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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
31/35

「甘い囁き」⑤

 雑踏に紛れたユスティスの姿はすでに見えなくなっていた。


 匂いで追うことも出来ない。

 人狼の血を引くカーラは常人より鋭い五感を持っていたが、元王女の匂い――細い首に巻かれた絹布から滲み零れる血の香りは、その他の雑臭に混ざってしまっていた。

 あたりには人と物とが溢れている。


「すみません! 道をあけて――わっ、ごめん! ごめんなさい!」


 人の大海にぶつかり、波頭を散らす。

 たちまち周囲から舌打ちや怒号が飛んだ。

 それに対してひたすら謝罪を繰り返しながら、カーラは駆けた。


 やや離れた方角から、かすかに悲鳴のようなものが耳をかする。


 即座にそちらに足を向け、そこに尻餅をついて倒れている若い女性の姿を見つけた。

 ぽっかりと人の空いた空間に両手をついて、女性は茫然としている。


「どうしました――」


 問いかけた時には、すでに悲鳴の理由は目に入っていた。

 女性の衣服の一部が金に変色――変化してしまっている。

 少し離れた地面に落ちた手提げの篭もだった。


 女性の手をとり、身体のどこにもその変容がないことを確認してから、カーラはほっと息を吐いた。


「大丈夫ですか?」


 女性は声もない様子で、こくこくと頭を頷かせる。


「よかった。なんともないみたいですね」


 相手を安心させるよう、努めて柔らかく微笑んでみせてから、カーラは囁くように訊ねた。


「――どっちに行きました?」


 震える指先で女性が一方をさす。遠くでまた悲鳴が上がった。


「ありがとう!」


 女性の手を力強く握りしめて礼を言い、立ち上がる。

 先ほど以上の勢いでカーラは人ごみにぶつかり、かき分けて進んだ。


 自制を失いかけているユスティスを放っておけば大変な事態になりかねない。

 ルクレティアも、もう少し言い方を考えればいいのに――思いながら、相手を悪く思う気にはなれなかった。

 それには彼女の生来の人の好さもあったが、それ以上に印象が脳裏に強く残っているからだった。

 

 お願いします、と言ってきた時の表情を思い出す。


 いつも冷静沈着であり、言葉は的確。

 自分の行いに迷いなど抱いたこともないのではないかと思えるほどに自信に溢れた豪華絢爛な令嬢が、その一瞬、ひどく痛ましそうに歪められているように見えた。



 街中を駆け回ったカーラが傷心の元王女を見つけたのは、街の中心から離れた空き地だった。


 火事かなにかに見舞われたまま、放置されている数区画。

 周辺にはぽつぽつと廃屋が立ち並び、それを隠そうとするかのように雑草が高く生い茂っている。


 ユスティスは崩れかけた外壁の上に腰を下ろしていた。

 両膝を抱え、足元の地面に揺れる草花を眺めている。


「崩れたりしたら、危ないよ?」


 声をかけても顔を上げない。


 恐らく気づいてはいるだろう。

 金精霊の能力を持つ元王女は、周囲の金属を知覚することが出来る。

 カーラは装飾品の類をほとんど持っていないが、ミスリル銀でつくられた護身用の手甲は肌身離さずに持ち歩いていた。


 返答がないかどうかしばらく待ってから、カーラはゆっくりと相手に向かって一歩を踏み出した。


「――来ないでください」


 制止の声に、それ以上近づくのをやめて、


「わかった。じゃあ、ここでお話ししようよ」

「……話すことなんかありません」

「そう? ……それじゃ、二人でぼうっとしてよっか」


 努めて明るい口調で、近くのレンガ壁に背中を預けてカーラは空を見上げた。


 昼下がりの青空には三分ほどの雲が流れていた。

 陽は柔らかい。

 季節は春を迎え、すでにそれを過ぎていた。

 冬を耐え、春を超えた木々は新緑を芽吹かせ、夏に向けた活動を始めている。


 ……もっとも。

 今も、鼻先を花弁の一枚が通り過ぎていきわずかな香りをくすぐらせていくのを覚えながら、カーラは苦笑した。


 ほんの少し前まで世界中で百花繚乱にすべてが咲き誇っていたのは季節のせいではない。

 ある若い黄金竜が、自らの初恋を祝福するよう口にした。地上の木々達はそれに応じて満開に花を咲かせていたのだから。


「黄金竜の祝福、か」

「……祝福?」


 はっ、とユスティスが吐き出した。


「“祝福”ですって? 格上の存在から一方的に押しつけられるものが、祝福ですか? そんなものを誰が求めていたというんです。誰がそんなことをして欲しいなんて言ったんですか? 誰も言ってない。……私はそんなの求めてません!」


 びしりと音を立てて、激昂する元王女の踏みしめた地面が放射状に金化した。

 蔦上に伸びた力の余波は壁沿いにも伝わり、カーラは反射的にその場から飛び退きかけたが、金蔦の先端は彼女に襲い掛かることなく、その寸前で制動した。


 ゆっくりと、カーラは全身から力を抜いた。

 背中に体重を預け直して、


「うん。でも――」

「わかってますっ。そんなこと言っても仕方ないってことは。誰を怨もうが、私がこうなのはどうしようもないって。死にたかった。殺してほしかったっ。でも、自分で自分を殺す勇気なんてなくて、それでマギさんに首を落としてもらったのに、それでも私はまだ生きてるんです! だったら、こんな自分なりに生きていくしかないでしょう……!」

「……うん。そうだね」


 カーラはまぶたを閉じた。

 視界が穏やかな暗闇に包まれる。

 元王女の悲鳴じみた慟哭が耳に届いた。


「私は、この力を使って生きていくしかないじゃないですか! 触れるものを金に変えてしまうなら、金に変えて。それに高値がつくというのなら高く売って! 呪われた力を与えられたのなら、それを使うことがなにか間違ってますかっ?」

「ううん、そんなことないよ」

「そうでしょう! それなのに――、」

「……それなのに?」


 声が途絶えたことに気づいて、目を開けたカーラが見ると、元王女は喉になにかを詰まらせたような苦悶の表情で、やがてそこから押し殺すように。低い声を吐き出した。


「……私、あの人が嫌いです」


 口を開きかけたが、声はかけずに言葉の続きを待つ。


「私のことなにも知らないくせに、哀れんで。王家の落胤だなんて言ってますけど、それでも片親には恵まれていたんだからあの人は幸せじゃないですかっ。私みたいに目の前で家族を殺されてもいないし、生まれ故郷を滅ぼされてもいない!」

「……ルクレティアはユスティスさんのこと、哀れんだりしてないよ」


 それを聞いて、元王女は引きつるように頬を持ち上げた。


「さっきのあの人の目を見ていなかったんですか? 明らかに私を哀れんでいたじゃないですか」


 カーラはかぶりを振り、自嘲するように笑って、


「ボクも、そうだったから」


 告げた。


「ボク、魔物の血をひいてるんだけど。前はよく、我を忘れて暴れちゃうことがあったんだ。それでメジハの人達からも嫌われてて。でも、仕方ないと思ってた。イジけてたんだ」

「……私が。イジけているって、そうおっしゃりたいの?」

「え、違うよっ。そうじゃなくて、」


 慌てて胸の前で手を振る。


「そうじゃなくて。……その時、ボクもルクレティアに怒られたんだ。――しっかりしろって。だから、多分、ユスティスさんにも“そう”なんじゃないかなって。ルクレティア、厳しいから。でも、その厳しさって、ボクはなんだか嬉しいなって思ったんだ」

「嬉しい?」

「うん。えっと。だから、哀れんだり、同情で言ってるんじゃなくて――そうっ、ちゃんと真正面から言ってくれてるんだなって。だから、ルクレティアがさっきユスティスさんに言ったことも、ただ哀れんでとか、そういうことじゃなくて。なにか意味があるんじゃないかなって。……多分だけど」

「どんな意味があるんですか?」

「……ごめん。それは、ボクもわかんない」


 ユスティスがため息をつく。


「それじゃあ、なんの説得力もないじゃありませんか」

「そうだね、ごめん」


 照れ笑いを浮かべて、カーラはぺこりと頭を下げた。

 呆れたように、首を振る代わりに肩を揺らしたユスティスが、


「カーラさんがお人好しなだけです。あの人は酷い人なんです」

「そうかなあ。そんなこと、ないと思うよ」

「いいえ、きっとそうです」


 言葉が途切れる。


 微風が吹き、薙ぐように雑草を揺らして過ぎていく。

 それを眺めながら、カーラは口を開いた。


「あのね」

「なんでしょう」

「――ボク、ルクレティアに勝ちたいんだ」

「……貴女が、お姉さまに?」


 眉をひそめた眼差し。

 カーラは気恥ずかしさを覚えて頬を赤らめた。


「全然、敵わないってことはわかってるんだけど。ルクレティア、綺麗だし、頭もいいし。ボクなんか、暴れるくらいしかできないし、字も書けないし」


 ユスティスが意外そうに軽く目を見開いた。


「そうなのですか?」

「うん。最近、勉強してるんだけどね。ユスティスさんは、やっぱり書けるよね?」

「ええ、まあ。修道院にいた頃に学びましたから……」

「わ。凄いなあ」

「凄いなんて、」


 言いかけた元王女の表情が、なにかを悔やむように歪む。

 それに気づかないまま続けた。


「それでね。今は、全然、敵わないんだけど。いつか勝ちたいなって。……目標なんだ」

「お姉さまがですか?」

「ルクレティアだけじゃないけど。シィちゃん、スケルさん。ストロフライさんも。それから、」

「……スラ子さん?」


 カーラは微笑んだ。


「うん。全然、遠い目標なんだけどね」

「――最強の黄金竜。それに、この世界を作り替えた存在。そんな連中を相手に、本当に張り合えると思ってるんですか? 魔物の血をひいているとはいえ、貴女はただの人間でしょう?」


 カーラは眉を寄せて、頭を振った。


「わかんない。でも、目標には出来るよ」


 だって、と言いかけたところで、自分がなんと言葉を続けるつもりだったかに気づいて、顔が真っ赤になる。


「だって?」

「……そういう人が、いるから」

「あの二人を目標に? ……マギさんですか?」

「うん。だから、ボクも追いてかれないようにって。だから、目標なのっ」


 照れながら、けれどきっぱりと宣言するカーラを、しばらく眩しそうに見つめていたユスティスが、そっぽを向いた。


「おめでたい人ですね」

「そうかな。そうかも、ごめんね」

「目標なんて聞いても仕方ないじゃないですか。カーラさん、貴女が度を越したお人好しだということがわかっただけです」

「そうかなぁ」


 息を吐き、


「――でも」


 元王女は続けた。


「少し、参考になりました」

「ほんと?」


 驚いて睫毛を瞬かせるカーラに、ユスティスは頬を持ち上げると、


「ええ。……私は、あの人が嫌いです。だから、負けたくありません」


 儚げな造作に不敵な笑みを浮かべて、言った。


「――私も、お姉さまに勝ちたい。それが私の“目標”です」


 カーラはきょとんとしてから、それからくすくすと笑った。


「なんですか?」


 不服そうに顔をしかめる元王女に、


「ごめん。――ルクレティアとユスティスさん、似てるなあって」

「気のせいですよ。血は繋がっていませんもの」

「うん、でも……やっぱり、姉妹だなって思った」


 ユスティスは眉をひそめ、自虐的な笑みを浮かべた。

 それを振り払うように立ち上がり、


「……ご迷惑をかけました。カーラさん、お姉さまのところへ戻りましょう。勝つためには、相手がなにをしようとしているかを知らないと。この街の商人達を相手にどんな大風呂敷を広げていただけるのか、聞いてさしあげないといけませんもの」

「そうだね。戻ろっか! きっとルクレティアも心配してると思うし」


 笑いながら言ったカーラを振り返り、元王女は嫌そうに顔をしかめさせて断言した。


「それだけは、絶対にありませんよ」


 ◇


 バーデンゲン商館に戻ったルクレティアは、迎賓室で静かに時を過ごしていた。

 ノックされた扉が音もなく開く。


「どうぞ」


 顔を出したのはディルクだった。

 会合の時間を早めるために奔走しただろう若い商人は、汗一つ見せていないが、しかしさすがに頭髪がわずかに乱れている。


「お待たせいたしました。ルクレティア様、席の用意が整いました」

「ご苦労様でした」


 椅子から立ち上がり、ルクレティアはそっと室内を見回した。

 そこに誰もいないことを確かめてから、


「――参りましょう」


 廊下に出る。

 ディルクの案内で進み、角を曲がったところで彼女の知人達が待ち構えるように立っていた。


「ルクレティア、ただいまっ」


 にこりと微笑む短髪の少女の隣で、こちらに挑みかかるような眼差しを向けてくる相手へ、ルクレティアは静かな一瞥を返し。そっと、口の中だけで息を吐いた。


「カーラ、ありがとうございました」

「ううん。全然だよ」


 絵に描いた善人そのものの表情の連れにもう一度、目礼で彼女なりの謝意を示してから、改めてもう一人を見やる。


「ユスティス」

「……なにかしら、お姉さま」

「今回、貴女をこの街に同行させたのは、これから行われる話し合いの内容が、貴女にも深く関わることになると思ったからです」

「そう。楽しみだわ」

「――ええ、楽しみになさい」


 ルクレティアは目を閉じた。


「……ルクレティア?」


 心配そうにかけられる声に瞼を持ち上げて、ルクレティアは頷いてみせた。

 先で待つディルクに視線を向けて、そちらにも頷く。


「では、こちらへどうぞ。皆様、すでにお待ちでいらっしゃいます――」


 ディルクが開けた扉の先へ、ルクレティアはゆっくりと足を進める。

 進みながら、その一歩の意味を彼女ははっきりと理解していた。


 つまりは。


 黄金竜が世界に宣言し、不定形が世界を新生させた。

 そして今、自らの手で世界は変革を迎えるのだということを。



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