粉雪のように 火の粉のように
歪む町並みが震える、凄まじい轟音である。
どんな音かと例えるにも似通った音など無く只やかましい。
封神壇にある管がヨシツネの術を吸い込み鳴っているのである。
それが何故かヨシツネの笛を吹く動作と同調している。
「ヨシツネ少々やかましゅうございます。
これでは舞いたくても舞えませぬ。」
流麗に反り返り、逆さまに振り向いたシズカの眉間にはシワが刻まれている。
「暫し待て、管ならば笛と同じ。これを使ってお前が気に入る音色を奏でてやる。」
前のめりになり力の限り吹けば轟く轟音。
腰の引けた囁く様な息では すかしっ屁の様に音にもならない。
「笛を吹く真似をせず、陶の管に術を送り込むだけに専念なされたら良いのではないですか?」
ああでもないこうでもないと可笑しなこだわりに囚われ苦悩するヨシツネを、舞うのをやめて後ろ手に覗き込むシズカの顔は、少女の瑞々しい好奇心に充ち満ちている。
老婆のそれの様に深く刻まれたシワはどこへ行ったのだろうか。
それと同様に闘技場では、二十代半ばながら少女の好奇心が目減りするどころか、年々増大するフミが、
好き嫌いせず何でも良く食べる生来の食欲により栄養素の充ち満ちた張りのある顔に、口元に笑み、眉間にはシワという複雑な表情を浮かべ、
ヨシツネが鳴らしているだろう轟音を、楽しみながら嫌がっていた。
つまり闘技場に響く轟音は、城壁に囲まれるという音響効果により音源から少し離れながらも増大しているかの様に、キリュウとトウシチロウの怪我の手当てをするフミのいる箇所を、良質な演舞場の観客席と化していた。
「何て凄い音なんでしょう!先程の凄まじい熱と光を陶の管に吸い込ませているのですね!
キリュウ様、あたくし達の勝利は目前でございますよ!」
爆音は昏倒するキリュウを目覚めさせていた。
気を抜いている訳では無いが、クオウニビツの背から降り地べたに座り込んでいる。
傍に転がるのは両断され役に立たなくなった具足。
槍の一振りも出来なくなった体には傷口の塗り薬の上に、元はフミの羽織りだった布切れが ぐるぐる巻きに巻かれていた。
たった今気付いたのだか、肋骨が十本程 折れてもいるようだ。
「こりゃあ桁違いだな。トウシチロウと必死こいて鍛えた技が惨めに思えて来たぜ。」
などと泣き言を呟きながら、傍に仰向けに身を横たえるトウシチロウに目をやる。
「腹が減った!握り飯が食いてえ…マイ殿の握り飯が食いてえ!」
サンゼオウに顔を舐められるトウシチロウの願いは即座に叶えられた。
急降下し三人の目の前を横切るリヨウの羽から落とされた竹の皮の包みに、トウシチロウのお目当は包まれていた。
「うん、分かった!トウカちゃんも気をつけて!」
地べたに落としてはならぬと握り飯の包みに飛び付いたフミが見たのは、城壁の上で うやうやと両腕を踊らせるソヤカを指差して通過する、幼児ながらに勇ましいトウカの横顔だった。
トウカにより何が伝えられたのか、それは封神壇と一体化するかの様なと言った比喩では無く、完全に一体化するソヤカの有様だった。
どう一体化しているかは一目瞭然。
万物の力の流れ、血脈を見極めろと開祖ヨシサダからの訓示を受け、その極意を身に付けたアキヨリでなくても目視が可能な程に、ソヤカの足元からは葉脈の様な光の筋が無数に地の底へと向かい伸びていた。
「流石だねぇ、流石過ぎてほくそ笑んでしまうよ。
先手を取ったと得意満面なんだろうけどね、私が手詰まりだと思ったら大間違いさ、一先ずの私の目的はそこじゃないんだよ。」
例によって例のごとく解説する。
防衛側のソヤカに先んじ、得意の神速により封神壇 破壊作戦に着手したヨシツネだったが、攻撃側が先手を取ったのは只 先手を取ったというだけの意味合いには留まらない。
それは乱気流である。
只でさえヨシツネの術の超高温により上昇気流が発生している。
大気は非常に不安定な状態である。そこにソヤカの氷の術を送り込んだなら、相殺されるなら御の字、最悪の場合 乱気流が発生し竜巻を呼び込み封神壇の破壊は加速されるのである。
ソヤカにとっては打つ手無しと思われる。が しかしソヤカの一先ずの目的は別の所にあると言うのである。
「お前は四百年前の亡霊なんだよ!ヨシツネ!お前を殺したところで私の胸は少しも痛まないね!いの一番に仕留めるべきはお前だ!居るべき所に還るがいいよ!!」
ソヤカのヨシツネ殺害宣言を揶揄う様に、管を鳴らす轟音が 下手くそが鳴らす尺八の様に プワァーと間抜けな音を立てた。
「馬鹿にするんじゃないよ!人間の体は殆どが水なんだよ。
お前の様な凄腕をやるには難儀するがね、手間を掛けて段階を踏めば訳はないのさ。
お前の血を凍らせて封神壇の鎧としたなら先年でも二千年でも守り通せるだろうさ!
覚悟おし!ヨシツネ!!」
封神壇 南部にはヨシツネの作った太陽は既に姿を消し、全て陶の管に吸い込まれていた。
後はその術を炸裂させるだけという、最終段階に至った自分の手際の良さのみならず、
ようやく違った音色が鳴らせたと、得意顔を見せるヨシツネだったが、自分の胸を指差してシズカに問い掛けた。
「これは何だ?」
ヨシツネの胸を中心に六角形の光が無数に広がっていた。
「はて、何でございましょう?」
ソヤカが見たならば また怒り狂うだろう とぼけ様である。
しかし今見ているのは何も無い空の一点。
「あのまま突き刺してやっても良かったんだがね、さっきの氷柱は お前に印を付け、術を掛ける下処理だったんだよ!
赤い氷の刃に内側から引き裂かれて死ね!ヨシツネ!」
大気が張り裂ける様な爆発音が響いた。
同時に間抜けな尺八の音が止んだ。
「!?違う!!」
ソヤカの脳漿が弾ける様に言った。
人体に流れる血液を凍らせ氷の刃と化す術は そんな爆発音など伴わない。
何の音か、それは さっき迄 嫌という程 聞かされ脳裏に刻まれていた。
忌々しい記憶と左耳だけの耳鳴りを手掛かりに、恐る恐る左側 三十数歩程先に目をやれば、立ち込める白煙を見た。
「イセの炎龍サカキバラ ドウゼンを向こうに回し!余所見をするとは 余程腹が座っておるのか!それとも阿呆の親玉か!」
白煙に霞む逆立つ銀髪に言い返さずにはいられなかった。
しかし足の痛みが視線を掴み引き返させた。
「血?!誰の?!」
ソヤカ自身の血に他ならない。
足元では陶で構成された城壁が小さくえぐれ、細かな破片が転がる。
その破片の一つが自分のふくらはぎを掠め一筋の傷を付けていたのだと理解すると、胸元に何やら鈍く光る。
「アンドウ ダンザに二度目は御座らん。
勝敗は決した!シラセ ソヤカ殿 御同道願う。」
ソヤカの胸元に突き付けられた大狭間銃が、語気を強めては弱め拒絶不可能の要求を突き付けた。
ドウゼンの銃声と足の痛みによりソヤカの集中力は途切れ、ダンザに掛けられた術は解けていたのだ。
「こいつはお笑い種だね!まさか勝ったつもりなのかい?とっくにお前らは私の術中なのに気付かないのかい?」
あくまで強気を崩さないソヤカである。
しかし彼女の反射神経を以ってしても、こんな密着した至近距離からの弾丸を止められる筈は無い。
もっとも即座にダンザそのものを止めてしまえばカタが付くには付くのではあるが。
「何をするつもりか知らぬが、どっちにしろどっちかが火を噴く事になる。」
今度は左のこめかみにドウゼンの馬上筒。
ヨシツネには及ばずともドウゼンの素早さも一級品である。
自身が定めた絶妙の間合い三十六歩を一瞬で跳び越えた。
完全包囲は完了したのではないだろうか。
「撃ちたきゃ撃ちゃあいいよ。
しかしね、千年氷漬けの運命からは逃れられやしないよ。
やかましいヨシツネの音が止んだだろ?
死んだんだよ、ヨシツネは死んだんだよ!
あいつの術ももう消えるよ、そしたら この封神壇の至る所から不凍の池からの水が噴き出し、不凍の戒めを解かれた水は瞬く間に凍り付くのさ。
池にあったら凍らない水だけどね、池から出たなら溶けない氷になるのさ!
逃げようとしたって今更遅いよ!
お前等なら感じ取れるだろう?地の底から脈打つ水の流れをさ!!」
ダンザもドウゼンも足の裏に全神経を集中させた。
その分 無防備になった聴覚に不意打ちの感情的で警告音の様な甲高い轟音が響き渡り、脳内で鳴っているのかという程にねじ込まれた。
「何?!鷹?!」
全ては思うがままとするソヤカにとってその衝撃はその数倍、その音をリヨウの声とわざとらしく勘違いするのは現実逃避である。
分かっているのである音の正体を。
感情的だったのは加減が掴めなかった故。
一度の失敗を熟練した奏者は正解の近道とする。
警告音は次第に心地良い音色に変わり、心地良い音色は流麗な旋律へと昇華した。
ここからが良くなる 愛しのシズカは再び奏でられた。
「そんな馬鹿な!私の術からは逃れられる筈は無いんだ!ヨシツネは死んだんだ!」
そこでソヤカは耳のみならず我が目を疑う。
ヨシツネがいるだろう南の一角を中心に、光を放つ白いモヤが空に向かい舞い上がり始めたのだ。
封神壇の血脈と完全同調するソヤカは理解した。
それは超高熱により音も無く粉砕された、熱と冷気を行き来させる陶の管の成れの果てであると。
「ソヤカは我が身に血の一滴でも通っているとでも思っていたのか?」
管を鳴らしてはいるが、あくまで笛を吹いているとするヨシツネは、胸にこびりつく六角形の光を指ですくって、耳くそでも吹き飛ばす様に息を吹きかけ何処ぞへと飛ばした。
そして漂い たなびく光のモヤを蹴っては跳び越え、光のモヤに乗りヨシツネを誘う様に舞うシズカを追い掛けた。
「ほらほら もうちょっと、早く捕まえないとシズカはどこぞへ行ってしまいますよ。」
ヨシツネは笛を吹くフリを止めて、この場においては少々無粋な力加減で飛び上がった。
既に その高さは高さに於いて二人を下界から遮断していた。
「それは困る、お前に置いて行かれたら我は惨めな虫けら同然。
どこでも好きな所へ連れて行く故、我が腕の中に戻って来てくれ。」
「それでしたらアタゴ山に。」
振り返るシズカは自らヨシツネの腕の中に潜り込む。
「飛べるかのう?九十里は隔てておるぞ。
それに今は桜の時期ではあるまいて。」
ヨシツネの手をつねるシズカ。
「出来ぬならば出来る人と参ります。」
ヨシツネはシズカの頬をつねる。
「我が お前を見初めし かの場所に、別の者と行った所で焼き餅を焼かれて終いぞ。
そうだな、アタゴ山の次はユイガ浜、その次はコンジキ堂へ参ろうか。
思えば、下らぬしがらみから解き放たれた我等ならば、行けぬ所など無かったな。」
シズカは定位置に戻った。
「ああ、胸に蘇ります、童のように水遊びしましたね。
花を摘んで下さいました、私だけにでなくアミダ様にも。
うふふ…うふふ…アミダ様の髪にタンポポの花…ああ…なんて眩いのでしょう…」
シズカが眩しいと言うのは、金色堂の阿弥陀如来だろうか、思い出の中のタンポポだろうか、それとも二人を包む陶の管が砕け散って光る粉末状の破片だろうか。
それとも もっと別の物体を超越した精神的なものなのだろうか。
「しかし気掛かりだ…」
ヨシツネは光を振り払い、振り返り下界を見下ろした。
「もう よろしいではありませんか。
後は あの頼もしい若者達に任せておけば良いのです。
それに…」
「ヨシサダか…罪人の家臣として肩身の狭い想いをさせた。
そればかりか四百年の月日を付き合わせるような真似まで…」
二人を運ぶ光とは別に、未だ封神壇に残る光を、これは俺の分だと言わんばかりに、かき集める手があるかの様に、何者かの意思が封神壇のほぼ中央、闘技場の少し東の辺りに集約し始めていた。
「そのような事で 人を恨むような御仁ではありませんでしょうに。
それに 貴方様より ずっとお強くて頼りになるお方でございます。」
「何と申した!」
偉そうな物言いだが、顔は子供の様なふくれっ面である。
「やっと振り向いて下さいましたね。」
それは首を傾けてたなら頬が触れ合う例の定位置。
「思えば お前を顧みず、戦、戦の生涯であったな。」
二人の頬が触れ合う。
「これからは ずっと一緒でございましょう?」
「ああ…しかし…多くの罪も無き人々を…死に至らしめた我が…この様に幸福な…」
「コンジキ堂の次は…地獄で…ございましょう….か?」
「お前とならば…地獄とて極楽だ…」
「それなら…私が地獄の…釜も良い湯加減に…」
「ふふふ…シズ…カ…」
「うふふ…ヨシ…ツネ…さ…ま…」
いつの間にか封神壇を揺るがせていた笛の轟音は止んでいた。
不凍の池では水が抜け水面に取り残されてしまった六角堂の薄暗闇の中、赤い大鎧と白い花嫁衣装が、少しずつ静かに 粉雪の様に、火の粉の様に、
ジョアンが死闘を繰り広げた出入り口の扉から 何かを追い掛ける様に消えて行った。




