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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
7/35

「黄金の夜」⑦

 夜半を超え、辺りは深い静穏に包まれていた。


 日が暮れれば、外は魔物の世界となる。多くの森や山でも、夜を迎えることでむしろ動物や魔物の動きが盛んになるものだったが、この場所だけはその例外だった。

 ほとんど息を殺すような静けさは、この山に在る全ての生物が一心に支配者を畏れ、敬っていることの証明でもある。


 黄金竜の山。

 まるで木々が枝葉を擦らせ合うことすら遠慮しているような静寂の中を、マギはゆっくりとした足取りで進んだ。


 獣道よりはマシといった山道を根気よく歩き続けていると、やがて目の前に大きな、大きすぎる屋敷が見えてくる。

 視界の端から端までを占拠するような幅の広さに対して、灯りはほとんど立てられていない。その為に闇を塗りつぶしたような立体感がある。ただ一対、正門前に掲げられた松明だけが、決して消えない灯火で訪問者を迎え入れていた。


 マギが門の前に立つと、巨大な扉は独りでに開門した。


 黙って中に進む。

 何度も訪れた経験があるので迷う恐れはなかった。そもそも、この館の構造は敷地の面積の割にひどく単純になっている。竜という巨大な生命が、本来の姿で過ごせる最低限の広さしか持たされていないからだった。


 しかし、その竜の巨体で通るべき場所を人間の姿で歩けば、それは十分すぎる迫力と重厚さをもって意識を圧迫させる。何度来ても慣れようのないその重圧感に胃が軋むような心地を覚えながら、マギは奥へと進んだ。


 目的の部屋の前まで辿り着き、


「……俺だ」


 寝ているわけがないと思っていたので、それだけを告げた。


「入っていーよ」


 中からの返事を待って、マギが目の前の扉に手をかざすと、扉がゆっくりと開いていく。


 巨大な空間が目の前に広がった。

 山頂の空間ほとんど全てを費やして用意された、あまりにもささやかに過ぎる広大さ。大声をあげても反響さえ返って来なさそうな一室の奥から、


「マギちゃん、お疲れ様っ」


 にっこりと。この山の主が微笑んだ。


 マギは口を開きかけ、扉から相手までやや距離があることに気づいて、もう少し近づこうと一歩を踏み出した。その一歩が床を踏んだ時には、部屋の主の姿がすぐ目の前にあった。


「わっ」


 のけぞるように背筋を逸らす。

 くすくすと少女の姿をした竜が笑った。彼女はもちろん、さっきから一歩も動いてはいなかった。


「うちの連中、帰ったみたいだね」


 寝台に腰掛けて、足をぶらぶらと揺らしながら言ってくる相手に、マギも調子を落ち着かせるように息を吐いてから、


「ああ、うん。ついさっき。一応、そのことの報告に。それと、」

「それと?」

「……お礼を言いに来た」

「お礼って?」


 不思議そうに瞬きする。それはまったく自然な動作で、だからこそ不自然だった。


「なんていうか。――やっぱり皆、なかなか普段通りにってわけにはいかないんだよな。もう一月だけど。まだ、一月で。……気にしないようにってしてるんだけど。やっぱり、どうしても駄目なんだ。“あいつ”がいないことに、慣れない」


 マギはそこで言葉を区切り、頭をかいた。


「……そんなんじゃ駄目だってわかってるんだ。俺がしっかりしないといけない。だから、今までみたいに振る舞おうとしてるつもりでも――多分、他の連中にはバレバレなんだろうな。俺の演技なんて。それで、その演技に気づかない振りまでしてもらっててさ」


 竜の少女は穏やかな表情のまま、黙っている。

 精霊に対して告解しているような気分になりながら、マギは続けた。


「でも、難しいんだ。普段通りっていうのも。普通っていうのが、“あいつ”がいないことを当然のように思えるってことなら――そんなのは、嫌だ。そんな普通なんか要らない。俺はあいつが帰って来るのを待ってるんだ。あいつと、そう約束した。だから、あいつを待ちながら――どんな風にやっていけばいいか。わからなくて」


 そして多分、それは俺だけじゃない、とマギは呻く。


 夜、自分の寝台に入ってくるシィも。そのシィを、誰かがそうしていたようによく胸に抱きかかえているスケルも。町での仕事に没頭しているルクレティアも。全員を気遣って、無理に明るくしようとしているカーラも。


 全員が、少しずつ顕わになる日常のなかの齟齬を隠そうとして、ぎこちない日々を過ごしている。


「……ひっかかった蜘蛛の糸みたいな、そんなちょっとした違和感なんだ。その糸がいつかとれるか、それとも、そんなことにも気づかないくらいになって、やっと自然に振る舞えるのかもしれない。けど、それでいいのかってずっと思ってた」

「うん。それで?」

「ジニー。お前はそんな俺をみかねて、竜の連中を寄越してくれたんだろう?」


 うっすらと微笑んだまま、竜の少女は小首を傾げてみせた。


「さあ?」

「……わざわざ竜達を追い返さないで、メジハに泊まらせるみたいなことして。それで、わーわー騒動やってるあいだは、“あいつ”のことを考えなくてすむ。そうして、気分転換にでもなればってことだったんじゃないか」


 いや、と頭を振って、


「お前がどういうつもりでやったことでも関係ない。俺はそんな風に思ったから。だから、お礼が言いたいんだ。――ありがとう」


 マギの言葉に、竜の少女はくすりと困ったように笑みを漏らした。


「マギちゃんがお礼を言いたいんなら、うん。受け取っとくけど。それじゃあ、ちょっとは気分転換になったの? もう悩まないで大丈夫?」


 マギは難しい顔をして考え込んで、


「……そうだな」


 頷いた。


 へえ、と竜の少女が大きな瞳をぱちくりとさせて、


「どういう結論が出たの? スラ子ちゃんがいないって空白を、どうやって埋めるつもり?」

「――親父さんに怒られたんだ」

「親父ぃ?」


 突然の単語に顔をしかめる。


「ああ。……道化をやるなら、最後までやりきれって。甘えるな、縋るな。周りに不安を見せるな。自分も、周りも騙してみせろってさ」


 マギは息を吸って、告げた。


「だから、そうする」

「どうするの?」

「もう迷わない。不安を見せない。甘えない。縋らない。俺は、俺の周りの連中を全員、騙してみせる。……ジニー、お前もだ」


 あはは、とそれを聞いた竜の少女が笑った。


「あたしも騙してみせる? それを本人の前で言っちゃうの?」

「ああ。だから――さっきの愚痴で、そういうのは全部、終わりだ。もう二度と、誰にも弱音なんか吐かない。約束するよ」


 誓約するようにマギは言った。

 それをじっと見た少女が、ふふん、と鼻を鳴らす。


「アホ親父もたまにはいいこと言うよねっ」


 そのまま、寝台に倒れ込むように横になる。

 しばらく動きが無いので、マギが近づいて覗き込もうとしたところを、にゅっと伸びた腕がつかんで引き寄せた。慌てて両腕を突っ張る。


「――マギちゃん。あたしね、怒ってたの」


 覆い被さるような格好になったマギを下から見上げるようにしながら、竜が言った。


「だって、マギちゃんってば遊びにも来てくれないし。誘ってもくれないし。でも一番イヤだったのは、マギちゃんが過去とか未来しか見てないこと。そんなのどうでもいいんだよね。あたしには。あたし達には」


 静かな眼差しに滾るような感情を込めて、


「ねえ、マギちゃん。あたし、今、恋してるの」


 竜の少女は言った。


「イライラするの。ムカムカするの。ドキドキして、ワクワクするの。こんな思いしたことない。そんな自分が、楽しくて仕方ないの。自分がどうなるかわかんない。そんな自分が待ち遠しくて仕方ないんだ」


 一瞥で世界を壊し尽くせる瞳で見つめる。


「このまま恋していくと、あたしはどうなっちゃうんだろ? すぐにヨボヨボの老人になって死んでいっちゃうマギちゃんを見て、そんなの嫌だって泣き叫んだりするのかな。他の女にうつつを抜かされて、この世界を叩き壊しちゃったりするのかな。どうだろう。どうだろう! ほら、マギちゃん。あたしの“今”は、ここにあるのっ」


 吸い込むような眼差しと弾むような声音に、マギは言葉を失った。息を呑む。

 男の怖気を見透かしたように、竜の少女は目を細めた。


「だからね、マギちゃん。マギちゃんが言った通り、マギちゃんには悩んだりしてる暇はないんだよ。だって、あたしに恋させたんだから」


 この世界よりはるかに強大な竜の少女は、世界の真理以上を語る口調でそう囁いた。

 義務でもなく、命令でもなく、あくまで自然で、なによりそれが当然なことだと告げる口調で、


「悩んでないで、あたしを抱きしめて。キミっていう存在を刻み込んで。あたしに注ぎ込んで。あたしを狂わせて。怒らせて、悲しませて、悦ばせて。騙して、貶して、包み込んで。あたしが全てを奪われて、全てを与えられてるって信じさせて。ねえ、恋ってそういうものでしょう?」


 夢見る心地で告げる相手に、マギは深く、静かに息を吸いこんで。さらになにかを言いかけようと動きかけた相手の唇を塞いだ。


 ん、と楽しげな呻きを耳にしながら、相手の唇を割って入り、かき回す。艶めかしい動きがそれに応えた。


 互いの様々なものを交換しあった後、先に息が切れかけてマギは顔を離した。

 陶然とした表情を見せる相手の耳に息を吹きかけるように、告げる。


「……覚悟しろよ」

「なにを?」


 うっとりと竜が囁きかえす。


「これでも、そっちのことでは猛者達に鍛え抜かれてるんだ。今夜は一晩中、寝かしてなんかやらないからな」


 くすり、と耳元で微笑。


「やだなぁ、マギちゃん……」


 マギの身体を押しのけるようにしてわずかな隙間をつくった少女が、上気しきった表情を蕩かせて彼を見つめた。

 爬虫類の眼差しが弧に細められ、そして。


「このあたしのまぐわいが、たった一晩で終わるわけないじゃない?」

「――へ?」



 ◇


 その日。

 世界中から“昼”が消えた。



 先日から続く異常事態に、人々は不安な顔を突き合わせて日の登らない空を見上げ続け――十日ごろ経った頃、あっさりと彼らの元に昼は戻ってきた。


 世界中は安堵した。

 そして、それだけだった。原因や、責任を追究しようとする者はいなかった。恐らく、誰もが理解していたからだ。――竜なら仕方ない。



 一方、とある田舎の山間では、十日前から姿を消していたとある若い男が発見されていた。


 深い藪のなかで膝を抱えて震えていたその男は、周囲の呼びかけに「りゅうこわい」などと怯えきった呻き声をあげるばかりであり――

 彼を知る者達による献身的な介護があってなお、男が正気が取り戻すまでには一月以上の時間がかかったという。



                                           後日談『黄金の夜』 おわり



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