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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
1/35

「黄金の夜」①

「スライムなダンジョンで天下をとろうと思う(再掲載)」10章が終わった後のお話になっています。

もしよろしければ、そちらをお読みいただいたあとにお楽しみいただけると幸いです。

「――――」


 遠くに、誰かの呼ぶ声を聞いた。

 かすかに耳に触れて、けれど意味のあるものとしては掴めないほんのわずかな音。眉をひそめ、その音の出所を探す。しかし見つからなかった。周囲は闇に呑まれている。


「――」


 光も距離もない空虚な空間に声だけが届いていた。ほとんど聞き取れないその音にひどく心が揺れる。焦燥を覚えながら、頭を巡らせた。誰もいない。


 誰かが、いなかった。


「――ス……」


 声。ようやくなにかを聞き取れた気がして後ろを振り返り。


 そこにあるものを見て、絶叫した。



 マギは目を覚ました。


 跳ねるように起きようとして、胸の重みに阻害される。そこでは小柄な妖精がすやすやと静かな寝息を立てていた。

 相手を起こしてしまわないよう、ゆっくりと身体の緊張を解く。


 ぱしゃんと水音が響いた。

 見上げると、枕元のテーブルに置かれた水槽に浮いたマンドラゴラの小人が水面を叩いている。頭に小さな黄色の花弁を咲かせる相手へ静かにするよう口元に手を当てて見せてから、マギは身体をずらしずらし、這うように寝台を出た。


 息を吐く。全身にべったりと汗をかいていた。


 ……さっきの夢のせいだ。

 どうしてあんな夢を見たんだ――呻くようにして、なにかが触れた。目線を下ろすと、彼の寝台に眠る妖精が手を伸ばして服の裾を掴んでいた。幼い表情が不安そうにしているのを見て、マギは黙ってその手をとった。


 どうして不安そうなのか、ということについては考えるまでもなかった。最近、黙ったままよく寝台に入ってくる理由もそれと同じ。


 寂しいからだ。


 銀髪を優しく撫でつける。何度かすると、幼い表情がほっとしたようにいくらか和らいだ。

 マギは近くの水槽からマンドラゴラの小人を掬い上げ、その身体を手拭でふいてから寝台の上に下ろした。熱心に妖精の頭を撫で始める相手に後をまかせ、ベッドから離れる。


 いつも寝起きしている彼の部屋は、ひどく空気が沈殿していた。

 湿気た洞窟の一室。まだ朝方だろう、多分――そうした感覚や、肌に触れる微妙な匂いはいつもと変わらない。


 沈殿しているのは空気ではなく、気配だった。それもたった一人分の。

 顔をしかめ、室内を見渡す。そんなことで、探し求める相手が見つかるはずがないことは理解していたが。


 ふと、遠くの床になにかが落ちていることに気づいて、マギは首を傾げてそちらに近づいた。

 拾いあげる。


 手紙だった。あまり見たことがない変わった手触りの、質のよさそうな紙面が丁寧に折りたたまれている。それを開き、そこに書かれてある文字(この世界で広く知られている精霊文字だった)を読んで、絶句した。



 【ニンカスへ。この手紙が着く頃、殺しに行きます】



 差出人の名前はない。

 そんなものは必要なかった。


 同時に納得する。どうしてあんな夢を見てしまったのか。

 ――ただの正夢だ。


「冗談じゃない……!」


 顔面を蒼白にして、マギはあわてて部屋から飛び出した。

 あの手紙がただの冗談だとは思えなかった。であるなら、対策をとらなければならない。だが今から襲いかかって来るであろうその存在への“対策”を講じるというのはそれこそ冗談にもならない笑い話だった。


 竜。

 この世界で圧倒的に強大な、全てを超越した種族。


 たった一頭で国を滅ぼし、それどころか世界まで滅ぼしかけた、そんなふざけた存在に対して採るべき手段などありえない。


 だが、この場合はその限りではなかった。

 その一つだけある思い当たりに向かって、マギは全力で駆けた。洞窟を走り、外へ出て。


 そこでまた、絶句した。



 外には満開の花が咲いていた。

 季節のものだけではない。四季ではなく、一気に咲き誇れといわんばりに爛漫な花々が、風に吹雪いて大きな舞を見せている。そうした事態は、実は少し前から世界中で起こっていた。


 そして、――一切が咲き誇れ、と彼らにそう命じた当の本人の姿がそこにはあった。



「あ。おはよ、マギちゃん」



 にっこりと微笑む。

 周囲に咲き誇る木々の競演が霞むような絢爛な笑みを輝かせて、精霊形をとった一人の少女がそこには立っていた。


「ジ、ジニー。おはよう」

「んっ。おはよーおはよー」


 機嫌良く頷いてくる。

 その可愛らしい笑顔に頷き返しながら、マギはひきつった表情で周囲に視線を巡らせた。


 視界の至る所に巨大な生き物が無数に倒れ伏している。黒く、大きなその体躯からまるで噴き出す血潮のように、辺りに咲き乱れる花吹雪が踊っていた。


 その中でもっと強大な一体は、少女の足元にいた。

 正確には踏みつけられていた。


 ボロボロの身体を震わせながら、巨大な爬虫類にも似た眼がマギを見据えて、


「に、ニンカスぅ……げう!」


 口を開いた瞬間、思いきり踏みつけられた。


「ごめんねー、マギちゃん」


 にこにことしながら、竜の少女が言う。


「うちの連中がなんかとち狂っちゃったみたいでさ。もしかして起こしちゃった?」

「いや、大丈夫だけど。それよりこれは、」


 まだ衝撃が抜けきらない頭でマギは訊ねた。

 当たり前だった。この世界で最強といわれる種族、竜。それが数えきれないくらい、山のように積み重なっている光景を見れば、普通は正気でいられる方が珍しい。


「これって、死んで――」

「あ、大丈夫だよー。あたし達って、ちょっと殺したくらいじゃなんともないし」


 ぱたぱたと手を振りながら竜の少女。

 足元では、一語ごとにリズム良く黒竜の頭を踏みつけている。ずどん、ずどんと地面を揺らしながら踏み抜かれるうちに、その頭部はほとんど地面に埋まり込んでしまっていた。


「そ、そうなのか……」


 としか言いようがなかったので、マギは曖昧に頷いて。

 考えるべきこと、聞くべきことや言うべきことが多すぎて思考がまとまらず、一切を放り出すように空を見上げた。


 ああ、と呟いて遠い目をつくる。


「いい天気だなぁ」

「いい天気だねー」

「わ、儂は――認めんぞぉ……!」


 蚊の鳴くような声は、その直後、ずどん、と足音に踏み抜かれた。



  ◇



 メジハの町長宅で、そこの若い令嬢はその日も朝早くから自室で机に向かっていた。

 多くの情報や資料を取り纏め、整理してまとめていく。その動作はほとんど流れるように淀みなかったが、それでも終わりが見えない程にやるべきことは多かった。


 彼女は町長を継ぐことがほとんど決まっている。この小さな田舎町を豊かにすることは彼女にとっての義務だったが、彼女の考えを実行するためには不合理な面が多々あった。


 美貌の令嬢にとって、やるべきことはこの町だけには留まらない。

 彼女は遠く領主の治めるギーツの街とメジハとの商売を取り仕切っていたし、さらには魔物達がつくる稀有な共同集団「アカデミー」との間に始まろうとしている商いにも深く関わっていた。


 それ以上に重大なものもある。

 言うまでもなく、それはメジハから程近くの場所にある洞窟と、そこに住む一党のことだった。


 黄金竜の一味。

 その意味は最近のほんの数日の間で飛躍的にその意味も価値も増してきてしまっている。それらの事情について彼女は正しく把握していて、それに対する準備に怠りはなかった。


 それはもちろん彼女自身のためでもあったが、同時に彼女の男のためでもある。

 とある事情から自分が仕えることになった男に対しては、色々と不満はある。不安も多い。だが、彼女には男を甘やかすつもりもなければ、枯れさせるつもりもなかった。


 それこそが、男のためにもなるはずだと彼女は信じていた。だから彼女は、一刻も早く自分の男に報告すべき情報をまとめようと今も精励していて――ふと、軽く扉を叩かれる音に気づいて顔を持ち上げた。


「なんでしょう」

「お嬢様、お茶はいかがですか」


 一瞬、考えてから応える。


「ありがとう。いただきます」


 中年の家政婦が持ってきてくれた熱い紅茶を一口して、彼女は息をついた。心配させてしまっただろうか、と自分の最近の行動を省みる。家の人間が彼女にどこか腫れ物に触れるような態度をとることは、以前からのことではあったが。


 だが、そんなことに気を取られている余裕はない――と考えて、確かに自分は余裕を失くしているらしいと令嬢は気づいた。

 そうなのかもしれない。そして、それは自分だけでもないはずだ。


 ……忙しい方が余計なことを考えずに済む。


 また扉が叩かれた。今度は先ほどより激しい。


「なにかしら」

「お嬢様。ギルドの方が。至急、お伝えしたいことがあると――」


 微笑する。

 頼まなくても忙しくしてくれるのだから、そう悪いことでもない。


「かまいません。お通ししてください」

「はい――」


 すぐに部屋にやってきたのは、彼女がよく使っているギルドの冒険者だった。まだ若い顔つきを真っ青にしている。


「どうしましたか?」

「そ、それが。とんでもないことが……!」


 令嬢は微笑んでみせた。


「深呼吸をなさい。ゆっくりとでかまいません、冷静な報告を」


 相手を落ち着かせる意味も含めて、悠然と紅茶を一口する。

 は、はい、と若い男は痙攣するように胸を膨らまし、なんとか自分の呼吸を落ちつかせると、


「――竜です! 見たこともないくらいたくさんの竜が、ボロボロで、どんどん町に運び込まれてて……っ」


 その驚くべき報告を受けても令嬢は醒めた美貌を動じさせなかった。

 彼女は貴族の血筋だった。優雅たれという習慣は、物心つく前から身にしみている。


 だから、あくまで冷静に。彼女は紅茶を噴きだした。



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