何故なら俺がリッカをリッカが俺を愛しているからだ
アキヨリは思わず額を掴んで呟いた。
「えらい事になった…」
声がかすれる、最後の最後、自分の火炎か分身の火炎か分からなかったが、兎に角 天空へと逃がさねばと操った時 僅かに吸い込んでしまったようだ。
心を決め、多々良の力を振り絞り、万物の凍る冷たさから、人の温みまで一気に不凍の池を温めなくては、安全にリッカを目覚めさせられはしない。
僅かばかりの、いや、火炎渦巻く戦闘は危険極まり無い行為である。一刻も早く熱を除去したかった。
その焦りが火炎を吸い込むと言う、らしく無い失態に繋がった。
喉の奥を火傷したようで、呼吸がおっくうである。
「フジオカの苦しみを、僅かではあるが分かってやれた。
悪く無いと思うべきか。」
ある意味 現実逃避であるのは否めない。
おしめの替えから嫁入り先の心配までして来たハルナを、自分に纏わる忌々しい因縁に完全に巻き込んでしまったのは、具には聞き取れぬ距離を隔てながらも、嫌という程 理解出来ていた。
「ジョアンが付き合ってくれると言うなら良しとすべきか。
俺を巻き込んだと悔やむ、義父上の苦しみも身を以て思い知ったならば良しとすべきか。」
分身は倒した、ヨシツネは目覚めた、しかしまだ寝転がっている訳に行かない。
しかし血の代わりに、溶けた鉛が体に流れているかの様に体が重い。
次の行動に移るに、三つの良かったを無理やり積み重ねた原動力で、やっと体を起こし懐からイタチを取り出してリヨウの頭に乗せた。
「此奴がおらねば、此奴を守らねばとの思いが無ければ、気を急かし窮地に陥っただろう、礼を言うぞ。
リヨウ、此奴を頼んだぞ、疲れているだろうが飛んでくれ、皆を繋ぐ役目頼んだぞ、もう一息だ!」
リヨウも羽ばたく音が、おっくう、おっくう、と鳴っている様にくたびれた体に鞭打って飛び上がって行く。
「さて、イタチなどにでは無くヨシツネ公にも礼を申さねば。」
と言いながらも、アキヨリは何かに気付いた様に眉をしかめながら、三人がいる方だけで無く四方八方に目を向け始めた。
「もしや!もしや!もしや!
ここに来てリッカの声も聞かれ無かった。
距離を隔てながら聞いた事もあったに聞かれなかった!
ならば この池に辿り着いたなら、その姿を見る事が叶うのだろうと己を励ました!
しかし 終ぞ見えなかった!
しかし!だがしかし!見てみろ この景色を!
偶然に分身を打ち倒したこの一点こそ!この一点こそが!夢の中でリッカが見せてくれた最後の景色に完全に合致するではないか!
それ即ち!天が その全知全能の力を以ってして、俺とリッカを結び付けていると言う事だ!!」
要約するとこう言う事である。
リッカは夢の中でアキヨリに、自分へと辿り着く道筋を見せてくれた。
つまり最後の景色はリッカから見た景色と言う事になる。
「つまりは この真下こそがリッカの居る…」
さっきまで もっさりとしていた動きが嘘の様に素早かった。
竹トンボでも回っているかの様に体を反転させ見た、足がすくむ様な澄んだ揺らめきの中の、手を伸ばせば届く様で、石を抱えて沈んでも三年はかかりそうな水底には、足がすくむ様に夥しい髑髏が群れを成していた。
しかし それは過程の光景である。真下の一点には金の揺らめきがあった。
僅かでも角度を違えたなら見えなかった金の揺らめきは、つい立ての様に足のすくむ様々と正信の一点とを隔てていた。
導かれる様に持って行かれた眼球の中心に映るそれはアキヨリの前身を駆け巡った。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
口から臓腑が全て吐き出されてしまう様な感覚に襲われたが、アキヨリは嗚咽だか叫びだかを止められはしない。
「リッカァアアアアアアアアアアア!!」
揺れていた、黒く長い髪が揺れていた。
三年前、共に過ごした時間の途絶えたあの日あの時そのままに揺れていた。
違うのは身に纏う、裾に花の様なヒダが縫製された白い巫女の装束の一点である。
知っている、その髪に触れた感触も、その春に群れ咲く花の様な匂いも知っている。
柔らかく閉じた目を縁取る長い睫毛、桃の実の様な曲線を描く頬、桃の花の花びらの様な薄桃色の唇、それらに唇を触れ重ねた感触も知っている。
足がそこに行きたいと願い、手が触れたいと願い、耳がアキヨリと呼んでくれと願い、心が髪の毛の一本一本までもが、その全てに重ね合いたいと願った。
千の策謀を操る戦術家、無敵の武人、舞っては見る者を魅了し、笛を奏でては人の心を蕩けさせる風流人、全ての肩書きは吹き飛んで、アキヨリは一人の女を愛する一人の男、只のアキヨリとなり、全身の願いを代表した利き腕が、開かれた右手がリッカへと伸びて行った。
届く筈は無い。水面はアキヨリの重量を乗せ、固い感触を跪いた膝と爪先に伝える。
隔てる距離は目の前であるかのようで、永遠に届かぬような不可思議さを隔てている。
しかし右手は水面を突き抜けた。
肩が胸が口が鼻が目が、揺らめきの中へと流れて込んで行った。
当たり前なのだ、日輪が東から昇り西へ沈む様に、冬に凍った川の水が春に溶け花が咲く様に、夏に生い茂った木々の緑が秋に色付く様に。
アキヨリとリッカは共にあって当然だと、沈むを拒む水面を通り抜ける事など当然の事なのだと、アキヨリは鱗粉の光を放射して、時間と距離の概念を超えたリッカへの隔たりを踏み越え飛んだ。
水中では無く、空中を飛ぶ様にざんばらの髪がはためき、風の様な水の流れが切り刻まれた着衣の隙間に潜り込み、切り刻まれた全身の傷口にトゲの様な冷たさを染み込ませた。
しかし痛みなど眼中には無い。リッカと同じ揺らめきの中に身を置く事が、これ以上無い喜悦となってアキヨリを陶酔させた。
そして陶酔しながら己に課された責務を果たそうと燃え上がる。
いや、責務では無い、アキヨリがリッカを目覚めさせるのは森羅万象の一部であり、当たり前の事なのだ。
何の備えも無しにリッカへと飛ぶのも、備え無く燃やす物も無いなら自身が燃え上がるのも当然の事なのだ。
ならば水の中でアキヨリは焼け死ぬのか。
「死ぬものか!何故なら俺がリッカを!リッカが俺を愛しているからだ!!」
火が燃えるのは可燃物が酸素などの支燃物と結び付く発熱反応である。
と言った、物が燃える現象の解説と同じく、アキヨリが死な無い事を完全に説明する道理だった。
「この手は届く!何故なら俺がリッカを!リッカが俺を愛しているからだ!!」
アキヨリの放つ熱が激しい対流を生み、金のつい立てが弾け飛んだ。
水中の動きでは無い。木枯らしに吹き飛ぶ枯葉の如し。
対流とは行く流れがあれば来る流れもある。
来る流れは揺れる長い黒い髪を、リッカを引き寄せた。
アキヨリの腕は千里先のリンゴを掴む程に伸びた。
掌は揺れる長い黒い髪の領域に突入した。
「聞いておくれよぅ…」
アキヨリの腕に絡み付くのはリッカの髪では無かった。
水底に累々と群れを成していた髑髏に揃いの腕の骨群だった。
聞いてくれと謎の嘆願をする腕の骨群は、アキヨリの腕にガタガタ震えながら集まり、遂に海老の天ぷらの衣の様に、びっしりと覆い尽くした。
「魍魎供!邪魔をするなぁあああああ!!」
邪魔をするなと全身から放つのは栗のイガの様な棘々の火炎。
それは鉄だろうが骨だろうが粉砕する勢いを表している。
「聞いておくれぇええ…」
止まぬ嘆願は、アキヨリにほんの僅かの気後れを覚えさせた。
その気迫の空白に、上下 定かでは無い程に対流に飲まれ揉まれた。
「もう許さん!!魍魎!覚悟しろ!!」
そう言おうとしたが言わなかった。
対流は自分の熱から発生した渦を巻く対流では無く、どこか一所へと向かう一筋の急流だった。
リッカもアキヨリもどこか一所へと流れて行っているのだ。
「これは?!何の流れだ?!池の中の流れなら渦を巻く筈だ!
もしや!もしや池の水がどこかに抜けて行っているのか?!
リッカ!リッカァアアアアアアア!!」
二人の距離は再び開き始めた、鱗粉の光を放射し推進力を発揮するが近付くどころか開く一方。
「聞いておくれぇ!!」
朧気な嘆願に力が込められると、開くリッカとの距離は止まった。
そして止まったどころか徐々に近付いて来る。
アキヨリの腕に絡みつく骨は、寄り合って縄の様にリッカへと伸び、巫女の装束の肩の辺りを一周し二人を繋ぎとめていた。
「聞く!!」
アキヨリは嘆願を受け入れた。
「済まなんだ!許せ!」
そして勢い良く謝った。




