたら、単純に嬉しかった。
動揺している芽衣に、降沢が温かくうながした。
「よろしければ、どうぞ。彼女は優秀な占い師さんですから、ちゃんと鑑定してくれますよ」
「…………それって、嫌味ですか。降沢さん」
「まったく、どうして占い師のくせに、君は自虐的なんです?」
「あ、ありがとうございます。みなさん。初の非礼のお詫びにうかがったのに、かえって私が慰めてもらってしまって」
芽衣が肩の力を抜いて微笑んでいる。
その仕草だけでも、美聖には可愛く映る。
降沢は、至近距離で芽衣と至近距離で面と向かっているにも関わらず、涼しい顔をしていた。
(降沢さんって、もしてかして、女性には興味がないんじゃ……)
逆に芸能人ばりの可憐な女性を目の当たりにしても、まったく気にしたふうでもない降沢が美聖は心配になっていた。
やはり、その従姉のことが忘れられないのではないか?
そんな気がしてならなかった。
気分を切り替えようと、美聖ははりきって、鑑定に移る。
…………芽衣の悩みは、やはり恋愛に関してだった。
似たような内容で、最上を鑑定したことがある美聖には、両者の感情の揺れが手に取るように伝わってきた。
彼女には、結婚を考えている人がいるが、最上のことが忘れられないらしい。
芽衣が想いを引きずりながらも、堅実な将来に向かって歩み出そうとしたところに、最上と再会してしまったのだ。それで、どうしたら良いのか分からなくなってしまい、混乱しているようだった。
鑑定結果は、大アルカナ二番目の『女教皇』の逆位置。
神経がぴりぴりしてしまい、何もかも放り出す危険性があるという意味合いだろう。
相手を決めることができず、苛々した気持ちは、まだ続くらしい。
タロットカードの結果を鑑みたら、婚約者と芽衣も相性は悪くないし、最上とも悪くはない。どちらか一人を選んだとしても、将来的に後悔をするはずだ。
それでも、決断しなければならない日は必ずやって来る。
(……この店に、沙夜子先生の縁で導かれたというのなら?)
メッセージは、一つしかなかった。
「芽衣さん……。ありきたりな言葉ですが、人生は一度しかないから……。感情の赴くままに、決めるしかないと思うのです。最後の決め手は、芽衣さんの意志だと思います。いずれにしても三か月以内で決めなければならなくなります」
「私には……決められそうもありません」
「……ですよね。分かりました。どちらと一緒にいたら、貴方にとって良いのか。その辺りを、もう少し深く鑑定していきます。決断するのに、判断材料にしてください」
美聖は内心の揺れを見抜かれないように、振る舞ったつもりだが、一つに結論付けることができない自分自身にひどく苛立っていた。




