3章-3
エマの帰り際、彼女に渡された依頼料は立派なティーカップのセットだった。
「これはお礼です」と言って、エマは焼印の押された木製の箱を差し出してきた。レナードは、いわゆる「山吹色のお菓子」だと勘違いし、神妙な顔をして受け取った。エマたちを見送ると、早速彼は箱を応対机に置き、リリルが一体いくら請求したのか、興味をそそられながら木箱の蓋を開けた。ところが、中身は綺麗なティーセットだった。
これを受け取って、レナードはなぜ探偵事務所がガラクタで埋まっているのかに得心がいった。リリルはこうして、探偵業の報酬に様々な物品を受け取っていたのだろう。となると生活費の出処が気になるが、気にしないことにする。おおかた強請りでもしているのだろう。
レナードの興味は、リリルの生活などではなく、報酬のティーセットに向けられていた。リドリー家の紋章入りの七宝焼きだ。淡い水色をした器に天秤の紋が浮かんでいる。それを取り囲むように柊の葉が描かれており……レナードはそれをうっとりと見つめた。
「あいつの代わりは面倒くさかったが、これなら働いたかいもあるってもんだ」
たった五日間、やってきた客を追い返すだけの働きで全く偉そうにレナードは言った。
応接机にティーセットを並べ、この器にはどのような葉が似合うか彼は空想にふける。ロザリンドだろうか、ヴィーニュだろうか、公正な監督官を自認するリドリー家になぞらえて、かの聖人ミルドレッドの愛したアーチボルドはどうだろうか。それともエマの話に聞く限り文化に造詣の深そうなリドリー長官に合わせ、文化活動を保護した文化王アルフレッド、彼の好んだ葉を……しかし、あれはリリルの知り合いだからなぁ。
結局、レナードはそれらの葉を全て買うことにして(これだけ立派なティーカップに淹れる茶が、たった一種類ではもったいない)ティーセットを食器棚にしまうべく立ち上がった。リリルに見つかる前に早いところ聖域に避難させなければ。
と、そのとき壁際に置かれた転移台に力が流れた。
眼帯に隠された左眼が何かを感知した錯覚を意識の片隅に認めながらレナードはそちらへ振り向いた。転移台の上方に黒い球体が浮かんでいるのを見つける。
空間に穿たれた穴のようなそれは、そこから真っ黒な布を引きずり出すように探偵事務所へと侵食する。瞬時に黒布は人間大の大きさに広がり、それが包んでいる一人の女を転移台に降り立たせた。リリル・リリーラ・アルフレイン。事務所の主のご帰還だ。
リリルはほっと一息吐き出すと、巨大な旅行かばんを放り出した。
「あーあー疲れた疲れた。ほんと、地道な調査って面倒よね。時渡りなんてするもんじゃないわね、まったく!」
言葉とは裏腹ににこやかに笑いながらリリルが言う。彼女はトン、と右足を踏み下ろすと、その反動で雲のように浮いた。床を埋め尽くすガラクタを飛び越え、一気に自分の椅子へと移る。
レナードは彼女に話しかけた。
「文句をいう割には嬉しそうだな」
「んっふっふ~。ちょっとね。調査の結果が私に服従したもんだから気分いいのよ。あとは最後の裏付けと、仕事がひとつ。あー、明日が待ち遠しいわ!」
「それはいいが、連絡くらいしろよ。五日もどこ行ってたんだ」
「なぁに? 私がいなくて寂しかったっていうの?」
レナードは黙って右手を振り上げた。
彼の右手に握られたティーカップを見てリリルが言う。
「あら、そんなカップうちにあったかしら?」
「ん? ……ああ、これはさっきエマが置いていったんだよ。依頼料で」
「え?」
リリルの問にレナードが答えてやると、彼女は呆けた声を出した。彼女は瞳を右に、左に動かして、顎に手を当て思案にふける。やがて、じろりとレナードに視線をやり、
「あなたさっき五日って言ったかしら?」
「言った」
「フレッドの調査報告ってもうやっちゃったわけ?」
「やった」
「二人は今どこに?」
「ついさっき帰っていったぞ」
「…………ていやぁ!」
叫び声とともにリリルは左手を突き出した。手のひらから光弾が飛び出し、事務所の壁を無茶苦茶に跳ねまわる。レナードは自分の左後ろ、右前、右後ろ、右前、真後ろと壁が鳴る鈍い音を聞き――右耳のすぐ側でカップの割れる音を感じた。
「あーっ!」
右手にあるカップの残骸を目にして、レナードは叫び声をあげた。非難の言葉と同時にそれをリリルへ投げつける。
「リリルっ! お前よくも――」
「うるっさい! あと二つあるんだから黙ってなさいよ! もう一回呪うわよ!」
レナードの言葉を遮って、応対机を指さし理不尽に叫ぶ。
先日の苦しみを思い出しレナードは言葉をつまらせた。彼は黙ってその場にしゃがみこむと、カップの破片を集め哀しみに顔をしかめる。リリルに早く帰ってきてほしいなんて思わなければよかったのだ。そもそもこの女がいて物事が好転した試しが会っただろうか?
リリルは、頭を抱えて奇怪なうめき声を上げながら、
「あぁ~~っ! きっと時間設定をミスっちゃったんだわ。これじゃぁ最終確認が出来ないじゃないの。魔力がもったいないからもう渡れないわ。第一、レナードと話しちゃったから改変が起こるし……見に行く? いいえ私には見えやしない。なら……」
レナードに、リリルは企みを乗せて問いかける。
「ねぇレナード、あなたもう一仕事する気はないかしら?」
レナードは恨めしそうな顔を上げ、リリルを睨めつけた。
「俺のティーカップを壊しておいて……」
「なによ。というかそれは私のじゃないの」
「どうせお前は使わないだろう!」
「そりゃそうだけど……わかったわよ、直してあげるから、働きなさい。はい、決定! よかったわね、ティーカップが直って」
レナードの返事を待たずに、リリルの魔法によってティーカップが修復され、彼の右手に収まった。ティーカップには傷一つなくリリルに壊された記憶が嘘のようだ。
レナードは「そもそも壊したのはお前じゃないか……」などとぶつぶつ文句を言っていたが、リリルに反応する様子がなかったので、止めた。彼の小さな抵抗は魔女に対しては効果がないようだ。
これから先、一体何度この女の気まぐれに付き合わなくてはいけないのか……、とレナードは自らの未来を呪いつつ、
「それで、一体何の仕事なんだ?」
尋ねるレナードに、リリルは楽しそうに答えた。
「もちろん。リドリー邸へ忍び込でフレッドを『視る』のよ。それでね」
レナードの眼帯を指さしリリルは答えた。
レナードは訝んで、
「なんでいまさら? 先週やった調査じゃ――」
「確かに、フレッドに怪しいところはなかったわ。けど、だからといって彼が悪人でないとは限らないでしょう? まぁ、普通の人間ならそれでいいかもしれないけれど、せっかく信用のおける道具があるんだから、使わないとね」
ウインクするリリルを見つめ、レナードは静かに考える。
どうも、初めてみた時から――といってもリリルが彼を見たのはレナードの視界を介してではあったが――リリルはフレッドにあまりいい印象を抱いていないようだった。確かにフレッドは少々騒がしいが、あれだけ愉快な――そう、愉快な――人間が悪事を働くとはレナードには思えなかった。
それとも、リリルはリリルで彼になにか感じるものがあるのだろうか。やはり、この女は数百年も生きているのだし、年の功というものがある。五日も前から今までずうっと調べ物をしていたようだし、そこからなにかを読み取ったのかもしれない。しかし、先ほど彼女は「フレッドに怪しいところはなかった」と言っていた。それならどうして……。
と、そのあたりで面倒くさくなって、レナードは考えるのを止めた。
どのみちレナードに決定権はない。魔女との契約とか、主人と助手の関係であるとか以前に、リリルが自分の意見を変えるはずもない。たとえリリルが人間だったとしても、レナードは彼女に逆らえなかったように思う。リリル・リリーラ・アルフレインとは、つまりはそういう人格なのだ。
「さーあ、さぁさぁ! 張り切って行きましょう! 期待しているわよ、レナード」
レナードの背をビシバシ叩きながら、リリル。彼女はにこやかに笑っている。一点の曇のない、彼女の本性を知らない男が見れば一瞬で生贄の仲間入りをしそうな恐ろしくも美しい笑みが。
その笑みに、なんだか嫌な予感を覚えつつ、レナードはひたすらカップの心配をしていた。