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プロローグ

「私が生き返らせてあげましょうか?」

 甘い声がする。細い指が柔らかい動作で彼のあごをつかむ。女の顔が近寄り、甘い香りが鼻腔をくすぐる。空気が、空間が、周囲の全てが誘惑に満ちていた。女の口から頷いてはいけない甘言が漏れる。

「もう一度家族に会いたくはないかしら」

 ――会いたくないわけがない。

 口にしてはいけないその言葉を、彼は心のなかで叫んだ。心臓がはちきれるほどに叫んだ。脳みそに血液が集まり、胸が震え、爆発で傷ついた左目が痛んだ。外へ出せない怒涛のような感情は、彼の体内を駆けずり回り、その肉をずたずたに引き裂いた。

「私の魔法なら、貴方の家族を生き返らせることができるわよ」

 女の顔は鼻が触れ合うほどに近く、声だけでなく吐息の音さえも耳に聞こえる。ぼそぼそという空気の漏れる音が、彼の鼓膜をくすぐった。

「家族に会いたい? 会いたくない? 私に教えてちょうだい、レナード」

 彼の反応を味わうかのように、女は再び彼に尋ねた。

 女の声音は愉しみを孕んでいる。彼女の意志に従えば、最高の幸せが得られると思わせるような。それは女の罠に仕掛けられた餌に違いなかった。罠だとわかっていてなお、目をそらすことの出来ない極上の餌だ。

 返事をしてはいけない。返事をしたその瞬間、自分は魔女に魅入られてしまう。

「はい、と言えばいいのよ。そうしたら家族に会わせてあげる」

 返事をしてはいけない。そう、返事をしては――

「おい、先生。聞いているのか?」

「!」

 野太い声が急に割り込んできて、女の顔は朧となって空気に溶けた。

 はっとしてあたりを見回す。物置程度の広さの狭い部屋だ。窓がひとつ。が、分厚いカーテンでそれは塞がれており、灯りは丸テーブルの上に置かれた燭台だけだ。そのテーブルには自分を含めて四人の男がついていて、自分以外の三人はカードを持っている。場の状況からして、ポーカーでもしているようだ。

 左眼を覆う眼帯に手を触れ、テーブルに立てかけてある自分の長剣を確認する。長剣は彼の力を保証し、「もう夢ではない」と眼帯は語りかけてくる。

 男の一人が彼に声をかけた。

「大丈夫か、先生。調子でも悪いのか」

 訪ねる男の顔を見て、ようやく彼――レナードは思い出した。自分がいま、この男たちの会合に参加していたことを。強盗を計画する悪人たちに、『ある』仕事で仲間に加わっていたことを。仕事の最中に居眠りをしていたようだ。

「あ、あぁ。大丈夫だ。昨日も仕事があったんで……眠くってな」

 つっかえながらもそう答えると、男たちはゲームに戻った。カードをめくりながら、悪事の相談事をする。

 レナードの対面に座る男が言う。

「……ここはひとつ子持ちの家庭に乗り込んでやろうか」

「あまり人数が多いところは危険じゃないか?」

 レナードの右側に座る男が疑問を返した。

「子供に騒がれでもしたら面倒だ」

 右側の男はその他の二人に視線を送り、ベッドはもういいか聞いた。二人はうなずき、三人が一斉にカードを見せ合う。

「ぐぁ、やられた」

「あーあ、またおまえかよ」

 対面の男、右側の男が口々に悪態をついた。二人に睨まれた左側の男は、ニヤつきながら掛け金を集めた。

 対面の男がカードを集めてシャッフルをする。その動作の最中、彼はレナードに水を向けた。

「どうだい、先生。あんたもやらねえか」

「……いや、俺はいいよ。あんたらの計画が聞ければ、それで」

「そうかい」

 対面の男は大して気にしていないようだ。すぐに引き下がると、彼はカードを配り始めた。

「さっきの話だが……」

 配りながら、彼は話し始めた。

「子持ちといっても、教育に熱心な子持ちだ。そういう家は、どうせガキのために溜め込んでいるんだぜ。それに、親の目の前でガキを殺してみろよ。そいつらの狂いようったら……考えるだけでも笑えてくるぜ」

 対面の男は親の前で子を、子の前で親を殺す愉しさを語りはじめた。相当嗜好のねじ曲がった人物らしい。右側の男は嫌そうな顔で、またこいつの悪趣味が始まった、と小声でつぶやく。対面の男のこうした妄想は、定期的に行われるようだ。

 と、そこで左側の男が口を挟んだ。心配そうに、彼は恐怖を口にした。

「よした方がいいと思うぜ、俺は」

 対面の男と右側の男、二人の視線が彼に集まる。

「ほら、最近よく聞くだろ? 悪人殺しの噂。あんまり滅多なことをして、眼をつけられたらたまったもんじゃない。普通の家に行って、普通に殺して、普通に金を奪ってくる。それでいいじゃねえか」

 右側の男は呆れ、対面の男は彼を馬鹿にした。二人は鼻で笑う。

 左側の男の鼻に指を突きつけ、対面の男が演説を振るう。

「そんな殺し方の違いで狙われてたまるか。どっちみち殺すんだから関係ねえよ。そもそも、そんなヤツが居るって証拠は? 誰かが見たっていうのか?」

 左側の男は黙りこんでしまった。右側の男がレナードに話しかける。

「そうだ! 先生なら見たことあるんじゃねえか?」

「……鏡越しなら」

 対面の男が口笛を吹いた。

「そいつはすげえや。なぁ、先生。あんたその悪人殺しのこと、なんか知ってねえか? せっかくだから話してくれよ」

 悪人たちの視線がレナードに集まる。

 仕事をしなければいけない。彼はそう思い、ゆっくりと話し始めた。

「その『悪人殺し』について、俺が知っていることは多くはない。奴は暗闇で仕事をするそうだ。怪しく光る長剣をふるい、片っ端から悪人を斬り殺す。この長剣はいわゆる魔剣というやつで、目に入る人間全てを勝手に斬り伏せる能力がある。持ち主が剣を使うのではなく、剣が持ち主を使うんだそうだ」

「……なぜそいつが悪人殺しになる? それだとただの殺人鬼だ」

「…………」

 男たちの疑問に、レナードはすぐには答えない。彼は三人に順に視線を送ると、やがて少し調子をつけて話し始めた。

「これは信じられないかもしれないが、悪人殺しが仕事をする時、彼の眼は青白く光るそうだ。その眼は悪人しか映すことがなく、そのおかげで魔剣は悪人しか殺さない。なんでも、彼の光る眼を見て助かった悪人はいない……とか」

 そこでレナードは話を閉じた。

 心配症の左側の男は、この世の終わりのような顔をしていた。ただ話を聞いただけで、まるで次に殺されるのは自分だと言わんばかりの落ち込みようである。

 対面の男は「へっ……」と鼻で笑うと、したり顔で身を乗り出した。

「俺知ってるぜ。そういうのは怪談のトリックってやつだ。そいつの眼を見て助かった悪人がいないってんなら、なんで先生がそれを知っているんだ?」

 それを聞いて、左側の男は安堵の表情を浮かべた。「そりゃそうだ」と言わんばかりに、右側の男が頷く。

 しかし、レナードは静かにと笑うと、

「本当にそうだろうか?」

 邪悪な彼の笑みに、男たちは思わず息を呑んだ。空気の流れが変わっていた。

「いま俺がした話には、ちゃんと噂を伝える奴がいたと思うんだけどな。そいつは決して死んでいない。いただろ、そいつ?」

 急に饒舌になったレナード。彼が昂ぶっていることは、考えずとも男にもわかる。

 悪人殺しを鏡越しに見た、とのレナードの言葉を、対面の男が思い出した。

「ま、まさか! お前は……」

 その時、ふっ、と燭台の灯りが消えた。暗闇が彼らを包み込む。

 男たちは動けない。彼らはレナードの立てる音を聞くことしかできない。

 レナードはゆっくりと立ち上がった。ゴソゴソという彼の動く音が小部屋に響く。革でできたなにかがテーブルに落ちる音がする。眼帯を外したのだと、右側の男は考えた。

 レナードは右手で長剣の柄を、左手で長剣の鞘を掴み、ゆっくりと左目を開けた。青白く輝く眼光が暗闇の中に浮かび上がる。

「さあ……俺の眼に映るのは誰だ?」

 男たちはようやく逃げ出した。しかし全てが遅かった。

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