僕はみんなの心の中にいるよ
牛の背に乗った鼠が小狡くも その背から飛び降り、牛の先に門を潜り一等賞を獲得する。
十二支にまつわる民話であるが、その順位を当てはめ、生まれ年だけでは無く、真北の鼠の子から始まり、猪の亥の北北西で完結する方位を表すにも用いる。
それはフミが命じた退却の為に地の底から放たれた鉄産球の柱も同様である。
ここは七位を獲得した馬の午、つまり封神壇の真南、歪んだ町並みの屋根の上ではイワエモンが、名は体を表すよろしく岩の様にごつい顔で声を枯らしていた。
「急げ!午の柱はこっちだ!違う!そっちは袋小路だ!
巳と未には行くな降りられやしねえぞ!整然と順番を待って午から降りろ!
待ってる間に命綱の用意をしておけ!」
退却を開始した家臣達を先導しているのである。
曲がり角から曲がり角の屋根の上を忙しなく行き来するごつい顔は、複雑に入り組んだ町並みを把握しているようである。
更には 使用不能になっている柱も把握しているようだ。
退却の指示があってから左程 時は経ってはいない、空を飛べる訳では無いイワエモンがそれらを知るのは何故か。
簡単な話である、空を飛べる者から聞いたのだ。
「みなさーん!おうちへかえりますよー!
えーと、えーと、うしさんと、おうまさんと、おさるさんと、ねずみさんと、えーと それだけ!
ほかはだめですよー!
おれたり、へんなふうになってるからあぶないですよー!
いまから とおれるみちに めじるしをおとしますよー!」
その声に茫然自失のイワエモンは、口、鼻、目を開けるだけ開けて上を見上げた。
「なんだこれ、なんでトウカ様の声がするんだ?
あれ?俺何やってたんだっけ?あれ?ここはどこだ?俺、俺…俺って誰だっけ?」
極限にまで自分を見失ったイワエモンは、ここまでの経緯を噛み締める様に遡り辿った。
各々の鉄産球の柱により各々 封神壇の南部に乱入した二十名程は、歪む町並みの裏手に密集した陶の管の地域に自然と集まった。
一際 声も態度もでかく、行動力もあるイワエモンが指揮を執った。
しかし管の破壊活動は要として進まず、しかも大木槌で打ち壊しても熱気なり冷気を噴き出す物は二割程度で、うんともすんとも言わない物が殆どだった。
つまり壊されては困る管を守る為の偽装である。
そこにフミからの退却命令である。
到底納得 出来るはずは無い。
しかし信頼するフミから指示されたなら従う他は無いし、後々 軍規違反だとアキヨリから落ちるカミナリが恐ろしい。
茫然自失の忸怩たる思いに影が落とされた。
見上げれば急降下するリヨウが何やら言っている。
ここで自分を取り戻そうとする自分に追い付いた。
「思い出した!俺はセタ イワエモンだ!」
リヨウの翼の影から聞こえたトウカの声に、これは一大事と頭を抱えて追いかけるイワエモンの頭にお手玉が落ちた。
「危ない!若君!降りて下され!危のう御座る!」
連なる町並みの屋根に上り、追い掛けるが つれない返答。
「ひろっちゃだめですよ、めじるしですよ。
もったいないけれど、つかうべきときつかわないのは、もっともったいないと おとうさまがいってました。」
激しく首を横に振り追い掛けるが、飛ぶ鳥に追い付く筈も無い。
「違う!違う!若君に万が一があったなら…」
時として、必死に訴える相手を全く意に介さずなのは父に似たのだろう。
「おうまさんのところは いわちゃんにまかせます。
ねずみさんのところは またはち ちゃんにまかせました。
すけざえもんちゃんもがんばっていますよ。
みなさんは すさのおのけしんです!まかせておけばあんしんなのです!
しじま とうかは あまてらすのけしんです!
いくところがあるのでいきまーす!」
この後トウカとリヨウは闘技場へ向かうのだが、そんな事は知らず、イワエモンは放心して見送りながら左胸を叩き叫ぶ。
「俺はセタ イワエモン!年端も行かぬ御嫡子が危険を冒してまで逃げろと言うなら、その勇気に答える他はねえ!
野郎ども ばっくれるぞ!!」
思い返せば リヨウの背に乗ったトウカは、やけに楽しそうで手慣れた様子だったが、考えてはならぬと声を枯らし封神壇南部に声を届け、退却を指揮していたのだ。
既にアキヨリの火炎歯車により破壊された、外郭の城壁跡に食い込んだ鉄産球の柱に命綱を巻きつけ、二十名程は滑る様に降りて行っている。
名簿と照らし合わせれば、南部に到達した家臣達の顔は確認出来た。
後は時間の問題だと ひと心地ついた時だった。
「おう!イワ!」
見れば脇道から肩で息をするマタハチが、もう走るのは嫌になったと座り込んでいた。
「おめえ!何やってやがる!なんでおめえがここにいるんだ!
北の方はおめえに任されたんじゃねえのかよ!おう、マタハチよう!!」
うるせえ うるせえと、降り掛かる声を手を振って追い散らかしマタハチは言った。
「いいから ちょっと話に付き合えよ。
おめえ これでいいのか?」
「何がだよ!」
「このまま尻尾巻いて逃げていいのかって言ってんだよ!」
「なんだとぅ!!」
屋根から飛び降りたイワエモンは、肩を怒らせマタハチに歩み寄る。
程なく喧嘩が始まるのだろうが、いつもの事である。
誰も気にも留めはしないので退却の妨げにはならないようだ。
「イワよ、てめえは なんだかやべえとは思わねえのか?」
「無敵のアキヨリ様が負ける訳ねえだろう。
言いてえ事があるなら、小出しにしねえでつらつらっと言いやがれ!」
イワエモンは座り込むマタハチを真上から見下ろした。
「偉そうに見下ろすんじゃねえよ。
こっちは散々走って息が切れてんだ。
アキヨリ様が負ける訳はねえ、それは俺も同感だ。
俺んとこにもトウカ様が来たよ…」
「だったら何でここにいるんだってんだ!
北の奴等 放って来たのか!」
面倒そうに立ち上がるマタハチ。
「それだからよ、イワエモンさんはお気楽だって言ってんだ。
何でトウカ様が飛び回って段取りつけてんだ?
アキヨリ様がそんな事やらせるか?
モンジュウロウの策にだってそんなの無かった。
元々そんなのはフミのお嬢の仕事だ。白い羽飛ばして、おめえはこっち 、あんたはあっちだとやったら一発だろうよ。」
イワエモンの血の気が引いて行く。
「アキヨリ様も お嬢も、人に指図出来るような状態じゃねえって言いてえのか?!」
向き合って立てば同じ様な身の丈だが、今度はマタハチが見下ろした。
「そうだよ、北の奴等は逃げねえと決めた。
少しでも足しになるようにって まだ大木槌振り回してる。
俺はこれから さっき火炎がぶっ飛んでと思ったら、氷の柱がおっ立った城壁に囲まれた所へ行く、キリュウとトウシチロウに何かあったに違いねえ。
小出しにして悪かったな、要するにだ、おめえも行くかって聞きに来たんだ!!」
目を剥いて首を徐々に傾け、最終的に真上を向いても答えなど出ない。
「足手まといになったらどうすんだ?」
「そん時ゃ腹かっさばいて死にゃあいいだろう!
今から言うのは極端な話だよ、世間で言うところってやつだ。
あん時ああすりゃ良かったなんて墓参りするよりよ!
顔見る度にぶん殴られた方がどれだけ ましかって言ってんだ!!」
真上を向いたイワエモンの目が、決意を放出して正面を向いた。
「俺も行く!!」
退却の順番待ちの列が一斉に顔を向けた。
その顔は俺も行くと言っている。
だが実際に言葉にはならなかった。
正午を過ぎ西に傾いた太陽が天中に戻り、戻ったかと思ったら落ちて来たのだ。
もちろん比喩である。一同の頭の上が突然 猛烈に明るく熱くなったという事である。
目が潰れそうな光を一同一斉に見上げ用としたが、それ以上の怪異に目を奪われ難を逃れた。
年の頃なら十五やそこらの、目にも麗しい男女がすぅっと降りて来たのだ。
「見るな見るな、目が潰れるぞ。
これなるはキヨモリが一門の船団を焼き尽くし海の藻屑とした、日輪逆落としの術である。
我が名はクロウ ヨシツネ、ハルナとジョアンの尽力により目覚めた。
今より 炎の龍によりこさえた、この術を以って封神壇の悉くを破壊する。
マタハチよ、北の猛者共は退却を聞き入れてくれたぞ。
イワエモンよ、行くな行くな、退いて高みの見物とせよ。」
と薄青色の直垂姿の少年が言った。
「皆さん、私はヨシツネが室シズカでございます。
アキヨリもフミもマサナオもトウシチロウも、ダンザエモンもドウゼンも皆 無事ですよ。
勝敗の分かれ目は皆さんの素早い退却にかかっております。
時を掛けたなら掛けただけソヤカに付け入る隙を与えます。
はい!始め!!」
手を叩いたかと思ったら、真っ白な打掛姿の少女は流麗に舞い始めた。
余計である、そんな事をされたら目を釘付けにされ退却どころではない。
「ほれほれ!退却だ退却!何何?舞があったなら音曲があるべきとな?」
違う、ヨシツネは この急を要する事態にも関わらず、ただ単に笛が吹きたいだけなのだろうか。
残念ながらそうなのだろう、篠竹の笛を静かに唇にあてがった。
流麗な舞によく似合う流麗な笛の音が予想された。
しかし予想は打ち砕かれた。
鳴ったのは東大寺の大仏の大きさの牛がいたなら そう鳴くであろう、耳をつんざく轟音だった。
イワエモン達が破壊した陶の管が大気を吸い込み鳴っているのである。
「管が我が術を吸い込んでおるのだ。
其方等の奮励努力は無駄では無い。
絶大な破壊力を持つ我が術なれど、ただ落としただけではたかが知れておる。
其方等が叩き割った管は我が術を吸い込み、隅々に迄その威力を行き渡らせ、忌々しき因縁と共に封神壇を木っ端微塵に粉砕するであろう!
間近で見て話のネタとするか?やめておけやめておけ!冥土の土産となる事請け合いだ!
ほーれほれ逃げろ逃げろ!」
マタハチに迫るヨシツネの素早さ凄まじさ。
何をするのかと思えば振りかぶって腰の入った平手打ちで、尻の左頬を貫く様に打ち付けた。
「ぅぐえああああああああああああああ!!」
仰け反って痛がる目には見る見る涙が溜まり、次々と頬を伝ってこぼれ落ちた。
「其方等の規範を超えた忠義への褒美だ!
ほれイワエモン!お前にもくれてやる!ほれほれ!」
満面の笑みが近付いて来る。
「逃げろぉぉおおおおおおおおお!!」
一同脱兎と化して速やかに退却は再開した。
取り残されたマタハチは、尻を真上に向け蹲って涙声で訴えた。
「痛え!痛えよ!なんだってこんな!聞いてたのと違う!
やけに若えし、もっと品のある人だと思ってた、これじゃあまるでアキヨリ様だ!!」
喚くマタハチの耳に笑い声が近付いて来る。
「あははは、すまんすまん、見せしめにしてしまったな。
しかしな これだけは覚えておいてくれ。
これよりは平安な世が訪れるだろう。
其方の規範を超えた忠義は乱世にこそ価値があるが治世には居場所を失う。
アキヨリがいくら庇ったとしても世間が許してはくれぬ。
其方が居なくなってしまったなら、一番悲しむのは誰ぞ?
時には我慢出来ぬ理不尽にも耐えねばならぬな、どうしても我慢出来ぬ時は今の痛みを思い出してはくれぬか?」
「うおぉぉぉおおおおん!!」
マタハチは尻を抑えながら泣き喚き立ち上がった。
「まだ、おばい、またお会い出来ますか!!」
ヨシツネが嬉しそうに頷くとマタハチは何度も頭を下げて皆を追って行った。
「広義ではあるがな、また会おう、其方が理不尽に見舞われた時に。
これ程多くの見事な若者達の胸に住う事を許され、我は何と果報者であるか、のうシズカよ。」
愛おしげにマタハチを見送りながらシズカの舞は続いていた。
しかし左手を反らし伸ばしてから、弾む様な足運びで追い掛ける振り付けは流麗ながら単調でもある。
「ヨシツネ様、今ならお聞かせくださいますね。
ここから良くなる この先です。
聞いたなら私も この先の舞をお見せしますわ。」
誘う様に、急かす様に、少し揶揄う様に、ヨシツネの鼻先を、舞うシズカの髪がかすめて行った。
誘われ急かされ、少し困り顔ながら微笑んで、ヨシツネは篠竹の笛に息を吹き込んだ。




