「黄金の夜」⑥
宴は続いている。
屋根の吹き飛んだ講堂に、外に立ち並ぶ満開の木々から降る花びらが入り込んで風情を盛り上げていた。人々は室内から外へ出て、広場に焚火を囲みだしている。
肌寒さを気にもしない酒宴の盛り上がりから一人距離をとって、マギは地面に腰を下ろしていた。
わざと聞かせるような足音に顔を向けると、黒髪の竜がゆっくりと歩いてくる。
「どうも」
「……無事だったんですね」
衣服に汚れ一つない相手に半眼を送りながら、マギは言った。二体の竜の力が激突した、その狭間に身を投じなかったらしいイエロが肩をすくめる。
「親父もお嬢も、さすがにその辺の分別くらいつきますから。手加減くらいするでしょう。他の連中は、つい条件反射で飛び出しちまったみたいですが」
「分別つくんなら、どうして俺まで巻き込まれたのか納得できないんですが……」
「そいつはまあ、お約束ってやつでしょう」
面白くもなさそうに告げる。マギは唸るようにしてから、視線を戻した。
「……不思議な光景すぎて、なんだか夢みたいですよ。田舎町の宴会に、竜が普通に参加してるだなんて。まるで御伽話だ」
「まあ、あんまりあることじゃないでしょうね」
イエロが同意してみせる。
「あんまりあるべきことでもない。この世界にとっちゃあ、自分らの存在は異端すぎるんでね。だから、明日にでも帰ろうかと思います」
マギは驚いて相手を見た。
「いいんですか? その、ストロフライの父親は、」
厳めしい風格を探す。
娘の一撃に盛大に空まで吹き飛ばされ、地面に激突してまるで平然としていたその相手は、今は祭りの輪から外れた場所に一人で腰を下ろしていた。ぐいぐいと酒を呷っている。
「まあ、親父もだいぶ気が晴れたことでしょうよ。お嬢はあんまり家に寄りつこうとしないんでね。ああして、会話のやりとりが出来ただけでも随分と嬉しいはずです。不器用なんで」
不器用にも程があるんじゃないか、とマギは思ったが、口にはしなかった。
「ああ、もちろん吹っ飛んじまった屋根は帰る前に直しておきます。今夜はいいきっかけになるでしょうよ。この町の人らが目を覚ましたら、講堂は元通り。そこにいたはずの厄介な連中は忽然と姿がない。自分達みたいなのがいなくなる時は、そういう消え方のがいい」
「嵐のように現れて、幻のように去る。ですか。……確かに竜っぽいですね。傍迷惑で」
「おや、随分と辛口だ」
「酒が入ってるんですよ。このくらいは許してください」
若い竜は小さく笑って、
「ま、そんくらいはね。これでもマギさんには色々とご面倒をおかけしちまって、申し訳ないと思ってるんで」
「訊いていいですか」
礼儀正しい竜を正面に見据えて、マギは口を開いた。
「なんでしょう」
「ストロフライのことです。イエロさんは、どういう風に思ってるんですか」
「お嬢ですか? そりゃまあ、世話になってる相手の娘さんですからね。ちっさい頃から知ってる相手なんで、大切に思ってます。お嬢自身も、特別なんでね」
そこで一旦、口をつぐんで、若い竜は同じ言葉を繰り返した。
「……特別なんですよ。お嬢は」
言葉にそれまでなかった感情が籠もっている。
「さっきも言いましたが、竜ってのは異質です。なんでこんな生き物がうまれたのか、自分らでもわかりません。まあ、そんなこと言っても生まれちまったもんはしょうがないんで、自分達でもっと過ごしやすい世界をつくって、そっちで悠々と生きてるわけですが。お嬢は、そのなかでも断トツだ」
なにが、とはマギは問わなかった。ごくりと唾を飲み込んで、続きを待つ。
「今いる竜が全員で掛かったところで、お嬢には敵いません。敵うどころか、相手にもなりゃしない。竜ってのは、誰だってやろうと思えばこの世界を破壊し尽くすことだって出来ますが――お嬢は、たった一瞥でその自分らを殺し尽くすことだって出来るでしょう。マギさん、あんたは竜のことを理解できると思いますか?」
マギは黙って首を振った。あまりに生き物としての存在が違いすぎて、そんなことは思い上がれもしない。
「それと同じです。俺だって、お嬢のことを理解できると思ったことは一度もありません。生まれてからずっと、お嬢は一人だったんです。だから、同情します」
「同情? ストロフライにですか?」
イエロは唇を歪めた。
「お嬢と、マギさん。あんたにね」
落ち着いた眼差しに浮かんだ深い哀れみに、マギは言葉を失くした。
「それは、どういう」
「どういうもこうも。言葉通りですよ。お嬢がやることに自分は反対しませんし、そもそも出来ません。出来るわきゃあない。だからまあ、親父の気持ちもわかってやってください。それでもあの人だけは、お嬢の親って立場を絶対に手放そうとしてないんです。そういう相手だから、俺達も親父んとこにずっといるんですがね」
マギは一人、黙々と酒を傾ける父親の背中を見やった。精霊形をとってなお威風あまりある後ろ姿は、闇夜に溶けかかってどこか物悲しくある。
「……俺、ちょっと挨拶に言ってきます」
口をついて出ていた言葉に、マギは自分で驚いた。すぐにその驚きは納得に置き換わり、立ち上がる。
「ええ。よろしく願います」
嬉しそうにイエロは言った。少し離れてから、思い出したように声がかかる。
「マギさん」
振り返ると、屈託のない表情が笑いかけていた。
「お嬢に切った啖呵、ありゃよかった。なかなか痛快でしたよ」
「ありがとうございます」
マギは応えた。ひどく照れくさかった。
足音を殺すようにマギが隣に立つと、中年の竜は鬱陶しそうな視線を投げてきた。
「……ええと。お酒とか、お代わりどうですか」
自分の意思でここまでやってきたとはいえ、恐ろしいことに代わりはない。訊ねると、フン、と鼻で笑った反応が返ってきた。
「いらん。だいたい、こんなモンいくら飲んでも酔えるか」
「でも、他の竜もみんな、酔っぱらったりしてるみたいに見えますけど」
「場酔いじゃ」
「…………」
なんと応えるべきかわからず、マギはその場に立ち尽くす。
もう一度、鼻を鳴らした中年の竜が、
「――儂らがどのくらい生きるか、知っとるか」
ぽつりと呟いた。
マギは眉をひそめて、
「……伝説とかでなら、千年とか。そういう話は聞いたことあります」
それを聞いた竜に笑われて、マギはむっとして訊ねた。
「違うんですか」
「そもそも、年とかいう感覚がズレとる。仕方ないがな。ニンカス、われにとっては『時間』は流れるもんなんじゃろうが、儂らにとっては違う。自分で動くもんじゃ」
「自分で、動く……?」
「千年も万年もあるか。時間なんざとっくに超越しとる。過去も、未来も思いのままよ。それが竜じゃ。理解できるか?」
マギは黙って首を振る。
竜は深い吐息を漏らした。
「そうじゃろが。儂らと、われらは違う。違いすぎる」
「……竜っていうのは不死、なんですか」
生きた屍となった竜のことを思い出しながら、マギは訊ねた。
「それも違う。殺し尽くせば死ぬ。それ以外にも死ぬことはある。『閉じ』れば、竜は死ぬ」
「閉じる?」
竜はなにかを思い出すように遠い眼差しをつくった。
「儂らは過去だって変えられる。自分だけの現実を創りだすことだって出来る。だが、それは同時に他者との関わりを捨てることでもある。己が一人の世界に“閉じこもる”。それが竜にとっての死じゃ」
マギはふと、アカデミーの恩師が言っていた言葉を思い出していた。完全であるということ。それは他者との関わりがないこと。
「儂らは“過去”を変えられる。故に儂らに過去はない。儂らは“未来”も読める。故に儂らには未来もない。それが竜よ」
竜の言葉には、自嘲するような響きがあった。
「今しかないんじゃ。一瞬。永遠。どっちでもええ。どうせ儂らにとっては大差ない」
「……よく、わかりませんけど」
おずおずと、マギは自分の疑問を口にだした。
「あなたは、ジ――ストロフライが、過去に囚われることを心配してるんですか? なにかの未来を危惧してるんですか?」
「アホか」
呆れ返った口調で竜は言った。
「今言ったじゃろが。過去も未来もあるか。そもそも、儂は心配なんぞしとらん」
「それじゃあ、なんで」
言いかけた言葉を飲み込んだマギを見て、竜は可笑しそうに唇を歪めた。
「どうしてこんなとこにいるんだ、か? ほんまカスじゃのー。可愛い娘が、あれだけ堂々と宣言してみせたんじゃ。怒り狂って、反対してみせん親がどこにおるかよっ」
言いながら、美味そうに酒を呷ってみせる。
マギがぽかんとそれを見ていると、ふと気づいた竜がしかめっ面をつくった。無言で酒を突き出してくる。
「いや、俺は」
「飲めんてか」
「いただきます……」
受けとろうとしたマギに、酒を握って離さないまま竜の父親がぎろりとした眼差しを向けた。
「ニンカス。われは、どれだけ生きよる」
「……わかりません」
正直に、マギは答えた。
「多分。五十年とか。そのくらい生きられればいい方だと思いますけど」
フン、と竜は鼻を鳴らした。
「儂らにとっちゃ一瞬よりも短い。糞みたいなモンじゃの」
「そうですね」
でも、とマギは口を閉じて。息を吸って。言った。
「その間は、喜んであなたの娘さんに振り回されてますよ。……あなたの娘さんが飽きるまで」
「阿呆が」
くつくつと竜は肩を揺らした。手を放す。
「覚悟があるなら、やってみぃ。道化をやるとほざくなら必ずやりきってみせろ。分を超えた行いに足ィ突っ込んでも、誰にも不安を見せずに堂々と突っ立っとれ。甘えるな。縋るな。たった一つの本心さえ見せず黙って死んでいけ。最後まで自分を、周りも騙しとおせ」
マギは手渡された酒を呷る。
かっと胸が熱くなった。覚えのある味。いつか竜の棲家で飲まされた、あの殺人的な酒だった。
とても人間が飲める代物ではない。あわてて吐きだそうとして、それをじっと見守る目の前の相手の表情に、ぐっとその衝動を堪える。
涙目になりながら、全身を震わせて、マギはようやくのことでそれを嚥下した。
見届けた竜の父親が破顔する。
「――竜も人間も変わりゃせん。それが、男というモンじゃ」
◇
寝静まった町に、闇よりも暗い影が翼を伸ばす。
精霊形から元の姿へと戻った竜達が、次々に羽ばたいて空へと飛翔していく。
数十もの巨体が次々に夜空へと駆け上がっていく様を見ている者はほとんどいなかった。メジハの人間は全員が眠りについている。たった数人、マギを初めとする人間が竜の帰還を眺めている。
「さすがに壮観っすねぇ」
眠っている町の人間達に配慮して、羽ばたきの音さえ消して去っていく竜達は、その音がないこともあいまって酷く非現実的だった。
「そうだな。……町は大丈夫そうか?」
マギが訊ねると、ルクレティアが頷いた。
「外で眠りこけているような者はいません。竜の方々に見回っていただきましたし、講堂もああですから。明日、目が覚めれば夢のようにしか思えないでしょうね」
半壊したはずの講堂は、竜の一人が一瞥しただけで時間が巻き戻ったように元通りになった。
この数日、メジハの町を騒がした竜達はその痕跡さえ残さずにいなくなろうとしていた。
「まあ、しばらくは町の人間も色々騒がしいだろうが、よろしく頼む」
「はい。それで、ご主人様方は今夜はどうなさいますか? 洞窟に戻られないのでしたら、こちらに部屋を用意させますが」
「カーラとスケルはどうする?」
「あ。じゃあ、ボクはリリアーヌのとこに行こうかなって思います」
「自分は、洞窟いきますー。他の方々が戻ってるかもしれないんで」
「わかった」
「ご主人様はどうなさるのです?」
訊ねられたマギは肩をすくめて、
「ちょっと山を登ってくる」
そう宣言した。