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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
9/35

「木々の温もり」②

 低草の茂った草原は、爽やかさ以上にどこか寒々しかった。

 遠くにのっぺりと薄い青空との境目は曖昧で、見渡す限りに生き物の気配はない。そうした感想は、


 ――目線の高さのせいかもしれない。


 大陸の小国レスルートのユスティス・ウルザ・ファダルヌ王女――元王女は、なんとはなしに思いついたことを胸に呟いた。


 首の上から眺める視界、というのは新鮮に思えた。

 もう一月近く、彼女にとって世界とは抱えられた腕の中から見るものだった。


 首筋に手をあててみる。

 据わりの悪い頭を抑えるために巻かれた絹布がやけに頼りなく、次の瞬間にはぽろりと零れてしまいそうだった。


 そんなことになれば目が回りそうだが、それ以上にその時の周囲の反応こそが見物だろう。

 そして、きっと頭を転がしている自分にはそんな周囲の慌てぶりを楽しむ暇はないだろうから、あまり試してみようという気にもなれない。他の誰かがしてくれるのならともかく。


 風が吹き、白、黄色とまばらな色合いを無数に散らした草花がそよいで流れていく。


 “黄金竜の祝福”は、こんなところにさえ余さず表れていた。

 世界中にその効果を至らしめる絶対的な威風の結果に、ユスティスは眉をしかめた。


 じわりと毒のような思いが滲む。

 強制された祝福。そんなものは呪いと変わらない。――自分とおなじ。


「――姫」


 背後からかけられた声に、ユスティスは苦いものを浮かべた。


「クーツ、私のことはもう姫だなんて呼ばないでと言ったでしょう」

「……いえ。自分にとっては、姫は姫ですから」


 そう応える若い騎士は無表情を装っていたが、しばらく視線を合わせるうちに鉄仮面じみた表面には容易にひびが入り、奥から感情が零れ出してくる。

 そこから漏れ出るものを見られることを避けるように、若い騎士は視線を伏せて続けた。


「国王様の使いが参られました」

「そう……」


 言われるまで、気づいていなかったわけではない。

 あえて無視しようとしていた相手に改めて視線を投じ、ユスティスは気のない声で応えた。


 十数名から成る、ひどく仰々しい一団だった。


 一台の馬車に、それを囲むように近衛騎士達が護衛についている。

 国中から選抜された騎士達は華麗な装飾鎧に着飾られていた。


 面覆いを上げた顔ぶれにはユスティスの知る者もいる。

 黄金竜への友誼を求めて向かった使節団。

 その山の麓で、黄金竜の手下を名乗る一党にことごとく壊滅させられた生き残りは、彼女の命令で国元へ返されていた。ただ一人、クーツだけが頑として彼女の傍に残った。


 扉が開き、馬車から男が降りてくる。

 外に出てきたのは壮年を過ぎたばかりの小男だった。鼻の下にわずかな髭を生やした顔には覚えがないが、その目つきには彼女の知るそうした人々と同じ程度には、高慢な自尊心が表れている。


 短緑の絨毯を踏んだ使者は、長衣の裾が汚れるのを厭うように眉をひそめ、周囲を睥睨するようにわざとらしい視線を巡らせた。


 騎士達がかしずく。

 この場において国王の代理という立場にある相手を重んじた行いに、ユスティスは倣わなかった。真っ直ぐに立ったまま相手を見据える。


「姫……」


 諫言めいた囁きが隣から届くが、彼女は聞こえない振りをした。

 国王の使者は一瞬、不快そうに眉間に皺を刻み、それから表情に侮蔑の色を浮かべた。


「ユスティス王女へ、国王陛下からのお言葉をお伝えする」


 よく通る声で男が口を開いた。


「この度の失態、遺憾の一言に尽きる。されど情状に斟酌すべき余地ありとも余は考える。黄金竜ストロフライなる者の高言、国中に聞かぬ者なし。驚天動地の至りなれど、竜の行いの奇怪なることもまた自然の道理なり。一旦、国元へ戻るべし。以って、辺境の竜についての沙汰を改めて申し付ける」


 捲し立てるように述べられた言葉に対して、ユスティスは反応を示さない。

 じっと黙ったまま、役目を終えて満足げな男に視線を投げかける。不自然な沈黙に気づいた男が、なにかを問い質そうと口を開きかけたところで、


「――金は、」


 呟くように、言った。


「空から降った金については、なんと」


 男は片方の眉を持ち上げるようにして、


「特に国王様からのお言葉は承っておりませぬ」


 ですが、と続けた。


「件の黄金竜からばら撒かれたとされる大量の“金片”については、国の内外を問わずに大きな混乱が巻き起こっております。ひとまず、触れを出してその回収を行っているところですが、」


 そう、とユスティスは声に出さずに呟く。

 金片。そうした表現を用いることが、間接的に男の――ひいては、レスルートという国家の現状における認識を示していた。


 別に間違いではないだろう。

 黄金竜の酔狂によってばら撒かれた代物は、明らかに貨幣の形状(それも極めて精密な)を模してはいたが――逆に言えばそれだけのことだ。

 担保として信用され、人々に流通しなければ、“貨幣”には成り得ない。

 そのことを、ほとんど本能的な感覚で彼女は理解していた。だが、


「……クーツ。あなたが見てきた町では、どうでしたか」


 使者が眉を跳ね上げる。

 国王の代理を無視するような無礼さに、見る見るうちにその顔色が赤黒く変化していくのを面白く思いながら、ユスティスは隣へと視線を送った。


 苦渋に満ちた表情で沈黙していた若い騎士が、やがて重々しく口を開き、


「金貨――金片の存在は各地で認められています。先日の、黄金竜の宣言がありますので、それに伴う様々な噂が起こっていることの影響もあって、商人のなかには相当な高値でそれを買い求めている者まで出ているようです。そのことが原因の揉め事も」

「つまり、」


 男の言葉を遮るように、ユスティスは息を吐いた。


「流通し始めている、ということですね」

「……はい」


 項垂れるように、男が同意を返す。


 くすり、とユスティスは肩を揺らした。

 あまり大きく動いてしまうと、頭が落ちかねない。それでも衝動を抑えきれず、くすくすと全身を小刻みに震わせて彼女は笑った。


「王女殿下?」


 使者の男が奇妙に表情を歪め、戸惑うような声をあげる。


 こちらを見つめる彼のそうした反応が、自分の表情にあることを理解した上で、ユスティスはさらに笑みを強めた。

 ひとしきり、思うが侭に笑ってから、すっきりとした心地で使者を見る。相手の表情にはほとんど恐れすら含まれているようだった。


 それを意に介さず、


「――国王陛下にお伝えしてください」


 にこやかに告げる。


「ユスティス・ウルザ・ファダルヌ。そう呼ばれた者は、もはやこの世には生きておりません、と」

「なっ……」


 絶句しかけた使者が、すぐに表情を引き締める。憎々しげな眼差しで、


「なにをおっしゃる。――まさか国を裏切るおつもりかっ」

「裏切る?」


 ユスティスは口元に笑みを偲ばせて、


「私はただ、ありのままの事実を言っているだけです」


 次にとった彼女の行いに、周囲の全員が息を呑んだ。


 元王女は、自分の頭部に両手を添え、それを高々と持ち上げた。

 王冠を空虚な空間に捧げるように、続ける。


「それとも。これを見てまだ“王女”が生きていると、あなたは言えますか?」


 今度こそ間違いなく絶句した使いの男の顔色が蒼白に色ざめる。


 王女の首が落ちた、という事実は国元まで伝わっているはずだった。

 彼女に随伴した騎士の生き残りが、そうした状態でなお生存している彼女の姿を目撃している。彼らから自分についての報告が挙がらないとは、彼女は思っていなかった。


 目の前の相手も、あるいはそのことについて事前に知っていたのかもしれない。

 だが、それを間近に目撃すればやはり衝撃ではあるのだろう。息を求めるように喉を喘がせながら、男は呻いた。


「それは――しかし。私は、そのようなことを国王陛下にお伝えするわけには、」

「ああ、違います」


 ユスティスは穏やかに言う。

 両手に抱えられて頭を左右に振れない代わり、両手を前後に動かして揺すってみせる。

 気を利かせてみたつもりだったが、相手がにこりともしなかったばかりか頬を引きつらせたことにがっかりしながら、頭部を元の位置に収めた。断面に首を添え、解いた絹地をあらためて巻きつけると、ようやく異様な光景から解放された使者が安堵の息を漏らす。


 ユスティスはゆっくりと相手に近づくと、


「今の伝言は、あなたにお願いしたのではありません。あなたには、別のことを頼もうと思っています」


 ――そっと、使者の肩に手を置いた。


 怪訝にそれを見下ろした使者が、ひィっと悲鳴を上げる。

 男の身体が、ユスティスの触れた場所を中心に徐々に色を変えていた。派手な装飾の色合いが、一色へと変化していく。黄金へ。


「こ、これは……いったい、なにをっ」

「祝福です」


 呪いです、という響きで彼女は告げた。


「国王陛下に伝えてください。……本当にお世話になりました」


 相手から手を放す。


 彼女が使者から離れても、黄金の浸食は止まらなかった。

 ゆっくりと、だが確実に男の全身を蝕んでいく。もちろん、それは表面に限っただけではなかった。


「や、止め……! お前達、この魔女を、」


 悲鳴は、上半身が黄金に変化した時点で途絶えていた。

 呼吸さえ出来ず、男の青ざめた顔色が徐々に紫色まで変わっていく。

 そしてやがてそれさえも黄金が塗りつぶして、苦悶の表情で固まった。


 頭部まで行き渡ってしまうと、残りは早かった。

 指が折れ曲がり、奇妙にひしゃげた格好で黄金の彫像と化した男を満足げに見つめてから、ユスティスはその視線を周囲に転じた。


「――お願いできますか?」


 伝言を頼まれた騎士達は、全員が言葉を失っている。


 王家への忠誠厚く、勇猛で鳴る近衛騎士のなかには、王女の突然の凶行に武器を構えようとしている者もいたが、誰ひとりとしてその場から動けていなかった。

 怯えた眼差しで自分達の足元を見やる。いつの間にか、彼らの踏みしめる地面の一帯が黄金に変化していた。


「大丈夫。変えたのは靴底だけだから。無理をしなければ、平気でしょう」


 穏やかにユスティスは告げて、それから騎士達にぺこりと頭を下げた。


「……ごめんなさい。私は、あなた方に報いるものがありません。国元へ戻ったあなた方がどんな叱責を受けるかも、わかりません。だから、それが嫌だという人は、逃げて下さい。この場にある黄金はあなた方に差し上げます。それでも王家に忠誠を尽くしたいという方。本当は、そういう人にこそ報いなければならないのだけれど――さっきの伝言を、王に伝えてください」


 よろしくお願いします、ともう一度、頭を下げてから、ユスティスは歩き出す。

 すぐ後ろをついてくるクーツの気配に、


「……後のことは頼みます。彼らに、出来る限りの配慮を。もしも、あの像を国まで運ぼうとする相手が誰もいなかったら、代わりに誰かを雇って運ばせてください。伝言も添えて。……そんなことにはならないだろうけれど」


 騎士達の忠義を哀れむように、彼女は囁いた。


「――はっ。……姫、もしも、あなた様についていきたいという者がおりましたら、如何なさいますか」


 ユスティスは軽く目を見開いた。立ち止まり、困惑した気分で後ろを振り返る。


「そんなもの好きな人がいるかしら」

「少なくとも、ここに一人はおります。私は、あなたに従います」


 悲愴な決意を固めた若い騎士の宣言に、ユスティスは眉をひそめ――吐息を漏らした。


「……好きになさい。クーツ、傭兵団なり、野盗なり、身を奴してもいいならあなたが主導して指揮をとりなさい。費用は私が出します」


 ああ、と小さく笑う。


「無駄遣いは駄目よ。あまりやりすぎてしまうと、怒られてしまうと思うから」

「姫は、どちらへ」


 答えをわかっている口調で訊ねてくるクーツへ、ユスティスは当然という口調で応えた。


「もちろん帰ります。あの洞窟へ」


 不満の込められた沈黙に、元王女は微笑を浮かべて、


「大丈夫よ。マギさん、とっても優しいから」

「あの男がそうであったとしても、周囲がそうとは限りません」

「お姉さまのこと? そうね。けれどお姉さまはとても頭が良い人よ。私が“使える相手”だってこともちゃんと理解しているはず。レスルートとのこともあるもの。だから、大丈夫」

「それでも、いざという時にはどうしますか?」


 しつこく訊ねてくる相手に、ユスティスは艶然と微笑んでみせる。

 以前のような儚さの失われた眼差しで、彼女は言った。


「――そうね。その時は、なにもかもを黄金にでも変えてみましょうか。マギさんも、お姉さまも、この世界の全部。クーツ、その時はあなただけは、私と一緒に生き残ってくれますか?」

「……もちろんです」


 男が応える。

 その言葉を聞いて、ユスティスは一瞬、以前のような儚い気配を浮かべ――すぐにそれを消し去ると、


「そう。……では、そのように。全てよろしく」


 男をその場に残して歩き出した。


 風そよぐ草原を歩く。

 足元を這う緑が、空に冴える青が厭わしかった。ならばその悉く、黄金に塗り固めてみせようかと考えるが、そうする勇気さえ彼女にはない。


 いったい何故、私は生きているの。


 胸の自問に応える声はなく、人外の精霊姫は虚しく足を進める。

 今の自分がなにを求めているのかさえ、彼女はわかっていなかった。



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