序章
高2の春――
俺は妹に恋をした――
□■◯■□
『次は中谷〜、中谷です。右側の扉が開きます』
満員電車の中、俺は人に揉まれながら通学していた。
俺の通っている中谷高校は、市内では一番レベルの高い進学校で有名だ。
…まぁ、別に俺の成績は特別言い訳じゃないんだけど……
『中谷〜、中谷です』
俺は人の流れに流されながらも、やっとのことで改札口まで辿り着いた。
「……痛って」
人に揉まれた時に押された右腕が妙に痛む。
右腕を押さえながら改札を出ると、同じ中谷高校の制服を着た人たちが何やらたむろっていた。
………何やってんだ?
俺が気になってそっちへ近寄って行くと…
「やめてくださいっ!!」
「……っ!!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
続いて、
「良いじゃんかよ~、キスくらい。抵抗ばっかすんなよ」
高校生の声が聞こえた。
俺は人混みを掻き分け、その集団に近付き、近くに立っていた高校生の肩を掴んだ。
「朝っぱらから何やってんだよ」
「……っ!!誰だテメェ!…って、何だ、中谷高校のヤツか。…おいおい、そんな堅いこと言わないでさぁ…。ほら見ろよ。この中学生、マジ可愛いんだぜ?」
高校生1…とでも名付けておくか。
その高校生1は、俺の制服を見て安堵の表情を見せた後、囲んでいた女子を俺の前に差し出した。
「…その汚れた手で触るな」
目の前に居る女子中学生を一目見て、俺は高校生1を含む高校生達を睨んだ。
「……っ!!なっ、何だコイツ…っ!!い、行くぞっ!」
高校生達は逃げるようにその場を去って行った。
残されたのは俺と、絡まれていた女子中学生1人。
「……えと」
女子中学生が口を開いた。
「あのっ…、あ、ありがとう」
モジモジと言う彼女。
「いや、別に」
目を反らす俺。
彼女は少し間を置いて、
「本当にありがとう、お兄ちゃん」
「…………っ!!!!」
彼女は――絡まれていた女子中学生は俺の妹だ。
この時からだった。俺、真田晄十が実の妹、真田環に"表現しきれない感情"を抱き始めたのは――
□■◯■□
「真田。ちょっと来い」
昼休み。俺は今朝の高校生達に呼び出された。
多分今朝の件について話があるのだろう。
呼び出された場所は校舎裏だった。
陰っており、人目につかない場所を選んだのだろう。
俺を呼び出したのは、高校生1だった。
高校生1は俺を校舎側に追い詰め、睨み付けながら訊ねた。
「おい、真田…。あの中学生とはどんな関係だ?」
俺は目を反らし、
「それを聞いてどうする?」
冷静に答えた。
高校生1は「ふっ」と笑い、
「さぁな。…答え次第にはお前を殺す」
拳を俺の頬を掠め、校舎へと打ち付けてきた。
俺は高校生1の目を見て、今度は逆に訊ね返してみた。
「…そんな事より、どうして俺の名前が判ったんだ?」
考えてみればおかしかった。
俺はあの時、名乗っていない。お互い面識があった訳でもない。
……じゃあ何で、俺の名前と、そしてクラスまで突き止めたんだ…?
「誰に聞いた?」
俺は高校生1を睨んだ。
高校生1は、目を泳がせた後、チッと短く舌打ちをし、拳を引っ込めた。そして、
「きょ、今日はこれくらいにしてやる。…覚えておけよ!!」
捨て台詞を吐いた後、猛スピードで走り去って行った。
俺は「はぁ…」と息を吐き、
「結局誰から聞いたか吐いてないじゃんかよ…」
青く澄んだ空を仰いだ。
□■◯■□
授業が終わり、下校する時になると必ず向かう場所がある。
そこは――
「お兄ちゃんっ!!こっちこっち!!」
「…早かったな」
「お兄ちゃんが遅いだけだよ」
妹の通う中学校の近くにある喫茶店だ。
何故か妹はここを好んでいて、毎日通うようになった。
…まぁ、妹だけで行けば良いのだが……
「今日は特別に払ってあげるよ♪」
「おっ、珍しいな。太っ腹」
……そう。妹の自腹は珍しいのだ。普段は俺が払ってるから。
…え?シスコン?
ふん、何とでも言いたまえ。別に否定する気は無いさ!!
……そう。俺は元々シスコンだった。妹が可愛すぎてたまらないんだ。
…だけどまさかそれが、本当に『恋愛感情』に変わってしまうなんて―――
「…?お兄ちゃん?」
「…ん、あ、あぁ。どうした?」
ボーッとしていたため、妹が俺の顔を覗いてきた。
……や、ヤバイッ!!!マジ可愛いっ!!!
俺の気など知らず、環はえへへと微笑んでくる。
「……っ!!」
…ダメだ。抑えなきゃダメなんだ。
俺はそう、何度も何度も自分に言い聞かせ、やっとの事で妹――環の目を見る事が出来た。
「…そう言えば、今日の宿題終わらせたのか?」
いつもの会話。
環は首を縦に振った。
「…そうか。珍しいな」
俺は微笑んで、彼女の頭を撫でてあげる。
彼女は、くすぐったそうに身を縮め、俺が撫で終わると顔を上げた。
……本当に可愛い。
可愛いんだ。たまらなく可愛い。…今でさえも、妹を撫でた手が震えている。
環は首を傾げ、
「…お兄ちゃん?」
訊ねるように呼び掛けてきた。
「…あ、あぁ。何だ?」
俺はまた、環から目を反らしながら言った。
環は暫く俺の様子を見ていたが、やがて嬉しそうに、今日学校であった出来事を語り始めた。
毎日こんな感じだ。
環は何故か、親ではなく、兄妹の俺に何かと報告したがる。
…たまに聞くのが面倒くさくなって、聞き流した事もあったっけ…
まぁ、それはこの際どうでもいい。
今日の環は何時もと比べて妙に機嫌が良かった。
コーヒーを奢ってくれると言ったのも、たまたま環の機嫌が良かったからなのかもしれない。
…で、今日の環の話だ。
「あのねっ、私、新しく男友達が出来たんだよっ!」
「…へぇ。良かったな」
素っ気ない返事をすると、環はちょっと怒ったような口調で、
「なに、その興味無さげな反応」
じっと俺の目を見てきた。
……だって実際、興味無いんだもん。
「……どんなヤツなんだ?イケメンか?」
仕方なく訊いてやる。
環は微笑し、
「うん!!カッコ良いよ。…メガネ男子っていうのかな、アレ…」
………メガネ男子
俺は身を乗り出して訊いた。
「お前はメガネ男子が好きなのか?」
環は急に俺が近付いて来たのに驚いたのか、少し身体を反らして、
「う、うん。…どちらかと言えばメガネがあった方がタイプかな」
「…そうか」
俺はメガネなんか掛けていない。
環は首を傾げ、
「…でも、急に何でそんな事…」
俺は残っていたコーヒーを飲み干し、
「いや、別に。…その男友達とお前が付き合う事になるのかな…とか思って」
隣の椅子に置いてあったカバンを持ち、席を立った。
環は「えっ」と言って、追うように立った。
俺は振り返って
「お前はもう少し、此処でゆっくりしてけば良いのに」
と言ったのだが、環は首を横に振り、
「ううん、良いの。今日はお兄ちゃんと一緒に居たいから」
と言い、勘定を済ませた。
……俺の気も知らないで…
俺が環に抱く想いを、どれ程我慢して抑えているか、彼女に知らせかった。
どう頑張っても叶うはずの無い恋。あってはならない感情。……実の妹なのに…
俺の頭の中は、常にその事が渦巻いていた。
――それが、四月の初め、まだ桜が満開になりかけていた頃の話だった。