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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
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「黄金の夜」⑤

 竜達が一時、身体を休めるための宿泊所とされた町の講堂に、多くの人が賑わっていた。


 藁布団がどかされた空間に多くの酒や食べ物が持ち運ばれ、車座で収まりきれない人々が思い思いの場所に腰を下ろして木製のジョッキを傾けている。

 今夜の宴が始まったのはまだほんの少し前だが、室内には既にいたるところで陽気な笑い声が弾けていた。


 収穫祭のような賑わいに、初めてこの場を訪れたカーラは目を丸めた。


「凄い。ほんと、お祭りみたい」

「たまにならいいですが、これが連日連夜です。それでも、以前の竜の遺骸騒動の時よりはマシですが」


 奥に用意された席に腰を下ろしたルクレティアが鬱陶しげに金髪を揺らす。両手にそれぞれ別のジョッキを握ったスケルが、ああ、と酒精の混じった眼差しを向けた。


「あん時は大変だったみたいっすねぇ。こっちはこっちで、洞窟でドンチャン騒ぎやってましたけど。けっこう揉め事もあったりしたんで?」

「冒険者の方々が大勢いらっしゃいましたからね。羽目を外しての暴飲、深酔いしてからの喧嘩。窃盗の類も珍しくありませんでした。ジクバール様達にご協力をいただいてなんとかなりましたが、それがなければ酷い有様になっていたでしょう。殺傷沙汰まであったかもしれません」

「どうして、今回はそんなことになってないの?」


 不思議そうにカーラが首を傾げる。その両手にもジョッキが抱えられているが、中に揺れているのはアルコールではなかった。

 ルクレティアは肩をすくめて、


「どうやら竜の方々というのはお酒を飲むことはあっても、飲まれるようなことはないようですわね。……例外もあるようですが。余程、薫陶が行き届いているのでしょう。それどころか酔い潰れた町の人間の介抱や酔い覚ましの薬まで煎じていただいて、これではどちらが歓待をされているかわかりません」


 ははあ、とスケルが訳知り顔で顎をさすった。


「竜の下っ端さん達も、日頃からいろんな苦労がおありなんですかねえ」

「あの親子の振る舞いに、いつも巻き込まれているでしょうからね」


 奇妙な黒ずくめの衣装に身を包んだ精霊形の竜達は、今もきびきびとした動きで酒や食べ物の追加に余念がない。まるでもてなす側のような甲斐甲斐しさだった。


 それでも、全員が働いているというわけではない。

 交代制でやっているらしく、半数近くの若い竜達はそれぞれ町の人間や仲間同士で酒を酌み交わしていた。


 講堂の一画にはその若い竜達が多く集まっている。

 陽気な宴のなかでそこだけに異様な雰囲気が立ち込めていて、町の人間もそれを察してそちらには近づこうとしていない。町人達には愛想よく応える竜達が、眉間に深い皺を刻みこみ、表情を忌々しげに歪めていた。


 不機嫌な精霊形の竜達にぐるりと周辺を取り囲まれた男が一人、世にも情けない表情でガタガタと震えあがっている。マギだった。


「……こんなのがお嬢の選んだ相手? 信じられねえ」

「こいつのせいで俺達まで親父の八つ当たりに巻き込まれてんだよな……」

「一回、お嬢に連れられてこっちに来た時も親父が大荒れだったよなぁ。あん時は山ごと崩れそうで大変だった」

「だいたい、親父は癇癪が酷過ぎる。いくらお嬢が大事とはいえよぉ――」


 若い竜達は目の前の冴えない男を胡乱な目つきで眺めながら、ぶつぶつと日頃の鬱憤を吐き出すように酒を煽っている。明らかに悪い酒だった。


「あ、あの。ちょっと俺、トイレに――」


 上ずった声でマギが恐る恐る口を開きかける。が、


『――あァ?』


 殺意に満ちた視線を一斉に向けられて、あえなく沈黙する。必死に助けを懇願する視線が、少し離れた三人に向けられた。目には涙が溜まっている。


「ああ、ありゃ相当参ってますねぇ。ルクレティアさん、放っといてよろしいんです?」

「かまいませんでしょう」


 手にした葡萄酒のグラスを傾けながら、ルクレティアは気のない口調で応えた。


「直接的に危害を加えるつもりはないようですし。山頂の方からも何もないところを見ると、許容範囲ということでしょう。であれば、この機会に少しは鍛えられた方がよろしいのですわ」

「相変わらず、厳しいっすねー」


 からからとスケルが笑う。

 ルクレティアはちらりとそちらを見て、


「……この程度のことで怯えてもらっていては困るのです」


 カーラとスケルが驚いた表情で顔を見合わせる。大勢の竜をして“この程度”とする意味を求めて、カーラが訊ねた。


「どういう意味?」

「昼間に申し上げた通り、この町にいらっしゃる竜の方々は善良です。我々へ与える影響や、配慮まで最大限に考えていただいています。ストロフライさんの目がありますしね。いくら彼らが強大無比な存在とはいえ、それでは本質的な脅威にはなりえません。脅威とはもっと悪質で、意地が悪く、粘つくような殺意に満ちたもの。そうした相手とこそ、ご主人様には対していただかなければならないのですから」

「……それって、ユスティスさんのこと?」


 この場に姿のない元王女を探すように視線を巡らせてから、カーラが言う。ルクレティアは頷いた。


「それも一つです。ですが、我々を利用しようと接近してくるのは、レスルートだけではありません。諸外国。人間以外の魔物。精霊。――いいえ、“この世の全て”」


 ぞっとするような真剣みを帯びた表情で令嬢は囁いた。


「スラ子さんは、文字通りこの世界を変えてしまいました。ストロフライさんは、まさしくこの世界で唯一無二の存在です。そして、その両者と深く関わりがある相手は――ちっぽけでひ弱な、ただの人間でしかありません。……まったく気の毒になりますわ」


 一瞬、哀れむような響きが語尾に混じる。

 それを振り払わず、飲み込むように令嬢は手にしたグラスを傾けた。葡萄色の液体を流し込んで、吐息を漏らす。


「……ご主人様にはこれから世界中の注目と、同じだけの悪意。それ以上の嫉妬が向けられることとなるでしょう。それを思えばあの程度、修羅場のうちにも入りません」


 大勢の竜に凄まれて蒼白になっている男を遠くに眺め、鼻で笑ってみせる。カーラは令嬢をまじまじと見つめてから、くすりと笑った。


「なんです、カーラ」

「ううん。なんだかんだ言って、ルクレティア、マスターが心配なんだなって」

「当たり前でしょう。貴女は違うのですか?」

「もちろん、心配だよ」


 嬉しそうにカーラは言って、そっと目線を下げた。


「多分、マスターだってわかってると思うんだ。……だから余計に心配かな」

「……そうですわね」


 忌々しそうに表情を歪めて、ルクレティアも同意した。


「今日の昼間のような。ああした態度が、もしも私達へと気遣ったものであるというのなら――ひどい侮辱ですわね。腹立たしくもあります」

「なにやら難しいことはわかりませんがー!」


 それまでの雰囲気を壊すように、ジョッキを掲げたスケルが大声を張り上げた。二人に半ば無理やりにジョッキをぶつけて、


「うちのご主人がダメでヘタレでどうしようもないってのは今さらしょーがありません! ですから、カーラさんやルクレティアさんがいてもらわないと困るわけで! 時に厳しく! 時にもっと厳しく! これからもどーぞ、あのダメご主人のケツをぶっ叩いてやってくださいなーっ」


 すでに随分と酔っぱらっている様子の彼女を見て、カーラとルクレティアはそれぞれの表情で互いを見つめ合い、


「もちろんっ」


 不敵に微笑んだカーラがジョッキを差し出す。


「……馴れ合いはいたしません」


 ルクレティアは嫌そうにひそめる。しかし、向けられたジョッキを躱そうとはしなかった。



「なーにネチネチやっとんじゃ、鬱陶しい」


 大勢の竜達にイビられ続けていたマギは、その場の空気を吹き飛ばすような豪快な声に救われた思いで顔を上げた。絶望する。

 目の前で彼を見下ろしているのは、岩から削りだしたような強面の竜だった。


「お、親父……」


 それまで愚痴を重ねていた若い竜達も顔色を一変させて姿勢を正す。彼らを睨みつけるように一瞥してから、中年の姿をとった竜は酒臭い息を吐きだした。


「宴の席でシケたことやっとらんで散れ散れ、阿呆どもが。しょうもない」


 若い竜達を追い払って、どっかと腰を下ろす。マギはびくりと全身を震え上がらせた。

 ぎろりとそれを見た中年竜が、


「悪かったのー、マギくん」


 にかっと笑いかけた。


「うちの若い衆が迷惑かけたみたいじゃの。すまん、すまん」


 マギは目をぱちくりとさせた。


「え、いや。そんなことは、」

「いやいや。連中、決して悪い奴らじゃないんだがの。若いのはカラッとしとらんからいかんわい」


 色々とツッコミどころがあったが、思いもしなかった言葉にマギはほっと息を吐きかけて、あわててそれを吸い込んだ。機嫌良さそうにジョッキ――普通のものより倍以上に大きい――を煽る、野盗の頭目じみた男を仰ぎ見るようにして、


「あの。怒っては、いらっしゃらないんでしょうか……?」

「んー?」


 酔眼を向けた男が、


「なぁに言っとんじゃ! 酒の席でそんなこと、無粋は言いだしっこなしじゃろうが!」

「おお……」


 がははと笑いとばしてみせる男に、マギは目を輝かせた。


「で、ですよねー。言いだしっこなしですよね」

「おうっ。当ったり前じゃあ。ちっさいこと言ってたら、飲まれる酒に悪い!」


 豪快に断言してみせる。

 大人物そのものの懐の広さに、おおお、と涙を流しそうになるマギの後ろから、


「たまにはいいこと言うじゃん」


 聞こえてきた声に、マギどころかその場にいた多くの竜達までがぎょっとした表情を浮かべた。


「お、お嬢……」


 いつの間にか、マギの背中に寄り掛かるようにしてジョッキを傾けている少女は、この近くの山頂に居を構える黄金竜ストロフライその人だった。


 ざわり、と講堂の空気が一変する。


 まだうら若い精霊形のその少女にはそれだけの気配があった。

 ただの見かけばかりのことではなく、他と隔絶する圧倒的な存在感。


 最強の竜の少女は、そんな周囲のことなど気にも留めない様子で、背中を預けていた男にしなだれかかるようにして、


「マギちゃん、アホ親父もああ言ってるんだし、気にしないでいいよー。てか言ってなくても気にしないでいいよ。あたしが許すし」


 びしり、となにかにヒビが入る音がした。


 マギがそっと見ると、ストロフライの父親の厳めしい顔つきは笑ったままだった。ただし、そのこめかみに青い筋が浮かび上がっている。


 ああ、とマギは天井を仰いだ。


「そ、そうじゃあ。マギくん。気にすることなんざないぞぉ。酒の席だからのう……」


 震える声で少女の父親が言う。


「だってさー。ほら、どんどん飲もっ。あたしも飲む! マギちゃんと一緒に酔っちゃう!」

「いや、ジニー。それは、」


 びしり、と新しい青筋が生えた。


 マギはあわてて、


「いや、そうじゃなくて。――ほら! あんまりお酒に慣れてないよなあって。飲み過ぎるとよくないと思うなっ」

「えー。大丈夫だよー。だってマギちゃんが一緒だもんっ」


 可愛らしく微笑んでみせてから、竜の少女はうっすらと目を細めた。蠱惑的に囁く。


「――あ、そうだ。マギちゃん、今夜はうちに泊まるー? お酒の席だもん。そんなこともあるよねー」


 びしびしびし、と音が連続する。

 そして、


「……あ、」


 音が止まった。

 それと同時に、岩のような顔面も動きを止めていた。一瞬の静寂。


「あ?」

「いいわけ、あるかああああああああああああああ!」


 顔中に青筋を浮かび上がらせた竜が吠えた。


「なあにが宴じゃ知ったことか! ニンカスが近くにいるってだけで反吐がでるわ! 今すぐ死ねやボケえええええええええええええ!」

「お前が死ねー!」


 力が溢れる。


 破壊的な結末の前に、その場に居合わせた他の竜達の動きは素早かった。

 なにか悟りきった表情で一斉に我が身を投げ出し、凄まじい力の奔流が無関係な人々を巻き込むのを防ごうとする。



 結果。


「クソがああああああああああ!」

『帰りたい……』


 中年竜と若い竜達が、講堂の屋根ごと天高くまで吹き飛ばされた。それを出し物かなにかと勘違いしたらしい町の人間達からやんやと喝采があがる。



「なんで俺までええええええええええええ!?」


 ついでにマギも飛んでいた。



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